はじめによんでね!

わたしの『がきデカ』論

On Tatsuhiko Yamagami's JAPA-Comic work entitled "Gaki-deka (Kids detective)," 1974-1980

池田光穂

ウィキペディアの調書によるとがきデカの プロフィールは次のようなものである:「日本初の少年警察官。東京都練馬区在住。最寄り駅は保谷駅。 高島平近辺に所在するらしい、警視庁ねこ自慢警察署所属。名前の由来は、「小さなおまわり(巡査)」から。連載当時は苗字は不明であったが、『中春こまわ り君』で「山田こまわり」と判明する」がきデカ).

私のがきデカは、大学生時代(1976- 1980)に下宿のあった鹿児島市唐湊(とそ)にあった学生向け食堂で毎日読んでいた漫画週刊誌『少年 チャンピョン』のそれである。内容はというと、スラスプティックギャグのオンパレードで、家族のとしえと義一のほかに、西城くん、モモ子、ジュンちゃん、 福島くん、亀吉、あべ先生、モモ子とジュンちゃんの母などの人間に加えて、犬の栃の嵐や、その息子の栃の光、や練馬変態クラブ(これは『新喜劇思想体系』 からのスピンオフ風)などの変なキャラが満載で、ひたすら、ギャグを連発する。ばかばかしいのだが、それでいて面白い。読み終わるとまた、次の回を見たく なるという不思議な嗜癖作用のある作品である。

『がきデカ』のファンなら、その作品の面白さは、ほとんど意味のない一発ギャグの満載にあることには、誰も異 論がないだろう。いまだったら、世間の良識からみて憚られるものが満載である。

すなわち:死刑、アフリカ象が好き、八丈 島のきょんっ、おんせんこけし、くさやのひもの、はかた人形、ねこ式算数、どうぶつ時計、阿波おどり、 鶴がくる、練馬名物股座納豆、ぺぽかぼちゃ(と倉田まり子)、おりんさん、んぺ と、んが、ばっ、じわあ〜っ、禁じられたゼットォ〜ッ、とてもめずらしいニホンカモシカのオシリ、オシリ段ちがいっ、にゃおんのきょうふ、これぞのら犬の かがみぃ〜っ、白熊白吉先生の北極講座、あっはーん うっふーん あははーん、くまかかかかか、ねこ自慢、佐渡タライ舟、白クマ黒クマ、わき毛、よいこのいぬはんまあっ、銀座ワシントン靴店社長の顔、ああ〜っイオマン テェェ〜っ、など

じつは山上作品に触れたのは『新喜劇思想 体系』からで、僕の山上は、地球防衛軍や光る風など時代を前後する作品を往還しながら、山上の作品に心 酔した。1980年暮れに実質的に連載が終わり、私の山上ブームは完全に余業におわった。山上龍彦が、小説家になったからである。

じつは、大学生という青春時代のもうひと つのエポックは諸星大二郎の一連の作品であり、その頂点に位置するのが、『孔子暗黒伝』やマッドメンシ リーズである。こちらは、現在の本業である文化人類学や宗教人類学のアイディアと学問的想像力に、リアルなノンフィクションである民族誌の読解よりも前 に、刺激をうけまくった。だが、こちらのほうは、純粋にこのものがたりは、悲しき熱帯ならぬ『悲しき未開人』の運命を暗示して、いまでも、読み返すが、そ れは自分に学問の切なさを掻き立てる図像表象にほかならない——中世の民衆の「地獄絵」のようなもの。たしか、随分後になって漫画論としては出色の封建主 義者・呉智英先生が、その作家その人である諸星大二郎と共演か、それとも一人かで京都のまんが博物館でトークショーをした時に、諸星ファンの一人として参 加したような記憶がある。

それにくらべると、主人公がきデカのとん でもないピカレスクと最後はなぜか因果応報、勧善懲悪なテイストも含まれながらも、悪ふざけの応報を得 るところが、物語の教訓ではなく、たんなる、デウス・エクス・マシーナのごとく「チャンチャン」というお囃子の入るコントとして突如終焉を迎える虚無感が なんともいえず、すがすがしい。時間の完全な空疎な消費、それでいて虚しくない。これは最高ではないか?あるいは、最高だったのではないか?と思う。

2009年に復活し、文藝の別冊『山上たつひこ』に収載されているが、な んども読んだはずだが、記憶に残っていない。それは、僕の青春が戻らないのと同じである。あるいは、言い方を替えると、自分の青春が記憶に復活するのは、もう、死ぬ前だけにしてほしいと思うのだ。

『がきデカ』のような、唐突で、どうしよ うもない恥知らずな終焉、それは、人生酔狂、不真面目こそが我が人生の特権だが、その精神的領域にまだ 到達できない自分は、まだまだ修行が足らないのとおもうのだ——節操のなさが修練によって獲得できるものとして……

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