フリースピーチ
Free Speech
みなさん、フリースピーチという社会運動をご存じですか?
1964年ごろからカリフォルニア州バークレーのカリフォルニア大学ではじまったものです1)。フリースピーチは自由な発言の公共空間です。そこでは、みんなが思 い思いの主張を自己の責任において発話します。そして、聴衆もまた、自己の責任においてその主張に論戦を挑みます。
インターネットは我々にとって重要な情報のリソースですが、同時にさまざまな人の意見を知る こともできます。ということは、いわずもがな、ウェブ空間は巨大なフリースピーチの公共圏であるということができます(言語による壁はもちろん存在す る)。
このような主張は、すでにお気づきの人には、いまさらなんの意義もないかもしれませんが、イ ンターネットに対して、そのアイディアをもっていない人には、意外な盲点ではないでしょうか。
我々はただ漫然とインターネットを眺めているのではない。ある偏った——そして決して普遍的 なものには還元できない——無反省的な自然的態度もってネットを眺めているのです。我々がネット・サ〜フィンをおこなっている際に感じる、当惑・混乱・激 怒・爆笑はそこに由来するのです。
サイバー人類学の扉をひらく
1) フリースピーチは、1964年9月に大学が学生の政治活動を制限する方針を打ち出した ことにたいする柔らかい抵抗運動からはじまりました。しかし、大学当局はこの年の12月に警官隊を導入し、多数(800名と言われる)の学生を逮捕しまし た。これがアメリカの60年代の学生運動のはしりであると言われています。
「イエス、ベタニヤに在して、癩病人シモンの家にて食
事の席につき居給ふとき、或女、價高き混なきナルドの香油の入りたる石膏の壺を持ち來り、その壺を毀ちてイエスの首に注ぎたり。 4
ある人々、憤ほりて互に言ふ『なに故かく濫に油を費すか、 5
この油を三百デナリ餘に賣りて、貧しき者に施すことを得たりしものを』而して甚く女を咎む。 6
イエス言ひ給ふ『その爲すに任せよ、何ぞこの女を惱すか、我に善き事をなせり。 7
貧しき者は常に汝らと偕にをれば、何時にても心のままに助け得べし、されど我は常に汝らと偕にをらず。 8
此の女は、なし得る限をなして、我が體に香油をそそぎ、あらかじめ葬りの備をなせり。 9
まことに汝らに告ぐ、全世界いづこにても、福音の宣傅へらるる處には、この女の爲しし事も記念として語らるべし』」(マルコによる福音書 14:3-9)
En 1968, en Los Agachados –sucesora de Los Supermachos– se hizo el
recuento del movimiento estudiantil, tres semanas antes de la masacre
del 2 de octubre.
鎮忘斎垂水源之介の森 |
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099