かならずよんで ね!

散華できない人の命

rite of scattering, impossibe rite of passage

池田光穂

散華とは、華(花)を散らすこと。仏教では仏を供養 するために華を散布する。 また花を散らす意味から転て、死亡すること、特に若くして戦死する事の婉曲表現として使われる。

「あなたには解るか。やがて死んでゆかねばならぬ人 間が、自己の存在の痕跡を残したいと痛切に思う気持ちが」——主人公・大家の言葉。高橋和巳『散華』より

シノプシス

「第二次世界大戦での特攻隊の生き残りであった主人 公の大家は、電力会社で用地買収の仕事をしていたが、四国と本州を結ぶ高圧海上架線を建設するために、瀬戸内海の小さな孤島を買収する仕事を命じられる。 この孤島には、かつて国家主義者として戦時中の青年達に「散華の精神」を説き、終戦と同時に世の中との関わりを一切拒絶し隠遁した、中津という名の老人が 独り住んでいた。 「散華の精神」とは、個を自覚的に捨て、民族の運命に殉ずることを求め、特攻隊などによる死を美化、正当化する思想、論理のことである。 中津は国家主義者として多くの若者にこの精神を説きながらも、彼らとともに運命を共にしなかったことに責任を感じ、一切の社会的交流から隔絶する生き方を 選んだ。 そして戦争に死んだ青年たちを祭る神棚に位牌を置き、自ら彫った仏像に読経することで、自分の罪を償う生活をしていた。 「しかし私は、自分の方から助けを求めたことはなかった。わたしはいつ死んでもよかったのだ。ただ自分で自分の命を絶つべき理由はみつからなかった。(中 略)しかしわたしの苦痛は他者の同情によって癒えはしない。それがどんな苦痛であろうと、わたしの苦痛でありかぎり、わたしはそれを大事にするだろう。」 大家はこの老人を立ち退きさせるために何度かこの孤島を訪れるが、強固に拒否される。 しかしこの中津という老人と、食糧のための小蟹を取ったり、美しい自然に触れていくつれ、次第に中津に親近感を抱くようになる。 ある時大家は孤島の海岸で泳いでいるときに、潮の流れにさらわれ溺れてしまう。気が付いた時には、中津の家で介抱を受けていた。中津に命を救われたのであ る。 中津も大家に対し次第に心を開いていくが、大家はついに会社の命令のために中津に会いにきていることを切り出した。 大家の真意にこれまで気付かなかった中津は激怒し、なおも立ち退きのための交渉を進めようとする大家に対し、日本刀を抜き、振りかざした。しかし中津は本 当に大家を斬るつもりはなかった。 大家はこの対決で、特攻隊の苦しみを吐露する。回天という人間魚雷の中でじっとうずくまって出撃を待っているときの気持ちを。 「おれはいまは一介の俗物にすぎない。しかし、それゆえに、一人高しとして孤独を守る人間を本質的に信じないんだ。あなたには解るか。やがて死んでゆかねばならぬ人間が、自己の存在の痕跡を残したいと痛切に思う気持ちが。」 中津は外に出て刀を捨て、失っては餓死してしまうかもしれない作物の植えられた畑の上でのたうち回り、号泣する。 それから月日が経ち、いよいよ夢の高圧架線を建設するために測量班がこの孤島に上陸したが、倒壊寸前の小屋の中で、半ばミイラ化した老人の死体が発見される。しかもその死体の腹部には刀剣が突き刺さっていた。 中津は自殺したのだ。 大家は中津と対決した後、総務部へ異動になり、用地買収とは関係ない立場になっていた。 「老人が何を考え、何を苦しんだとしても、それはもう大家には関係のないことであった。」」(出典:https://bit.ly/2GpZSZE

+++

Links

リンク

文献

その他の情報

Maya_Abeja

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099

池田蛙  授業蛙 電脳蛙 医人蛙 子供蛙