門中
Monchu, Munchu
●ウィリアム・リーブラ
「沖縄の社会は共同の祖先崇拝のために父系原則に基づいて組織された家族に区分されている。共同血縁を認め る家々の最大集合体は平民の味合はムンチユ(munchu, 門中)と呼ばれ、上層階級の場合はウジ(uji, 氏)またはウ ジムンチユ(uji munchu, 氏門中)と呼ばれる。この同族団体は小は僅か数戸から成り、大は千戸を越えるものも あり、沖縄の人達はすべてその中どれか一つに属しているのである。総体的に言って、最大級のムンチュは南部 沖縄の平民間とか、昔首里に聚居(じゅうきょ)していた上層者間に多く見られる。昔はムンチュの成員は一つの地方か地域に 限られていた。今でも昔の地域的集中傾向が見られる所が多いとはいえ、昔に比して最近では広く四散してしま っているのもある。沖縄の社会におけるこの延長親族団体の主要機能は儀礼的なものである。日本に合併後は広範囲 にわたる社会変化が起こったが、ムンチュ団体はその儀礼を無欠のまま保全することに成功している」(リーブラ 1974:206)
「ムンチュはたいてい門中と表記されているが、正確な語原は明らかでない。普通門(ムン)と人(チュ)から来たと言われているが、 日本語にも中国語にも同語原語がない。最も近似しているのは朝鮮語のムンチュンであり、漢字も同じく門中と書く。沖 縄のウジは日本の昔の氏と同語原である。実際には上層も平民も自分の血縁団体を表わすのに門中という言葉を用いる」(リーブラ 1974: n285)。
● 比嘉政夫
「共通の先祖からの父系血縁をたどって結 合する親族集団。一門、ハラなどの呼び方もある。宮古・八重山を 含め沖縄の社会には、父方・母方両方の血縁関係を等しく認識する いわゆる双系的な親族のカテゴリー(ウェーカ、ハロージ、ウトウ ザなどの諾で表わされる)があるが、門中の組織原理はそれらとは 異なり単系的なものである。生まれた子供は父親を通して父の門中 の成員となり、男子の場合は一生不変であるが、女子は結婚後夫の 門中に組み入れられるが、なんらかの形で生家の門中との結びつき が残るとこもある。父(男)系血縁を重視することから、婿養子を 忌避し同じ問中から養子をとる考え方や長男優先の観念があり、そ れらが清明祭などの祖先祭紀、共同墓(門中墓)の使用などととも に問中のまとまりを強く支えている。そのほかに旧士族層の問中に は祖先の系譜や業績などを記した家譜かあり、また同じ門中成員で あることを一示す共通の名乗頭(毛氏門中の盛、麻氏門中の真など) の制度がある。都市地域の旧士族層を中心に大規模かつきちんと 整った門中組織がみられるが地方においては養子同門制が必ずしも 行なわれていないなどの観念や制度の不徹底があり、問中をめぐっ て地域的に変差がみられることから、門中は、沖縄近世社会の士族 層に中国などの外来文化の刺激によって芽生えてきた新しい族制で あり、都市地域から農村へとひろまっていったとみる考え方があ る。大きな門中の場合は、いくつかの下位集団を含み、地域を越え た汎沖縄的な組織をもっている。本土の同族集団ともよく比較され るが、本土の同族が一村落内にとどまっているのに対して門中は一 村落を越えて広く他の分節と連なっていることが多い。また、中国 漢民族社会の宗族などとも比べられるが、中国に同姓不婚の慣習が あるに対し、神縄の門中集団は、外婚・内婚いずれの婚姻規制もな いという点で特徴的である。門中の機能は、共同の祖先祭紀を行な うことが主である。門中組織をささえているのは、祖先をめぐるさ まぎまな伝統的な価値観、因襲的な慣行であり、それらは沖縄の社 会祷造を考えるうえで重要な意味をもつものである。門中の研究は 多くの成果があり、最近では、地方農村部における近世から近代に かけて門中組織の形成のダイナミックを探ろうとする視点が多い。」【門中=もんちゅう】比嘉政夫
出典:沖縄県史、別巻 沖縄近代史辞典、琉球政府(国書刊行会)、1977 (1989)年
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