フェミニスト表象解釈の可能性
——パスツールの妻の肖像——
解説:池田光穂
まず、下記の写真をごらんください。
妻に口述させるパスツール
この写真は、ルネ・デュボスの『理性という名の怪物(原題:理性の夢—科学とユートピア—, 1963)』三浦修訳、思索社、1974年から取りました。
ところでルイ・パスツール(時にパストゥールと表記される, Lois Pasteur .1822-95)は、分子の光学異性体、乳酸発行、パストゥリゼーションとよばれる低温殺菌法、狂犬病ワクチンに代表される免疫現象の発見など、医化 学・微生物学に多大な貢献をもたらした科学者の英雄モデルの最たる人物です。
また、世界からの寄付によってできたパスツール研究所——彼の遺体は研究所の地下廟に現在で も安置されています——での華々しい研究とその成果に代表されるように、機能的に構成された研究機関でおこなう科学研究のスタイルの創設者の一人であると 言っても過言ではありません。
家族想いという性格も加わり、誠実で禁欲的に克己するという我々がステレオタイプとして抱く ことのある<ヒューマニスト科学者>のモデルにもしばしばなっています。
パスツールの伝記を読めば、彼の人格がほとんど神格化されているかのような錯覚に陥ることも 無理はありません。(言うまでもなく彼はスキャンダルに満ちた人間ではありませんでした)
この写真を掲げたデュボスも次のような賛美の趣旨のキャプションを書いている。
「パスツールの肖像は、青年期のものでも老年期のものでもほとんどが彼の個性の思索的な 面、つまり、科学の大きな理論的問題にたいする彼の関心をはっきり示す。上の写真は、別の感じのパスツールである。南フランスの蚕の病気に関する実際的研 究に従事中、夫人に口述筆記をしているところ。当時、彼が烈しい論争をおこなっていたことが、顔のきびしい表情に出ている」(デュボス 1974:157)。
デュボスの時代から四半世紀以上たって、もはや、フェミニズム理論を抜きにして社会理論を考 えれられない現在の私たちは、デュボスとは異なった表象解釈の可能性をこの写真の中に見いだすのではないでしょうか?
それは、パスツールに眼をやるのではなく、黙々と口述筆記をとるパスツール夫人のひたむき (?)な表情です。蚕の病気の研究を支えていた女性による影の労働力(シャドウワーク)や、科学の英雄性は誰のものかという疑問が頭をもたげてきます。
この写真を見るたびに、映像表象が時代や社会状況のもとで多様に解釈される可能性があること を批判的=反省的に学びとることができます。
皆さんが、パスツールの業績を知ったり、科学史上の意義を検討したり、また彼や彼女の伝記的 事実について勉強したり、また当時の[ユダヤ人]知識人の女性についての知ることを通して、現在とは異なった、この写真表象の解釈をおこなうかもしれませ ん。
文化表象学を学ぶこととは、たった一枚の写真の中に、人間のさまざまな社会的意味作用を発見 することなのです。
【課題】