Tetsu HIROSHIGE, 1928-1975
HIROSHIGETSU Tetsu was a Japanese historian of science. He died young , at age of 47, despite his achievements in the study of the history of modern physics and the social history of natural science in Japan after the Meiji era.
1928 兵庫県神戸市生まれ
1946 1月12日「民主主義科学者協会」が創立
「民主主義科学者協会(みんしゅしゅぎかがくしゃ
きょうかい)は、かつて存在した日本の進歩的な自然科学者・社会科学者・人文学者の左派系協会。民主主義科学の発展をはかることを目的としていた。略称は
民科(みんか)。日本共産党の影響を強く受けていた。全国、分野横断学術団体としてはすでに消滅しているが、後述のように分野別、地域別組織としては21
世紀の今日まで活動を継続しているものもある。。初代会長は数学者の小倉金之助、事務局長はホグベン著「百万人の数学」などを翻訳した数学者、科学史家の
今野武雄[1]。
創立当時の会員は180名。進歩的文化人や一般市民・学生なども加入し、1950年前後の最盛時に、114の地方支部、1772名の専門会員、8243名
の普通会員がおり、米軍占領期の学会・言論界に大きな影響力をもった[2]。
主にマルクス主義者が中心となり構成された[3][4]。
機関紙としては、『民主主義科学』(1946年12月1日創刊、第6号から『社会科学』と改題して民科社会科学部会の機関紙となり、1948年12月廃
刊)、1948年4月25日創刊の『科学者』(1951年12月『科学文化ニュース』と改題、1953年3月廃刊)などがあった[2]。その他、『民科学
術通信』、『国民の科学』、『自然科学』、『理論[注釈 1]』などの多様な機関紙誌を発行[5]。
専門分野の研究は宗教、哲学、歴史、水産、経済、農業、教育、心理、言語科学、法律、政治、婦人問題、芸術、生物学、地学団体研究(地団研)、自然科学な
どの専門部会で行われた。」
1948 1941年4月に創立され、戦中戦後の混
乱で活動を中断していた科学史学会の有志の一部が1946年秋ごろから「民科科学部」主催の毎月の科学史研究会に協力[1]していたが、1948年に科学
史学会を再建してこれに移行した。
1950年代 日本共産党(所感派)の手で、民科内 部に政治的課題が持ち込まれた。
1952
京都大学理学部物理学科卒業[2]。素粒 子論を志して大学院に進学したがドロップアウトした(『科学の社会史下』所収 吉岡斉「解説」)。在学中から民主主義科学者協会の活動をする。
民科書記局員だった石母田正は「国民的科学の創造」
を提唱し、民科の路線も「国民的科学の創造と普及」を目的としたものに変化する。政治と科学の結合をめざした運動中心の考え方は、共産党と無縁な学者や学
生の離反をもたらした。
1954 三木壽子(植物学者)と結婚。
1955
共産党が六全協で路線転換を行うと、民科指導部も混
乱して求心力をうしなった
1956
ソビエトでのスターリン批判にともない、民科が支持
していたミチューリン農法の正当性が否定されたことも大きな打撃となった。科学者・研究者からの支持を失い指導部も混乱した結果、機関誌「国民の科学」は
停刊した。1956年の第11回全国大会開催を最後に民科本部としての正常な運営体制が崩壊した。
1957
「民主主義科学者協会」は本部事務所を閉鎖、事務局を解散した。その後一部の部会 は独立した研究団体となり、活動を続けた。広重は、日本大学理工学部講師(物理学教室物理学史研究室)となった。翻訳、ジョン・フォン・ノイマン『量子力 学の数学的基礎』 井上健・恒藤敏彦共訳 みすず書房, 1957。翻訳、C.ゼーリッヒ『アインシュタインの生涯』 商工出版社, 1957、東京図書, 1969
「先(ま)づ研究『四條畷原子炉』賛成・反対そのあとで」1957年——実験原子炉は被差別部落近郊につくられようとした。推進したのは大阪府(推進協議会会長は当時の副知事)広重徹『戦後日本の科学運動』160:233.より
1958 『原子と原子力の話』 日本児童文庫刊行会, 1958
1959 翻訳、レフ・ランダウ/エフゲニー・リフ
シッツ『場の古典論』 恒藤敏彦共訳 商工出版社, 1959、のち東京図書。
1960
『近代物理学史 発展の過程を中心に』
地人書館, 1960;『戦後日本の科学運動』 中央公論社, 1960 / こぶし文庫, 2012。吉岡斉解説。ランダウ/リフシッツ『力学』
水戸巌共訳 商工出版社, 1960、のち東京図書(『力学・場の理論 ランダウ=リフシッツ物理学小教程』 ちくま学芸文庫, 2008)
1960年代前半 「民主主義科学者協会」の大部分の部会は実質的に解体した。
1961 編著『新しい物理学』 福田信之
共立出版, 1961
1962 名古屋大学より理学博士。編著『日本資本 主義と科学技術』 三一書房, 1962
1963 翻訳、エリ・ランダウ/ユ・ルーメル, ア・ジューコフ『相対性理論入門』 鳥居一雄共訳 東京図書, 1963。
1963-1964 翻訳、フォーブス/デイクステ
ルホイス『科学と技術の歴史 1・2』 みすず書房, 1963-64。
1965 『科学と歴史』 みすず書房, 1965。翻訳、エリ・デ・ランダウ/ア・イ・キタイゴローツキ『万人の物理学第 1・2』 鳥居一雄共訳 東京図書, 1965。
1968 『物理学史 I・II』 培風館〈新物理学シリーズ〉, 1968。翻訳、A.K.スミス『危険と希望 アメリカの科学者運動 1945-1947』 みすず書房, 1968。
1970 編著『科学史のすすめ』 筑摩書房, 1970
1971 『転機にたつ科学
近代科学の成り立ちとゆくえ』 竹内啓 中公新書, 1971。翻訳、スコーンランド『原子の歴史 ドルトンから量子力学まで』 常石敬一共訳
みすず書房, 1971。
1973
日本大学理工学部教授に就任。『科学の社会史 近代日本の科学体制』 中央公論社〈自然選書〉, 1973 / 岩波現代文庫(上下), 2002-03。翻訳、サジ・カルノー『熱機関の研究』 みすず書房, 1973、新版1980、2020。翻訳、ヘンドリック・ローレンツ『電子論』 東海大学出版会, 1973。
1975 死去。編著『思想史のなかの科学』 伊東俊太郎・村上陽一郎 木鐸社, 1975、改訂版 廣池学園事業部, 1996 / 平凡社ライブラリー, 2002
1979 『近代科学再考』 朝日新聞社〈朝日選書〉, 1979 / ちくま学芸文庫, 2008
1980 『広重徹科学史論文集1 相対論の形成』 みすず書房, 西尾成子編
1981 『広重徹科学史論文集2 原子構造論史』 みすず書房, 西尾成子編
◎広重徹『戦後日本の科学運動』
第1章 窮乏と鎖国の時代
第2章 暗い谷間の時代
第3章 再編成と試練の時代
第4章 理工科ブーム時代
第5章 民主主義科学者協会
第6章 素粒子論グループ
第7章 原子力と科学者
本文……
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