現代思想とはなにか?
What are the GENDAI-SHISO, or the Pre/Present/Post Modern Thoughts
in Japan ?
現代思想とは、もともと、日米安保条約反対運動の挫 折後の1960年10月に現代思想研究会の雑誌が、タイプ印刷の『現代思想』1号として刊行されたことを嚆矢とする用語である。現代の前衛たる若者と文化 人がもつ進歩派の思潮を継承、流布させていこういう趣旨で発刊された。その翌年、日本の出版社である、現代思潮社から『現代思想』が創刊(1961年5月 号)された。当時の編集長(責任編集)は清水幾太郎、編集委員は清水幾太郎、三浦つとむ、竹内芳郎、浅田光輝、香山健一、中嶋嶺雄であった(→ウィキ『現代思想 (現代思潮社)』)。しかし、この雑誌は、同年の1961年11月・ 12月合併号で休刊、現代思想研究会も解散した。この雑誌には、「現代思想」に関する定義というものがない。
その12年後の1973年、中野幹隆が編集長として 青土社(1969年創業)より創刊した。ウィキの記事によると「1975年からの三浦雅士の編集長時代に一つの黄金時代を迎えたと言われる。山口昌男、中 村雄二郎、岸田秀、蓮實重彦、柄谷行人、栗本慎一郎、浅田彰などのニューアカ・ブームを生み出す一端となった。三浦が編集長を務めたのは1985年まで。 1993年から2010年までの編集長は池上善彦で、その後は栗原一樹が編集長」とある。
ウィキ(日本語)には、それ以外に、唐突に「現代思
想(げんだいしそう、英: contemporary
philosophy)」の記事があり、この用語を「20世紀半ば以降にあらわれた西洋哲学・思想のこと。大きく英米圏の分析哲学とドイツ・フラ
ンス圏の大陸哲学に分けられる」と記している。なぜ英語の現代哲学が、日本語の「現代思想」に化けるのかは不詳なので、おそらく独自研究の成果と思われる
が、これは日本語の読者には非常に混乱をまねく記事の作成であると言わざるをえない。むしろ、べつの書肆である勁草書房が「現代哲学の見取図」や「現代哲学総
合ブックガイド」で解説する曼荼羅/周期律表的な資料のほうが、現代哲学=現代思想を網羅的に示唆している点で興味深い。
日本語の現代思想(英訳は GENDAI-SHISO, あるいは、modern thought[s] in Japanが適切か)は、1960年以降の若者や知識人が牽引する「最先端の思想/思潮状況」を反映する諸学問や知的ブームのことをいう。思想という用語 は、哲学という用語ほどアナクロ(=時間概念が脱臼した「イデア」の時間停止思考あるいは、時間感覚の錯誤)ではなく、かつ、安直で誰にも参入しやすい ブームや流行(fad, fashion)やポップ(pop, orig. Pop art)なニュアンスがあって、 1970年中盤〜1990年頃までの日本の文化状況を多いに盛り上げた。これに重なる出版界が刊行する雑誌が主導した現代思想のムーブメントは、1984 年12月〜1997年7月『へるめす』(岩波書店)ならびに、1988年に『季刊思潮』に鈴木忠志、柄谷行人、浅田彰が編集に参加し、1991年に太田出 版から創刊された『批評空間』(2001年批評空間社、2002年に解散)がある。
このような出版社の「現代思想」という用語の普及活 動により、この用語は世間に膾炙し、ジュンク堂(現在は丸善に吸収)や紀伊國屋書店などの大手書店では、哲学の古典や(衰退したマルクス主義思想家の著作 の棚に)現代哲学者の著作欄の知覚に、堂々と「現代思想」という学術上のジャンルが商業書店に並ぶことになった。ちなみに、日本十進分類法には「現代思想」 という分類項目がない。
現代思想と称するジャンルは、従来の哲学的/思想的 テキストを現代の時間の相から読み解こうとする試みであるが、扱うジャンルには古典的テキストが使われるために、 Pre/Present/Post というModern Thoughts を広く扱う、日本独自の評論ジャンルこそが「現代思想」と言えるのである。その中には、柄谷行人、浅田彰、東浩紀など、海外(英語ならびにフランス語圏) に翻訳が紹介されて重要な思想家とされており、もはや現代思想(GENDAI-SHISO)は、——日本語の情報発信と流通は衰退したものの、インター ネットや世界の知識人還流のなかで——かつての大学内のアカデミズムが単なる極東の知的流行という捉えた状況から、大きくその布置が変化したことを忘れて はならないだろう。
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