わたしと世直しと音楽と
Musica, Rehabilitación Social, y YO
滝 奈々子
わたしの専門は民族音楽学と文化人類学です。民族音楽学とは、音を紡ぐ人びとの活動(=「音楽」と定義)を文化的・社会的に研究する学問のことをさします。
音楽(music)とは、わたしたちが楽曲をすぐに想像するように、ある時間経過の中で進行するメロディー、ハーモニー、リズム、そして音色の 要素から構成されます。若年性の糖尿病により36歳で斃れるエリック・ドルフィーというサクソフォニストは、晩年のレコーディングアルバムのなかにある 「ミス・アン」という曲が終わった瞬間に、"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again."(君が音楽を聴き、それが終わったとき、虚空の彼方に消えてしまう。君はそれを二度とつかむことは決してできない)という声を残していま す。
このような「儚い」音響的特性を研究するのが民族音楽学(ethnomusicology)です。でも虚空の彼方に消えてしまう音楽をどのよう にして研究するのでしょうか?その手がかりは、文化人類学の方法にあります。すなわち後者は、研究対象になる人びとの生活に訪問し、彼/女らと同じ食事を し、言語を学び、インタビューをおこない、観察し、彼/女らのおこなっていることを記録する一連の方法からなります。インタビューの会話もまた対話が終 わった時に虚空の彼方に消えてしまいます。しかし記憶と記録は残ります。音楽も民族ごとにさまざまな様式の音楽が存在します。音楽やひいては人びとの〈音 的経験〉もまた、記譜の形で記録し、また身体記憶として呼び戻す(=それを演奏や再演といいます)ことが可能なのです。民族音楽学は、このように音楽を紡 ぎ出す人びと(=民族)の〈音的経験〉を、楽器の発展や変化の歴史や、そして語りや行動を記述することを通して明らかにします。この記録された書物や録音 を「音楽経験のエスノグラフィー(ethnography of musical experience)」と呼びます。民族音楽学者は、このような音のエスノグラフィーを編む文化人類学者のことなのです。音楽を通して2つの学問は融合 します。
では、世直しの経験と音楽はどのような関係があるのでしょうか?音楽をすること(musicking)には、ケアや癒しの効果があり、自己に内 在する葛藤を緩和する作用があります。わたしはその様子をグアテマラ共和国のケクチ民族による祭礼において体感してきました。彼/女らは、差別や貧困のら せん状態のなかで生活しながらも、祭礼において司祭へ寄り添い、寄り添われ、ケアラーとも言える司祭に心のうちを吐露し、躓きながらも生を紡ぎつづけてい るのです。その意味で音楽と世直しはわたしのなかでは同一です。
世直しの運動においても音楽においてもまた鼓動が速まり涙が滲むような感動があります。さいわい研究会の池田光穂先生らと「中米・カリブにおけ
る感覚のエスノグラフィーに関する実証研究」のテーマで科研費を今年になり獲得することができました。世直し研究会で得た世直しと癒しの関係を今後はグア
テマラで音楽経験を中心に明らかにしていくつもりです。
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