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●前史
1885 東京に生まれる(親族・姻戚関係)
ca. 1903 東京帝国大学理科に入学、後、文科哲学科に転科、卒業。
1910 論文「措定判断に就いて」
1911 西田幾多郎『善の研究』
1913 沢柳政太郎総長下の東北帝国大学講師
1916 蘆野千代と結婚(千代の父:蘆野敬三郎, 1866-1941)
1918 「数理哲学研究」で博士号。『科学概論』岩波書店.
1919 京都帝国大学助教授
1922-1923 文部省在外研究員として単身ドイツに留学し、フッサールやハイデガー、オスカー・ベッカーなどと交流した。1924年1月
帰朝
●その後
1945 3月京都大学教授を退官
1945 7月浅間山北麓の群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢に病妻を抱えて移住し当地で隠遁的生活(この記述は「花澤秀文」論文に酷似)
ca.1945「下界に下りてアメリカ兵を見るのが耐えられぬこと」、「敗戦後の日本人の頽廃に直接触れるに耐えられぬこと」、「自分は 帝国大学教授として日本を悲運に導いた応分の責任を感じ、この責任を感じれば感ずるほど、畳の上で楽な往生を遂げる資格はない」(高山岩男『哲学研究』489号、p.160, 1964年)
1946 『懺悔道としての哲学』——「帝国大学教授として日本を悲運に導いた応分の責任を感じ、この責任を感じれば感ずるほど、畳の上で楽な 往生を遂げる資格はない」:その批判〈本の戦争責任を懺悔道という捉えようのない普遍の中に解消してしまった〉
1950 文化勲章受章、ただし本人は受賞現場に現れず代理で受賞
1949-1952 長野県の小、中学校教員で組織する信州哲学会のために「哲学入門」を講義し、それを書籍化したものが20万部を超えるベストセラーとなる。
リンク
文献
その他の情報
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