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Up, Up and Away by the artist Sonny Crissカメレオン

池田光穂

Up, Up and Away (Sonny Criss album), "Up, Up and Away" (Jimmy Webb) - 5:32 "Willow Weep for Me" (Ann Ronell) - 5:12 "This is for Benny" (Horace Tapscott) - 6:23 "Sunny" (Bobby Hebb) - 5:55 "Scrapple from the Apple" (Charlie Parker) - 6:47 "Paris Blues" (Sonny Criss) - 7:29

(1)「チャーリー・パーカーは、死んで何を残した か?」

「確かにチャーリー・パーカーは天オ的なジャズ・ ミュージシャンではあったけれど、まあ実にうま い時期に死んだなあ、という気がしないでもない。 これはジョン・コルトレーンについても言えるこ とで、いかに天才といえど人間死に際、引き際と いうのはやはり大事なのである。そういえは、ジュ リー・ロンドンの古いレコードに「躾のいい子は 長居しない」(Good Girls Don't Stay Long )と いうのがあったな。 さて、こういったカリスマ的父長が死んだあと に必ずおこるのが跡目争い、遺産争いで、チャー リー・パーカーの場合も例外ではない。遠縁のオ バサン連中は通夜の炊き出しをやりながら「こん なこと言っちゃなんだけど、チャーリーさんも、 まあうまい時に死んじゃったわねえ」なんて気楽 なこと言って惨いるが、近親者はそれどころじゃ ない。 長兄フィル・ウッズは仏さまの枕もとでしくし く泣いている若い義母をなんだか下心ありげに慰 めているし、それを見ていきりたつ次男ジャッキ ー・マクリーンを叔父のソニー・スティットがわ け知り顔でまあまあとなだめている。かと思えば チャーリーお父っつあんが新橋の芸者に生ませた 隠し子キャノンボールなんかは我関せずとムシャ ムシャ員旨を食うはかりで、まわりのヒンシュクを 買っている。 こういう殺気立った場所に隣家の息子リー・コ ニッツがくやみに来たもんだから、これはたまら ない。「お前は本当はチャーリーお父つつあんが隣 のオバサンに生ませた子供じゃないのか? そう いえばいつぞやのお父つつあんのオバサンを見る 目つきがおかしかった」なんて無茶苦茶ないいが かりをつけられることになる。コニッツは「ジョ、 冗談じゃありませんよ、僕の目鼻だちを見て下さ い。ちっとも似てないじゃありませんか」と弁解 に努めるのだけれど、「いや、そうムキになるとこ ろがかえって怪しい」ととりあってもらえない。 一方、控えの4畳半では末弟のソニー・クリス とチャールス・マクファーソンが知恵遅れのルー・ ドナルドソンをあやしながら、じっと唇を噛みし め、「汚ねえ、みんな汚ねえ、お父つつあん、なん で死んじゃったんだい」などと言いあっている。 しかしそれでもチャールス・マクファーソンは根 が素直なものだから(はっきり言えば馬鹿だから)、 兄さん連中に「はい、これが形見の品、お前もが んばるように」とチャーリーお父つつあんのはき 古したナイロンの靴下1足もらってうまくいいく るめられてしまい、残るはソニー・クリス一人。 「お父つつあん、俺はお父つつあんの遺志を継い で、必ずや立派なアルト吹きになるよ」とウエス ト・コーストへと戻っていく。 ……というのが艶福家チャーリー・パーカー亡 き後の極めて大雑把なアルト・サックス・シーン である。なんだかソニー・・クリス一人が良い役も らってるようだけど、これは仕方ない。だってこ れはソニー・クリスのライナー・ノートなんだから。 えーと、結局何が言いたいのかというと、偉大 なサキソフォニストにしてイノヴェーターでもあ るチャーリー・パーカーの音楽を全的に把握し、 それをしかるべく発展させることができたアルト・ サックス奏者はその後遂に1人も出現しなかった、 ということなのです。あるものは音色を継ぎ、あ るものはフレージングを継ぎ、あるものはタイム 感覚を継いだ。しかしイニシアチヴのとれる存在 を欠いた50年代のアルト・サックス・シーンは、 その表面の華麗さとは裏腹に混迷の度を深めてい くことになる。 でも言ってみればこれはあたり前のことで、チャーリ ー・パーカーの音楽はあまりにもチャーリ ー・パーカー的でありすぎて、他人がどれだけそ れを真似ようとしても、所詮下町の鉄工所の親父 が銀座の高級クラブのホステスを口説いていると いう図になってしまう。「テクニックがイモなのよ」 なんて軽くあしらわれ、それじゃとテクニックを 身につけて出なおしていくと今度は「柄じゃない のよ」と頭から水割りをかけられたりしてね……、 とにかくこれじゃ浮かばれない。絶対に浮かばれ ない。そこで「キャバレーならやはり東上線」と 叫ぶエリック・ドルフィーやらオーネット・コー ルマンの出現となるのだけれど、こういうの書い てるとキリないので、ソニー・クリスの話。

(2)「ソニー・クリスの話」

ソニー・クリスは先にも述べた50年代の混迷の 波を最も強くかぶったアルト・サックス奏者の一 人であったと言っても良いだろう。デヴューの早 い割に、恵まれぬ人であった。まず第に真面目 な人だけにチャーリー・パーカ一体験の後遺症が あまりにも強烈すぎた。第二にウエスト・コース 卜在住の黒人ミュージシャンという地域的なハン ディキャップを背負い、ウエスト・コースト・ジ ャズ全盛の中で孤立せざるを得なかった。そして 第三に(これが最も大きな要因なのだけれど)そ れらの障害をはねのけていくだけの今一歩のオ能 と力が不足していた。 そんなわけでクリスは新たな地歩を求めてフラ ンスへと渡るのだが、そこでも苦労する割には報 われない。1963年にはまたアメリカに戻り、’66年 から始めたプレスティッジの一連のレコーディン グによってようやく長いスランプから脱出するこ とになる。そして’69年からの6年の沈黙の後に、 ザナドゥ、ミューズから何枚かの好演盤を出しな がら、初来日を前にして自らの命を絶ったのであ る。 不思議なことに(本来は不思議であってはなら ないのだけれど)ソニー・クリスは吹くごとに、 年を取るごとにうまくなっていくミュージシャン であった。決して一流のオ能をもってその演奏生 活を始めたわけではないのだけれど、遂には一流 の域に達した人であった。’75年録音のミューズ盤 「クリスクラフト」を聴くたびに、「ああ、これは苦 労した人だけが出せる音なんだなあ」と僕はしみ じみ思う『クリスクラフト』とこの『アップ・ア ップ・アンド・アウェイ』の両レコードに収めら れた「ジス・イズ・フォー・ペニー」を聴き比べ てみてほしい。僕の気持はわかって頂けるはずだ。 もちろんソニー・クリスというミュージシャン は巨人ではなかったし、ジャズの最先端に立った こともなかった。そしておそらくは彼なしでもジ ャズ・シーンは今と寸分違わぬ発展を遂げたこと だろう。しかし「ジャズ」ということばの響きの 中には、ソニー・クリスのような終始日当りの悪 い道を歩んだ地味なミュージシャンや、挫折し去 っていった無数のミュージシャンの様々な想いが 厚〈塗り込められているのである。 そして彼ら無名戦士の残したなんということも ない(ジャズ史的な価値も殆どないであろう)レ コードが、ある日ふと僕たちの心を捉える。僕も そういったレコードを何枚も持っている。そして ソニー・クリス「アップ・アップ・アンド・アウ ェイ』も実にそういった一枚なのだ。

(3)さて『アップ・アップ・アンド・アウェイ』

「アップ・アップ・アンド・アウェイ」は’67年に リリースされ、ソニー・クリス唯一のジャズ喫茶 人気盤ともなったレコードである。 i業は’68年頃に早稲田の「フォー・ビート」とい うジャズ喫茶で何度もこのレコードを聴かされた。 ジャズ喫茶をめぐる青春というものがまだ存在し た時代である。僕の年代には、『アップ・アップ・ アンド・アウェイ」のあのシダー・ウォルトンと タル・ファーロのユニゾンのイントロを懐かし く思い出す方もきっと多いことだろう。 人気の有無を別にしても、これはソニー・クリ スの代表作の1 枚に入れても良い出来のレコード だと思う。『ジス・イズ・クリス』、「ポートレイ卜」 という先行する2 枚のアルバムでじわじわと調子 を上げてきたソニ・クリスが、ここで一気にふ っ切れたといった明るさがこのレコードにはある。 決して派手派手しい演奏ではないのだけれど、ソ ニー・クリスの表情は何かしら優し気である。そ してそんな気分が「アップ・アップ・アンド・ア ウェイ(マイ・ビュティフル・バルーン)」とい うポップ・ソングの曲感に実に見事に調和してい る。(余談ながら、フィフス・ディメンションのオ リジナル「アップ・アップ・アンド・アウェイ」 のギター・ソロはアル・ケイシ一、アレンジはマ ーティー・ぺイチだったな) 上手さという点ではプレスティッジ・セッショ ンは、70年代後半のレコーディングに一歩譲ると 僕は考えているのだけれと、コルトレーン、マイ ルス一色に塗り潰されていたあの時代に、爽やか な微風をジャズ喫茶の煙っぽい暗闇に吹き込んで くれたこの『アップ・アップ・アンド・アウェイ』 は僕にとって(あるいは僕たちの世代にとって) やはり愛すべきレコドなのである。 そして最後に、終始自らの音楽に忠実でありつ づけ、恐らくはそれ故に自らの命を絶たねばなら なかった好漢ソニー・クリスの冥福を祈りたい」。 [村上春樹より]

For all undergraduate students!!!, you do not copy & paste but [re]think my message. Remind Wittgenstein's phrase, "I should not like my writing to spare other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein

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文献



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