かならずよんで ね!

延長された表現型の問題系

The problematique of the Extended Phenotype by Richard Dawkins

池田光穂

延長された表現型の問題を、生理学者、J.スコッ ト・ターナーが論じている

■「延長された表現型から,ガイアが前提とする地球規模の生理作用へ向かうのは自 然な道筋だと思われる。しかし進化生物学者たちは概してこの一歩を踏み出したが らない.私が第1章で,延長された表現型に対して,進化論と生理学とで見方を異 にする時が来るだろうと言ったのは,こういう理由だ.私たちはまさにそこに来た.

■論争の中心は,ガイアの進化には,ほぼすべての進化生物学者が除外した方法で 自然選択が働く必要があるという考えのようだ.群淘汰というのは,生物や遺伝子 より上のレベルに働くすべての選択過程に与えられる名前だ.一般的には群淘汰は ある種の利他主義の説明に使われてきた.その例は,群れの中のあるメンバーに 「種のためを思って」肉食動物の犠牲となるように仕向ける遺伝子だろう.もちろ んそういう遺伝子は長くは生き残らないはずだ。ほとんどのダーウイン進化の利他 主義モデルが,「利他主義者の」 遺伝子の利益を実際に増進する血縁淘汰のような, 遺伝的な逃げ場を用意しているのはこのためだ.ガイアと群淘汰に関してはリチャード・ドーキンスが問題の核心を突いている.

■『......もし植物が生物圏のために酸素を作っているのだとしたら,酸素生産のコ ストを省ける変異植物が現れたらどうなるか考えたらよい。明らかにこの植物 は公共精神に富む仲間に勝って繁殖し, 公共精神の遺伝子は消滅するだろう. 酸素生産にはコストがかからないと強弁しでも無駄だ。かりにコストがかから ないとしても 最もコストを低く見積もる説明ですら……酸素は植物が自分の 利益のためにおこなう反応の副産物だからという,いずれにせよ科学界が受け 入れているものでしかない』(Dawkins 1982, p.236).

■私はこの意見に異論はない.ただし不備なのだ.酸素生産がなぜ植物にとってよ いのかを問うのを忘れている.なにしろ,酸素は電子を非常に強く保持しているの で(酸化還元電位が高いことを思い出そう入水から電子を引き離して無理やりグ ルコース中に置くのには甚大なエネルギーが要る〔第6 章参照〕.なぜ植物は他から もっと楽に得られるのにそれほど苦労して電子を得なければならないのだろう。

■植物にとっての酸素生産の真の利益は,酸素の生産がどれほど困難かを考えても わからない。酸素がどれほど強力に電子を引き戻すかを考えればよいのだ.酸素の 酸化還元電位が高いので,グルコースから電子を引き抜く電位差が大きくなり, 「自由になった」これらの電子にさせられる仕事も多くなる.つまり電子供与体と しての酸素は,電子受容体にもなれる場合に限り目的に適っている.この場合,電 子の供与量と受容量が釣り合っていることが,適応度を高めることになり,供与体 や受容体の出どころはさほど重要ではない.酸素を植物内部に保持するような自給 自足ループは,従属栄養生物に酸素を循環させるループよりも,生み出す力が実際 に少ないこともある.実は植物の適応度は,その捕食者の適応度を高めることによ って高めうるのだ.

■さてここに議論の核心がある.進化生物学者はガイアを考察し,群淘汰という克 服できそうもない障壁の前で立ち往生する。生理学者はガイアを考察し,それにひ きつけられる.生理学を少々広く定義する必要はあるもののタ完全に筋の通った生 理学だからだ.どちらかが正しいとすればヲどちらだろう? 実のところ私は,「ガ イアは進化に関する現代の思想と全く相容れない」といえるほど立派な進化生物学 者ではない.生理学者である私にとってガイアは延長された表現型の生理学的分 析が行き着くところだ.(ターナー 2007:292-293)

本文……

リンク

文献

その他の情報

Maya_Abeja

Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2018

池田蛙  授業蛙 電脳蛙 医人蛙 子供蛙