ヘルス・プロモーションとヘルス・イデオロギー
中央アメリカ村落の事例による検証
Ideological Aspects of Health Promotion;An Inspection of the scene from the rural life in Central America.
【初出】 日本保健医療行動科学会年報 1990,Vol.5,pp.185-201,1990年6月
1. はじめに
2. 人びとの健康の概
念
3. 健
康の概念を際立たせる「病気」
4. 外部
からの健康の概念
5. 社
会的な状況のなかで用いられる「健康」と「病気」
6. 考察
7. 結
語―健康の意味への研究にむけて
8. 引用文献および註
本稿は,ヘルス・プロモーションにまつわる「健康」の概念について中央アメリカの一農村における具体例を紹介し,ヘルス・プロモーショ ンがもち得る権威や権力について考える試みである.
ここで事例にあげるのは,中央アメリカ・ホンジュラス共和国の西部の標高千メートル前後の山地に住むスペイン語を話すメスティーソ農民 であるサンティアゴ郡(仮称)の人びとである.メスティーソとは,ラテンアメリカにおける征服者である白人と原住民の混血を起源にする人びとであり,ホン ジュラス国民の大部分を占める.
郡すなわちムニシピオ(municipio)とは,共和国の最小の行政単位であり,日本で言う「市町村」に相当する.サンティアゴ郡 は,役場のあるサンティアゴを含め12の集落(aldea)で,人口約3,260が,約50平方キロの山岳および谷間に住んでいる.年間の降水量は約 1,800ミリ,平均気温は摂氏19.5度の山地性気候のため比較的しのぎやすい.
サンティアゴのほとんどの人びとは,他の近隣の村むらと同様,主食であるトウモロコシやフリーホーレス(隠元豆の一種)の他に,商品作 物として砂糖きび,コーヒーなどの栽培し,一部では牧畜にも従事している.村の大部分を占める人びとはカトリック教徒であり,他に少数の福音主義的な教義 をとる新教徒がいる.
公的医療機関は,郡全体で2ヶ所に看護助手が常駐する「村落保健センター」(Centro de Salud Rural,CESAR)があり,隣接する郡に「医師のいる保健センター」(Centro de Salud con Medico,CESAMO)がある.伝統的な医療を担う人びとには,「呪術的」療法をおこなうクランデーロ[女性はクランデーラ] (curandero/-ra),マッサージ師(sobador/-ra),「注射を打てる人」,伝統的産婆(後述)がいる.観察される限りでは,人びと の治療戦略として,それらの「治療手段」が選択される際に,個々の事例に利用傾向の差こそあれ,公的および伝統医療が相互に排除されて利用されることは稀 である.
筆者はサンティアゴに医療人類学的調査のために1985年5月から87年2月まで滞在し,民族誌的資料の採集に努めた.ここで紹介する 事例は,すべて筆者が直接に観察したり,見聞し記録したものに依っている(1).
健康をあらわすサンティアゴの人びとの表現には,以下のようなものがある.
salud:サルー【名詞】健康.ただし,人の健康状態をあらわすには,ふつう 「よい」bienという形容詞がつき,Esta bien [de] salud (〜は健康です)などと表現される.
sano/sana:サノ,サナ【形容詞】健康な.全く病気でないこと.[スペイン語による女性形は以下 -na,-da 等と表記する]
alentado/-da:アレンタード【形容詞】元気な.健康にかんする表現のなかで多用される.このバリエーションとして,絶対最 上級となって:Esta alentadicimo.(〜はいたって元気です),示小辞がついて:Esta alentadito.(〜は元気です)となる.
後に述べるが,人々は「健康」についてよりも,より「病気」について,より多くの関心をもっている.だが,しいて「健康とはなんです か?」と聞くと,
“タバコを吸ったり,酒を飲んだりしても,害にならないこと”
“どんな食べ物でも食べれること”
という,答えが返ってくる.
多食できることが,健康を意味することは,しばしば言及される.それゆえに,多食のためにオナラがたくさん出る.オナラのでることは, 健康の証拠である,という民俗的三段論法として語られる(2).
オナラがでないことは,「コンヘスチオン(congestion)」という腹部への不快を伴う民俗的な病いとみなされる.この病いのみ ならず,人びとは「エンパチョ(empacho)」をはじめとする消化管症状を主徴とする一連の民俗的な病いに強い関心があり,このことが,食物と消化に ついて関連づけて考える習慣と深い関係にある(1).
サンティアゴの人びとにとって「健康であること」が意味するものは,我々が感じている健康の意味と,まったく同じというわけではない. 例えば人びとに対して「健康とはなんですか?」と問うてみても,なかなか積極的な返答は出てこず,「病気でないこと」という一様な反応しか返ってこない.
健康という概念がサンティアゴでは独立して表現できるとは言えない.むしろ,健康の対極にあるもの,すなわち病気というものとの対比によって人びとは 理解しているようである.
病むこと,あるいは病気に関する用語として,人びとは次のようなものを挙げる. enfermedad:エンフェルメダ【名詞】病気.健康でないこと.
enfermo/-ma:エンフェルモ【形容詞】病気の【名詞】病人.
Esta enferma(彼女は病気だ).ただし,示小辞が付いて enfermito/-ta となると,「頭のおかしい」「気の触れた」という意味に転化する.mal:マル【形容詞】具合いが悪い状態をさす.
padecimient:パデシミエント【名詞】どこか悪い,慢性的に具合いときに使 われる.dolencia:ドレンシア【名詞】痛み(dolor)や病気のことであるが,老人のみが使う古いことばであると言われる.
日常生活において,サンティアゴの人々は,病気にたいしてある種の共存・一体観をもっている.調査期間中に村落の各戸を訪問して,世帯 の誰かが過去一定期間内に「どんな病気をしたか?」について,質問していた時である.質問に答えた人の多くは,成人の女性であった.
“私たちはいつも病気よ”(Estamos siempre enfermos.)
「それは,どうしてか?」という筆者の質問に,
“薬を買うことができないから”
と,彼女たちは答えた.それは,病気と貧困の因果関係とも言えるものである.なぜなら,「薬を買うことができない」ということは,「薬を 買う金(dinero)がない」ほど貧困であると,人びとはしばしば言及する.病気は常にあり,それを癒すのは薬なのであり,それを買う経済力が,健康を 保証するというのである.
しかし,サンティアゴにおいても,自分は健康であると主張する人たちも中にはいる.中年男性のドン・チコ(仮称)は,その一人である. 彼は,自分はいつも健康(alentado)であると言う.
“熱があっても,水のシャワーを浴びれば治る”
このような表現は,現地において,たいへん挑戦的な言辞である.なぜなら風邪をひいたり熱があったりすると,人々は病気が終わるまで―― ふつう8日と言われるあいだ(3)――シャワーを浴びることを止めるという習慣があるからである.
男性は,女性に比べて壮健であるという考え方が,この社会にはあるが(4),そのこと がしばしば,マチスモ(machismo)すなわち男性優位的な思考と結び付けて考えられることがあり,ドン・チコの表現もこのこととは無縁ではない.
「どうして,あなたはそのように元気なのであろうか?」とドン・チコに筆者は質問すると,
“神さまのおかげさ”(Por voluntad de Dios.) と,彼は答えている.
この表現は,「良きカトリック教徒に幸あれ」という日常の挨拶あるいは会話上の相づちとして多用されるが,良きキリスト教徒と健康の結 びつきを意味していると,ここでは解することができる.
この社会のカトリック信仰は,ローマカトリックと民俗的要素が融合したラテンアメリカにひろく見られる,フォーク・カトリシズムと呼ば れるものと多くの共通点を見いだす.邪術(hechiceria)や悪魔の存在を信じることは,公には禁じられているが,噂や内輪の世間話などの非公的な 部分では頻繁に語られることがらである.その際,神は病気や不幸を癒すものであり,決して――たとえ神罰としても――病気を引き起こすとはみなされない.
“神への信仰(Fe)によって,人は癒される,神のみが癒す”
“神は人を病気にさせることはない,悪魔だけがそれをおこなう”
これらのことばは,病気の原因として悪魔とそれの手先と見なされている邪術師(hechisero/-ra)のことを示唆するが,この ことは病気の脈絡を越えて,広く災いに観念に結び付くことであるが,子細は別稿に譲りたい.
これに対して,村落の外部から伝わってくる健康の概念には,まず政府系の保健省の保健教育プロモーション,家族計画,各種村落開発プロ ジェクト,あるいは外国からの援助団体からのものがある.さらに,ラジオや新聞などで知ることができる一般保健薬の広告のなかで言及される「健康」などが ある.
サンティアゴでは,政府は保健計画の一環として住民主導の保健教育を試みようとしている.すなわち,住民の中から保健省のプロモーショ ンに参加,協力するボランティアを養成し,彼らが公的医療の専門職スタッフとの協力のもとに活動する,いわば「政府主導の草の根運動」のようなものを試み ている.「健康の番人」(Guardian de Salud)(5)と呼ばれる無償奉仕の保健普及員の養成講習会では,従来の公的医療制度がおこ なってきたスタイルである「住民は病気を治してもらう」という住民の受動的姿勢を変えるべきであると指導される.
講師であるプロモトール(普及活動を指導する保健省職員)(6)の1人は,住民に対し て言う, “皆さんには,「健康の番人」の役割を推進してもらうために,忘れてほしくないことが3つあります.それは,責任と信頼と協力ということです” “人 びとと協力していかなければ,健康は守れません.しかし人は誰でも臆病なものです.あなたたちが,それを克服していかねばならないのです”
この発言には,講習会で再三再四にわたって強調される「健康は人びとの努力によって達成されるもの」というメッセージを,人びとの道徳 的な慣習(エートス)として訴えかけようとする意図がうかがえる.というのは,これらのスローガンは,キリスト教者の友愛(companerismo~) の倫理と,中央アメリカのメスティーソ国民文化のなかでしばしば主張される「社会正義」の言説(ディスコース)から連想されるものだからである(7).
しかし,現実は容易には変革しない.別のプロモトールは,努力して簡易便所を設置しても,住民がそれを利用しないことを嘆いていた. 「どうして,そのようなことになるのですか?」という筆者の質問に対して,彼は急に改まって,“糞便を間違って放置することが原因となる病気の予防に対し て認識が足りないのだ”と,述べている.この半ば硬直した文句は,彼の上司と共にプロモトールたちが定期的に開催する集会や研修会で,繰り返し言及される 「現状への理解」という総括で言われることとほとんど変わらない.
テレビも新聞も普及していないサンティアゴの人びとの生活において,ラジオを聞くことは情報の入手のみならず,娯楽としての機能ももっ ている.ラジオでの医療や保健に関する広報や広告の形式は,人びとによく熟知されているもののひとつである.
1986年2月のある3日間に聴取されたいくつかのラジオ番組において,49種類の広告および広報があった.そのうちの43種は医薬品 のコマーシャルであり,残り6種が政府広報であった.広報は,それぞれ飲料水を清潔にするプロモーション3種,家族計画2種,および簡易便所に関するもの 1種の内訳となっている.
医薬品広告は具体的にある病気に対して特定の効能があるというメッセージを伝達するが,政府広報は「より良い生活を築いている (construyendo una vida mejor)」とか「人びとを守る(se proteje la gente)」というような語句を用いて,健康が説明される.例えば,家族計画における広報のひとつは会話態であり,次のように聴取できる.
――――“責任ある親たちは,養えるだけの子どもたちを持つべきです”
[歌におけるナレーション]
女性A―“あら,元気?”
女性B―“あんたほど元気じゃないわ”[疲れた声で]
A―“えっ,わたしのように健康(sana)になりたい? じゃあ,お聞きなさい..出産が続きすぎると,女は壊れる(8)ものなのって,お医者さんが言ってたわ.子どもがもっと健康に育つ,ぴょんぴょん跳ねる子 どもを持たなくちゃ.私たちは,女が健康であるように(una mujer salud),保証しなくっちゃ,そうでしょう!,そうでしょう!” ――――“責任ある親たちは・・・”[最初の歌の繰り返し] このような,いわゆる「外部からの健康の概念」は,それを達成することに,より配慮がもたらされる積極的な意味を多く含んでいる.
家族計画を含めた保健教育における「健康」は,「獲得すべき目標」という意味あいが濃厚であり,意図的な努力が必要であるという図式が 見て取れる.これは先に述べたような「病気がないこと」が健康であるという人びとの消極的な概念と好対照をなし,積極的に獲得していくものとして「健康」 が見なされている.
では,この共同体の外部からのヘルスプロモーションは,病気がもつ否定的側面を強調することなく健康について語っているのだろうか?
結論から言うと,その際においても健康のイメージは病気を通して語られることがある.しかし,それは次のような条件下においてであっ た.
保健省あるいは民間援助機関の普及員やボランティアーが,村人を前にして健康の推進や環境衛生を説くとき.あるいは,製薬企業が,医薬 品の広告において,具体的に特定の病気や症状――頭痛,下痢――を挙げて,その効能を宣伝するときである.
すなわち,ともに人びとに語りかける時においてのみ,病気の視野に取り込まれてはじめて健康は語られるものとなるのである.
サンティアゴの村落のみならずラテンアメリカのほとんどの地域には,不完全ながらも公的な医療制度が普及しており,また多国籍製薬企業による医薬品も 村落のあらゆるところで見られる.一般保健薬は処方せん無しで薬店で買えることから英米圏では「カウンター越しの医薬品」(over the counter medi-cine)と知られているが,中央アメリカではそれらはボティキン(botiquin)と呼ばれ,ほとんどすべての薬が薬店で自由に購入でき る.このような医薬品の専門家の監督圏外での素人による処方である自己投薬行為が引き起こす問題は,比較的早くから指摘されている(9).
たんに医薬品の流入だけでなく,近代医療システムは,人びとの医療行動を規定している.なぜならば,異常出産や重病などが出たとき,患 者は山道をハンモックに吊されて何時間もかけて自動車道路のあるところまで連れてこられ,チャータした車――チャータ料の相場は決まっており衆知である ――で,病院まで運ばれるのであり,近代医療は身体の危機的状況には必要なものと見なされている.すなわち,こと健康や病気に関して人びとの伝統的な概念 の墨守と,外部からの異質で新しい観念の導入が,相互に排他しているとは一概には言えない.
このサンティアゴでは1958年に未舗装の道路が外部と繋がり,1972年以来開設している看護助手のいる「村落保健センター」,ある いは1980年以降,活発におこなわれるようになった簡易上水道・簡易便所普及プロジェクトや児童福祉を通しての村落開発の民間プロジェクトなどが,常に 外部からの「健康」の概念をさまざまな形で導入している.
したがって人びとの健康の概念が,より伝統的でありかつ本来的であるという経験上の根拠はなく,外部に由来する健康の概念は,人びとに よってさまざまに解釈され,現実には「取り込まれている」と言ってもよい.
だが,すれ違いは常に生じる.それは伝統的なものと外来のものという対比が,最も象徴的に出会う場で起こる.その例として,サンティア ゴ地域の伝統的な産婆に対する政府保健省が行なった講習会での状況が挙げられよう.
アルマアター宣言が採択された1978年前後のころからサンティアゴでも,プライマリヘルスケア戦略で知られる,母子保健,乳幼児への 予防接種,経口補水療法(後述:Oral Rehydration Therapy:ORT)の普及などと同様に,「伝統医療をおこなう人」(アルマアター宣言)や産婆の実態の把握が行なわれるようになった.そして,ユニ セフなどの資金援助によって,伝統的産婆は,近代医療による「消毒」や「予防」の概念を講習会で教えられることになった.
サンティアゴの「村落保健センター」で産婆たちに行なわれた,小児の下痢とその対策についての小講習会でのことである.
参加したのは6名の産婆であった.彼女たちは,同じ集落の先輩格のあるいは知り合いの産婆から影響を受けながらも,「自分で産婆の術を 覚えていった」伝統的産婆である.既に幾度か,保健省の短期講習をサンティアゴあるいは近隣の保健センターにおいて受けており,その活動が保健省によって 把握されている「訓練された産婆(partera adiestrada)」たちである.彼女たちは数カ月に一度,保健センターに呼ばれ,過去数カ月の出生,死産などを「報告する」が,実際は保健省が出生 事情を調査するために旅費を負担し,産婆に「聴取される」.その日の講習会は,そのような聴取のために集まった産婆への短い談話会(charla)であっ た.
講師は,保健センターで働く看護助手の女性で,この国の南部出身の「土地のもの(nativo/-va)」ではなかったが,看護学校の 最終年の実習として一年間サンティアゴで働いている最中であった.看護助手は,下痢が引き起こす症状をとりまとめた表を壁に張り付けて説明をはじめた.だ が,産婆たちは全員文字が読めないので,看護助手の話を聞くのみである.講師は専門用語――例えば「脱水症状」「消化管」など――を駆使して,熱心に説明 する.産婆たちは,しきりに諾いているが,しかし産婆たちにはほとんど理解できていないことが,その後の会話で分かった.
ロタフォリオ(rotaforio)と呼ばれる,布でできた絵や文字の入った大きな日めくり式の教材で,看護助手は産婆に説明していっ た.下痢の脱水症状で苦しんでいる――と,筆者には受け取られた――乳児の絵と,それぞれの身体の部分に病状の特徴が説明された図面が出てきた.産婆たち は「なんて可愛いの(! Que lind !)」と言いながら,看護助手の話に諾いていた(10).
また,経口補水塩――幼児の脱水症状に対する等張飲料水を作るための塩類――の使用法を説明した後で,看護助手が「子供が下痢をした時 にどうすればよいでしょうか?」という質問をした.それに対して産婆たちは,
“レモンを水に溶かして,トマトを与えればいい”
あるいは,
“レモンと塩(sal)を水に溶かす”
と答えた.
塩は,食塩という意味のほかに経口補水塩(sal de rehidoratacion oral)を連想させるが,サンティアゴでは,下痢の子供たちにレモン水を与えるという療法がある.また,伝統的に食物を「熱いもの」と「冷たいもの」に 区分する熱/冷二元論(hot-cold dualism,or hot-cold dichotomy)という住民の考え方も見て取れる.これは調理における状態としてではなく,個々の食べ物には「熱い」属性と「冷たい」属性があり,こ のバランスが失われた時(どちらかの要素の過剰あるいは過小)病気になると考えられていることに繋がっている.ここでは,その土着的な考え方によって「熱 くなったお腹を冷やす」作用がトマトにはあると考えられた上での発言であったとも言える.そして依然として,経口補水塩は,現地の子供たちの間で粉のまま なめられて,お菓子代わりにされているのである.
補水塩の「誤解」や「誤用」は,保健省が地域レベルで開催する職員スタッフの集会においてもしばしば議題にされるテーマである.そのよ うな齟齬に対して,保健省の職員,村役場の役職たちは,土着的あるいは民俗的な人びとの信条や実践を,「誤用」あるいは「未開」の視点からとらえようとす る.それは,村役場の書記を長年務めた,ある老人の次のようなことばに端的に表われている.
“今でこそ,産婆は保健省などから器具を貰って,少しは衛生的になったが,昔の産婆はマチェーテ[山仕事や農作業に使う山刀:筆者]で赤 ん坊の臍の緒を切っていたものだよ”
以上,中央アメリカの一村落サンティアゴおける,「健康」ということばやイメージにまつわる事象を取り上げて紹介した.
まず,「民俗的信条としての健康」は,それ自体では積極的な意義を見いださず,むしろ病気という座標を定めて,そこから逆に想起される ものであった.もちろん,人生は病気と共にあると感じている多くのサンティアゴの人びとにとって,健康はよきものと見なされているにもかかわらず,であ る.
それに対して,「公的および私的機関を通して外部から入ってくる健康」は,獲得すべき目標や努力として,より積極的な意義を持たされて いる.それは,あたかも,健康であることが人びとにとって幸福であると主張されることがあるかと思えば,健康の達成を国民の義務であるかのようにも主張さ れる.
このような対比を,他の社会や文化における民族誌的な報告と比較することは興味深い.伝統的医療について記述してきた研究分野は,いろ いろな社会の病気(あるいは「災い」)とその治療法,あるいはその疾病論(「災いについての理論」)については膨大な調査研究を残してきた.しかし,伝統 的な「健康の概念」についての資料は絶対的に不足しているのである.
その理由として,まず,(a)研究者は病気について,そのような研究枠組みに捕らわれて,「人びとの健康についての概念」に関心がな かったのではないかと,考えられる.あるいは,(b)伝統社会の人びと自身にとって「健康」たることは,さほど関心事ではなく,研究者も敢えてそれについ て調査することしなかったのではないか,ということである.つまり,2番目の説明では,病気という「非日常性」とそれをめぐる解釈は,文化や社会に依存し て多様であるのに対して,健康という「日常性」を支えるものは,人類にとって一般性をもった所与で「あたりまえ」のものであった,と考えるものである.
だが,サンティアゴの例で示されたように,住民の伝統的な健康の概念と,公的あるいは外来の健康の概念――調査者であった筆者も当初は この立場に依拠して調査を開始した――は異なるのであり,「健康の概念」は,それぞれの集団や文化によって多様な側面をもつことは明らかである.
現在までのところ,伝統的な健康が,病気との対比において消極的な価値が置かれなかった,という理由を明白に説明することはできない. しかし,金があること,幸せであること,など人生における様々な「プラスへの価値」において,「病気のないこと」(=マイナスからゼロへ)が強調されて, サンティアゴの人びとが「健康であること」(=マイナスあるいはゼロからプラスへ)をことさら強調していない点は興味深い.なぜなら,彼らの社会とは対照 的に,疾病による死亡が改善され近代医療へのアクセスがより快適であると考えられている我々の社会において健康は,より強固に達成されなければならないと いうヘルシズム(「健康主義」)に見られるような「強固なイデオロギー」(11)と化している,と言え なくもないからである.
その意味で,日本の医療,保健,福祉そして,中等高等教育の従事者たちが,おこなっている「保健教育」において,世界保健機関憲章 (1948年),あるいは,その30年後におこなわれたプライマリヘルスケアを提唱したアルマ・アター宣言における「健康の概念」の普遍性について吟味す ることは,そのことへの実践的関与いかんにかかわらず,重要なことであろう.
「健康」の意味には社会的な起源があると認めることは,その意味が社会的に構成されていることを承認することでもある.現象学的社会学における現実性 (リアリティー)の社会的構成(social construction of reality)という着想(12)に依拠しながら,「人びとの健康 に関する経験」を具体的な調査を通して積み上げていく作業が必要となろう.
以下そのための分析枠組みを仮説的に考えてみたい.
その具体的な研究戦略は,まず健康の意味をどのようなレベルで考えるかということにある.そうすれば,(A)個人のレベル,(B)社会 で共有される認識論・意味論のレベル(これはしばしば土着的 native あるいは民俗的 folk 視点とも言われる),(C)社会そのもののあり方を規定するイデオロギーのレベル,のそれぞれ3つのレベルにおいて「健康」は語られていると言えよう.
個人のレベルでは,日常生活における体験や個人史(パーソナル・ヒストリー)に表われるものとしての健康がある.これには本人の闘病体 験,他者の病気への理解,あるいは個々人の身体感覚などが,その健康観に影響を与えるであろう.
社会の認識論・意味論レベルとは,個々人の体験や身体感覚を社会的な文脈で説明し解釈することにおいて表出されるものを指している.文 化人類学における民族医学や身体技法,あるいは身体論などは,このレベルに焦点を当てているものが多い.
イデオロギーのレベルでは,そこで取り扱われる健康の概念が,観念上の理解のみならず現実の行動に直接に影響を与え,それゆえに何がし かの物質的根拠を持つものである(11).例えば,「病人を救え」というスローガンや「人間の基本的権利としての健康権」という言明は,現実に医療行動を おこし,国際間の医療援助――今日的な意味での医療協力――を引き出し,社会あり方に影響を与えている.ここでの健康とは,先のレベルとは当然ニュアンス を異にしているが,概念を通しての我々の生活を規定している点で,健康のひとつのあり方なのである.
本稿で紹介された諸事例を,このような視点で振り返ってみると,この3つの次元は,別個に分離されることなく多層的に関連しているよう に思われる.
例えば,サンティアゴの人びとにとって,個人のレベルならびに社会の認識論・意味論のレベルでは健康は,病気に対峙するものとして消極 的な価値しか置かれなかった.しかし,同時に保健省などのプロモーションを通して,健康は積極的に求めるものだというイデオロギー的な教化が起こりつつあ る.このことは,人びとにとっての健康の因果論にも影響を与えている(13).
本稿では,当初便宜的に健康の概念を「土着あるいは民俗的信条」と「外部から導入される信条」という対立的な図式をもって描出したが, それは常に相互に拮抗するものではない.個人のレベルおよび社会の認識論・意味論のレベルでは,ともに近代医療の側から見て「誤用」や「無理解」があるも のの,サンティアゴの事例を見る限り,対立や抗争は表面的には生じていない.例えば,若い人びとはかつて人びとが使っていた「痛み(dolencia)」 という語彙やその感覚を忘却しつつある.伝統的産婆たちの「下痢概念への誤解」は概念上は対立をなすが,彼女たちは講習会を,それ自体楽しく過ごせる場で あったと,満足して述懐する.それらは,宗教理論におけるシンクレティズムや人類学における「穏やかな」文化変容といったものにも似て漸進的である.
だが,イデオロギーのレベルでは,きわめて鮮明に対立する.例えば,ようやく設置したモダンな簡易便所を人びとは受け入れようとしない し,作っても使わない.このことは,保健省当局にとってはゆゆしき問題である.なぜなら,そのプロジェクトは外国政府の借款によって運営されているからで あり,プロジェクトの成否は,今後の援助のインセンティブ(誘因)にも影響する.この便所の普及員であるプロモトールが,村落の住民をして「認識が足らな い」と言わせしめたのは,このイデオロギーレベルでの抗争についての表出であったのだ.
ヘルス・プロモーションが,「外部」から「土着」への健康の意味の注入・受入であると理解するなら,それは経済開発理論における近代化 論に他ならない(14).もし,そのように現状が理解されるならば,それぞれ「外部」と「土着」におい て用いられている「健康」の概念についてはより慎重に配慮することが肝要となろう.
また,その意味で今日のヘルス・プロモーションにおいて生じるイデオロギーレベルでの問題(=抗争)は,プロモーションにおいて伝える 「外部」がもつ権威や権力のあり方を我々に教える手がかりにもなろう.
今後,この仮説の妥当性について,他の中央アメリカ各地域の報告との比較を通して,さらに詳細に検討していく必要性を筆者は感じてい る.
(1)サンティアゴ村落の一般的状況を記述したものには,ホンジュラス共和国保健省に提出され た筆者のスペイン語での一連の報告書の他に,次のようなものがある.池田光穂,1988,ある現代メスティーソ社会の「医療」についての記述,医学史研 究,62:27-36;____,1989,ホンジュラス農村の医療事情―自己投薬行為を中心に,公衆衛生、53(2):208-212;____, 1990,ホンジュラスの農村医療,モダンメディシン,1990年4月号:68-73.
(2)オナラ(pedo)について語ることは,無教養なこことされ,公的な場では語られない.ま た,このオナラによる健康観は男性の筆者が,男性の村人との間のインタービューにおいて採集されたものであり,女性との会話の中では触れられることのない テーマであった.男性の間ではオナラと健康に関する会話はしばしば耳にする.
(3)8という数字に特別の意味はない.数えで8日目は1週間のことであり,人びとは1週間 (una semana)というかわりに8日(ocho dias)という表現を用いる.
(4)池田光穂,1990,「苦悩を表現すること」の意味−ネルビオスとラテンアメリカ社会,から だの科学,151:18-23,1990
(5)Salud をここでは保健ではなく健康と訳したのは,番人というイメージとの兼ね合いで,人びとはよりそのようなニュアンスを持つであろうと,筆者が解釈したためで ある.
(6)promotor:保健省の職員でふだんは簡易便所普及プロジェクトに従事する役職名,調査 中に出会ったプロモトールのすべては男性であった.
(7)中央アメリカの国民文化のなかでは,あまり焦点が当てられていないポピュリスモにおける政治 的言説ではこの社会正義がしばしば強調される。Laclau,Ernest,1977,Politics and Ideology in Marxist Theory,Verso Edition(邦訳はあるが本稿では参照できなかった).
(8)「女が壊れる」とは,破壊する destruir・という動詞が使われている.それは,本文中に挙げた,「より良い生活を築く construir・」の反対語になっている.
(9)自己投薬についての文献は,池田光穂,1989,ホンジュラス農村の医療事情−自己投薬行為 を中心に,公衆衛生,53(2):208-212 において収録した文献リストを参照にせよ.
(10)保健教育における個々人への認知体験の考察は,極めて限られている.池田光穂, 1989,伝統医療と近代医療が出会うとき−「医療」の二元論再考,メディカル・ヒューマニティ,4(2):24-31 を参照のこと.
(11)P.L.Berger and T.Luckman,1967,The Social Construction of Reality,AnchorBook,1967.(邦訳:バーガーとルックマン,1977『日常世界の構成』山口節郎訳,新曜社).
(12)イデオロギーという用語は,おもに政治経済学の分野で手垢に汚れ,使い古された観がある が,人間の観念形態とその行為(=実践)を包括して論じるには,未だ有効な分析概念である.ここでの用語は,アルチュセールのイデオロギー論 (Althusser,Louis,1974,Ideologie et appareils ideologiques d'etat;邦訳;アルチュセール,1975『国家とイデオロギー』西川長夫訳,福村書店,所収)におもに依拠している.また,それを現代思想の「言 説」理論として位置づけたMacdonell,Diane,1986,Theories of Discourse,Basil Blackwell(D・マクドネル,1990『ディスクールの理論』里麻静夫訳,新曜社)も参考にした.
(13)社会体制の異なるホンジュラスとニカラグアの保健教育における健康の「起源」について差 は,池田光穂,1989,健康の概念が伝えられる時−文化のブローカーとしての保健普及員,メディカルヒューマニティ4(1):90-95 を参照.
(14)経済開発における近代化理論では,ロストウ『経済成長の諸段階』1974 において工業化を通して経済的発展ひいては近代社会への進歩として位置づけた.しかし,近代化は,単なる工業化のことだけなく,それを導入させようとする 「進歩的思想」ひいては,そのことによって引き起こされた社会的意識の変化など,社会文化的な文脈での問題について意識,検討される必要がある (Apter,D,1969,The Politics of Modernization,London;Laclau,op.sit.,p.143).
Title:
Ideological Aspects of Health Promotion;An Inspection of the scene from the rural life in Central America.
Author: Mitsuho Ikeda
former-Reseach Fellow of Japan Society for the Promotion of Science for Japanese Junior Scientists
This paper reports descriptive discourse on the concept of health among rural mestizo in Honduras, Central America.
The concept of health is in transition under the influence of modernized health promotions of governmental organizations and pharmaceutical industories. Ideological aspects of health-concept which is socially constructed are discussed.
key Words: discourse of health, concept of health, Central America, rural mestizo
*This paper is originally published in "Japanese Journal of Health Behavioral Science" , 5:185-201,1990. The auhtor would like to rewrite up-date version even if he does not have enough time. He welcome critical reader for brushing up this paper. Please send comment to his (of <Mitsuho Ikeda>) Thank you for your cooperation!