民族誌挽歌
Elegy for Ethnography
According steamlocomotive type in illustration it was drawn in mid-1930's, C53 #43 or C55 type.
Con este botoncito, puede conectar a la otra personalidad de Gengnosuke
いはばしるたるみのうえのさわらびの もえいづるはるになりにけるかもかも・かもね
わかりやすい民族誌挽歌 作:垂水源之介
民族誌の堕落を嘆くのは愚鈍な輩のするこ と
民族誌が活躍できた時代はとっくに終わっ てしまっているからだ
民族誌とは正しい距離にかかわることなの だ
民族誌が生きている世界とは、自分の視覚 から全体を見通すことができ、将来の予見が可能で、立場を取ることがまだ可能だった世界である
ところが現在では、人間社会にとってあま りにも火急な事態に取りまかれてしまっている
“とらわれなく”とか“自由な視線で”書 いているといった表現は、もしそれが、自分には無理だ、という明白な無能性のナイーブな表現で ないとすれば、まったくの嘘でしかない
自分の中心に迫るために今日、中心的な、 そして金に抜け目のない視線は広告という名である
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