このページは『保健医療社会学論集』29(2),
forthcoming[2019]に収載予定の書評の論点指摘の拠として提供するものである。
【著者の言う問題点】
・本書の問いはふたつある。「ひとつは、個人の視点からの問いであり、記 憶が喪われるゆくとき自己はどのように他者との関係性を保って社会のな かに存在しつづけることができるのか」であり、他の「ひとつは、集団の視点からの問いであり、感情と記憶をもとにどのように社会が形成されてゆくのか、と いうもの」という(佐川 2017:6)
・前者は、第1章と4章、後者は2章と3章だという(6-7)
【高齢者のどこに注目するのか?】
・「認知症の高齢者の弱さの部分ではなく、むしろ強さに着目している。つまり記憶を失い自己が曖昧化していくことに抗して自己をなんとか持ち続
けようとし、他者との関係性をつないでいこうとする力に焦点をあてる」(6)
・著名研究の無批判な引用が多く、また、先行研究に存在すると思われるその批判に関する紹介がほとんどない(例:第4章冒頭:127ページの冒 頭のわずか1ページ分の解説に典型的に現れている)
・例えば、第4章をとりあげてみよう。「松島さん夫妻へのインタビュー」の最初の状況の描写は細部にわたり視覚的で興味深い。しかし、次の2節 では、いきなり「それだから、やっぱりこう……」と、その直前になにか発語があることが示唆されているが、いきなりテーマである「妻のケア」になってい る。このような突然の転調は、読者を困惑させる。さらに括弧で表現されたなかに段差げの文章があり、文字フォントが小さくなる発語があるが、これは、読者 に発話内発語か引用なのか困惑させる。それらの書記法がオートドックスではないので、この文章は、いったいどのような記述の構造になっているか不詳のまま 始まる。次節の文章になると、段差げ前のものは記述のようになるが、読み進めると、さらに「(括弧)」と改行で表記される対話体の文章に、ふたたび転調す る。そのうちに、段落がかわり、松島さん(と表記されず「良次さん」と「綾子さん」と固有名があり、これが夫妻の名前であることが示されるが、このような 不思議な転調だらけの文章はまるでシュールレアリズムである。第3節の森さんへのインタビューは、今度は括弧表記ではなく、森:〜、と*:〜で表記される 対話体の文章であるが、この本の著者によると、アスタリスク(*)は「私」つまり佐川氏のことらしい。このような異様な表記ではなく、アスタリスクを、佐 川:〜と、普 通に記法してほしかった。違和感が残り続けるからだ。第4章の4節と5節は、それぞれコミュニケーション時における感情と、「夫婦感の物語とコミュニケー ションの変容」について短くそして中途半端な言及があるが、わずかに引用された先行研究の用語にをつかってほとんど主題と関係の議論が展開されている。し たがって、もし、この第4章だけが学術雑誌に投稿されたとしたら、その査読者の最初のコメントは「事例にあげられているご夫婦の関係やコミュニケーション を事例にあげられていますが、そこから得られる議論としては何を言いたいのでしょうか?」というものになるであろう。)
・【これはエスノグラフィーを介した筆者の結論なのだろうか?それとも「ケアに従事している人たち」の高齢者介護を見つめる政治的にアファーマ ティブ視点なのだろうか?】
「この論文(著作あるいは本?)においては認知症高齢者を一貫して、『記 憶の力が衰えゆくという弱点をもった個人』という観点からみてきた。そ して彼らを、まだ言葉という伝達手段をもたず感情を身体によって伝達していたであろ う人々に重ね、原基的な社会の始まりの機序を探ろうとしてきた。そこで は彼らが記憶の衰えという弱さを抱えながらも、どのような力を使ってどのように集ま りを構成していくのか、彼らの残されている力、強さの部分に着目した」(佐川 2017:168)。
【登場人物】
吉永さん(登場ページ以下同様:11,) |
コルサコフ症候群 |
男性 |
50代 |
デイケアしおさいに、通う(13)。「コ
ルサコフ症候群の男性」(165-) |
吉永さんの妻(15) |
健常 |
女性 |
50代 |
吉永さんから、お手伝いさんと勘違いされ
る(17) |
吉永さんの息子(18) |
健常 |
男性 |
||
デイケアしおさいの課長(39-) |
健常 |
スタッフ |
||
丸山さん(38) |
アルツハイマー |
女性 |
90 |
夫は漁師 |
井上さん(38,55) |
アルツハイマー |
女性 |
80 |
調理場の仕事に長年従事 |
細川さん(39) |
女性 |
デイケア利用者 |
||
安藤さん(39,51,61) |
女性 |
元看護師、デイケア利用者 | ||
沢口さん(42,61) |
女性 |
デイケア利用者 | ||
神田さん(スタッフ、46) |
女性 |
スタッフ |
||
宮本さん(47) |
物盗られのエピソードとして登場 |
|||
平野さん(53) |
物忘れ |
農家出身(53) |
||
川野さん(53) |
||||
土井さん(55) |
物忘れ | 物忘れ経験の語り(55) | ||
アノニマスな語りをする人たち(65) |
||||
戦争の座談会参加者※(83) |
2009年8月 |
|||
※山田さん(87) | 中程度アルツハイマー |
男性 |
89歳 | 元漁師、シベリア抑留。pp.106-座
談会記録あり。「兵隊」と言う言葉(117)。座談会(120-)。 |
※鈴木さん(87) | 中程度アルツハイマー | 女性 |
84歳 |
女子挺身隊。pp.106-座談会記録あ り。座談会(120-)。 |
※野村さん(87) | 中程度アルツハイマー | 女性 |
83歳 |
大阪挺身隊。pp.106-座談会記録あ り。「兵隊」と言う言葉(117)座談会(120-)。 |
※川野さん(87) | 中程度アルツハイマー | 女性 |
84歳 |
丸の内で勤務。pp.106-座談会記録 あり。皇居の堀の記憶(117)座談会(120-)。 |
松島良次さん |
(健常) |
男性 |
76歳 |
漁師町の漁師。妻綾子さんへのケア
(129-)、漁師のアイデンティティ(131-) |
松島綾子さん |
認知症 |
女性 |
75歳 |
松島良次さんの妻、夫婦の共同バイオグラ
フィー(132) |
藤川正治さん(138) |
(健常) | 男性 |
夫妻へのインタビュー/正治さんの苦しみ
(138-)夫妻への2回目のインタビュー(141-)、夫婦のコミュニケーション(162) |
|
藤川幸子さん |
アルツハイマー | 女性 |
記憶が残らない。夫妻へのインタビュー (138-)夫妻への2回目のインタビュー(141-) | |
森修治さん |
(健常) |
男性 |
85歳 |
ある会社の社長(147)夫婦のコミュニ ケーション(163) |
森さんの妻(名前なし?) |
アルツハイマー重度 |
女性 |
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-- |
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-- |
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【使われる理論】数字は初版のページ(人物索引[pp.183-184]を参照)
ここまで入力したが(力尽きたので?!)以下の表に「全員」の氏名=インデックスを引用する。
ハンナ・アーレント |
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赤坂憲雄 |
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浅野俊哉 |
|
モーリス・アルヴァックス |
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マルコ・イアコボーニ |
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内田樹 |
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小澤勲 |
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ティム・オブライエン |
|
ロジェ・カイヨワ |
|
マイケル・ガザニガ |
|
香月洋一郎 |
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クリフォード・ギアーツ |
|
木下康仁 |
|
ハベール(あるいはジャベール)・グブリ
アム |
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熊沢俊雄 |
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H.ケルナー |
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P.コナトン |
|
アーヴィング・ゴッフマン |
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ランドル・コリンズ |
|
オリバー・サックス |
|
下條信輔 |
|
バルーフ・スピノザ |
|
ジョナサン・ターナー |
|
ヴィクター・ターナー |
|
アントニオ・ダマシオ |
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ミハイル・チクセントミハイ |
|
ラッセル・チャーチ |
|
エミール・デュルケーム |
|
ドン・デリーロ |
|
フランス・ド・ヴァール |
|
ジル・ドゥルーズ |
|
中井久夫 |
|
中村雄二郎 |
|
ピエール・ノラ |
|
ピーター・バーガー |
|
フレデリック・バートレット |
|
アルノルド・ファン・ヘネップ |
|
藤田正治 |
|
藤井直敬 |
|
マルセル・プルースト |
|
ピエール・ブルデュ |
|
グレゴリー・ベイトソン |
|
ヴァルター・ベンヤミン |
|
ジェームズ・ホルスタイン |
|
真木悠介(→見田宗介) |
|
松浦雄介 |
|
松本元 |
|
ジョージ・ハーバード・ミード |
|
見田宗介(→真木悠介) |
|
吉澤夏子 |
|
ポール・リクール |
|
ディビッド・リンデン |
|
ニコラス・ルーマン |
|
デイビッド・レイン |
|
佐川佳南枝 |
章立て
0.序章
1.記憶の連続性と自己
2.認知症高齢者の感情体験
3.認知症高齢者たちの戦争をめぐる語りの場の形成
4.夫婦における記憶と親密性の変容
5.記憶の感情の共同体(終章)
+++++
0.序章 0.1 記憶が喪われるとき 0.2 問いと本書の構成 0.3 方法と視座 1.記憶の連続性と自己——自己の物語的視点から 1.1 記憶のない世界の人 1.2 身体化された記憶 1.3 物語論と脳科学 2.認知症高齢者の感情体験——デイケアにおける語りあいの場面 2.1 座談会での語りあいの中の感情体験 2.2 初期認知症高齢者の存在論的特徴 2.3 記憶と自己観 2.4 共感とは何か 2.5 喜びという感情が作る社会 3.認知症高齢者たちの戦争をめぐる語りの場の形成 3.1 感情的記憶としての戦争体験 3.2 戦争体験の座談会 3.3 語り合う場はどのように形成されていたか 3.4 無意志的記憶と意志的記憶 3.5 拡大する物語、圧縮される物語 4.夫婦における記憶と親密性の変容 4.1 松島さん夫妻へのインタビュー 4.2 藤川さんへのインタビュー 4.3 森さんへのインタビュー 4.4 困難なコミュニケーションを成立させる感情 4.5 夫婦間の物語とコミュニケーションの変貌 5.記憶の感情の共同体(終章) 5.1 問いへの応答 5.2 ケアへの提言 注 文献 あとがき 索引(人名・事項) ++ |
【設問】
1.
2.
●ベンヤミンとプルースト
"The
doctors were powerless in the face of this malady; not so
the writer, who very systematically placed it in his service. To
begin with the most external aspect, he was a perfect stage director
of his sickness. For months he connected, with devastating
irony, the image of an admirer who had sent him flowers with
their odor, which he found unbearable. Depending on the ups
and downs of his malady he alarmed his friends, who dreaded
and longed for the moment when the writer would suddenly appear
in their drawing rooms long after midnight -- brise de fatigue
and for just five minutes, as he said -- only to stay till the gray of
dawn, too tired to get out of his chair or interrupt his conversation.
Even as a writer of letters he extracted the most singular
effects from his malady. "The wheezing of my breath is drowning
out the sounds of my pen and of a bath which is being
drawn on the floor below." But that is not all, nor is it the fact
that his sickness removed him from fashionable living. This
asthma became part of his art-if indeed his art did not create it.
Proust's syntax rhythmically and step by step reproduces his
fear of suffocating. And his ironic, philosophical, didactic
reflections
invariably are the deep breath with which he shakes off the
weight of memories. On a larger scale, however, the threatening,
suffocating crisis was death, which he was constantly aware oft
most of all while he was writing. This is how death confronted
Proust, and long before his malady assumed critical dimensions not
as a hypochondriacal whim, but as a "realite nouvelle", that
new reality whose reflections on things and people are the marks
of aging. A physiology of style would take us into the innermost
core of this creativeness. No one who knows with what great
tenacity memories are preserved by the sense of smell, and smells
not at all in the memory, will be able to call Proust's sensitivity
to smells accidental. To be sure, most memories that we search
for come to us as 'Visual images. Even the free-floating forms of
the memoire involontaire are still in large part isolated, though
enigmatically present, visual images. For this very reason, anyone
who wishes to surrender knowingly to the innermost overtones
in this work must place himself in a special stratum-the bottommost-
of this involuntary memory, one in which the materials
of memory no longer appear singly, as images, but tell us about
a whole, amorphously and formlessly, indefinitely and weightily,
in the same way as the weight of his net tells a fisherman about
his catch. Smell-that is the sense of weight of someone who casts
his nets into the sea of the temps perdu. And his sentences are
the entire muscular activity of the intelligible body; they contain the
whole enormous effort to raise this catch." = Walter Benjamin,
Illuminations, Pp.213-214
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文献
Mitzub'ixi Quq Chi'j
Copyright Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2018
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