モンゴル草原文明研究所(構想案)
Mongolian Institute of Glassland
Ecology
池田光穂・都馬バイカル
● SDGs新時代 |
経
済人類学者のクリス・グレゴリーは、1970年代にその隆盛を誇っていた文化経済学や経済人類学における「適応」(adaptation)という用語と概
念が、今日ではすっかりその権威を失い、それに似て非なる「持続可能な」(sustainable)=サステイナブルという言葉が、社会科学研究パラダイ
ムの中で大手を振って流通していることを指摘しています(Gregory 2005)。 |
グ
レゴリーによると、この2つの用語は単なる言葉の言い換え以上の意義があることを指摘します。まず適応という言葉には、「生物学的適応」と「文化的適応」
という2つの用法があります。前者はある環境の中で生き残るために生物が個体あるいは集団(群集)の組織を変化させることです。後者の文化的適応とは、ひ
とつの文化システムが時間を超えて存続するために発展させている社会の諸制度のことです。ところで「持続可能な」という形容詞を名詞化した「持続可能性」
(sustainability)にもまた、生態学的意味と経済学的意味の2つの用法があり、それらの意味のニュアンスは微妙に異なっています。昨今の
SDGsは、国際協力体制あるいは国内外の政策誘導の文脈で第3番目の意味をもつようになったと言っても過言ではありません。 |
〈生
態学的な持続可能性〉とは、しばしば指摘されるように天然資源の枯渇や自然破壊などを引き起こさずに維持できる人間の経済および文化的活動のことです。そ
して〈経済学的な持続可能性〉の意味は、経済活動において一定の比率ないしは水準で成長を維持できる能力のことを言います。事実「持続可能な」という形容
詞が修飾するほとんどは「発展・開発」(development)という名詞であり、「持続可能な開発」とセットにしてしばしば呼ばれているからです。現
在この用語は生態学的と経済学の2つの用法が混淆し、未来の世代のために自然保護を行いながら天然資源の浪費をおこなわない開発のやり方のことを指してい
ますが、国際協力体制あるいは国内外の政策誘導の文脈の登場が、これらの間がボーダーレスになった証拠かもしれません。 |
グ
レゴリーは引き続いて次のように主張します。適応と持続可能性という2つの用語は、それぞれ以下のような一連の対比の中での類別的理解が可能である。すな
わち〈適応〉 vs. 〈持続可能性〉、〈古い記述用語〉 vs. 〈比較的新しい規定的用語〉、〈過去を記述する語〉 vs.
〈未来を記述する語〉、〈進化〉 vs.
〈生態環境の圧殺('econocide',非意図的な生態的自殺を意味する)〉の対比です。これら一連の対比の前者と後者のグループには共通点があり、
一般的に言うと、〈適応〉から〈持続可能性〉への研究への人々の関心の「パラダイムシフト」が起こっていると彼は言いました。それは、あるシステムの成長
を、進化論的枠組みとして捉えるこれまでの「適応」という言葉の使い方と、グローバリゼーション時代の迎えた新世代が使う「持続可能性」の違いとして現れ
るといいます。適応の時代では「ホモ・サピエンス(現世人類)はどのように生き残ってきたのか?」という問いが発せられていましたが、持続可能性やそれに
もとづくSDGsが主流になったこの時代では「ホモ・サピエンスは果たして生き残ることができるか?」と問いかけがシフトしたのです。現在では、ホモ・サ
ピエンスが環境を変えて造りつつある地質的時代である人新世(Anthropocene)において、人間そのものが今後生き続けることができなような状況
に到来し、SDGsの思想こそがそれに歯止めをかけるのではないかと期待されています——ただし、それはスローガンではなく地球ひとりひとりの努力によっ
てしかなされないでしょう。 |
過
去の適応の事象から学ぶ教訓のスタイルは廃れ、その代わりに未来志向の〈持続可能性〉の思考法により我々の発想法は埋め尽くされようとしています。グレゴ
リーは、その持続可能性の議論の典型的な論者として、文明の崩壊と維持についての大著『崩壊:どのようにして諸社会は失敗あるいは成功を選択するのか』を
公刊したジャレット・ダイアモンドをあげます(Diamond 2005)。 |
アクターネットワーク |
1950年代以降、行動科学の確立という革命的事態を経験している文化
人類学や社会学的アプローチをとる我々は、さまざまな研究と教育のプロジェクトという実践の現場において、行為者あるいは行為主体(アクター)とよばれる
行動の単位を想定して、それらの要素間の相互作用に着目します。それぞれのアクターは、歴史的社会的固有性をもつ[我々の草原文明研究所構想のプロジェク
トリーダーである]都馬バイカルのような「特定の個人」であっても、教授やNGO/NPOの職員など呼ばれる「社会的役割」であってもよいのです。あるい
は、大学やNGO/NPOなどの「集合的個人(法人)」であってもかまわないのです。インタラクティブであればアクターは人間以外の動物や機械などの物体
でもかまいません。外部から情報を収集し、相互に交渉しながら時系列の中で次の行動を投企する単位としてアクターを考えます。アクターが情報を入手し、そ
れにもとづいて[あるいはそれとは無関係に]行動を派生させることができます。別の見方をすれば、他のアクターに向かってアクターは特定の情報を発生する
ことができます。アクターは情報(そして情動)と行動の連鎖を派生させると同時に伝達する媒介にもなります。これらの連鎖をその場限りで(ad
hoc)結びつけるとネットワークを形成している様を我々はみることができます。今日ではそのようなアクターが織りなすネットワークを叙述しつつ、(i)
アクターのそれぞれの認識と行為が生み出すもの、(ii)アクター間のセグメントの相互作用が生み出すもの、(iii)そしてネットワーク全体がもたらす
も のについて研究する枠組みは「アクターネットワーク理論(Actor Network Theory,
ANT)」と呼ぶことができます(Callon 2001)。 |
アクターネットワーク理論の発想にもとづいて保健医療プロジェクトにお
けるアクターとアクター間の相互作用を模式的に表したものが図で表現したものです。右上のアクターがプロジェクトそのものを企画立案し、それを実行に移す
初発者(initiator)です。初発者は特定の歴史社会的文脈から自由になり(あるいはそう信じて)プロジェクトデザインを構築します。しかしなが
ら、固有の歴史的社会的に条件化された固有の社会的文脈(コンテクスト)で実践しないとプロジェクトは現実に作動したとは言えません。右上のアクターは、
現地社会に赴くか、あるいはそこに赴いて仕事をする人間との相互作用をもちながら仕事をおこないます。現地社会には、そのプロジェクトに直接間接に関係を
もつさまざまなアクターが生まれることになります。現地社会でのアクターには、プロジェクトのターゲットグループと呼ばれる集団、現地側でプロジェクトを
提携する現地のアクター(政府役人、現場の実務担当者、地元NGO/NPOなどの施設)、同盟あるいは競合関係にある他の国内・国際的組織、大学や研究機
関、など、無数の相互作用のネットワークを想定することができます。 |
このようにアクターネットワークには、さまざまな動きをみることができ
ます。しかし、それが無限にあるかのような印象を与えてしまうと危険です。大海あるいは大草原のなかであがいても仕方がないと諦めてしまうこともあるから
です。しかし相互作用の強度という観点からみると、それは有限のネットワークとして措定して、実践すべきでしょう。において、αは初発者からみて遠心的な
情報と行為の流れを指し、βはその逆の求心的な流れであると理解できますが、それらの意味づけはそれぞれの行為者により相対的なものになるからです。この
ことがネットワーク解析の複雑さの強度を増すことになります。我々は現場における「常識的判断」に基づいて、それぞれのアクターが放ちうる相互作用の強
度、結果的に生み出すものの多寡、プロジェクトそのものに対するインパクトの度合いなどを斟酌することができます。つまりネットワークは、要素に分解して
分析することができるからです。この理論が社会現象の複雑さの前に研究を挫折させない強みになっているはそのことによります。 |
アクターネットワークの議論の中で押さえておかねばならない重要なポイ
ントは、アクター間の相互作用を観察したり、その意味を考えたりする際に、相互作用が生起した[あるいはそれを可能にした]社会的文脈すなわちコンテクス
トについて留意することです。アクターは、社会的真空の中で行為実践をおこなうのではない。またアクターは自分にとって理想的な状態になるよう相互作用を
誘導することがあります。その際、アクターは自分と相手がおかれている社会的文脈(コンテクスト)を十分に計算に含めておこなっていることは、我々の身の
回りを眺めてみても自明です。事例としてあげた図には、アクターが置かれるコンテクストについて、きわめて単純で形式的だが必要かつ最小限のものを指摘し
ておきました。まず行為者の身の回りのもっとも局所的なものがミクロ領域(MICRO)です。これには、日常的言語や仕草などがコミュニケーションの基調
とされ、行為者がもつ文化や行動学的癖のようなものが頻繁に観察さえる領域である。その対極には、行為者たちが実践する場所を取り囲むもっとも大きなも
の、すなわちマクロ領域(MACRO)としての全地球的−歴史的文脈があります。地域社会やコミュニティ、あるいは国家的枠組みの中で仕切られる文脈は、
それらの中間であるのでメゾ(MESO)領域と呼んでおきましょう。メゾ領域の文脈は、マクロ領域の事象と同様に、直接体験することができませんが——実
際いったい誰が「社会」や「コミュニティ」というものを具体的に手にとって把握することができるでしょうか?——我々はそれぞれの文化が準備するコミュニ
ティのイメージを獲得し、教育を通して長年にわたって訓育される公共や国家のステレオタイプを[自覚の有無に関わらず]知らず知らずのうちに学んでいま
す。 |
これらのコンテクストを研究したり分析する社会科学の方法があります。
ミクロ領域では、直接観察における行動科学的分析があるし、より文化事象に関連づけるならば民族誌的(ethnographic)分析があります。ちなみ
にこの論文の著者のひとり池田は、文化人類学専攻でこの分析はとても得意な分野のひとつです。また、さらにメゾ領域であれば社会学的分析があるし、マクロ
領域であれば、歴史研究や経済学研究[これらはメゾ領域でも適用可能]などの方法が用意されています。 |
以上、3層のコンテクストを解説し、それらを分析する手法について学ん
できましたが、この領域の外側に位置し、研究対象を観想することも論理的な形式においても可能です。実証主義における分析的理性などの文脈とは離れて、
「神様の視点」と表現できるように、図像などの象徴形式と同じく、現実の文脈を超えた視点のことです。メタレベルでの分析などという時の視点がこれにあた
ります。これは実際にはコンテクストから自由になるという普遍主義に結びつくような立場ではなく、複数のコンテクストを横断したり、コンテクストのレベル
の移動を通してコンテクストの存在を相対化する(あるいはそのような努力を不断に続けているような)立場のことを指しています。 |
なぜいまモンゴル草原文明研究所なのか? |
それから地域研究としてのモンゴルです。モンゴルに関心を持った研究者が同一地域の観察に基づき、ちょうどこのテーマがより専門化するといわゆる地域研究的アプローチという形になります。 |
かつて文化人類学や生態学の先達に今西錦司先生という方がいらっしゃい
ました。この方は1902年生まれ、90歳ですでに亡くなっています。二十世紀を生きた偉大な探検家であり文化人類学者、あるいは自然人類学者でありまし
た(『遊牧論そのほか』平凡社、1995年)。この人は1944年、太平洋戦争と呼ばれる戦争が終わる直前です。長くモンゴルでフィールドワークを行い、
草原学という学問を構想しようとしました。学問というものは皆バラバラになっている。社会科学も経済のことは経済学者。畜産のことは畜産学者。風俗につい
てはエスノロジーといった民族学者、現在でいうところの文化人類学者。こういったのを皆バラバラにして生活現象を一括して研究するというような学問が
1945年にはまだ無いんだとおっしゃっています。 |
「自然としての草原といいましても、そこには、この自然としての草原を
成りたたせるべき風土、すなわちそれに特有な気候や土壌がなければならぬ。またひと口に草原といっても、蒙古の草原は、アフリカやアメリカの草原には見ら
れぬような、植物の種類から成りたっているであろう。だから、自然としての草原を研究する自然科学は、気象学・気候学•土壌学.植物学等の各分野にわかれ
て、これを一括して研究する草原学といったようなものは、まだできあがっていないのであります。/一方で蒙古人の生活のほうも、その経済現象は経済学者が
研究し、牧畜関係のことは畜産学者が研究する。またその風俗慣習については民族学者が研究するといったように、このほうもまた生活現象を一括して研究する
というような学問がない。それで、草原の自然と生活というような題でおはなしする場合には、いきおい、あちらこちらの分野で研究されたことがらを、拾いあ
つめてきて、これを体裁よく羅列するといった、いわば百科辞書的な取りあつかい方になってしまうのが、普通のようであります」(今西
1974[1945]:183-184)。 |
ではどうすればいいのかということで今西錦司先生は「関係性」を見るん
だと。その関係性のキー概念になるのが「エコロジー=生態学」であると。(後にヴァンダナ・シヴァというユニークで民主的な先生が地球に優しい環境につい
ての学びが重要であることを指摘しましたがそれに似て)経済学、開発学、生活学的発想で関係性を明らかにしようということを、極めて原始的萌芽的ではあり
ますが、今西錦司さんもまたおっしゃっています。 |
「わたくしの専攻いたしております生態学という学問は、現象をばらばら
にほぐして、その一つ―つについて研究するというのではなく、なんでも現象と現象とのあいだの関係を、とらえようとする。だから、気候や土壌といったよう
な無機的自然と、植物のような有機的自然とを、その相互間の関係という立場において、これを一つの視野のなかにもってくることができる。さきほどいった、
草原学というような学問も、それゆえ、生態学の立場においてなら、成立さすことができるのでないかと思われます。じつは、わたくしは、そういった草原学を
うちたてるべき研究機関として、蒙古草原のどこかに、ひとつりっばな草原研究所を、つくってみたいと願望しているものであります」(今西
1974[1945]:184)。 |
この今西さんの発想を非常に抽象化してスピリットを吸い上げるとすると
学びたい、知りたいという欲望が皆さん一人一人の夢に向かって行動を起こすのではないかと考えます。今西さんも同じようなことを言っていて、1944年に
モンゴルの草原のどこかに立派な草原学のような総合的な学問を研究する「草原研究所」を作ってみたいという風におっしゃっていました。その夢は実はです
ね、後に京都大学における人類学教室という形で戦後結実するわけです——残念ながら今西が夢見たモンゴルの大地ではありませんでした。今西先生の経験、そ
して現在我々や桜美林大学の学生が経験から何がまとめることができるかといいますと、モンゴルから何かを学びたいという欲望が一人一人の心の夢であると。
その中でもしかしたら何か新しい学問が生まれるかもしれない。そのように思います。 |
学びたい人のための草原文明研究所 |
まずどのようにやるべきなのでしょうかというのを(学生が)先生に聞
くっていうのが全然ダメな発想です。なぜなら最後に俺/私は、一人一人、自分が持つ夢はなんだろうってのを明確化することが重要です。その夢を実現させる
ために自分たち一人一人が、まず最初に、草原研究所やあるいはモンゴル研究所を持たなくてはならないということです。資本主義では豊かさを追求してきて、
ここまで人類は経済を発展させてきました。しかしながら、俺たち/私たちの考える豊かさは資本主義が有してきた貨幣だとか、富の多さといっただけではあり
ません。もっと豊かな沃野が広がるものだと信じています。それは生命や命がもつ本来の《豊かさ》であるとか、命の内実であるとか。あるいは人間が生まれ変
わって別の人生が転生していったときに、お金を溜めて幸せになって家族をたくさん作って、というようなものが本当の人間にとっての幸せではない。自然に
還っていく、つまり永遠の命のようなものを持つ。そういうような豊かさを持つ。つまり我々が持ってる善悪だとか道徳みたいなものを突破している。モンゴル
の大草原には、そのような発想の原点があると考えています。 |
だからそういうのは(幸せを享受するみなさん)一人一人考えればいいっ
ていうのが私たちの結論なのですが……そういうことを言うととり付く島が無いし、私自身がそういうことを言ったとしてもじゃわ、池田の夢は池田の夢、バイ
カルの夢はバイカルの夢、ということになるとみんながバラバラになってしまい相対主義の地獄に陥る。バラバラになっ
てるんだが、そこにつけこむのがまさに資本主義です。池田とバイカルは違うんだ、違うためには、いろいろなものを消費したり身に付けたりして差異化しなく
ちゃならならないと考える強制的な思考習慣の制度を押し付ける。バラバラなものにブリッジするのがいわゆる貨幣であるとか、あるいは商品の魅力ですよね。
でも、私たちは、そのような利害を超えたもので、繋がらないとなりません。 |
バイカルの所属する桜美林大学では、これまで学生を引率してモンゴル草
原に実習ででかけ、さまざまな教育経験を積んできました。そして、学生たちの企画し、学生と先生方がガチンコをしてさまざまな議論で盛り上がってきまし
た。実際、先生方が真剣なので、学生たちも知的刺激を受けて面白がり、そのような学問の集いをエンジョイしてくれました。なぜでしょう?それは私たちの間
ではお互いに共通するトークン(=共通のコイン)、共通
する項目があって、それが一種の平和な同盟軍というものを組織したからです。モンゴルは知識を吸収するためだけの対象ではなくてモンゴルに行ってモンゴル
の経験、異文化経験、あるいは異社会経験、異次元経験。そういう経験を通して自分が変わっていった場所だったからなのです。最終的に自分が変わるっていう
ことは、ほかの人——つまり先生のみならず学生が替わる——も変わりうるという経験を共有しています。だから実習を通して学生と先生は、モンゴル草原人間
に変身していました。いまの言葉でいうとSDGsを会得した人間に変わっていました。 |
どちらかというと学生さんたちの方は我々から何かを得るという、あるい
は、異分野の人があるテーマをめぐってガチで議論してそっから何かを得るっていうのはどちらかというと観察者の眼だと考えます。あるいは実験する人の眼。
つまり、ある原子とある原子をぶつけて、どうなるのかな、みたいな。加速器があってそこの窓から覗いて、あるいは写真を撮ってというような実験学者の眼だ
と思います。自分の視点は不動で、変わらないわけです。自分の外の世界がこういうふうに変わって、それを客観的にウォッチするみたいな。ところが、モンゴ
ル草原を経験した私たちの変化はどちらかというともっとドラスティックです。なんかすごい心打たれる経験というか、そういうものがあって、そういう経験
が、じぶんたちの知のあり方を変える。 |
実際に、今西錦司というそういうひとの物語を紐解くと、今から半世紀以
上前にそういう経験をした方がいたと。だから、今西さんの追体験とか体験とか今西さんが語ってることっていうのが、いまだ実現されていないとしたら、いま
だ同じことをやっている。だから、今西先生の経験を通して、我々は更に、今西さんの夢をうけついで、さらにもう一歩進めなきゃいけない、ことになります。 |
この十年、いろいろなところで政治的混乱が起こっています。そして、そ
のような声をあげいるのはたいがいは若い学生たちです。国会とか議事堂にそういうところにのりこんでいっている。それは、単に政治的に過激になったり、粗
暴な部分もあるでしょう。でも単に騒ぎたいためにやっているのではありません。彼/彼女らには大義がある。だから、市民のみならず政府のなかにも、その動
きを消極的あるいは積極的に支援しようということも起こっている。彼/彼女らがなんかやっていることっていうのは、なんか目が違うし、言ってることが、な
んか、俺たちが教えている日本の学生となんでこんなに違うんだろうみたいな感じがします。そういうふうになれという意味じゃなくて、なんで彼/彼女らがこ
んなことを言っているんだろうみたいなことを考えることを通して、自分たちにも何か出来ることはあるだろうか、みたいな、そういうメッセージ性がある。も
ちろん、べつにそれは政治のアリーナでなくてもいいと思います。趣味の現場でもいいし、あるいはクリエイションの場でもいい。なにか変わったことをやって
みる、なにか生まれ変わってみる。そういうことが重要なんじゃないかなと私たちは思います。 |
コミュニケーションをデザインする——21世紀の革命 |
池田は、かつて大阪大学コミュニケーションデザインセンターでセンター
長をしていたことがあります。そこで人とのコミュニケーションとか、人間と人間のコミュニケーション、人間と機械のコミュニケーション、人間と動物のコ
ミュニケーションとか、そういういろんな題材を下にして、コミュニケーションの現場で一体何が起きているのかなっていうことを検討して教育の場で実践授業
をおこなっていました。それは、ガチでのコミュニケーションデザインです。でも、書店のネットショップをみるとコミュニケーションデザインっていうのはみ
んなマニュアルなんです。コミュニケーションのやり方とか、極端な場合はたとえば、営業やってる人がどうやってクレーマーにコーピング(=対処し危険を回
避)するとか、あるいは企業がどんな形で顧客と、良好なコミュニケーションをするにはどうしたらいいのかとか。みんなマニュアルなんです。そのポリシー、
哲学っていうのは、いわゆる商品化されて流通しているコミュニケーションという発想です。 |
そこには、自分があって、自分が成長するとか、あるいは自分が変なク
レーマーにやられない、アンガーコントロール(=怒りの自己制御技法)もそうです。自分があって、自分が殻とかそういうものに守られているような自分が
あって、それをいかに大切にするか。自分が持っている素質をどうやってボトムアップ、自己陶冶していくか。そうすると自分が就活とか、自分を商品として売
り出した時にどうやって高く評価されるのか。あいつは挨拶ができるとか、あいつとは腹を割ってしゃべれるとか、そういう印象を持たれましょうねみたいな
ね。そういうマニュアルがいっぱいネットの書店にはある。 |
もちろん、それはそれでいいと思います。私たちは生きていかなきゃいけ
ないし、嫌な人間と思われるより良い人間と思われたほうがいい。しかしながら、それがあんまり過度になると、自分と他人というものの間をあまりにも分け隔
ててしまう。そこで何かって言ったら、コミュニケーションという話題が出てくるわけです。で、その時に自分が何か、確固とした一人ではないんだと。実は自
分の中に他人があると考える。プラトンの議論の中でも思想というのは、実は自分との対話なんだみたいな、思想というのは自分と対話することから生まれるん
だみたいな、そういう、プラトンの対話篇にでてくるひとがいったんだか記憶が定かじゃないんだけれども、そういうことを言ってるわけです。 |
思想っていうのは実は自分との対話。あるいは、思想の出発点というのは
自分との対話からでてくるっていうふうなことがあります。で、その時には、同じ自分でも、自分を見る眼、G・H・ミードだったら、「I」と「Me」とか
ね、そういう他者から見た自分、そして自分から見た自分みたいな、そういう二重の自分があると言います。それのもっと外側に出て行くと、他人と私っていう
のがある。それから自分が一個の存在として固有の存在であるということは実はないんだ。「他人が変わるためには自分が変わっていくみたいな。そういうとこ
ろで、変化の媒体になるのはまさにコミュニケーションだと思います。だから、そのどうすべきかと言う時に自分自身が読むようなマニュアルがあるとすれば、
それは友人とか先生だとかあるいは後輩だとか同僚だとか、そういう人たちの対話の中から生まれてくるもので、それが変われる為の何かきっかけになるのでは
ないかと考えます |
若い人たちは徒党を組め! |
徒党を組めというのは全然難しい言葉でも実践でもありません。自分が他
者に話しかけることだけではなく、他者の支えに乗ると言うことなんです。私は桜美林大学のバイカル(現・教授)が指導するモンゴル環境研修ならびに文化人
類学海外調査実習で当時、桜美林大学にいらした奥野克巳教授と3人で実習に従事したことがあります。最初はモンゴル国に、その翌年は中国のモンゴル自治区
にそれぞれ訪問しました。さて、モンゴル自治区で実習を終え、その帰りに万里の長城を訪れました。ものすごく高い、千メートルくらい登ったところで池田や
バイカルなど年配はそこでへたばり「僕たち、もうダメだから、もうやめるわ」と降参しました。その時に、実習では大人しかった桜美林大学のある学生が、突
然、池田のところにやってきた「先生、あそこまで行きましょうよ!雲がかかっているところまで行きましょうよ!。あそこには『ここにない』ものがあるかも
知れません!」と元気づけてくれました。池田はしぶしぶ、その青年についていったのですが、途中くらいからランニング・ハイになったのか、結局、途中から
猛ダッシュして一番最初に登ることができました。この時はすごく青年に助けられた。モンゴル草原の中で青年に偉そうに教えていた我々先生方は、実習がお
わったという安心感からか、脱力してしまった。でも日本からやってきたこの青年は、モンゴルの草原でいろいろん知識に加えて命の豊かさについて、なにかを
得たのではないか。池田ひとりでは絶対に登りきれなかったと思います。この青年は、本論文の前半で述べたアクターネットワーク理論の生きたアクターになり
ました。それを育んだのがモンゴルの大草原での学びでした。 |
人生とはそういうものかもしれません。これまで教えてあげなければなら
ないという気持ちにあった後進が、いつのまにやら力をつけて、私たちを元気づけてくれる。モンゴル草原にはそのような力を秘めていると思います。その力の
秘密を、モンゴルの大平原でつける。そのために英知をつくして、大平原で学ぶ、そのようなモンゴル草原文明研究所が、いままさに、世界の人たちから求めら
れているのです。 |
文献 - Calon, Michel. Actor Network Theory. In International Encyclopedia of Social & Behavioral Sciences. Vol. 1, Pp.62-66. Amsterdam: Elsevier. - Diamond, Jared. 2005. Collapse: How societies choose to fail or succeed. New York: Viking. - Gregory, Chris. 2005. Transnational Process, Sustainability and the Crisis in Anthropological Theory. lecture presented in the Transnationality Studies Seminar No.54, June 24th, 2005, Osaka University. - Shiva, Vandana. 2005, Earth Democracy: Justice sustainability, and peace. Cambridge, Mass: South End Press - 今西錦司, 1975『草原行/遊牧論そのほか』今西錦司全集第二巻、講談社。 |