かならずよんで ね!

文章表現の統一について

On rhetorical modification and/or correction in Japanese academic paper

池田光穂

日本語の送りがな表現には、多様な表現方法があります。日本語は、カタカナとひらがなで基本的にすべて表現することが可能なのですが、漢字とハイブリッド化することで、高速に文章が読めるように進化したユニークな表記文化を歴史的にもつようになりました。カ タカナとひらがなは、もともと日本語の音表記のために漢字の一部から崩してその記号を採用したにもかかわらず、表意文字としての中国語の意味取得の効率性 を導入することに成功しました。しかし、その分の代価としては、同音異義語や、冒頭にのべた様々な漢字とハイブリッドした「おくりがな(送り仮名)」の表 現の煩雑さも生むことになり、第二言語として、漢字まじりの日本語を読む人ならびに、そのような文章(=文語)を日本語として聞く人に、非常にむつかしい ——それは日本語を母語とする人にもなお——課題を与えることになりました。

この問題は、自由に日本語を読み書きできる人にも抱えるジレンマでもあります。以下には、日本語の送りがな表現について「統一」した基準を暫定的にでもさだめ、よみやすい日本語にする方法について考えます。そのひとつが、文章表現の統一です。

(X    )は用いない用法。

あたえる(X 与える)
あつかう(X 扱う)
あらわす(X 表す)
現われる(X あらわれる)
ありかた(X あり方)
言う(X いう)
至る(X いたる)
いとなみ(X 営み)
意味付け(X 意味づけ)
おうじて(X 応じて)
おおい(X 多い)
おこなう(X 行う)
同じ(X おなじ)
おもう(X 思う)
および(X 及び)
かかわり(X 関わり)
彼ら(X かれら)
変わり(X かわり)
決める(X きめる)
けっして(X 決して)
さまざま(X 様々)
対する(X たいする)
違い(X ちがい)
出来る(X できる)
とらえる  (X 捉える)
取り上げる(X とりあげる)
になう(X 担う)
はぐくむ(X 育む)
人びと(X 人々)
含む(X ふくむ)
見なす(X みなす)
もつ(X  持つ)
元に(X もとに)
良い(X よい)
呼ぶ(X よぶ)
分かる(X わかる)
分ける(X わける)

私たち、私 (X わたし)
我々 (X われわれ)




本文……

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Maya_Abeja

Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2017

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