反-反-相対主義
Anti-Anti-Relativist
☆ オリジナル:未公開(Anti-Anti-Relativism.html)
学者にとって、ある恐怖を打ち砕くことほど有益なことはない。私が追い
求めたいのは、文化的相対主義である。トランシルバニアのように、単にそこにあるものだと私は考えているが、それ自体ではなく、それに対する恐怖である。
杞憂であるのは、主観主義、ニヒリズム、支離滅裂、マキャベリズム、倫理的バカバカしさ、美的盲目など、相対主義から一般的に生じるとされる道徳的・知的
帰結が実際にはそうではなく、その魔手から逃れることで約束される報酬(その多くは低温殺菌された知識に関係する)も幻想的だからである。 より具体的に言えば、私は相対主義を擁護したいのではなく、相対主義を攻撃したいのだ。文化的相対主義がどのようなものであろうと、あるいはもともとそう であったにせよ(そして、その批判者の中にそのことを正しく理解している人は100人に1人もいない)、最近では、特定の考え方から私たちを遠ざけ、他の 考え方へと向かわせるための妖怪として大いに役立っている。そして、私たちが追い立てられつつある思考法は、追い立てられつつある思考法よりも理にかなっ たものであり、人類学的遺産の核心にあるように私には思える。悪魔を追い出すことは、研究するだけでなく、実践すべきプラクシスなのだ。ガラス越しに見え る私のタイトルは、対抗すると主張する見解を擁護するのではなく、ある見解に対抗するためのそのような努力を示唆することを意図している。論理的なもので あって、本質的なものではないことはご理解いただけると信じているが、私がこのタイトルを選ぶ際に念頭に置いた例えは、冷戦時代の最盛期(覚えているだろ うか)に 「反共主義 」と呼ばれていたものである。赤の脅威」に執着することに断固として反対する私たちは、「脅威」を現代の政治生活の主要な事実とみなす人々からこのように 呼ばれ、二重否定の法則によって、ソ連にひそかな愛情を抱いていると仄めかされた。 繰り返すが、私はこのアナロジーを形式的な意味で使っているのであって、相対主義者が共産主義者のようであり、反相対主義者が反共産主義者のようであり、 誰かが(まあ......ほとんど誰も)マッカーシーのような振る舞いをしているとは思わない。中絶論争を使って、同じような並列論を構築することもでき る。中絶に対する法的規制の強化に反対する私たちは、中絶を素晴らしいことだと考え、中絶率が高ければ高いほど社会の幸福度が高まるという意味で、中絶賛 成派なのではない。このフレームにおいては、二重否定は通常の方法では機能しない。そしてそこにこそ、二重否定の修辞学的な魅力があるのだ。二重否定は、 何かを否定することなく、何かを否定することを可能にする。そしてこれこそが、私が反相対主義でやりたいことなのである。 哲学者であり人類学者であるジョン・ラッド(1982:161)が述べているように、「......相対主義の一般的な定義はすべて、相対主義に反対する 人々によって組み立てられている......それらは絶対主義的な定義である。(エドワード・ヴェスターマルクの名著に焦点を当てたラッドは、特に「倫理 的相対主義」について述べているが、この指摘は一般的なものである。「認知的相対主義」については、トマス・クーンに対するイスラエル・シェフラーの攻撃 [1967]を、「美学的相対主義」については、スタンリー・フィッシュに対するウェイン・ブースの攻撃[1983]を思い浮かべてほしい) そしてラッドも言うように、この結果、相対主義、あるいはこのような敵対的な定義のもとで相対主義に少しでも似ているものは、ニヒリズムと同一視されてし まうのである(Ladd 1982:158)。認知的判断、美学的判断、道徳的判断のための「固い岩」のような基礎が、実際には利用できないかもしれない、あるいは、いずれにせ よ、提供されている基礎が疑わしいと示唆することは、自分が物理的世界の存在を信じていない、押しピンを詩と同じように考えている、ヒトラーを標準的でな い嗜好の持ち主に過ぎないと見なしている、あるいは、私自身が最近そうであったように--神よ、印をお守りください--「政治をまったく持っていない」 (Rabinow 1983:70)と非難されていることに気づくことになる。自分の意見を持っていない人は、その逆も持っている、あるいは単に何も持っていないだけだ、と いう考え方は、よほど信じ込まない限り現実が消えてしまうことを恐れる人々にとって、その慰めが何であれ、反相対主義的な議論において明瞭さをもたらすこ とはあまりなく、単に、自分が支持していないことが何であるかを長々と説明することに、有益と思われるよりも多くの時間を費やす人があまりにも多いだけな のである。 このようなことが人類学に関係しているのは、もちろん、一般的な知的平和を最も乱してきたのは、定義が大層不明確な相対主義という考え方によるものだから である。人類学の理論が進化論的であれ、拡散論的であれ、あるいはエレメンタルゲダンケン的であれ、相対主義的なものでなかった初期の頃から、人類学がよ り広い世界に対して持っていると考えられてきたメッセージは、アラスカやダントレカストーでは物事の見方もやり方も違うのだから、自分たちの見方ややり方 に対する自信や、それを共有するために他者を巻き込もうとする決意は、むしろ根拠が乏しいというものだった。この点についても、一般的には正しく理解され ていない。私たちの研究分野が、思想、道徳、美的判断における絶対主義に対する巨大な反論であるかのように思われてきたのは、人類学の理論がそうであった からではない。ボアズ、ベネディクト、メルヴィル・ハースコヴィッツが、ヴェスターマルクのヨーロッパ的な援助も得て、この分野に相対主義ウイルスを感染 させ、クルーバー、クルックホーン、レッドフィールドが、レヴィストロースの同じような援助も得て、このウイルスを駆除したのだという考え方は、この議論 全体を悩ます神話のもうひとつに過ぎない。結局のところ、モンテーニュ(1978:202-214)は、カリブ人がブリーチを履かなかったという事実か ら、相対主義的な、あるいは相対主義的に見える結論を導き出すことができた。さらにその昔、ヘロドトスは、「カラト人と呼ばれるインディオの一種」を考察 していた。彼らの間では、人は自分の父親を食べると言われていたが、彼も同じような見解を持っていた(Herodotus 1859-61)。文化人類学は特にそうであろうが、考古学、人類学的言語学、自然人類学の多くもそうである。ナヤールの母系制、アステカの生け贄、ホピ の動詞、あるいはヒト科動物の変遷の複雑さについてあまり長く読んでも、少なくともモンテーニュの言葉を再び引用すれば、「各人が自分の習慣でないものを 野蛮と呼ぶ......われわれには、自分が住んでいる国の意見や習慣の模範や考え以外に、理性の基準がないからだ」(1978:205、Todorov 1983:113-144に引用)という可能性を考えないわけにはいかない。1 この考え方は、その問題点が何であれ、またより繊細に表現されようとも、人類学がそうしない限り、完全になくなることはないだろう。 相対主義者も反相対主義者も、それぞれの感性に従って反応してきた。幽霊結婚、財産破壊の儀式、イニシエーション・フェラチオ、王家の焼身自殺、そして (あえて言おう、彼はまた襲ってくるのだろうか)無頓着な思春期のセックスに関する他所からのニュースが、「他の獣他の風俗」的なものの見方に自然に心を 傾けることを理解したため、理性の名の下にその傾向に抵抗するよう、あるいは同じ理由でそれを受け入れるよう、我々を説得するために、憤慨し、絶望し、そ して歓喜するような議論が展開されるようになったのである。人類学的研究の広範な意味合いに関する議論のように見えるものは、実際には、人類学的研究とど のように共存していくかという議論なのである。 この事実を把握し、「相対主義」と「反相対主義」を、かつてクルーバーが人類学の遠心性衝動と呼んだもの(遠い場所、遠い時代、遠い種......遠い文 法)が私たちの物事の感覚に及ぼす影響に対する一般的な反応と見なせば、議論全体の焦点がより定まりやすくなる。ベネディクトとハースコヴィッツが寛容を 求めたことと、寛容を求めない情熱との間に対立があると思われたのは、多くのアマチュア論理学者が抱くような単純な矛盾ではなく、ズーニやダホメイのこと をよく考えることによって生じた認識の表れである。同様に、クルーバーやクルックホーンの汎文化的な真実は、クルーバーは主に錯乱や月経のような厄介な創 造的な事柄について、クルックホーンは内集団内での嘘や殺人のような厄介な社会的な事柄についてである。ここでの理論は、もしそれが、まともな人間である ためには物事をどのように見なければならないかという切実な助言と呼ぶべきものであるならば、分析的な議論というよりは、むしろ警告の交換である。私たち は悩みの選択を迫られているのだ。 いわゆる相対主義者たちが私たちに心配させようとしているのは、地方主義、つまり、自分たちの社会の過剰に学習され、過剰に評価された受容によって、私た ちの知覚が鈍り、知性が狭まり、共感が狭まる危険性である。反レラトリー主義者たちが自称して、私たちに心配させ、心配させ、心配させ、まるで私たちの魂 がそれに依存しているかのように心配させようとしているのは、一種の精神的エントロピー、心の熱死であり、そこではあらゆるものが他のあらゆるものと同様 に重要であり、それゆえに取るに足らないものとなる。 すでに示唆したように、私自身は、世界で実際に起こっていることに関しては、地方主義の方がより現実的な関心事だと思う。(しかし、そこでさえも、行き過 ぎはある: 「サーバーの素晴らしい 「道徳 」のひとつに、「後方へ傾きすぎるのと同じくらい、うつぶせに倒れこむほうがいい 」というのがある)。膨大な数の人類学の読者が、何が真実で何が真実でないか、何が善で何が美でないかについて何の見解も持たないようなコスモポリタンな 心構えで走り回っているというイメージは、私にはほとんど空想に過ぎないように思える。ロデオ・ドライブやタイムズ・スクエアの周辺には、本物のニヒリス トもいるかもしれないが、異文化の主張に過敏に反応した結果、そうなった人はあまりいないのではないだろうか。少なくとも、私が会ったり、読んだり、読ん だりする人々のほとんどは、そして私自身も、たいていは偏狭な何かにあまりにも献身的である。「絵に描いたような悪魔を恐れるのは、子供時代の目だ」:反 相対主義は、その不安の大部分を作り出している。 しかし、確かに私は大げさだろうか?瓢箪をガラガラ鳴らしても雷は鳴らないし、人を食べるのは悪いことだという知識に安心しきっている反相対主義者が、そ んなに興奮するわけがない。それならば、小説家であり、哲学者であり、プレシューであり、人類学者のやり方を観察する鋭い観察者であるウィリアム・ガス (1981:53-54)の言葉を聞いてみよう: 人類学者であろうとなかろうと、私たちは皆、彼らを「原住民」と呼んでいた-あの小さくて遠い、ジャングルや島の人々を-。より立派な雑誌でさえ、彼らの 裸を悪気なく見せることができた。なぜなら、彼らのたわわな乳房や尖った乳房は、牛の乳房と同じくらい人間離れしていたからだ。間もなく私たちは正気に戻 り、彼女たちに服を着せた。私たちは自分たちの視点、自分たちの地域的な確信に不信感を抱くようになり、相対主義を受け入れた。大きな優越感は白人の重荷 のひとつであったが、その重荷は解放され、同じように重い罪悪感に取って代わられた。 外科医が「死んでせいせいした」と言うのを期待するのと同じように、人類学者が「なんて最低な生き方なんだ!」と叫ぶことはない。というのも、たとえ原住 民が貧困にあえぎ、埃とただれにまみれていたとしても、より強い足に踏まれて道のように平らになっていたとしても、急速に死に絶えつつあったとしても、観 察者は、彼らがどれほど頻繁に微笑んでいたか、子どもたちがどれほど喧嘩をしなかったか、どれほど穏やかであったかを指摘することができるからである。私 たちは、ズニ族の平和なやり方やナバホ族の 「幸せな心 」を羨むことができる。 食べ物のタブーや乳房切除、クリトリス切除に機能的な意味があることを知ったとき、私たちがどれほど心が安らいだことか。人身御供や首狩りに対して道徳的 な嫌悪感を抱いたとしても、それは私たちがまだ狭い現代ヨーロッパの視点に押し込められ、共感もできず、理解もできなかったからにほかならない。しかし、 夏の海辺ののんびりとした部族で、タブーなしにヤることを許されたある種の青少年に出会ったとき、私たちは、そのおかげで彼らが私たち自身の青春時代のス トレスを避けることができたのだろうかと考え、そうでないことを密かに願った。 一部の人類学者は、エリオットやアーノルドやエマソンにとって神聖な道徳的観点を、あらゆる舫いから解き放ち(科学や芸術もまた、「Becoming 」の流れに浮いている)、客観的な知識を信じることを、あたかも温病的な聖書直訳主義と同じであるかのように 「原理主義 」と呼び、そのような状況下ではもはや知識とは見なされず、ドクサ(doxa)すなわち 「意見 」としか見なされないものについて、人間の完全な変容性と完全な社会学を主張している。 メアリー・ダグラスがある種の懐疑論者であるというのはギャスの考えの一つであり、ベネディクトの風刺は彼よりも鋭いが、彼からは完全に逃げている)。し かし、専門家の中からも、適切な科学にふさわしく、元来の表現が少ないとはいえ、告発はほとんど重大ではない。相対主義(「すべての評価は何らかの基準に 対する相対的な評価であり、基準は文化に由来するという立場」)は、I.C.ジャーヴィー(1983:45,46)が次のように指摘するように、好ましく ない結果をもたらす。すなわち、人間の作品に対する批判的評価を制限することによって、私たちの武装を解き、人間性を失わせ、コミュニケーション上の相互 作用に入ることができないままにする。[相対主義の背後にはニヒリズムが迫っている。確かに、服を着て正気であれば、誰ともコミュニケーションがとれなく なるほど人間性を奪うような考え方を、誰一人として受け入れようとはしないだろう。このような、批判力を削ぎ落とすようなクズ娼婦に気をつけようというよ うなことが、どのような高みを目指すことができるかは、最後の例を挙げれば、1917年以降の世界史に関するポール・ジョンソン(1983年)の獰猛な新 著『Modern Times』が示している、 ヒュー・トーマス(Hugh Thomas)[1983]が『TLS』紙に寄せたこの本の書評は、「相対主義の地獄」と題する方が適切であった)。レーニンとヒトラー、アミン、ボカッ サ、スカルノ、毛沢東、ナセル、ハンマークジョルド、構造主義、ニューディール、ホロコースト、両世界大戦、1968年、インフレ、神道軍国主義、 OPEC、インド独立といった近代の災厄はすべて、「相対主義の異端」と呼ばれるものの結果であると説明している。 」 アインシュタインが絶対的な運動を追放して認知を破壊し、ジョイスが絶対的な物語を追放して美学を破壊したように、「ドイツの想像力豊かな学者の偉大なト リオ」であるニエッチェ、マルクス、そして(フレイザーによる強力な助力もあって)フロイトは、19世紀を道徳的に破壊した: マルクスは、中心的な力学が経済的利益である世界を描いた。マルクスは、中心的な力学が経済的利益である世界を描いた。三人目のニーチェもまた無神論者 だった。[彼は[神の死を]...歴史的な出来事としてとらえ、それは劇的な結果をもたらすだろう...と考えた。先進民族の間では、宗教的衝動の衰退と 最終的な崩壊は大きな空白を残すだろう。近代の歴史は、その空白がどのように埋められたかの歴史である。ニエッチェは、彼が「権力への意志」と呼んだもの が、その最も可能性の高い候補であると正しく認識していた......。宗教的信念の代わりに、世俗的イデオロギーが存在することになる。かつて全体主義 的な聖職者の地位を占めていた人々が、全体主義的な政治家になるのだ。相対主義的な宇宙を漂流するガイドのない世界という旧体制の終焉は、そのようなヤク ザ政治家たちの出現を促すものだった。彼らの登場は遅くはなかった。ジョンソン1983:48] 人種主義に対する攻撃を支えてきた文化相対主義は、かつて植民地化された民族の後進的な技術経済的地位を正当化する一種の新人種主義として認識されうる。 あるいは、ライオネル・タイガー(Tiger and Sepher 1975:16)が自らを要約して言うこともある: 「フェミニストの議論(「家父長制によって制定された法の社会的必要性のなさ」)は、人間の行動を生物学的プロセスに位置づけることを拒否してきた社会科 学を特徴づけてきた文化相対主義を反映している。心ない寛容、心ない不寛容、イデオロギーの乱雑さ、イデオロギーのモノマニア、平等主義者の偽善、平等主 義者の単純主義、これらはすべて同じ病から生じている。生活保護、メディア、ブルジョワジー、支配者層と同様、文化的相対主義はあらゆる悪を引き起こす。 人類学者たちは、自分たちの商売を営みながら、それについてどのような形であれ反省しているのだから、自分たちが田舎者であるにもかかわらず、自分たちの 周りのいたるところで高まっている哲学的不穏のうなり声の影響を受けないはずがない。(政治理論や道徳理論の復活、脱構築主義的な文芸批評の登場、形而上 学や認識論における非基礎主義的なムードの広がり、科学史におけるホイッグリーや方法主義の否定がもたらした激しい論争については、まだ触れていない)。 差異、多様性、奇異性、不連続性、共約不可能性、独自性など、エンプソン(1955年、Kluckhohn 1962:292-293で反対の目的で引用されている)が「巨大で/チックな人類学的サーカスが暴れて/そのブースをすべて開いている」と呼んだような ものを重視するあまり、他の物事には他のやり方があり、文化は文化がそうであるようにある、としか言えなくなってしまうのではないかという懸念は、ますま す強くなっている。実際、あまりに強烈なため、それを静めようとするあまり、あまりに見慣れた方向へと私たちを導いてしまった。 この最後の命題は、現代の人類学の思想や研究において、ハリソン的な 「Everything That Rises Must Converge 」唯物論から、ポパー的な 「Great Divide 」進化論に至るまで、かなりの場所に根拠を求めることができる。(われわれには科学がある......あるいは識字率がある......あるいは lntertheoreticな競争がある......あるいはデカルト的な知識概念がある......しかし、彼らにはない。「それは、相対主義に対す る防波堤として、文脈に依存しない 「人間の本性 」の概念を復活させようとする試みと、同様に、もうひとつの古くからの友人である 「人間の心 」の概念を復活させようとする誘惑である。 繰り返しになるが、先に述べた「私の神を信じないなら、私の悪魔を信じなければならない」という仮定の下で、不合理な立場、つまり、ラディカルな文化万能 の歴史主義や、原始的な脳は黒板であるという経験主義を主張していると非難されないように、明確にしておく必要がある。問題は、人間が本質的な特徴を持つ 生物であるかどうかではない。人間は空を飛べないし、ハトはしゃべれない。また、どこにいても精神機能に共通性が見られるかどうかでもない。パプア人は羨 み、アボリジニーは夢を見る。問題は、儀式を説明したり、生態系を分析したり、化石の配列を調べたり、言語を比較したりする際に、これらの議論の余地のな い事実をどう考えるかということだ。 この2つの動きは、基本的なホモと本質的な無添加サピエンスという、文化にとらわれない概念の回復を目指すものであり、その一般的な基調は、一方は自然主 義者、他方は合理主義者であるが、あまり一致していない。自然主義側には、もちろん社会生物学やその他の超適応主義的な方向性がある。しかし、精神分析 学、生態学、神経学、ディスプレイ・アンド・インプリント倫理学、ある種の発達理論、ある種のマルクス主義から発展した視点もある。合理主義の側には、も ちろん、構造主義やその他の超論理主義的志向から連想される新しい知識主義がある。しかし、生成言語学、実験心理学、人工知能研究、策略と反策略のミクロ 社会学、ある種の発達理論、ある種のマルクス主義から発展した視点もある。存在の大いなる連鎖』を滑り降りることによってであれ、『存在の大いなる連鎖』 を這い上がることによってであれ、相対主義の亡霊を追い払おうとする試みは、巨大で協調的な単一の事業ではなく、ゆるやかで混じりけのない群衆を構成し、 それぞれが独自の大義を掲げ、独自の方向に突き進んでいる。罪は一つかもしれないが、救いはたくさんある。 私のように、生物学的、心理学的、言語学的、あるいは文化学的(HRAFなど)研究から、文脈に依存しない「人間の本質」や「人間の心」の概念を引き出そ うとする努力を攻撃することが、研究プログラムとしての研究を攻撃することだと誤解されるべきではないのは、このためでもある。私が考えるように、社会生 物学がそれ自身の混迷の中で息絶える運命にある退行的な研究プログラムであり、神経科学が(イムレ・ラカトス[1976]の有用な蔑称を使えば)驚異的な 成果を目前に控えた進歩的な研究プログラムであるかどうかは別として、人類学者は「人間の心」を生物学的、心理学的、言語学的、あるいは文化的(HRAF やその他諸々)探究から切り離すことを、研究プログラムとしてのそれらの探究に対する攻撃と誤解してはならない、 人類学者は、構造主義、生成文法、倫理学、AI、精神分析、生態学、ミクロ社会学、マルクス主義、あるいは発達心理学など、さまざまな色合いが混在した、 あるいは混在していないかもしれない評決に耳を傾けるのがよいだろう。現実のものであれ、そうであろうものであれ、問題なのは科学の妥当性ではない。私が 懸念しているのは、そして私たち全員が懸念すべきなのは、福音主義的とも言えるほどの決意をもって、彼らの援助によってせっせと地固めされている軸であ る。 ナチュラリストの立場からこの問題を考える手がかりとして、バランスの取れた穏健な立場表明として広く受け入れられている一般的な議論を見てみよう: メアリー・ミッジリーの『獣と人間、人間性の根源』(1978年)である。近年、このような言説の特徴となっている「かつて私は盲目であったが、今は見え ている」という『巡礼の道程』調の文体で、ミッジリーはこう書いている。人間の本性と悪の問題について考えようとして、そうしたのだ。この世に存在する悪 は実在する。そうであるということは、私たち自身の文化によって押し付けられた空想でもなければ、私たちの意志によって作り出され、世界に押し付けられた ものでもない。そのような提案は悪意である。私たちが忌み嫌うものはオプションではない。文化によって細部が異なるのは確かだが、それなら私たちは自分た ちの文化を批判することができる。私たちはどのような基準[単数形であることに注意]を用いているのだろうか?文化が完成させ、表現するように設計されて いる人間性の根本構造は何なのか?フロイト派やユング派の心理学者たちが、希望を与えてくれそうな、しかし私にはよくわからない原理に基づいて、この疑問 のもつれを解き明かそうとしているのを私は見つけた。他の領域は、人類学者たちによってマッピングされていた。彼らは私の問題に興味を持っているようだっ たが、人間の共通点は結局あまり重要ではない、すべての謎を解く鍵は文化にあると言う傾向があった。これは私には浅はかに思えた。. . . ローレンツ、ティンバーゲン、アイベス=アイベスフェルト、デズモンド・モリスといった人々が他の種の性質を研究していた。ダーウィンやアリストテレスの 伝統にのっとった最近の研究であり、アリストテレスがすでに関心を抱いていた問題に直接関わるものであったが、今日、その問題は特に切迫したものとなって いる。[1978:xiv-xv;斜体は原文のままである。] この良心の宣言がはらんでいる前提は、文化的判断によってわれわれに押しつけられた空想(貧乏人は無価値であるとか、黒人は人間以下であるとか、女性は非 合理的であるとか)は、われわれを社会的判断から引き離すには不十分であるということである。 文化はアイシングであり、生物学はケーキである。何を憎むか(ヒッピー?上司?エッグヘッド?......相対主義者?)、違いは浅く、類似は深い。ロー レンツは率直な仲間であり、フロイトは謎めいた存在である。一つの庭は、別の庭と交換されたにすぎない。ジャングルは壁数枚隔てて残っている。 より重要なのは、この「ダーウィンとアリストテレスの出会い」がどのような庭なのかということだ。どのような醜態が選択不可能になるのか?どんな事実が不 自然になるのか? まあ、相互称賛の社会、サディズム、忘恩、単調さ、障碍者を敬遠することなどがそうだろう-少なくとも、それらが行き過ぎた場合には: この点[「自然であることとは、単なる状態や活動では決してなく......その状態や活動の一定水準が、その人の残りの人生に比例することである」]を 理解することで、自然という概念について多くの人が使えないと考えてきた難点を解決することができる。何かを推奨する強い意味の他に、そうではない弱い意 味もある。弱い意味では、サディズムは自然である。これはただ、それが起こるということであり、私たちはそれを認識すべきであるということだ。つまり、こ の自然な衝動に基づく政策が、誰かの人生を通じて組織的な活動にまで拡大されることは、[ビショップ]バトラーが言ったように、「人間性の全構造に反する 」ということである。... 同意した大人同士がベッドで噛み合うことは、あらゆる意味で自然なことである。この行為には、それが与える実際の傷害以上に、何か間違ったことがあるの だ......。例えば、極端なナルシシズム、自殺、強迫観念、近親相姦、排他的な相互称賛協会などである。「例えば、極端な自己愛、自殺、強迫観念、近 親相姦、排他的な相互称賛社会などである。さらに、他人を犠牲にしている例として、方向転換された攻撃性、障碍者の敬遠、恩知らず、執念深さ、パリサイド などがある。これらはすべて、人間の本性の一部である衝動がよく知られているという点で、自然なことなのだ......。しかし、方向転換された攻撃性な どは、自然を単なる部品の集合体としてではなく、組織化された全体として、より完全な意味で考えるとき、適切に不自然なものと呼ぶことができる。それら は、もし何らかの意味でその全体を支配することが許されるなら、その全体の形を台無しにしてしまう部分なのである。[ミッジリー1978:79-80;原 文では斜体)3。 ある主張の強い方を主張し、弱い方を擁護するという、昨今の知的論争でよく使われる詭弁のひとつを正当化するという事実はさておき(サディズムは、深く噛 みつき過ぎない限り自然である)、この小さな概念ゲーム(自然を「より完全な意味で」考えるとき、自然は不自然であるかもしれない)は、このようなヒュー マン・ネイチャーの議論すべての基本的なテーゼを示している: 徳(認知的、美的、道徳的なもの)は、適性が無秩序に、正常が異常に、幸福が病気にあるように、悪徳にある。肺や甲状腺と同じように、人間の課題は適切に 機能することである。障碍者を敬遠することは、健康を害することになりかねない。 あるいは、政治学者でミッジリーの信奉者であるスティーヴン・サルケヴァー(Stephen Salkever 1983:210)が言うように、適切な機能主義的社会科学にとって最も発展したモデルや類似は、医学が提供するものであろう。医師にとって、個々の生体 の物理的特徴は、この自己主導的な身体システムが直面する問題についての基本的な概念と、それらの問題に相対する生体の健康な状態あるいは十分に機能して いる状態についての一般的な感覚に照らして理解できるようになる。患者を理解するということは、ある安定した客観的な身体的健康の基準、ギリシア人がアレ テ(arete)と呼んだ基準に照らして、その患者が健康であるか否かを理解することである。この言葉は現在では「美徳」と訳されることが多いが、プラト ンやアリストテレスの政治哲学においては、単に機能分析の対象が持つ特徴や決定的な卓越性を指していた。 繰り返しになるが、最近の人類学のほとんどどこを探しても、この「結局のところ」(遺伝子、種の存在、大脳構造、精神性体質...)が復活した例を見つけ ることができる。どんな木を揺すっても、利己的な利他主義者や生物遺伝学的構造主義者は落ちてくるだろう。 しかし、カモにされることも、自滅することもないような人工物である方が、より良い、少なくとも卑怯ではない、と私は思う。そこで、最も経験豊かな民族誌 学者であり、最も影響力のある理論家の一人であり、最も手強い論客の一人であるメルフォード・スピロの見解、特に最近の見解について、ごく簡単に検討して みたい: メルフォード・スピロである。より純粋で、より陰影がなく、より控えめで、その結果、あなた方を驚かせるにはこれ以上ない事例が見つかるだろう。しかし、 スピロの場合は少なくとも、モリスやアードレイのような、マニアやポピュラライザーとして簡単に片づけられてしまうような周縁的な現象ではなく、学問の中 心、あるいはそのごく近くにいる重要な人物を扱っているのである。 スピロのホモ人類学の「奥深くに」分け入っていく最近の重要な試み、つまりフロイト的家族ロマンスの再発見は、まず彼自身のキブツに関する資料の中に、そ して次にマリノフスキーのトロブリアンドに関する資料の中にある。しかし、私の関心はそれよりも、彼がそれにもとづいて展開する「ここに常人が来る」とい う反相対主義にある。そのことを知るには、彼の最近の論文(Spiro 1978)が、過去の混乱から現在の明確さへの前進を要約しており、非常に役に立つだろう。文化と人間本性」と名付けられたこの論文は、もはや前衛的な理 論的視点とは言えない、かなり苦境に立たされた彼の論文よりも、はるかに広く浸透している雰囲気と態度の流れをとらえている。 スピロの論文は、前述したように、一般に反レラトリー主義文学で顕著な「子供のころは子供のように語ったが、大人になった今は子供じみたことは捨てた」と いうジャンルのものである。(実際、南カリフォルニアを拠点とする別の人類学者(どうやら相対主義がその道では明確かつ現在進行形の危険性をはらんでいる ようだ)が、その解放の記録を「元文化相対主義者の告白」と呼んだように、このタイトルをつけたほうがよかったかもしれない)。「4) スピロは、1940年代初頭に人類学の世界に入ったとき、マルクス主義的な背景とイギリス哲学の多すぎる講義によって、根本的に環境主義的な人間観、つま り心のタブラ・ラサ的な見方、行動の社会的決定論的な見方、そして文化相対主義的な見方、つまり......文化を前提にした人間観に先入観を持っていた という告白から謝罪の言葉を始める。イファルクで彼は、社会的攻撃性をほとんど示さない民族が、敵対的感情に悩まされる可能性があることを発見した。イス ラエルでは、キブツの「完全に共同的で協力的なシステムの中で育った」子供たちが、温和で愛情深く、競争心を持たないように社会化されているにもかかわら ず、物品を共有させようとする試みに腹を立て、共有させざるを得なくなると抵抗や敵意を抱くようになることを発見した。そしてビルマでは、衆生の存在の無 常、仏教の涅槃と無執着への信仰が、日常生活の身近な物質への関心を減退させる結果にはならないことを発見した。 要するに、[私の実地調査]は、多くの動機づけ気質が文化的に不変であり[、]多くの認知的方向づけもそうであることを私に確信させたのである。これらの 不変的な気質や志向性は、汎人類的な生物学的・文化的定数から生じており、普遍的な人間性を構成している。[スピロ 1978:349-350] 。 ミクロネシアから中東に至るまで、快楽的な利益を狡猾に追求する怒れるモラリストとしての民族の肖像が、スピロの普遍的な人間性についての見解に、民族中 心主義的な偏見がまだまとわりついているのではないかという疑念を完全に払拭するかどうかは、まだわからない。しかし、スピロが明確に述べているように、 医学的機能主義への回帰が私たちを癒すように設計された、有害な相対主義の有害な産物である考え方の類は、まだ見えていない: [文化相対主義の概念は......一般的な人種差別的概念、とりわけ原始的精神という概念と戦うために導入された。[しかし]文化相対主義はまた、少な くとも一部の人類学者によって、ある種の逆転した人種主義を永続させるためにも使われた。つまり、西洋文化とそれが生み出すメンタリティを軽蔑する、文化 批判の強力な手段として使われたのである。原始主義の哲学を支持し、原始人のイメージは、個人的なユートピア探求の手段として、あるいは西洋人や西洋社会 に対する個人的な不満を表明する支点として使われた。採用された戦略はさまざまな形をとったが、その代表的なものは以下の通りである。(1) 西洋社会における私有財産、不平等、侵略を廃止しようとする試みは、多くの原始社会でそのような状態が見られることから、それなりに現実的な成功の可能性 がある。(2) 少なくとも一部の原始人と比べて、西洋人は独特の競争主義、戦争主義、逸脱への不寛容、性差別主義などを持っている。(3) 偏執狂は必ずしも病気ではない、なぜなら偏執狂的思考はある種の原始社会で制度化されているからである。同性愛は逸脱していない、なぜなら同性愛者はある 種の原始社会の文化的シノギだからである。[スピロ1978:336]。 選択肢のない忌まわしいもののリストにさらにいくつかの項目を追加することはさておき、「逸脱」という考え方を導入することこそ、「逆人種主義」、「ユー トピア的探求」、「原始主義の哲学」などと騒ぎ立てる中で、本当に重要な動きなのである。ミッジリーが自然な自然(攻撃性、不平等)と不自然な自然(パラ ノイア、同性愛)の間を行き来するのは、「法の番人の友人」というアイデアを通してだからである。いったんラクダの鼻が内側に押し込まれると、テント、い や、すべてのブースを泣かせる騒々しいサーカス全体が深刻な問題を抱えることになる。 どれほどの問題かは、同じ巻に収録されているロバート・エドガートン(1978年)のスピロと対になる論文、「The Study of Deviance, Marginal Man or Everyman? 」を読めばよくわかるだろう。人類学、心理学、社会学における逸脱の研究についての有益な、かなり折衷的なレビューの後、エドガートンもまた、アメリカ人 知的障害者やアフリカ人インターセクシュアルに関する彼自身の非常に興味深い研究を含めて、こう述べている、 このような研究を真に生産的なものにするために必要なのは、文脈に依存しない人間性の概念であり、「遺伝的にコード化された、われわれ全員が共有する行動 の可能性」が「(われわれの普遍的な)逸脱傾向の根底にある」と見なされるものである、という結論に、実のところ、むしろ突然--漫画の電球が点灯したよ うに--到達する。 」 人間の自己保存のための「本能」、逃走/闘争のメカニズム、退屈に対する不寛容さなどが例示され、無邪気な私は、ユーヘメリズムや原始的な乱交とともに人 類学から消えてしまったと思っていた議論では、科学的な側面がすべてうまくいけば、やがて個人だけでなく社会全体を、逸脱している、不適切である、失敗し ている、不自然であると判断できるようになるかもしれないと示唆されている: さらに重要なのは、社会の相対的妥当性に関する命題を検証できないことである。人類学の相対主義的な伝統は、人間の本性に反する逸脱した社会というものが 存在しうるという考えになかなか屈しない。しかし、逸脱社会という考え方は、社会学や他の分野における疎外の伝統の中心であり、人類学の理論に課題を突き つけている。私たちは人間の本性についてほとんど知らないのだから......どの社会が失敗したのか、ましてやどのように失敗したのかを語ることはでき ない......。とはいえ、殺人、自殺、レイプ、その他の暴力犯罪の発生率が上昇しているという都市部の新聞記事を見れば、この問題が理論だけでなく、 現代世界における生存の問題に関係していることを示唆するに十分であろう。[エドガートン1978:470]。 これで円環は閉じ、扉は閉ざされた。相対主義への恐怖は、何か魅惑的な強迫観念のようにあらゆる場面で提起され、空間や時間を超えた文化的多様性が、人間 の本質的な性質という定まった根底にある現実の、あるものは好ましい、あるものはそうでない、一連の表現に相当し、人類学はそれらの表現の霞を通して、そ の現実の本質を見抜こうとする試みに相当するという立場に至った。ウィルソン的、ロレンツォ的、フロイト的、マルクス的、ベンサム的、アリストテレス的 (「人間本性の中心的特徴のひとつは、独立した司法である」と、ある匿名の天才が言ったとされる)な、どんな形にも適合可能な、大雑把で、図式的で、内容 に貪欲な概念が、人間の行為、殺人、自殺、レイプ......西洋文化の軽蔑を理解する上で、決定的な拠り所となる。ある種の機械から生み出されたある種 の神々は、恐らく、彼らが手にする以上の代償を払うことになる。 相対主義者のドラキュラに対抗する十字架として掲げられている「人間の心」というもうひとつの呪文については、もう少し簡潔に述べることができる。本当 の」説明の特権的な言語(「自然自身の語彙」、リチャード・ローティ [1983; 参照:ローティ 1979] はこの概念を科学主義的ファンタジーとして攻撃している)を広めようとする努力は同じである。ソシュールの?ピアジェの言語か?多様性を表層と見なし、普 遍性を深層と見なす傾向も同じである。そして、自分の解釈を、社会、文化、言語といった対象に対して、何とかして理解しようとする努力によってもたらされ た構築物としてではなく、思考に強制されたそのような対象の奇妙さとして表したいという願望も同じである。 もちろん、相違点もある。規制的な考え方としての「人間の本質」の復活は、主に遺伝学と進化論の進歩によって刺激されたものであり、「人間の心」のそれは 言語学、コンピューター科学、認知心理学の進歩によって刺激されたものである。前者の傾向は、道徳的相対主義を私たちの諸悪の根源とみなすことであり、後 者の傾向は、概念的相対主義に責任をなすりつけることである。また、一方では治療的言説の主題やイメージ(健康と病気、正常と異常、機能と機能不全)を偏 愛し、他方では認識論的言説の主題(知識と意見、事実と錯覚、真実と虚偽)を好む。しかし、最終的な分析への共通の衝動に反して、我々は今、科学、説明に 到達している。自分の理論を「理性の構造」と呼ばれるものに組み込むことは、「人間の憲法」と呼ばれるものに組み込むのと同じくらい、歴史や文化から理論 を隔離する効果的な方法である。すなわち、人間本性論が古典的な概念の一つである 「社会的逸脱 」を私たちの関心の中心に戻すことにつながるのに対し、人間の心論はもう一つの概念である 「原始的な(sauvage, primary, preliterate)思想 」を戻すことにつながるのである。反相対主義的な不安は、一方の言説では行為の謎に集まり、他方の言説では信念の謎に集まる。 より正確には、「非合理的な」(あるいは「神秘的な」、「前論理的な」、「感情的な」、特に最近では「非認知的な」)信念の周りに集まるのである。首狩 り、奴隷制度、カースト、足かせのような気の遠くなるような慣習が、人類学者たちを「人間本性」という大昔の旗印に結集させたのは、そうしてこそ道徳的に 距離を置くことが正当化されるからだという印象があったからである、 動物神官、神王、そして(これから述べる例の伏線として)黄金の心臓とうなじに角を持つドラゴンといった、ありそうもない概念である。不穏なのは、もう半 分がどのように振る舞うかではなく、どのように考えるかである。 人類学には、純度、説得力、一貫性、人気の程度に差はあれ、このような合理主義的、あるいは新合理主義的な考え方がかなり数多くあり、互いに完全に一致し ているわけではない。あるものは、通常認知的普遍性と呼ばれる形式的不変性を、あるものは、通常認知段階と呼ばれる発達的不変性を、あるものは、通常認知 過程と呼ばれる操作的不変性を呼び起こす。ある者は構造主義的であり、ある者はユング的であり、ある者はピアジェ的であり、ある者はMIT、ベル研究所、 カーネギーメロン大学の最新ニュースに注目する。誰もが不動の何かを追い求めている: 現実に到達し、理性は溺れから救われる。 彼らに共通するのは、単に私たちの精神機能への関心だけではない。私たちの生物学的構造への関心と同様、それ自体にとっても、文化の分析にとっても、それ は紛れもなく「良いこと」である。そして、ある種の願望を込めて「認知科学」と呼ばれるようになりつつあるものにおいて、想定される発見がすべて本当にそ うであると判明するわけではないとしても、いくつかは間違いなくそうなり、私たちがどのように考えるかについてだけでなく、私たちが何を考えるかについて どのように考えるかを大きく変えるだろう。レヴィ=ストロースからロドニー・ニーダムに至るまで、それ以上に共通しているのは、何か距離があることであ り、それほど議論の余地なく有益であるとは言えないのは、「心」についての基礎論的な見方である。つまり、「生産手段」、「社会構造」、「交換」、「エネ ルギー」、「文化」、「シンボル」といった、社会理論に対する他の最底辺の、つまりここぞというときのアプローチにおける(そしてもちろん「人間本性」の ような)、マインドを説明の主権項、相対主義的な暗闇を照らす光とみなす見方である。 千の顔を持つアンチヒーローである相対主義への恐怖こそが、新自然主義と同様、新理性主義への原動力のかなりの部分を提供し、その主要な正当化の役割を果 たしていることは、マーティン・ホリスとスティーヴン・ルークス(1982)が編集した、反理性主義的な警句の優れた新コレクション-さらに、他の人々を 必要なレベルの憤怒に駆り立てるよう見事にデザインされた、ボタンのかかっていない相対主義者の作品-『合理性と相対主義』(Rationality and Relativism)から容易に見て取ることができる。5 いわゆる「合理性論争」(ウィルソン1970;ハンソン1981参照)の産物であり、とりわけエヴァンス=プリチャードの鶏の話が、イギリスの社会科学と イギリス哲学のかなりの部分に誘発したと思われる(「合理的なプロセスを通じて時間をかけて徐々に近づくことのできる絶対的な真理は存在するのか?それと も、あらゆる思考様式や思考体系も、それぞれの内部で一貫した参照枠の中で見るならば、等しく妥当なのだろうか?6) この本は、「理性が危ない!」の水際を多かれ少なかれカバーしている。「相対主義の誘惑は多年にわたって蔓延している」と、編者の序章はまるでバリケード へのクロムウェル的呼びかけのように始まる: 「相対主義への道は......もっともらしい主張で舗装されている」(Hollis and Lukes 1982:1)。 このコレクションに収録されている3人の人類学者はみな、われわれをわれわれ自身から救ってくれというこの呼びかけに、熱意をもって応えている。アーネス ト・ゲルナー(1982)は、われわれ「ガリレオの子供たち」が現実がどのように組み立てられているかについて信じていることを、他の人々が信じていない という事実は、われわれが信じていることが正しい 「一つの真のビジョン 」ではないという事実に対する反論にはならないと論じている。そして特に、他の人たち、ヒマラヤ人たちでさえも、彼の前に現れてきているように見えるの で、彼はそれが正しいということはほぼ確実だと考えている。ロビン・ホートン(Robin Horton, 1982)は、「認知的共通核(cognitive common core)」、つまり、文化的に普遍的で、些細な変化しかない、中間の大きさの永続的な対象で満たされ、因果関係の「プッシュプル(push- pull)」概念、5つの空間的二分法(左/右、上/下など)の観点から相互に関連する世界という「一次理論」を主張している。 相対主義は失敗するに違いないが、普遍主義はいつか成功するかもしれない」(Horton 1982:260)。 しかし、最も精力的な攻撃を展開しているのは、この両者よりも理性主義的な根拠(ケリー・フォドーの心的表象の計算論的な見方)をより確かなものとし、彼 自身の唯一の真のヴィジョン(「非文字的な事実など存在しない」)を持つダン・スパーバー(1982)である。相対主義は、驚くほどいたずら好きではある が(それは「民族学を......不可解にし、心理学を非常に困難にする」)、弁解の余地のない立場ですらない。その考えは半理念であり、その信念は半信 念であり、その命題は半命題である。年老いたドルゼの情報提供者の一人が、無邪気に、あるいはそれほど無邪気でなかったかもしれないが、彼に追跡して殺す よう誘った首の付け根に角を生やした金色の心のドラゴンのように(文字通りの事実でないことを警戒して、彼は断った)、「異なる文化の人々は異なる世界に 住んでいる」といった「相対主義者のスローガン」は、実際には事実に基づいた信念ではない。それは、コンピュータほど用心深くなく、人間が本来持っている 概念能力が許す以上の情報を処理しようとしたときに生じる、中途半端で不確定な表現であり、精神的な一時しのぎである。認知能力が向上するまでのつなぎと して、時には便利であり、時には待っている間の玩具として楽しく、時には「(本物の)創造的思考における示唆の源」であっても、それは、プラスチック製の 心臓を持ち、角のまったくないアカデミックなドラゴンではない。それらは手のひらを返したようなもので、手の込んだものであれ、そうでないものであれ、結 局のところ、適合主義的で、誤った発見であり、誤解を招くような、「解釈学的サイケデリック」な、利己的な類のものなのだ: 相対主義に対する最良の証拠は......人類学者の活動そのものであり、相対主義に対する最良の証拠は......人類学者の著作の中にある。人類学者 は[著作の中で]自分の足跡をたどることで、[フィールドで]越えることがそれほど難しいとは思わなかった浅く不規則な文化的境界を、底知れぬ隔たりへと 変容させ、それによって自らのアイデンティティ意識を守り、哲学者や一般聴衆が聞きたいことをそのまま提供するのである。[Sperber 1982: 180] 。 要するに、心のこもった常識(肝試しや毒の神託など気にする必要はない、 命題的態度」や「表象的信念」のような本当に観念であるものと、「この先にドラゴンがいる」や「異なる文化の人々は異なる世界に住んでいる」のような観念 のようにしか見えないものがある)、回転する世界の静止点としての「人間の心」の復活は、文化的多様性の力を解除することによって、文化的相対主義の脅威 を和らげる。人間の本性」と同様、他者性の脱構築は真理の代償である。しかしそれは、人類学の歴史、人類学が収集した資料、人類学を動かしてきた理想が示 唆するようなものではない。ドラゴンの中には、「赤い天候のトラ 」のように、調べるに値するものもいる。 ドラゴンを飼いならすのでもなく、忌み嫌うのでもなく、理論の桶に溺れさせるのでもなく、ドラゴンを調べることこそが人類学のすべてである。少なくとも、 ニヒリストでも主観主義者でもなく、何が現実で何が現実でないか、何が称賛に値し何が称賛に値しないか、何が合理的で何が合理的でないかについて強い見解 を持っている私が理解するところでは、それが人類学のすべてである。絨毯を引き剥がしたり、ティーテーブルをひっくり返したり、爆竹を鳴らしたり。他人の 仕事は安心させることであり、我々の仕事は不安にさせることである。オーストラロピシチェン、トリックスター、クリック、メガリス......私たちは異 常なものを売り、奇妙なものを売り歩く。驚きの商人だ。私たちは間違いなく、時にはこの方向に進みすぎて、特異性をパズルに、パズルを謎に、謎を戯言に変 えてきた。しかし、合わないもの、調和しないもの、場違いな現実への愛情は、「近代 」という文化史の主要なテーマと私たちを結びつけてきた。というのも、その歴史は、次から次へと登場する思想の分野が、その思想の出発点となった確かなも のなしには生きていけないことを発見することから成っているからである。厳然たる事実、自然法則、必要な真理、超越的な美、内在的な権威、唯一無二の啓 示、そして外界に直面する内なる自己でさえも、そのすべてが激しい攻撃にさらされてきた。しかし、科学、法律、哲学、芸術、政治理論、宗教、そして常識の 頑固な主張は、それでもなお続いてきた。しかし、科学、法学、哲学、芸術、政治理論、宗教、そして常識の頑固な主張が、それでもなお続いてきたのである。 かつて十分に機能して現在に至り、現在は十分に機能せず膠着状態を繰り返しているものに固執しないという決意こそが、科学を動かしているのだと思う。アリ ストテレスの物理学は、マラソンランナーより速いものがいない限り、ストア派のパラドックスはともかく、十分に機能した。技術的な計測器が、私たちの感覚 を伝達する世界から、ほんのわずかの距離と、ある一定の距離しか離れていない限り、ニュートンの力学は十分に機能した。絶対的な運動、ユークリッド空間、 普遍的な因果関係を生み出したのは、相対主義『セックス』『弁証法』『神の死』ではなかった。彼らが無力であったのは、行き過ぎた現象、波の束、軌道の飛 躍であった。また、デカルトのコギト、ホイッグの歴史観、そして「エリオットやアーノルドやエマソンにとって神聖な道徳的視点」を(その程度はともかく) 破壊したのは、相対主義-エルメネウティコ-サイケデリック主観主義でもなかった。彼らのカテゴリーを困惑させたのは、奇妙な現実-幼児の婚約や非幻想主 義の絵画-であった。 旧来の勝利が自己満足となり、一時期の飛躍的な進歩が障害物へと変貌することから脱却するために、人類学は現代において先駆的な役割を果たしてきた。世界 は敬虔なものと迷信的なものに分かれるわけではないこと、ジャングルに彫刻があり砂漠に絵画があること、中央集権的な権力がなくても政治秩序は可能であ り、成文化された規則がなくても道理にかなった正義は成り立つこと、理性の規範はギリシャで固定されたものではなく、道徳の進化はイギリスで完結したもの でもないことなどである。最も重要なことは、私たちが自分の研磨レンズを通して他人の人生を見ること、そして彼らが自分のレンズを通して私たちの人生を振 り返ることを最初に主張したことである。このため、空が落ちてきた、独在論が私たちに襲いかかった、知性も判断力も、そしてコミュニケーションの可能性さ えも、すべて逃げてしまったと考える人がいたとしても、驚くにはあたらない。地平線の再配置と視点の分散は、以前にもそのような効果をもたらしたことがあ る。誰かがポリネシア人について言ったように、アウトリガーカヌーで陸地が見えないところを航海するには、ある種の精神力が必要なのだ。 しかし、それが、少なくとも私たちのベストの状態であり、私たちができる範囲において、私たちがしてきたことなのだ。そして今、私たちが築き上げた距離 と、私たちが位置づけた他の世界が、私たちの感覚や知覚を変え始めている今、私たちが古い歌や古い物語に立ち戻るのは、とても残念なことだと思う。反相対 主義に対する反論は、知識に対する「見よう見まね」のアプローチや道徳に対する「いつの時代にも通用する」アプローチを否定しているのではなく、道徳を文 化の彼方に、知識をその両方の彼方に置くことによってのみ、それらを打ち破ることができると想像していることにある。これは、そうでなければならないもの について言えば、もはや不可能である。家庭の真理を知りたければ、家庭にとどまるべきだったのだ。 |
|
リ ンク
文 献
そ の他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
☆☆