フォイエルバッハの客観的真理について
Über Feuerbachs objektive Wahrheiten
池田光穂
Anhang. Marx über Feuerbach(niedergeschrieben in Brüssel im Frühjahr 1845).
Der Hauptmangel alles bisherigen Materialismus – den Feuerbach’schen mit eingerechnet - ist, dass der Gegenstand, die Wirklichkeit, Sinnlichkeit, nur unter der Form des Objekts oder der Anschauung gefasst wird; nicht aber als menschliche sinnliche Thätigkeit, Praxis, nicht subjektiv. Daher geschah es, dass die thätige Seite, im Gegensatz zum Materialismus, vom Idealismus entwickelt wurde - aber nur abstrakt, da der Idealismus natürlich die wirkliche, sinnliche Thätigkeit als solche nicht kennt. Feuerbach will sinnliche, von den Gedankenobjekten wirklich unterschiedene Objekte; aber er fasst die menschliche Thätigkeit selbst nicht als gegenständliche Thätigkeit. Er betrachtet daher im „Wesen des Christenthums“ nur das theoretische Verhalten als das ächt menschliche, während die Praxis nur in ihrer schmutzig-jüdischen Erscheinungsform gefasst und fixirt wird. Er begreift daher nicht die Bedeutung der „revolutionären“, der praktisch-kritischen Thätigkeit.
「フォイエルバッハのものも含め、それまでのすべての唯物
論の主な欠陥は、対象、現実、官能性が、対象や見方の形のもとでしか把握されず、人間の官能的な活動、実践、主観的なものとして把握されないことである。
だからこそ、唯物論とは対照的な能動的側面が観念論によって展開されたのである。しかし、観念論は当然ながら現実の感覚的活動をそのようなものとして認め
ないので、抽象的なものにすぎない。フォイエルバッハは、思考の対象とは本当に区別される感覚的な対象を求めているが、人間の活動そのものを客観的な活動
とは考えていない。それゆえ、彼は『キリスト教の本質』において、理論的な行動のみを真に人間的なものとみなし、実践は汚れたユダヤ教の現われにおいての
み把握され、固定される。それゆえ、彼は「革命的」な実践的批判的活動の意義を把握することができない。」
2000年某月某日
フォイエルバッハに関するテーゼを国民文庫版でよんでいたらつぎのような記述に出会う。
「人間的思考に対象的真理を手に入れる力があるかどうかという問題は、観想の問題ではなくて、一つの実践的な問題である。実践のなかで、人間は、自分の思考
の真理性、すなわち現実性と力、此岸性を証明しなければならないのである」(『フォイエル
バッハにかんするテーゼ』国民文庫版、p.77)
なんじゃ対象的真理とは?、じっと考えてはっとする、なんだ!対象=objective=客観的つまり客観的真理のことである。
マルクス、エンゲルス、レーニンの聖典解釈が鬼のように進んだ先進国ニッポンの、聖典解釈の総本舗のような 出版社から出ている(いた?)本でさえこれなんだから・・道は険しいのう?
で、現代的でまともな翻訳はこうなります。
人間の思考が客観的な真実に到達できるかどうかという問題は、理論の問題ではなくて、実践的な
問題なのである。実践において、人間は真実、すなわち現実と力を、彼の思考が現世のものであることを証明しなければならない。
FeuerbachThesis.pdf(パ スーワードつき)
対訳版はこちらです
2001年某月某日
「カフカが真に天才であるのは、かれが伝達可能性に固執するた めに真理を犠牲にするというまったく新しいことを試みた点にある——ベンヤミン」
小
説の誕生の地は孤立した個人である……小説を書くとは、人間
の生を表現するにおいて、比較を絶したものを極端のところにもっていくことである。——ヴァルター・ベンヤミン「物語作家について」