はじめによんでね!

富の価値

Value of Welth

池田光穂

★★★★★……共同団体の目的,個人の目 的は——生産の条件と同様に——これらの 一定の生 産諸条件の再生産であり,また個々別々の個人だけでなく,社会的な分離と 関連とにおける個人の——これら諸条件の生きた担い手としての——再生産 である.資本は,富そのものの生産を,したがって生産力の普遍的発展を,資 本の現存する諸前提のたえまない変革を,資本の再生産の前提として措定す る.価値は使用価値を排除するものではない.したがって消費等,交易等の 特殊な種類を絶対的条件としてふくむものではない.そして同様に資本にと っては,社会的生産力,交易,知識等の発展の程度はすべて,克服につとめ るべき制限としてだけ現れる.資本の前提そのもの——価値——は,生産物 として措定されているのであって,生産の上方にうかんでいるより高い前提 として措定されているのではない.資本の制限は,このいっさいの発展が対 抗的におこなわれるということ,生産力,一般的富等,知識等は,労働する 個人自身が自己を譲渡する(entauBert)というようなかたちでつくりだされ るということ,すなわち労働する個人が彼によってっくりだされたものにた いして,彼自身の宮の諸条件としてではなく,他人の宮と彼自身の貧困の諸 条件として関係するというようなかたちでつくりだされるということであ る.しかしこの対抗的形態それ自身は,消滅するものであり,それ自身を止 揚する現実的諸条件を生産する.結果はこうである.すなわち,その傾向と 可能性(ギリシャ語)からみての生産力——富一般——の,基盤としての一般的発 展,また同様に基盤としての,交易の普通性,したがって世界市場.個人の 普遍的発展の可能性としての基盤,および諸個人の制限——それは制限とし て意識されているのであって,聖なる限界(heilige Grenze)とはみなされな い——の不断の止揚としてこの基盤から発する個人の現実的発展.思惟され たり,または想像されたりしたものとしてではなく,個人の現実的および観念 的諮関連の普遍性としての個人の普遍性.したがってまた,彼自身の歴史を ーつの過程として理解し,また〈同様に彼にたいする突践的な力(praktische Macht)として現存する〉自然、を彼の現実的肉体(Leib)として知ること.発 展の過程そのものは,過程の前提として措定され,意識されている. ……ノートV 478ページ

リンク

  • ++
  • 経済学批判要綱(Grundrisse)』▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎
  • 文献

  • 『マルクス資本論草稿集 1 1857-58年の経済学草稿 第1分冊』、資本論草稿翻訳委員会訳、大月書店、1981年 ISBN 4-272-10011-4
  • 『マルクス資本論草稿集 2 1857-58年の経済学草稿 第2分冊』、資本論草稿翻訳委員会訳、大月書店、1993年 ISBN 4-272-10012-2
  • マルクス『経済学批判要綱(草案)』全 5巻、高木幸二郎監訳、大月書店、1958-65年
  • その他の情報


    Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099