今村豊
Yutaka IMAMURA, 1896-1971
1896 年9月18日に、長崎県長崎市生まれ。以 下の情報は「楢 崎修一郎・人類学のススメから」
n.d. 第五高等学校(熊本)
n.d 京都帝国大学医学部
1921 京都帝国大学医学部卒業、京都帝国大学医 学部外科学教室副手。
1922 9月に足立文太郎[1865-1945] の元で解剖学教室助手に就任し
1924 2月には京城医学専門学校講師に就任。3 月ドイツへ留学(留学後は、新設予定の京城帝国大学医学部に赴任する約束で留学した)
1926 4月ドイツ留学中だが、京城帝国大学医学 部助教授に昇任。5月帰国。
1928
4月には、京城帝国大学医学部解剖学第3講座教授に
就任。解剖学第3講座の助教授は、京城帝国大学医学部出身の島五郎[1906-1983]が就任しました。ちなみに、京城帝国大学では、解剖学第1講座の
上田常吉[1887-1966]も人類学研究を行っていた
1938 10月に京城帝国大学医学部長に就任(〜 1940年10月)
1945 京城帝国大学に大陸資源科学研究所が創設 され、その初代所長を兼務する。
「今村豊の研究は、半島や大陸での出土人骨や生体計
測を多く行っています。実際、半島では約300体・旧満州では約100体・モンゴルでは約200体・ニューギニアでは約70体の、合計約700体もの人骨
を収集しました。しかし、これらの人骨は、すべて大学に置いて内地に引き揚げたそうです」
12月帰国。博多引揚援護局検疫所長や佐世保引揚援護局検疫所長に就任。
1947 12月に、広島県立医科大学講師(現・広 島大学医学部)に就任
1948 9月には、広島県立医科大学解剖学教授に 就任:
「この広島県立医科大学解剖学教室には、後に京都大
学教授となる人類学者・池田次郎や明治大学教授となる文化人類学者・蒲生正男[1927-1981]も教室員として在籍しています。蒲生正男の就任は、京
城帝国大学法文学部出身で後に東京大学東洋文化研究所の教授となる文化人類学者・泉 靖一[1915-1970]の推薦によると言われています。」楢
崎修一郎「人類学のススメ」)
1952 4月には、新潟大学医学部解剖学第1講座教授に就任
1956 「還暦を迎えて」(新潟大学医学部解剖学教室『人類学輯報』第18輯)
1959 4月に三重県立大学医学部(現・三重大学医学部)解剖学第1講座教授に移籍
1961 三重県立大学医学部長
1962 学位論文金銭授受事件により、3月に退官。
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