はじめによんでください

7つのお話

Seven aphorisms or anecdotes of my life

池田光穂

☆ キシンはハチャキュンより土と腐った木か ら創られた。ハチャキュンはキシンの女も創り 与えた。キシンは樹木の茸をトルティージャのように食べ、ウジ虫をフリーホーレスのように 食べる。彼の姿は西洋人風で悪臭を放つ蔓性の花を帽子として被っている(Robert Bruce et al. 1971:14-15)̶̶Los Lacandones: Cosmovisión Maya. Instituto Nacional de Antropología e Historia, Ciudad de México.

1)キシンはハチャキュンより土と腐った木か ら創られた。ハチャキュンはキシンの女も創り 与えた。キシンは樹木の茸をトルティージャのように食べ、ウジ虫をフリーホーレスのように 食べる。彼の姿は西洋人風で悪臭を放つ蔓性の花を帽子として被っている(Robert Bruce et al. 1971:14-15)̶̶Los Lacandones: Cosmovisión Maya. Instituto Nacional de Antropología e Historia, Ciudad de México.

2)幼き日/アイヌアイヌとあざけられしを/ふいに思いて憤る夜 レジの中ひるまず生きるを支えとし/吾宿命を恨む事/多き アイヌてふ概念誤解多くあり/今に生たし/誇りの道に マイク持一人たはむる日本人/ピエロの如し/アイヌ愛好師 ——江口カナメ歌集『アウタリ』p.113(「われはアイヌ(続)」)、新泉社、1974 年

3)「帯広出身の 20 代のアイヌ民族酒井美直氏は,現在アイヌ民族として生きることを高らか に謳い上げ,アイヌ民族の若者を組織して様々な社会活動に取り組んでいる。そんな彼女が中 学,高校の時,教科書をもらうと,自宅に帰ってすぐ社会科の教科書を手に取り,緊張しなが らアイヌ民族に関する記述を探したという。そしてその部分を授業で扱う時期がくると,授業 進度を予測して学校を休んだという」2008 年 11 月 29 日に開催された「神奈川県立地球市民か ながわプラザ主催セミナー「世界の先住民族、そしてアイヌ民族」の講演より(中山 2012:296)

4)「アイヌ民族について学習することは必要で、あると思うし、教科書 に掲載されることも 歓迎する。しかしそれを教える教師がアイヌ民族のことを語る力がなければアイヌ民族の児童 生徒は私のような感覚に陥るだろう」——中山京子によるインタビュー2008 年 11 月 29 日(中 山 2012:296)『先住民学習とポストコロニアル人類学』御茶の水書房。

5)「僕らの集会に来るシャモを、逆に僕の方からも観察させてもらって います。そうすると、 「アイヌに同情することによって、善人としての自己存在をアピールする場」を見つけたと考 えて喜んでるシャモ(和人)が多いように感じます。アイヌが語る普通の生活話は退屈そうな 顔をしてるくせに、差別話になると目が生き生きして身を乗り出す。そのシャモが何かすごい ことをやってる満足感を得るためには、できるだけアイヌの生活や歴史は悲惨な方がやりがい がでてくるらしい。アイヌに対しては、いつまでも「自然保護」を叫ばせて「革命」を目指す ことを押しつける。こんな人達に「共に生きよう」みたいに言われると気持ち悪くなってきま す[大谷 1997:44]——大谷洋一「道外に住むアイヌとして」『公開講座・北海道文化論 13: アイヌ文化の現在』(札幌学院大学人文学部編)札幌学院大学生活共同組合。引用は[関口 2007:9-10]

6)「M 氏の奥さんの曾祖父はメキシコからやってきてモモステナンゴの先住民の曾祖母と結 婚してここに住んだという。彼女の母親はインディヘナに対する差別ゆえに伝統的なウィピル を着ることを辞めてしまい、彼女もそのように育った。そのため彼女はずっとラディノの衣装 を着ている——このあたりの表現は難しい。というのは彼女はしばしばS氏(同行した韓国出 身の人類学者)の質問に答えて「インディヘナは自分のアイデンティティを未だ持ったことが ない」と言いきり、伝統的な祭礼やカトリックの信仰が先住民の「アイデンティティ」を表象 するもの、あるいは一部を構成するものと(研究者が捉えるような)理解をしていないからで ある、と述べた」(1999 年 7 月 29 日のノートより:キチェ県モモステナンゴにて)

7)「「諸文化」は肖像画を描くためにひとところにじっとはしていな い。肖像画を描くため に文化を静止させようとする企ては、いつも単純化と排除、当座の焦点の選択、特別な自己̶ 他者関係の構築、力関係の強要や駆け引きという問題を引き起こす」(クリフォード 1996:17) 「序論:部分的真実」『文化を書く』クリフォードとマーカス編、1986=1996


落合一泰『マヤ:古代から現代へ』p.61, 岩波書店, 1984 年


Mitzub’ixi Quq Chi’j tuj Paxil, Chinab’jul, Ixim Tx’otx’, diciembre 1987.



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