はじめに よんでください

ポスト・ナイチンゲールの思想

Punktingale or Post Nightingale thinking on Nursing

池田光穂


00. YouTube動画です(26 分)

旧版スライドはこちらです→

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天職としての看護2099:21世紀のナイチンゲール像から学ぶ

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天職?それとも運命?

どちらも同じです。

ここでいう、天職(Beluf:ベルーフ)の語源は、キリスト教の神の詔命(召命)により、自分に定められた生涯の使命としての仕事や活動 のこと、をさ す。

だけど誰も最初から、神さまの声(御心)を聞く人は僅かでしょうから結果的に、その職業をやってみて、生涯を振り返った時によいと 感じるもの、 それをこの講演では「天職」と呼びましょう。

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天職って都合いい言葉?

ふつう天職とは、よい響きに聞こえます。

でも、それが「あなたの為だから」と押しつけられたものだとしたら、それは有り難い迷惑になります。

また中途退場者に対して「天職じゃなかった」という決めつけることは、言葉の暴力になります。

このような厄介さは、天職=運命という意味づけからくるものです。

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天職も使いよう

他方、天職にはつねによい心証がつきまといますので、善用すれば世のため人のためになることもたくさんあります。

たとえば、困難に直面している同僚や後輩の人たちを元気づける言葉として……

たとえば、職場での問題解決のための反省を促す言葉として……

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では天職=看護と言えば?

フローレンス・ナイチンゲール

(1820年5月12日〜1910年8月13日)

写真は1860年(40歳)頃のもの

Florence Nightingale, 1820-1910

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ナイチンゲールの功績

専門教育としての看護婦養成を構想し、それを実行に移した(近代看護教育の基礎)。

戦場の後背地の野戦病院で働く従軍看護婦のシステムを構築し、戦時下の英国における女性の社会的地位の向上とナショナリズムの発揚 に貢献した (半世紀後には先進国はこぞってこのモデルを採用)。

臨床疫学における統計分析(とくに死亡要因に関して)とその運用の基礎を築く

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不問にされてきた『看護覚え書き』の謎?

ナイチンゲールの”Notes on Nursing”(1860)は奇妙な本である。

その代表は「反医師・反病院・反病院看護の宣伝」(スモールの弁)の内容があること。

ナインゲールの圧倒的な名声ゆえに、初学者なら誰でも感じるこの疑問に、その後の近代看護教育の教師たちは応えてこなかった。

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F.N.の言葉から……

「病院の仕事にわが生涯を捧げながら、私は病院は貧しい病人にとって最良の場所ではないという結論に達しました」

「あらゆる看護の究極の目的は患者をそれぞれ自分の家でみることです。……私は病院や救貧院の診療所などはすべて廃止されることを 期待していま す。でも西暦2000年のことを話してもどうしようもありません」(ともに1860年)

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謎は彼女の人生にも?

クリミア戦争から、ひっそりと偽名により帰国(→名声嫌い?)

1857年(37歳)病いに倒れ、その後10年間は病床に伏す、あるいは公的な場所に現れなかったが思索ノートや手紙は膨大な数に およぶ(→本 当に引きこもりだったのか?)

それどころか戦後は、看護婦の職業化や、病院看護を否定、女性が医師になることも否定(もちろん男性医師たちの出世第一主義にも失 望)。

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だから彼女は元祖パンク看護師?

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ナイチンゲールの神話と現実
ならず者や売春婦の商売か修道女の業務とみなされてきた看護婦業を、専門の職業として確立し、その活躍の場を病院とした(→クリミア戦争従軍以前のみ、帰 国後はそのプロジェクトに消極的どころか実質的に放棄)。

クリミア戦争従軍により傷病兵の死亡率を激減させた(→1855年衛生委員会の派遣により改善された。彼女はなぜ激減したのか、帰国後ファーの知己を得る までは、理由も分からなかった)。

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Hugh Small の謎解き

ナイチンゲールの本当の闘いは1856年8月6日の帰国後から始まる。

病院改革と戦争中における傷病兵の扱いについての真の実態の把握を帰国後はじめて知り、真実の公開のために彼女はあらゆる手段(政 治)を使って 行動した。

1857年春に衛生統計学者W・ファーの協力で極秘報告書を完成。ただし軍、内閣、王室、医学者たちはナイチンゲールの国民的名声 を利用せんが ために、この公開について消極的。

1857年8月20日彼女は肉体的精神的虚脱状態に陥るが、それは彼女の闘いの敗北の結果である。しかし、この引きこもりは、真実 を隠蔽した男 性・国家・医学への「復讐」に他ならない。

バーンアウトと引きこもりに苛まれながらも、衛生と看護改革に専念するが、それは私たちが理解する生物医学にもとづく看護の科学化 や近代化では 決してなかった(→『覚え書き』の謎解き)。

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1860年『覚え書き』はなぜ反病院なのか?

帰国後の1858〜60年の検討から「病院が感染の温床」であることを自覚していた(反病院)。

クリミアに派遣される頃、英国の2/3の看護婦が個人の家庭で働き、半数が19歳かそれ以下だった(彼女の『覚え書き』が上から目 線で書かれて いる理由)

古代ギリシャに遡れる自然治癒力への信頼と、環境との関連について統計学的根拠があったことを、自分自身のクリミアでの「認識の失 敗」から逆に 学んだ。

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私たちへの教訓

彼女の墓碑銘はF.N.と生没年月日のみ

ナイチンゲールを「近代看護の始祖」という呪縛から解放してあげる。

患い・憂いに苛まれながらも、人生に与えられた試練を、時に真正面から時に狡猾に克服しようとしたナイチンゲールの生き方を知るこ とで、患者な らびに看護者のこれからの生き方の元気づけの糧とすること。エンパワー。

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天職としての看護から看護と してのコミュニケーションへ

“I use the word nursing for want for better” (Notes on Nursing, 1860)

ナイチンゲールの言う「ほんとうの看護」とは??

コミュニケーションはケアであることを私たちは発見する!
コミュニケーションが発達し、様々な情報が溢れているにもかかわらず、いま私たちに求められているのは(1)対話の精神であり(2)その技法に対する洞察 であり、そして(3)具体的な実践である。つまりコミュニケーションを今以上に良好に、また豊かにしたいという欲望(want)である。

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天職としての教師

天職の定義(再掲):自分に定められた生涯の使命としての仕事や活動のこと。あるいは、結果的に、その職業をやってみて、生涯を振 り返った時に よいと感じるもの。

天職としての臨床コミュニケーションの教師であるかどうかの試金石は、ルー大柴ふうに言うと「君たちは本当にエンジョイしているか い??」と笑 顔で問いかけができるかどうかということだ。

→人類学的看護(あるいは人類学的医療)

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ナイチンゲールに学ぶ

大学の仕事にわが生涯を捧げながら、私は大学は意欲ある大学生にとって最良の場所ではないという結論に達しました。

あらゆる教育の究極の目的は学生をそれぞれの生活の現場で陶冶することです。私は堅苦しい形式に凝り固まった授業はすべて廃止され ることを期待 しています。でも西暦2100年のことを話してもどうしようもありません。

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さらにナイチンゲールに学ぶ

患い・憂いに苛まれながらも、人生に与えられた試練を、時に真正面から時に狡猾に克服しようとしたナイチンゲールの生き方を知るこ とで、コミュ ニケーション教育について真摯に取り組む姿勢についてエンパワーされる。

つまり、ナイチンゲールは、私たちのケアについての考え方の試金石になるものではあるが、それ自体が重要である。ナイチンゲールの 生涯の格闘を 知ることは、私たちのエンパワーにつながればそれでいい。つまり、それは上に登るための梯子のようなもので、登ったところが生活の場になれば、もはやナイ チンゲールの力を借り必要もない。すなわちナイチンゲールなどもいらなくなる。天職としての看護を考えることのひとつの考えかたは、このようなこのではな いでしょうか?

人には固有の「天職」が予め与えられているわけではありません。人が人生に躓いたりした時、また真摯に振り返った時にその人にとって「天職」と いう具体的な試練が課せられるのでしょう。天職は人生を振り返ったときにはじめてわかるものだ!……。これが私の結論です。


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