全文コーパス用:テスト画面(→はじめによんでください)
〈ア
メリインディアン・植民地期の挿絵〉
ア
メリインディアン(amerindian) と
は、新大陸であるアメリカ(合州国のことではなく、南北両米大陸のこと)の先住民のことをさす。アメリカインディアン(america
indian)の短縮形とも考えるが、多くの文脈では、北アメリカ先住民の――アメリカ合州国のテリトリー内の
――ことをさすために、このような呼び方が代替的に使われてきたようだ。OEDには、amerindian の同義の名詞あるいは形容詞として
amerind と使われているとの指摘があり、同辞書によると20世紀の初頭からであるという。その用例は、……(続きはこちら)
___________________
レ
ヴィ=ストロース『今日のトーテミスム』
- 序論
- 第1章 トーテム幻想
- 第2章 オーストラリアの唯名論
- 第3章 機能主義的トーテミズム
- 第4章 知性へ
- 第5章 心の中のトーテミズム
___________________
「論
理の法則は、結局は知的世界を支配するものなのだが、その本性によって、本
質的に不変易なものであり、すべての時代、すべての揚を通じて共通であるのみならず、また、われわれが現実の主体、架空の主体と呼び分けているものの間で
さえもすこしの差別もなく、すべてのいかなる主体にも共通である。実は、論理の法則は、夢の中においてまで守られている」——オーギュスト・コント実証哲
学講座第52章。
___________________
同
様にして、絵画における非独創的な学校派が枕を高くして寝られ
るためには、エル・グレコがある種の世界の表象法
に対して異議を申したてる資格のある健全な存在であってはならず、かれは不具者であり、かれの描く細長い像は、ただ、かれの眼球が崎形であることを
証明しているにちがいないことが必要であった。この揚合も、前の揚合同様、もしそれが
一文化様式だと容認されれ普遍的な価値が与えられてきた他の様式がただちに特異なものとされてしまうような文化様式は自然という秩序の中に固めこんでし
まったのだ。ヒステリー患者ないしは革新的画家を異常者とかれらはわれわれとは関係がなく、かれらが存在しているという事実だることによって、人々は、
けでは従来の社会的、道徳的、身に許していたのだ。
【機械判読用テキスト】
《:::論理の法則は、結局は知的世界を支配するものなのだが、そ
の本性によって、本質的に不変易なものであり、すべての時代、す
べての揚を通じて共通であるのみならず、また、われわれが現実の
主体、架空の主体と呼び分けているものの間でさえもすこしの差別
もなく、すべてのいかなる主体にも共通である。実は、論理の法則
は、夢の中においてまで守られている。:::》
ォーギ品スト・コント
実証哲学講座第五十二課
序
論
トl テミスムは、ヒステリーの揚合に似ている。いくつかの現象を勝手に取り上げ、それだけを
集めてこれをある病気あるいは一つの客観的な制度と診断を下すことを許す徴候と見なしてよいも
のであろうか、という疑いをひとたび心に抱いたとき、これら徴候自体が消え去ってしまい、ない
しは統一を求めようとするもろもろの解釈に逆らうこととなった。《大》ヒステリーの揚合、人は、
このような変異が社会の進展の一つの結果であり、社会の進展が精神障碍を象徴する表現ときに、
を肉体の次元から精神の次元に移したのだ、と説明する。しかし、これをト1 テミスムとあわせて考
序
察するとき、学問的理論と文明の状態との間にもう一つ違った関係のあることが示唆される。つま
り、そこには学者たちの精神が、研究の対象となっている人々の精神と同じ位、あるいはそれ以上
に介入しているようだ。あたかも、学問的客観性というかさをかぶって、学者たちが無意識のうち
にこれらの人々を||精神病患者にせよ、いわゆる《未開人》にせよ||実際以なっているとしようとしているかのようだ。ヒステリーの流行とトl
テミスムの流行とは時を同じ
ラ 論
6
くしている。ともに同じ文明的環境において誕生した。そして、
た数奇な運命は、なによりもまず十九世紀末、いくつかの人間現象を切り離して、
という形に|!と言いたいところなのだろうが||まとめようという、科学のいくヲもの分野に共
これら二つの流行が平行して辿っ
一づの《自然》
¥_
通の傾向によって説明される。学者は、自分たちの精神界に対してやましさを感じないようにと、
これらの人間現象がその外にあると考える方を好んだのだ。
シャルコのヒステリー理論に対するフロイトの批判がもたらした第一の教訓は、健全な状態と精
神病の状態との聞には本質的な違いは存在していないこと、前者から後者への移行とは、せいぜい、
だれもが自分自身について観察することができるような一般的な操作の進行過程においである変化
が生ずるだけであること、したがって、患者が根源的にはあらゆる個体の歴史的発展にほかならな
いものの退化ーーその性質はあまり重要ではなく、形は偶有的、定義という点では客観性に乏しく、
しかも、すくなくも原則として一時的な退化ーーによってかろうじてわれわれと区別されるのであ
ってみれば、患者は、要はわれわれの兄弟にすぎないことを納得させたことであった。精神病患者
のうちに、たぐい稀な特異な存在、遺伝、アルコール中毒、あるいは精神薄弱といった外的、内的
宿命の客観的な所産を認める方が、ずっと気のらくなことであった。
アカJア若男ム
同様にして、絵画における非独創的な学校派が枕を高くして寝られるためには、エル・グレコが
ある種の世界の表象法に対して異議を申したてる資格のある健全な存在であってはなちず、かれは
-,
不具者であり、かれの描く細長い像は、ただ、かれの眼球が崎形であることを証明しているにないことが必要であった。この揚合も、前の揚合同様、もしそれが
一文化様式だと容認され普遍的な価値が与えられてきた他の様式がただちに特異なものとされてしまうような文化様式自然という秩序の中に固めこんでしまった
のだ。ヒステリー患者ないしは革新的画家を異常者かれらはわれわれとは関係がなく、かれらが存在しているという事実だることによって、人々は、
けでは従来の社会的、道徳的、
身に許していたのだ。
あるいは知的秩序が脅かされることにはならないと思いこむ賛沢を
序
ト1
テミスムという幻影を生んだ思弁の中にも、同様な動機の影響、同様な思考過程のあとめられる。なるほど、もはや自然は直接には問題となっていないハもっと
も、先に見るように《本能的》態度ないしは《本能的》信仰に訴える場合がしばしばあるが:::〉。しかし、かナトウール・フ品ルカー
しもづねに社会集団のうちのあるものを自然か中P投げ斥けはしないまでも(自然民族というこ
とばがその良い例証となっている態度てすくなくとも動物の系列の中で人間に与えられてい置、および生殖の機構に関する知識の有無(つまり無知であるという
想定)によって表明さな自然に妙わか態度に応じて社会集団を分類することにおいて、トーテミズムという観念は、社会
集団をほとんど同じように徹底的に区別するのに貢献することができた。したがって、フレイザー
がトl テミスムと生理的父性に関する無知とを結び合わせたのも偶然のしからしめるところではア
論
ぃ。トl テミスムという考えは人聞を動物に近づける。そして懐妊における父親の役割につい8
無知という主張は、父親をもっと自然の力に近い精霊によって置換するまでに至る。この《自然偏
向》は、文化のふところの中でさえ、未開人を文明人から区別することを許す試金石となりしたがって、正常な成人の白人の思考様式を無戒のままに保持し、同
時にこれを根拠づけるには、もろもろの慣行や信仰を自分の時外に集めてll ほんとうは、それぞれまことに質を異に
すみものであり、また分離するのもむずかしいのだが||われわれの文明をも含の中に存在し、働いていることを認めねばならないとしたら、もっと有害なもの
となるおそれのあ
る諸観念が、そのまわりに集まって一つの力のないかたまりとなって結晶するようにするほど都合
のよいことはなかった。トl テミスムという考えは、まず、キリスト教的思考が本質的なものと考
える人間と自然との間の非連続性という注文と両立しない精神的態度を、いわば悪魔放いをする
ようにして、われわれの宇宙の外に投げ出すものであった。つまり人々は、キリスト教的思考に惇
る要求を、文明人がll 自然のみならず第二の自然からも解放されようというむなしい希望のもと
に||自分自身辿ってきた発展の《原始的》ないしは《始源的》状態をもってみずからあっらえた
《第二の自然》の一属性と見なすことにより、キリスト教的思考の価値を確認しようと考えたのトl
テミスムの揚合には、西洋の主要宗教の中になおその観念が存続しているいけにえが、同種
、類の難点を提していただけに、いっそう時宜を得ていた。いけにえは、いけにえに供せられるもの
が動物であろうと植物であろうと、あるいは生命をもったものの如くに扱われている物体であろう
と、いかなる揚合でも、それを殺し、ないしは破壊することがいけにえという形をとった揚合にのみ
意味があるのであってみれば、祭式施行者と神といけにえに供せられるものとの間には本性に基づ
く連帯関係があることを意味している。したがって、いけにえという観念は、これまた、その中に
動物との混同の蔚芽をはらんでおり、これは、さらに、人間を越えて神性にまで及ぼされかねない。
いけにえとトーテミズムとを結び合わせることによって前者を後者の遺物ないしはなごりと説明し、
そうして、いけにえという観念の裏づけとなっている信仰から、生きた、実際に活動的な観念の持
ちうるすべての不純なものを取り除いて、これら信仰を無力なものとする途を見いだしたのだ。あ
いけにえという観念を解体して、起源も意義も異なる二つの類型を,区別するいは、すくなくとも、
る。
*
序
以上の考察はトーテミズムという仮説のいかがわしい性格をいきなり強調するものだが、その奇
異な運命の理解を助ける。というのは、この仮説は異常な速さで広がり、民族学、宗教史の全野を
席巻したからだ。ところが、今日われわれは、この仮説の破滅を予告する徴候がほとんどその全盛
期に現われていたことに気づく。この仮説は、それがもっとも堅固にうちたてられていたと見えた
とき、すでに崩壊し始めていたのだ。
9 論
IO
『トーテム問題の現状』という著書ll 博識と不公平さ、ときにはさらに理解カの欠如が、理論
上の大胆さと稀に見る精神の自由奔放さに結びついた奇妙な混合ll の中で、グァン・ジa ネップ
は一九一九年四月に書かれた序文を次のように結んでいた。 トーテミズムは、すでに数多くの学者たちの知恵と才知とを鍛えた。しかも、まだ長年の間変
らないと信ずべき理由がいくづかある。
この予報がなされたのは、フレイザ1 のぼう大な著述『トーテミズムと外婚制』が発表された数
アγトロポス
その数年の問、国際雑誌「人間」がトーテミズムに関する常設欄を設け、それが各年後であり、
号で重要な位置を占めていたことを考えると、この発言は説明がづく。しかし、グァン・ジェネッ
プの著述は、これ以上まちがうことはむずかしかったろうと思われるほどの誤解を含んでいた。ト
1 テミスムという問題に捧げられた最後の総合的労作となるが||そしてその点でこの著作はいま
だに不可欠のものだがll 、継続されるべき総合的研究の第一歩と言われるにはほど遠く、むしろ、
トl テミスムに関する思弁のグ白鳥の叫びd ともいうべき絶作であった。そして、グァン・ジェネ
ァプが軽蔑をこめて斥けたゴールデンワイザ1の初期の労仇ωの線に沿って言つまずたゆまず続けら
れたトーテミズム解体の企てが、今日勝利を博しているのだ。
:;一、: sdc - Erg -JbFTarSERHNH
一九六O年・に着手したわたしの仕事にとって、一九一O年という年は好都合な出発点を提供する。
Fちょうど半世紀のへだたりがあり、しかもこの年に、頁数においてまことに均衡に欠けた二冊の著
作が発表されたのだ。しかし、結局、ゴールデンワイザ1ωの百十頁の方が、総計二千二百頁を数
えるアレイザ1 の四巻よりも永続する理論的影響を及ぼすことになる。フレイザーが、当時知られ
ていた事実をすべて蒐集して発表し、トーテミズムを体系として樹立し、その起源を説明しようと
したのと同じときに、ゴールデンワイザl は、氏族組織、動植物の名あるいは標識の各氏族への配
付、氏族とそのトーテムとの間の親族関係に対する信仰という三つの現象は、輪郭が合致する揚合
は数すくなく、そのうちの一つの現象が認められでも他の現象が認められないこともありうるのに、
これら三現象を重ね合わせることが許されるだろうか、と抗議していたのだ。
たとえば、トンプソン川のインディアンは、トーテムは持っているが氏族はなく、イロクォイ族
には動物の名の氏族があるが、これらの動物はトーテムではない。また、氏族に分れているユl カ
ギ1 ル族の宗教的信仰では動物が重要な役割を果しているが、個人のシャl マンを介してであって、
社会的集合体を通してではない。いわゆるトーテミズムを絶対的に定義しようという努力はすべて
序 論
むなしい。せいぜい言えるのは、トーテミズムは、独特なものとも言えない要因の偶有的な配列に
II
*
巻末の引用文献リスト参照。ハ以下すべて原註》
I2
いくつかの例において経験的に観察しうる特徴の集合体だが、集
合によって独自の特性が生じてくるようなものでもなく、また、社会的性格を持った対象と言える
存する、ということだ。それは、
ような有機的な総合でもない。
ゴールデンワイザーによる批判ののち、
ロl ウィl の『未開社会』の仏訳では、まだ八頁がトーテミズムに当てられている。
アメリカの概論書がトーテム問題に与える位置は年とと
もに減少した。
まずアレイザ1 の企てを糾弾し、ついでゴールデンワイザ1 の初期の考えを要約し、これに同意を
示している(とは言っても、トl テミスムを《情緒的価値の社会化》だとするかれの定義はあまり
にも野心的であり、一般的すぎるという制限づきだが:::。たとえば、プインの原住民が自分たち
のトーテムに対してほとんど宗教的と言えるような態度を示しているとしても、西オーストラリア
のカリエラ族のトーテムはいかなる禁忌の対象でもなく、崇拝の対象ともなっていない)。しかし、
ロl ウィ1 は、ゴールデンワイザーを、かれが.部分的にはその懐疑的態度を改めてトl テミスムと
氏族組織との聞に一種の経験的関連があると認めたことを特に非難する。からす、ヒダッツア、
グロ・グアY トル
大腹、およびアパッチの諸族にはトーテムの名を所有しない氏族があり、アランダ族は氏族と
は異なったトーテム集団を持っているではないか。そして、ロl ウィーは次のように結論を下す。
トーテム現象が現実のものであることを立証しようという目的のために費された考証と洞察力
zi1961IPi
--a
li1i
;lei
-
emul -- n 袖EhrrμUHue“”柑日回目釘H
にもかかわらず、わたしはこれが立証されたとは納得できない、と宣言する。ハ一五一頁)
爾来、決済への歩みは早まる。クローバーの『人類学』の二つの版を比較してみるとよい。
九
二三年の版は、まだ参照個所が多いが、社会組織の方、法としての氏族および半族と象徴的体系とし
者の聞に必然的な結びつきはなく、
かろうじて問題が取り上げられているにすぎない。この両
せいぜい問題を未解決のままに残す事実上の結びつきがあるだ
てのトーテミズムとを区別するために、
けだと言っている。しかし、一九四八年の版は八五六頁にもわたるものであるのに、もはやその索
引は11 三九頁を数えるものだが||ただ一ヶ所だけ参照個所を指摘じているにすぎない。それも
中部ブラジルの一小部族カネラ族についての挿入的な註だ。
論
::第二の半族組織は:::婚姻に関するものではない。それはトーテムに関するものだ。言い
ある種の動物ないしは自然の事物が、各半族を象徴的に表象する役を演じている。かえれば、
序
ハ三九六頁)
13
ロ1 ウィ1 に戻ろう。『文化人類学入門』ハ一九三四年〉の中で、かれは半頁でトーテミズムを論己、
I4
原始社会学に関するかれの第二の概論『社会組織』(一九四八年〉では、ただ一度だけ、しかもシュ
ミット神父の立場を説明するために、行きがかり上《トl テミスム》ということばを使っている。
一九三八年、ポアズは、弟子たちの協力をえて執筆した七一八頁の概論『一般人類学』を発表す
る。トl テミスムに関する論争はグレディス・レチャl ドの手になる四頁に収められているが、こ
トl テミスムという名の下に人々は質を異にする現象を蒐集したと指摘している。名や
標識の類集、人間以外の存在との超自然的な関係に対する信仰、食事に関するものであることもあ
るが、かならずしもそうとは限らない禁忌〈たとえばサンタ・クルスでは草の上を歩くこと、おわ
んで食べることの禁忌、また、ォマハ・インディアンにおける野牛の角や胎児、さらには炭、緑青、
ある種の昆虫、のみ、しらみ等の虫にふれることの禁忌)およびいくつかの外婚制規則。これらの
現象は、あるときには親族集団、あるときには軍事的ないしは宗教的団体、あるときには個人に結
の論文は、
びつけられている。要するに、
トl テミスムを完全に度外視しようとするには、:::人々はあまりにも多くこれについて書き
すぎた。:::しかし、
はあまりにも表面的だし、 トーテミズムの現われ方が世界の各地ごとにあまりにも多様で、その類似
これらの現象が、現実の血縁、あるいは想定された血縁とは関係のな
い状況において現われてくることがあまりにも多いので、すべてを唯一の類型の中にいれるこ
は絶対的に不可能だ。ハ四三O頁〉
『社会構造』〈一九四九年〉の中で、マードックはト1テミスムという問題を取り上げない乙とを
みずから弁解して、これが形式的構造の次元ではまず介入してこないことを指摘している。
:::社会的集合体が名を持たねばならないものとしても、動物の名がほかのものの名より使わ
れ易いといおっことではない。ハ五O頁)
リントンの珍奇な研究が、かつてはあれほど論争の的となったこの問題に対して、
者の関心がますます薄れていくのに貢献したことはたしかだ。
アメリカ入学
論
第一次世界大戦の問、リントンは第四十二師団に配属されていた。《にじ師団》だが、それは数多
くの州から派遣された部隊を総合していたため連隊旗がにじの色ほどにもさまざまだという理由か
ら、司令部が勝手につけた名であった。しかし、師団がフランスに到着した-ときから、この名称はZ
ラ 序
通に使われることになった。「君はどの部隊だ」と聞かれると、兵士は「にじ師団員」と答えていた。
一九一八年の二月頃、づまり師団にこの呼び名が与えられてから五、六ヶ月たった頃には、にじ
16
が出るのはこの師団にとって吉兆だと一般に認められていた。さらに三ヶ月のちには、ー!気象条
件がそれを許さないときでも||』師団が出動する度ごとに、にじが見えたと人々は主張するように
なった。
一九一八年五月、第四十二師団は第七十七師団のかたわらで作戦を展開した。第七十七師団は自
由の女神を標識とし、その像で絡霊を飾っていた。にじ師団は、隣の師団にならったには違いない
が、同時に隣接師団との違いをあきらかにしようという意図から、同じ習慣を採択した。特別な徽
章・を着けることは、一元来、敗北を喫した部隊に罰として課せられるものと信じられていたにもかか
わらず、八、九月頃には、にじを象った徽章の着用が師団員全般に普及していた。こうして、大戦
が終ったときには、アメリカからの派遣寧は、《はっきりと限定され、おうおうにして互一いにそね
み合い、それぞれ独自の考えと習慣をもったいくつかの集団》ハ二九八頁〉によって組織されていた著者は、(一〉自分たちの個性を意識した集団への分裂、ハ
ニ〉それぞれの集団の動物、事物ないし
は自然現象の名による命名、会一)自己の集団外の者との会話におけるこの名の呼び名としての使
用、(四〉共用の武器ないしは斡重に記すための、あるいは個人的装飾としての標識の使用と、それ
に対応して、その標識を他の集団が使用することについての禁忌、(五)《守護者》およびその具形
的表象に対する長敬、公ハ)守護者の果す保護という役割、また守護者の予言的価値に対するした信仰を列挙している。
《未開の住民の間で調査にたずさわりながらこのような状態に遭遇したとき、
よぴ慣行の総体をトーテム複合に結びつけるのに爵践するものは、実際にはいない。:::なるほどこの揚合、オーストラリアないしはメラネシアの高度に発達
したトl テミスムと比較するときに、
このような信仰お
その内容はまことに貧弱なものだが、北米の部族のトーテム複合と同じ位内容豊かなものだ。ほ
ん
とうのトlテミスムに比して主要な違いは、婚姻規則の欠如と、トーテムとの出自関係ないしは単
なる親族関係に対する信仰の欠如だ。》しかし、このような信仰は、ト1テミスムそのものよりは、
むしろ氏族組織に関係がある。なぜなら、トl テミスムとかならずしも並存するものではないから、
とりントンは結論している。
*
これまで取り上げた批判はすべてアメリカ人のものだが、わたしがアメリカの人類学に特別な位
置を与えているというわけではなく、トーテム問題が、まずアメリカ合衆国で崩壊し始め、アメリ
論
カ合衆国で執劫に崩壊の道を辿ったのは歴史的事実だからだ(のちにふれるタイラ1の予言的な数
頁はあったのだが、反響なしに終った〉。これがただ単なるアメリカ圏内での発展にとどまらなか
ったことを納得するには、イギリスにおける諸観念の進展に一べつを投ずれば十分であろう。
一九一四年、トl テミスムのもっとも有名な理論家の一人W ・H ・R -リグァl ズは、これを三
17 序
要因の合着で定義していた。一ヲは社会的要因||ある動物種ないしは植物種、あるいは一個ない
I8
しは一群の生命をもたぬ物体と、共同体中の特定の一集団、その典型的なものとしては一つの外婚
制集団あるいは一氏族との結びつき。もう一つは心理的要因l !集団の構成員とその動物、植物な
いしは物体との聞の親族関係に対する信仰。これは、往々にして、その集団が出自関係によってこ
れらのものから生じたという考えによって表明される。最後は儀礼的要因||動物、植物ないしは
物体に対して示す畏敬は、典型的には、これらの動植物を食べたり物体を使用したりすることは、
ある制限のもとにのみ許されるということによって表明される。(りグァl ズ第二巻七五頁〉
現代のイギリス人人類学者たちの考えはのちに分析し、論ずるので、ここではただ、
の説に、まず、普通使用されている教科書を対比してみよう@
リグァ1ズ
《トーテミズム》といおっことばは、人間と自然種あるいは自然現象との聞の、信じがたいほど
多様な関係に適用されたことが分る。したがって、しばしば試みられたことだが、トーテミズム
の満足すべき定義に到達す右ことは不可能だ。:::トーテミズムの定義は、すべて、あるいは、,
あまりに特定すぎていて通常《トーテム》という名で呼ばれている体系さえ数多く排除していた
り、あるいは、あまりに一般的すぎてこの名で呼ばれるべきではない種々の現象まで包含してい
たりする。ハピディングトンニO三t ニO四頁)
ローヤル・アγヲロポRJシカル・ィγ スチチユl ト
つぎに、王立人類学研究所が出版した所員共同の著述『人類学調査要項』の第六版(
ヨγ セγサス*
九五一年)の中で表明されている最新の定説がある。
もっとも広い意味では、次の場合にトーテミズムを語ることができる。(一〉部族ないしは集
(トーテム)集団から成り立ち、住民の総体がこれらのトーテム集団に分れ各集団が一群の動植物種、または無生物ll トーテムi
!といくつかの関係を持っている。(ニ)
社会的集合体と生物ないしは物体との聞の関係が、一般に、すべて同じ型のものである。(三)
団が:::いくつかの
ある集団の成員は、だれもハ養子のような特別な揚合を除いては〉帰属を変えることができない。
以上の定義に三つの補足的条件が加えられている。
論
:・トーテム関係という概念は、そのような関係がその種に属する一個体とその集団の一員と
の聞につねに認められるということを意味している。一般に、同一のトーテム集団の所属員は互
序
いに結婚することができない。
19
*
もっともこの文章は、著しい改訂はなしにそれ以前の版から受け継がれている。
20
しばしば義務的行為に関する規則が認められる。:::ときにはトーテム種を食べることの禁止、
ときには特殊な呼びかけのことば、装飾、採識の使用、およびある行為の指定:::。ハ一九二頁〉
この定義はリグァ1 ズの定義よりは複雑で微妙だが、どちらも三つの点から成立している。ただ、
『調査要項』の三点はリグァ1 ズの一二点とは異なっている。第二の点ハトーテムとの親族関係に対
する信仰〉は消え去り、第一と第三の点(自然群と、《典型的には》外婚制の集団との聞の結びつ
き、長敬の《典型的な形》としての食事上の禁制)は、他の条件とともに補足的条件の中に追いや
られている。その代りに、『調査要項』は、原住民の思考において《自然的》および社会的という
二重の系列が存在していること、このこっの系列に属する諸項問の関係の相向性、およびこれらの
関係の恒久性を列挙している。言いかえるならば、リグァ1ズが一つの骨骨を与えようと欲したト
もはや形式しか保持されていない。ーテミスムから、
トl テミスムということばは、ある部族内のいくつかの集団ハ通常は、氏族あるいは単系血縁
集団〉と、いくつかの生物種あるいはいく種類かの無生物との結びつき〈各集団がある一種類の
生物ないしは無生物に結びつけられる〉を特徴とするような社会的組織および呪術・宗教上の慣
163 司自主14lhUL れKH
行の一形体に適用される。ハ向上書〉
しかし、実体を取り去り、いわば肉を取り去ったのちにはじめである観念を保存することを甘受
するというこの慎重さは、制度組織の発案者たちに浴びせたロ1 ウィ1 の次のような一般的警告に
いっそう意義を与える以外のものではない。
ただわれわれの分類の論理様式に由来する幻覚を比較
するのか、を知ることが肝要である。ハロl ウィ1閃四一頁〉
文化的現実を比較するのか、それとも、
*
トl テミスムの具体的な定義から形式的な定義への移行は、実は、ポアズにさかのぼる。一九一
2I
ポアズは司文化現象が一つの単位
に還元できるという考えに異議を申し立てていた。《神話》という観念は、自然現象を説明しよう
とする試みや、口承文芸とか哲学的思弁、さらには言語過程が主体の意識にのぼった諸例を一つの
同じ用語のもとに蒐集するためにわれわれが勝手に用いている思惟の一範噂だ。同様にして、トl
テミスムとは一つの人為的な単位で、民族学者の思惟のうちにのみ存し、その外ではなんらの特定
のものもこれに対応しない。
六年以来、フレイザ1 のみならずデュルケ1 ムをも相手どって、
序 論
.‘
22 トーテミズムを語るとき、たしかに人はニワの問題を混同している。まず、人聞が植物あるいは
動物としばしば同一視されていることによって提出される問題で、人間と自然との関係についての
いくつかのまことに一般的な観点の検討を必要とするもの。これらの観点は、社会および宗教のみ
ならず、芸術、呪術にも関するものである。第二は親族関係に基づいて形成された集団の命名の問
題で、これは動植物に関することばによっておこなわれうるが、ほかにも多くの方、法が見られる。
トl テミスムということばは、これらこっの秩序の聞の符合一致の揚合だけを包含する。
いくつかの社会集団においては、人と動植物あるいは自然の事物との聞に内密な関係を措定しよ
うとするごく一般的な性向が、親族ないしはそのように想定されたものの集まりに具体的な名を与
えるのに貢献している。このような集まりが持続する特異な形で存続するためには、これらの社会
集団は、安定した婚姻規則を所有していることが必要である。したがって、いわゆるトーテミズム
はつねになんらかの形の外婚制を前提としていると主張することができる。この点について、グァ
ン・ジェネップは、ポアズを解釈する際に誤りをおかした。ポアズは、外婚制が論理的・歴史的に
はトl テミスムに先行することを肯定するにとどまっており、trl テミスムが外婚制の一つの結呆
ないしは帰結だとは主張していない。
外婚制自体もニ様に考えられ、ニ様に実施されうる。エスキモーは外婚制の単位を実際の親族関
係で規定された家族に限定する。各単位の内容は厳密に決められているので、人口の増加は新しい
単位の創設をまねく。集団は静態を保ったものであり、内包において定義されているため包容力は
持たず、いわば個人を外部に投出するという条件において存続する。この型の外婚制はトl テミス
ムとは両立しない。というのは、これを適用する社会集団は||すくなくもいま述べたような次元
においては||形式的構造に欠けているからだ。
これに反して、外婚制集団自体が拡大可能な場合には、集団の形は変らずに残る。各集団の内容
が発達するのだ。集団への所属を実際に辿りうる系譜によって直接に定義することは不可能になる。
そこで
一面的出自というような唆味さを許さぬ出自関係の規則
一つの名、あるいはすくなくも出自関係に基づいて継承され、現実の関係の知識のかわりを
_-.・・.
、
する示差的標識
の必要が生ずる。
23
一般原則として、この後者の型の社会は、これを構成している集団の数が漸次減少するのを見る
ことになろう。というのは、人口の増加が一部の集団を消滅させることになるからだ。拡張してゆ
く諸集団の分裂||これが均衡を快復することになるーーを許すような制度化された機構がない限
り、人口の増加はやがてこれら社会をこうの外婚制集団に還元することになろう。それはいわゆる
双分組織の一つの起源でもあろう。
序 論
他方、示差的な標識は、各社会において、内容はそれぞれ異なっていながら、形式的には同じ型
24
のものでなければならない。そうでなければ、ある集団は名で、もう一つの集団は儀礼で、第三の
ものは紋章によって:::定義されることともなろう。もっとも、稀なことはたしかだが、この型の
例も存在し、ポアズの批判が十分深化されたものではなかったことを証明している。しかし、
ズは次のように結論したとき、正しい道を辿っていた。
ポア
::一部族内の社会的区分の示差的標識が相向性を示しているということは、これらの標識の
使用が、分類しようとする傾向の中に起源を持っていたことを証明している。ハポアズω三二六頁)
要するに、グァン・クa ネップが真価を認めるに至らなかったポアズの説は、社会的次元におけ
る一つの体系の形成がトーテミズムの必要条件だ、と措定することに帰する。それゆえに、かれは
体系的な社会組織を持たぬエスキモーを除外し、単系出自関係を要求する(これに双系出自関係を
加えることもできる。これは、組合わせによる前者の発展だが、しばしば、誤って、無差別出自と
混同された)。というのは、これのみが構造を持っている
からだ。
この体系が動物および植物の名に訴えるということは、示差的命名法の一つの特定の揚合であっ
て、いかなる型の表示法が用いられようとも示差的命名法の特徴は存続する。
おそらく、ここで、ポアズの形式主義が的を逸するのだ。なぜなら、もし、かれが断言しているよ
うに、表示された対象が一つの体系を構成すべきものなら、表示法は、完全にその機能を果すため
には、これまた体系的であるべきだが、ポアズが立てた相向性の法則はこのような要求を満足させ
るにはあまりにも抽象的で内容に乏しすぎる。そのような法則は守っていないにもかかわらず、そ
れでもなお、そこで使用されているもっと複雑な示差的格差も同様に一つの体系を形成しているよ
うな社会集団も知られている。遂に、なぜ動物および植物界が社会学的体系を表示するのに特にふ
さわしい語棄を提供するのか、また、表示する体系と表示される体系との聞に論理的にどのような
関係が存在するのかという聞いも提出される。動物界および植物界が使用されるのは、ただ単にそ
こにあるからという理由ではなく、これらの世界が人間に一つの思考法を提供するからだ。人間の
自然に対する関係と社会的集合体の特色づけとの間の結びつきをポアズは偶有的で務意的なものと
考えるが、これがそのように見えるのは、これらこっの秩序の閣の現実の関連が間接的であって、
両者の間に精神が介在しているからにほかならない。精神は、表示体系の中というよりは、むしろ、
一方には種x と種y との問、他方には氏族a と氏族b との間に存在する示差的格差の聞に相同性を
序 論
要求する。
2ラ
アオートナイトpl ・p グ品l
理論的な面でのトl テミスムの発案者が、「動植物崇拝」と題された「隠週誌」の論文に
おけるスコットランド人マックレナンであったことは知られている。この論文には、《ト1 テミス
26
ム、それは外婚制と母系出自関係とを伴った物神崇拝である》という有名なことばがある。しかし、
用語においてまでポアズのものに近い批判と、さらには前節の最後に略述したような推論が形をと
一八九九年、タイラ1 はトーテミズムるには、それから三十年たらずを必要としただけであった。
について十頁の論文を発表した。かれの《評註》があれほど時流に逆らうものでなかったならば、
以前のものも最近のものも含めて数多くのたわごとを回避することもできたであろう@ポアズ以前
トーテミズムの地位と重要さとを評価して、に、タイラーは、
::分類によって宇宙を、汲み尽そうとする人間精神の志向を考慮にいれることハ一四三頁〉
を切願していた。
この観点からすれば、トl テミスムは一一動物種と一氏族との結合と定義することもできる。しか
し、とタイラーはことばを続ける。
わたしが爵跨せずに異議を申し立てるのは、トーテムを宗教の根底においた、ないしはほとん
どそのようにした人々のやり方だ。トl テミスムはそのまま法理論の一副産物と見なされ、原始
宗教のぼう大な背景から離れて、そのほんとうの神学的役割とは比率のとれない重要さを与えら
れることにJなった。ハ一四四頁)
そして、かれは結論する。
トーテムが人類の神学的図式の中で本来与えられるべき重要さに引き戻されるまで:::待。
方がより賢明だ。そして、わたしは、トl テミスムに宗教的次元よりさらに重大な社会学的意
味を与えようとして人々が援用する社会学的考察を詳細に論じようという意図も持っていない。
:・外婚制はトl テミスムなしに存在しうるし、また、事実、存在している。しかし、地球上
四分の三のところで両者が並存しているという度合は、氏族を強固なものとし、氏族問の結び
つきを計り、さらには部族というより大きな集団を形成するためにトーテムの効能がいかに大
いかに歴史の古いものであ、ったに違いないかを示している。ハ一四八頁) 会Cノ\、
論
ということは、自然界から援用した表示体系の論理的効力という問題を提することにほかなら
序
ない。
27
28
第一章トーテム幻想
まちがった範樽と自分が信じているものを論争の主題として受けいれることは、いかなる揚合に
せよ、一つの危険に身をさらすことだ。づまり、注意を払おっことによって、その現実性についてな
んらかの幻想を維持するという危険である。明確でない障碍をもっとよく把えようとして、堅実さ
が欠けていることを指摘しようとしただけの輪郭をかえって強調することになってしまう。という
のは、論拠の薄弱な理論を相手とすることによって、批判はまずこの理論にいわば敬意を表するこ
とになるからだ。決定的に紋いのけようという希望の下に不用意にも喚起した亡霊は、消え去った
としてもふたたび、しかも、最初に出現した揚所から思っていたより近いところに現われることに
なる。
陳腐な学説は忘却のうちに沈ませ、死者を目覚めさせない方が、おそらく、より賢明でもあろう。
しかし、他方、老いたア1 ケルも言っているように、歴史は無用な出来事を生ぜしめない。さしも
の年月の問、何人もの偉大な精神の持主たちが、今日われわれには現実性を持っていないように見
える一つの問題に魅せられたようになっていたとすれば、それは、おそらく、勝手気優に取りまと
められ、分析をあやまった現象が、いつわりの外形にもかかわらず、関心に値いするものである
ことを、かれらが、漠然とながら感じとっていたからであろう。これらの現象を把握し、新たな解
釈を提唱しようとするとき、まず、いずこにも導かないものとしても、別の道を求めることを促す
ような、あるいは別の道を引くことを許すかもしれない道程を歩み返してみることを拒絶しては、
いかにしてこれが可能であろうか。
トl テミスムの現実性について出発点において懐疑的なわたしとしては、
とばを用いるとしても、これから検討しようとする学者たちの意を受けて、 トーテミズムというこ
いわばその引用として
用いるのだということを明記しておきたい。このことばをつねに括弧の中にいれたり、《いわゆる》
という修飾語をつけたりするのは便利なことではない。対話が成立するためには語棄において譲歩
することも許されよう。しかし、わたしの思惟においては、括狐とこの《いわゆる》という修飾語
とはつねに言外に含まれているのであって、公言した信条に惇るとも見えるような文章ないしは表
これをたてにとってわたしに異議を唱えることでもあれば、思慮に欠けてい
トーテム幻想
現があったといって、
第1 章
ることになろう。
29
以上を前提として、一般にトI テミスムという名の下に集められている現象が位置している意味
揚を、外部から、しかもそのもっとも一般的な相において定義してみよう。
確かに、この揚合も、ほかの場合同様、わたしが辿ろうとする方、法は次の点に存する。
30
一、研究の対象とされた現象を、ニヲないしはいくつかの現実の項、あるいはそのような項とな
りうる可能性をもったものの聞の一つの関係として定義する。
二、これらの項の聞の転換の可能性を表にする。
三、この表を分析の一般的な対象とするが、この表の次元に限られた揚合、分析はいくつかの必 トーテミズムということばは、
然的な結合に達することができる。最初に問題となった経験的現象は、可能ないくつかの組
合わせの中の一つにすぎないが、これら組合わせの全体系は事前に組み立てることができる。
一つは配給、もう一ヲはたやというこっの系列の聞に観一方には骨骨他方には個併を、文化の系列
それぞれの系列で集団的および個別的と
定されたいくつかの関係を包括する。自然の系列は、
は、集酢と骨川とを含んでいる。これらの項は、すべて、
いうこ様の存在様式を区別するよう、またこっの系列の混同を,避けるように選ばれているが、選択
の客観的根拠はない。しかし、この前提的段階においては、相互にはっきり区別されたものであり
さえすれば、いかなる項を用いることも許されよう。
自然:::範鴫、個体
文化:::集団、個人
異なった系列に属する項を二つずつ結び合わせるには、つまり両系列の間になんらかの関係が存
在するというはじめの仮説を最小限条件で満足させに、四通り方法があ。文自
イヒ鍛
団集範
鴫ー
個範
ー人噂一
個個体人一
・団集 個
体 四
トーテム幻想
これら四通りの組合わせの一つ一つに、ある民族ないしはいくつかの民族において象が対応している。オーストラリアのトlテミスムは、《社会的》および《性
的》といわれる様態
においては、自然のある範噂ハ動植物種、特定種の物体ないしは現象〉と、一四クラス、-八クラス、同信仰集団、ないしは向性の人々の総体〉との聞の第一の
る。第二の組合わせは、個人が試練によって自然の一範鳴をかちえようとする北米《個人的》ト1テミスムに対応する。第三の組合わせの例としてパンクス諸島
の毛タ島をができようが、子供は母親が懐妊を意識したときに見た、あるいは食べた動物であるとされている。嬰児とその家族の小屋に近づくのが認められた動
物との間立すると想定する、アルゴンキン族のいくつかの部族の例をこれに加えるこ集団・個体の組合わせは、ポリネシアおよびアフリカで、ある動物が集団象
である揚合に見られるハニュージーランドの保護神とかげ、アフりカで31 第 l 寧
よびライオン、
32
く、また、
あるいはひょうの《マルガイ》)。古代エジプト人はこの種の信仰を持っていたらし
シベリアの《オンゴン》も、現実の動物ではなく集団があたかも生命あるもののごとく
に扱っている象形物だが、類を同じくしている。
論理的には、以上四つの組合わせは同じ操作で作られたものなので、等価値のものだ。しかし、
ただ、最初のニワの組合わせのみがトl テミスムの領野にいれられ(さらに、そのどちらが根源的
で、どちらが派生したものかを知ろうと論争が交わされていたて残りのこっの組合わせは、一方
はトーテミズムの疏芽(モタ島に対してフレイザl のとヮた態度〉、他方はその名残りとして、間
接的にトーテミズムに結びつけられたにすぎなかった。これらのこっの組合わせをまったく度外視
する道さえ選んだ学者の数も多い。
したがって、トーテム幻想は、まず同じ型の現象が属している意味揚の歪曲に由来する。意味揚
のいくづかの相が他の相の犠牲において特別に扱われ、本来持つべきではない独自性と奇抜さとを
グアp アγト
付与されている。それらの相はそれぞれ一変換として体系全体の構成部分をなしているにもかかわ
らず、ただ体系から引き離されているというだけの事実によって、神秘的なものとされているのだ。
すくなくも、それらの相は他の相よりも《現存性》と統一性とを持っていることによって際立って
いたというのだろうか。それらの相の一見そう見える価値が現実をまちがって切り分けたことに由
来しているのを納得するには、いくつかの実例、中でも、まず第一に、トーテミズムに関するあら
ゆる思弁の起、源となった例を考察すれば十分である。
*
トーテムということばが、北米五大湖地方の北部に住むアルゴンキン族のことばオジプワ語から
作られたのは周知のことである。おおよそグかれはわたしの一族のものだg ということを意味する
oszBS という表現は、三人称の接頭語である最初のo 、母音の重複を避ける添加音t 、所有裕
司三人称の接尾語仰と、そして自己と血縁で結ぼれた男性あるいは女性との親族関係を表現するしたがって主体の世代の段階で外婚制集団を定義する仰という語
に分解される。様にして表現されていた。白色門司。ロ宮内凶。SBP くまはわたしの氏族だヘ崎山口色付。ロロ宮山。ZB グわ
たしの氏族の兄弟ょ、はいりたまえg等々。実際に、オジプワ諸氏族は特に動物の名を名としてい
トーテム幻想
るが、十八世紀末から十九世紀初頭にかけてカナダで生活したフランス人宣教師タプネは、
それぞれの氏族が自分の氏族の原住地方のある動物について持ち続けた記憶によって説明した。も
これを、
っともりっぱな動物、もっとも親しみのある動物、もっとも恐れられていたもの、もっともありき
あるいはさらに通常狩猟の対象であったもの。(キュオクコ二二頁t 一三三頁〉
第1 章
たりのもの、
33
このような集団的命名法を、各個人はある一匹の動物と関係状態にはいることができ、その動物
がその個人の守護精霊になるという信仰||同じオジプワ族が抱いていたものだがl !と混同して
はならない。このような個人の守護精霊を指すことばでただ一つ確認されているのは、十九世紀半
ぱにさる旅行者によって民的oaBg と書き記されたものだが、したがって、トーテムといおっこと
34
ばあるいは同じ種類のほかの表現とはまったく関係がない。実際には、オジプワ族に関する研究が
証明するところだが、いわゆる《トl テミスム》制度なるものの最初の記述はll 十八世紀末の英
人商人で通訳をしていたロングに負うものだが||氏族に関する語集(その中では動物種の名が
集団の呼び名に相応している)と守護精霊〈これは個人の保護神)に関する信仰との聞の混同に由
来しているハ『北米インディアン提要』《トーテミズム》の項〉。このことは、オジプワ社会を分析すると、
さらに明確なものとなろう。
これらのインディアンは数十の父方居住制父系氏族に組織されていたというが、
がほかの氏族より歴史が古かったようで、
そのうち五氏族
いずれにもせよ、特権を享受していた。
これら《最初》の五氏族は、大洋から出現して人間に混った、人間の形を持った六身の超自然
的存在に由来すると神話が説明している。そのうちの一人は目かくしをしており、インディアン
を見たいという欲望にもえているようだつたが、なかなか見ょうとはしなかった。こらえきれず
-T』、
‘,UE・そのまなざしが一人の男に向けられると、男は雷に打たれたよう
に即座に死んだ。来訪者は親しみの気持しか抱いていなかったのだが、かれのまなざしは強すぎ
ついに目かくしをはずし、
たのだ。そこで、仲間たちはこの一人を海の底に帰してしまった。ほかの五人はインディアンの
聞に残り、多くの祝福をほどこした。これが大氏族、つまりトーテムハ魚、。る、あび鳥、くま、
おおしか、あるいは、てん〉の起源となる。ハウォ1 レン四三t 四四頁)
この神話は完全な形ではわれわれに伝わっていないが、まことに興味深い。この神話は、まず、
人間とトーテムとの聞に隣接に基づく直接的関係のありえないことを主張している。ありうる唯一
の関係は《おおわれた》もの、したがって隠喰的なものでなければならない。このことは、オ1 ス
トーテム幻想
トラリアおよびアメリカで確認されたことだが、トーテム動物が、時に、現実の動物に適用されて
いるのとは違う名で呼ばれ、その結果、氏族の呼称は、原住民の意識の中で、普通は、直接に動物
ないしは植物の観念連合を呼びおこすことがないという事実によっても裏づけられている。
第二に、この神話は個人的関係と集団的関係との聞にもう一つ別の対立を設定している。インデ
ィアンが死ぬのは、ただ見られたからというだけの理由ではなく、ほかの超自然的存在がもっと慎
重に、しかも団体として行動しているときに、そのうちの一人だけが独自の行動をとったという事
実のためでもあるのだ。
章
緋トーテムとの関係と守護精霊との関係とは暗黙裡に区別されている。
後者は、孤立した個人的探究の賜として与えられる直接的接触を想定している。したがって、この
神話によって表明されている原住民の理論そのものが集団のトーテムを個人の守護精霊から区別し、
この二重の関係のもとに、
6
人間と名祖動物との聞の関係の間接的隠喰的性格を強調するようにと促す。最後に、原住民位、一つ一つ個別的に取り上げた関係を足し合わせ、それぞれ人間の
一集団を一つけてトーテム組織を作り上げようという誘惑に対して警告を発する。本来の関係は、一つは諸集
団の区別に基づく体系、もう一つは種の区別に基づく体系というこっの体系の間にあり、一方には
いくつかの集団、他方にはいくつかの種があって、それがいきなり互いに相関および対立関係に入
れられるというふうになっているのだから。
自分自身オジプワ族の一員だったウォ1 レンの指摘しているところによれば、五つの主要氏族か
ら他の氏族が誕生した。
魚ーー水の精、なまず、よあかし、ちょうざめ、五大湖のさけ、こばんざめ
つるll わし、はいたか
あぴーーかもめ、ぅ、がん
くまil おおかみ、やまねこ
おおしかll てん、となかい、うみだぬき
一九二五年に、
うざめ、おおやまねこ、
マイケルソンは次の氏族を記録している。てん、あび、わし、さけ、くま、ちょ
オールド・デサlb
やまねこ、つる、わかどり。数年後、別の地方ハ古砂漠湖〉でキニエッツ
第 1 章 トーテム幻想
は六氏族を指摘している。水の精、くま、なまず、わし、
したこ氏族として、つると不定の烏とを加える。
てん、わかどり。かれはこれに最近消滅
パーリ島(ヒュl ロン湖の一部、ジョージア湾内)
九二九年に、グ烏d 氏族の系列として、
の東部オジプワ族については、タ品ネスが一
つる、あび、たか、かもめ、はいたか、大からす、グ晴乳
類d 氏族の系列として、くま、となかい、おおしか、おおかみ、うみだぬき、かわうそ、あらいぐ
ま、すかんく、グ魚d 氏族の系列として、ちょうざめ、よあかし、なまずを復元している。さらは
もう一つ三日月氏族と、仮説の氏族ないしはその地方からは消滅した氏族に対応する一連の名前が
ペカン、みんく、白樺の樹皮〉。当時生存していた氏族は、となかい、
はやぶさ、はいたかの六つに減っていた。
あった〈りす、かめ、てん、
うみだぬき、かわうそ、あぴ、
鳥が《空の》もの(たか、はいたか)と《水棲の》もの(ほかのすべての烏)によ叩乳類が《陸棲
の》ものと《水棲の》もの(カナダのしか類のように湿地地帯に棲息するもの、あるいは、ペカン、み
んくのように魚をとるもの)にさらに分けられて、五つの群にな。ていたということもありえよう@
いずれにもせよ、
37
オジプワ族については、氏族の成員がトーテム一動物から生じたというような信
仰はかつてだれも記録していない。それに、トーテム動物は祭犯の対象とはなっていなかった。そ
こで、ランドも指摘していることだが、となかいはカナダ南部では完全に姿を消していたが、とな
かいという名を持った氏族の成員はそのような事実にはすこしも動じていなかった。調査者に答え
38
てかれらは言ったoF それは名にすぎないものだodトーテムを殺すことも食べることも、その動物
に前もって狩猟許可を願い、あとで許しを乞うという儀礼に従いさえすれば、自由だった。オジプ
ワ族は、動物は自分の名の氏族の狩人の矢に身をさらす方を好むし、したがって撃ち殺すまえに
《トーテム》の名で呼びかけることが望ましいとさえ主張していた@
わかどりとぷた||ヨーロッパから輸入された動物ーーは、インディアンの女と白人の男から生
まれた混血者たちを配することになっている氏族のために用いられていた(父系出自関係のため、
そうしないと混血者には氏族がないことになってしまう〉。また、時には、混血者はわしの氏族に
入れられた。わしが、硬貨を通じて住民一般の聞に知られていた北米合衆国の紋章の中にあるとい
う理由からだ。氏族自体は、さらにその氏族の動物の各部分の名を持ったいくつかの居住集団に分
けられていた。頭、磐部、皮下脂肪等だ。
いくうかの地方に由来する情報を集め、これを比較することによって(氏族は各地で同じように
表象されているわけではないので、各地方それぞれ部分的なリストを提供するだけだがて三つの
区分のあることが推測される。水(水の精、なまず、よあかし、
つまりすべてのグ魚d 氏族〉、大気ハわし、はいたか、
こばんざめ、ちょうざめ、
か
も
め
っ
i6i
ん
きさ
、け
地、類
等、つる、あび、
〈第一に、カナダとなかい、おおしか、となかい、てん、うみだぬき、あらいぐまの一群、つぎに、
ペカン、みんく、すかんく、りす、最後に、くま、おおかみ、やまねこ〉。へびとかめの揚所は明
確ではない。
トーテム幻想
等価値の原則に支配されているトーテム呼称の体系とはまったく異なって、《ペ一haの体系は、階級の設けられた万神殿の形をとる。たしかに、アルゴンキン
族においても氏族関
の階級は存在したのだが、この階級は、氏族の名となった動物の優劣に依るものではなかったo
p おれのトーテムはおおかみだ。おまえのはぶただOi ---気をつけるがよい。おおかみはぶたを食
ぺるぞ:::’ハヒルガ1 六O頁〉は冗談にすぎない。せいぜい、それぞれの動物の特性に基づいて考
えられた肉体的および精神的特殊化のきざしが見られただけだ。これに反して、《精霊》の体系は
はっきりと二つの軸にそって秩序づけられていた。一方には大小の精霊であり、他方には善意ある
いは悪意を抱いている精霊だ。絶頂に大精霊、これについでその輩下の精霊たちがおり、そのあと
||精神的、肉体的に||次第に下りながら、太陽および月、神話のへびに対立する四十八の雷、
《自にみえない小インディアンモ東西南北、男女の水の精、そして最後に天、《地、水および冥界に
ホルド
住む特定の名を持ったマニドと無名のマニドの群がある。したがって、ある意味では、このこっの
体系||《トーテム》と《マニド》ii は、一方はほぼ水平線、他方は垂直線を辿って互いに直交
するもので、ただ一つの点で交わる。水の精だけがはっきりと両体系に姿を現わしている。このこ
とは、先に要約した神話においてトーテム呼称と氏族への区分の起源となった超自然的精霊がなぜ
39 第 1 章
大洋から出てきたものとして描述されているかを、おそらく説明しているものであろう。
オジプワ族において記録された食物上の禁制は、すべて、《マニド》体系に依存している。そし
これらの禁制はすべて同じ仕方で説明されている。ある肉、あるいはある動物のからだのある
おおしかの舌等を食べではならないという禁令を、ある個人が夢
40
て、
部分、たとえばやまあらしの肉、
ちょうざめ等
《マ= It 》体系
よあかし
大|精霊
太陽,|月
かみ!なり
東西l南北
あしがん水の|精
《トーテム》
体系
異界!のへぴ
等
の中で、ある特定の精霊から受けるのだ。対象となっている動物はかならずしも氏族の呼称の表に
載っているものではない。
同様にして、守護精霊の取得は、男女とも思春期に近づくに従って督励を受けるまったく個人的
な修業の仕上げとなるもので、これに成功した場合には、かれらは超自然的な保護者を得、その
特性、出現したときの状況が、自分の能力、使命を知る手がかりとなる。しかし、これらのt特典
は、保護神に対して服従と分別ある態度を示すという条件の下にのみ保証される。これらすべての
差違にもかかわらずロングがおかしたトーテムと守護精霊の混同は、部分的には、後者がP
:
幻ノゾグトバ民のまわりに日中見られるような特定の動物ないしは鳥であっある種全体を代表する一つの超自然的存在であった8
(ジェネス五四頁)という事実から説明がつ
く
トーテム幻想
*
今度はレイモンド・ファ1 スの跡をたずねて、世界のもう一つの部分に身を移そう。かれの分析
は、トーテムというレッテルのもとにあまりにも性急に集められた信仰や慣行の、極度の複雑さと
相互の異質性とをあかるみに出すのに大いに貢献した。これらの分析は、リグァlズがポリネシア
にみるトl テミスムの存在のもっとも良い証拠を提供すると考えていた地方llI テイコピア島ll
41 第 1 章
に関するものであるだけに例証としての意味が深い。
‘ぜもっL」Jhu
、そのような自負を披濯する前に、ファ1 スは次のように指摘する。
42
:::人間に関しては、(自然種ないしは自然の事物との)関係が住民全体を包括するのか、あ
るいはただ数人の人々に関するのか、そしてll 動物ないしは植物についてはll 全体としての
種が問題なのか特定の個体が問題なのか、自然の事物は人間の集団の一代表者と見なされている
のか一標識と見なされているのか、(一人の人間と一生物あるいは自然の一事物との聞の〉同一
性および両者を結ぶ出自関係の観念がなんらかの形において認められるのか、最後に、ある動物
あるいはある植物に対して示される関心はこれらの動植物を直接の対象としているのか、それと
もこれらの動植物と祖先の精霊あるいは神性との聞に想定された結びつきによって説明されるの
かを知ることが必要であり、最後の聞いにおいては、後の場合、そのような関係について原住民
が抱いている概念を理解することが不可欠だ。ハファ1 スω二九二頁〉
この文章は、われわれがJすでに区別した集貯l骨伶および自伶lrbというこっの軸に第三の
そこに、最初のニヲの軸の極限の項の間に考えうる種々の関係、標識軸が加えられるべきであり、
性、同一性、出自関係、直接ないしは間接的関心等が並ぶべきことを示唆している。
テイコピア島社会は、アツアたちに対して特別な関係を享受する一人の首長すなわちアリキによ
11 ;ii mmp 白
un植
田
ngIsm- TEEm 皐
huGURusnE
ってそれぞれ支配されているカイナンガと呼ばれるかならずしも外婚制ではない四つの父系集団か
らなっている。アツアという名は、厳密な意味での神のほかに先祖の精霊、過去の首長の霊等をも
指している。自然に関する原住民の概念は《食べるもの》エ・カイと、《食べないもの》シセ・エカイとの根本的な区別によって支配されている。
トーテム幻想
《食べるもの》は特に植物性食物および魚で、植物の中では四種がもっとも重要だが、それぞれ、
四氏族の一ワと特別な関連を持っているという理由からだ。ヤムいもはその氏族サ・カフィカの
《言おっことを聞きて《その命令に従う》。やしの木と氏族サ・タフア、タロいもと氏族サ・ト1 マ
てパンの木と氏族サ・ファンガレ1 レの間でも同じ関係が支配する。マルキ1 ズ諸島の揚合と同
じだが、実際には植物は、(淡水産の多種類のうなぎのうちの一種あるいは沿岸の暗礁が具現する〉
氏族の神に直接に属するとされており、農業上の儀礼は、まず、神への訴えとして現われる。氏族
ことに、ある植物種を《管理する》ことだ。とは言っても、植物種の間の長の役は、したがって、
第1 章
に区別をすることが必要である。ヤムいもとタロいもの植えつけおよび取りいれ、パンの木の実の
収穫は季節的性格を示す。自然に繁殖し、その突が一年中成熟するやしめ木にあっては同様ではな
い。おそらく、この違いにそれぞれの管理様式に見られる違いが対応するものであろう。最初の三
種の植物は、だれもが所有し、栽培し、収穫し、産物は皮をむいて食糧とする。ただし、儀礼は、
43
担当の氏族のみがこれをおこなう。ところが、やしの木に関しては氏族による特定の儀礼はなく、
44
これを管理するタフア族は、ただ、
この氏族員はからを壊さずに穴を一つあけねばならない。からを壊して果肉を取るにはいかなる人
いくつかの禁忌に従わせられている。やしの実の汁を飲むには、
エの用具も用いてはならず、石を一つ使うことができるだけだ。
これらの行為上の差別は、一方では儀礼と信仰、他方では儀礼といくつかの客観的条件の聞に示
唆される相関関係のゆえにのみ興味深いのではない。これらの示差的行為は、また、、ボアズの相向
性の規則に対してわたしが述べた批判の支えとなる。というのは、三氏族は自然種に対する関係を
儀礼によって表明し、第四の氏族は禁制および命令に依存しているからだ。もし、相向性が存在す
るものなら、それは、したがって、もっと深い次元に求められるべきである。
いずれにせよ、人間といくつかの植物種との関係が、テイコピア島では、社会学と宗教との二重
の次元に現われていることは明瞭である。オジプワ族における場合と同様に、一づの神話がこれら
二面を統一する任に当っている。
非常に古くは、神々は人間と区別されず、しかも神々は地上において氏族の直接の代表者であ
った。ところが、あるとき異国の神ティカラウがテイコピア島を訪れた。土地の神々は彼のため
にすばらしい宴を設けた。しかし、宴に先だって客と腕くらべをするべく、力と速さの競技を準
備した。競走のまっさい中、賓客の神はつまずいたふりをし、足を痛めたと宣言した。しかし、
びっこをひいているまねをしていたが、山とつまれた食物の方へ走り寄り、これを丘の方へ持ち
去ろうとした。神々一家は追跡したが、今度はティカラウはほんとうにころんで、氏族の神々は
一人はタロいも一本、一人はパンの木の実一つ、そして残りの
神々はヤムいも一本を取り返した。:::ティカラウはご馳走の山を持って空に辿り着くことがで
きたが、これらの四種の食用植物は救われて人間の役に立った。ハブァ1スωニ九六一品〉
かれから、一人はやしの実一つ、
この神話がオジプワ族の神話といかに異なるものであれ、いくつかの共通点が見られる。これを
トーテム幻想
強調する必要があろう。まず、個人の行為と集団の行為との聞に同じ様な対立があるのに気がつく
ことであろう。トーテミズムに対する関係において、前者は否定的、後者は肯定的なものとされて
いる。二つの神話において、どちらでも、惑を働く個人的な行為は食欲で不謹慎な神によっておこ
なわれている(もっとも、このような神はG ・デュメジルがぼう大な研究を捧げたスカンジナグィ
アのロキ1 と類似点がないとは言えない)。いずれの揚合も、トーテミズムは、体系としては、一
つの総体が貧弱化したあと残っているものとして導入されている。このことは、体系中の諸項は
J
4ラ 第 1 章
*
ファ1 スの近著ωを入手したときには、わたしの著書はすでに印刷中であった。ファl スの近著にはこの神話に関す
るほかの伝説が紹介されている。
4G
互いに離されていなければ十分効能を発しないということを表現しているとも言える。というの
は、最初はもっと充実していた意味揚に非連続が侵入したのに、これを埋める役をほかの助けをか
りずに果さねばならないのだから。最後に、この二つの神話は、(前者では神u トーテムと人問、
後者では神日人間とトーテムとの聞の)直接の接触、つまり隣接関係は制度の精神に反する、とい
うことを示唆している。トーテムは、まず遠ざけられるという条件の下においてのみトーテムと
なる。
テイコピア島では、《食べるもの》の範曜には魚も含まれている。ところが氏族と食用に供せら
れる魚との間の直接の結びつきはなにも指摘されていない。神々を回路の中にいれると問題は複雑
になる。一方では、四種の植物は、神々を《象徴する》という理由から、神聖なものとされている。
11 ヤムいもはカフィカの《からだ》であり、タロいもはトl マコの《からだ》だーパンの木の実
とやしの実はそれぞれファンガレ1 レとタフアの《あたま》だ。ーーしかし、他方、神々は魚、中
つまり、すでに類似性と隣接性との対立という角度からわれわれの目に見
えていたトーテミズムと宗教との区別が、転移された形で、ここでふたたび見いだされるのだ。オ
ジプワ族におけるように、テイコピア島のトーテミズムは隠喰的関係によって表明される。
これに反して、宗教的次元においては神と動物との関係は換喰の次元に属する。まず、アツアは
動物の体中にはいゲとされているが、動物にかを安ずジのではないからであでもうなぎ《である》。
th咽‘”司Massa --司Aa143S4
1i
!i
;
fJeiJ
はけっして問題にならず、規準からはずれた行為のゆえにある神への媒体の役を呆すと認められた
一匹の動物〈したがって、種の一昨か〉だけが問題になっているからだ。最だ間歌的、さらには例外的とさえ言えるように生ずるが、植物種と神との聞の関係
はーーもっと速
いものだが||恒久的な性格を示している。この最後の観点に立つと、換喰は出来事の次元に、隠
喰は構造の次元に対応すると、言ってもよかろう。ハこの点については、ヤコプソンとハレの著書、第五
章参照)
食用の植物および動物がそれ自体神ではないことは、もう一つの根本的な対立によって確認され
ト- T ム幻想
る。アツアと食物の対立だ。実際に、アツアという名で呼んでいるものは食用にならない魚、昆虫
および腿虫類だ。おそらくグ食用に不適当なものは自然の正常な秩序に属さない’からであろうと
771 スは示唆するop そこで、動物の揚合には、超自然的存在に結びつけられているのは食用に
供せられるものではなく、食用に供せられないものだdCニOO頁〉。したがって、もし:::とファ
ースはことばを続ける。
第1 章
このような観点に立つと、先に要約し、比較したトーテミズムの起源に関するこっの神話は、隠喰の起源に関する神話
と考えることもできる。そして、一般に、隠喰的構造が神話の本性なので、ニワの神話は、したがって、二次的隠喰を構
成していることになる。
*
47
48
・:これらの現象すべてがトーテミズムの構成要素であると考えねばならないとすれば、ティ
はっきりとこっの異なった形のトーテミズムが存在するのを認めねばならないだヨピア島には、
一つは植物性食物を対象とする肯定的なもので、豊穣さを強調するもの。もう一つは動物
を対象とする否定的なもので、食物に不適当なものに第一の地位を与えるものだ。ハファ1 スω
ろう。
三O 一頁〉
動物に帰せられている両面性はさらに大きなものとなって現われる。というのは、神々がいくつ
もの動物の形に化身するからだ。氏族サ・タフアにとっては、氏族の神はうなぎで信者たちのやし
の突を熟さしめる。しかし、この神は、また、こうもりに姿を変えることもでき、こうもりとして
は他の氏族のやしの林を廃絶するのだ。そこから、こうもりや鶴やほかの鳥、さらには、いくつか
の神性たちと特別に密接な関係にある魚を対象とする食物上の禁制がでてくる。これらの禁制は一
般的なことも、また、ある氏族ないしはある単系血縁集団に限られていることもあるが、それでも
トーテムという性格は示していない。トI マコ氏族に密接な関係のあるはとは食用にはあてられな
いが、菜園を荒すという理由から、これを殺すことははばからない。他方、禁制は長子のみに限ら
れている。
この図式の形式的諸特性個々の信仰および禁制の奥に一つの根本的な図式が形をなしてくるが、
ザグ・F ヲγ
は、ある動植物種とある氏族、亜氏族内区分または単系血縁集団との関係i !この関係を機会とし
てこの図式は現われるのだがi !とは独立に存続する。
たとえば、いるかはタフア氏族のコロコロ家と特別な関連を持っている。いるかの死体が砂浜に
打ち上げられると、この家族は《最近死んだものの墓に対する捧げもの》プツと称する新鮮な植物
性食物の捧げものをする。それから、いるかの肉は煮焼きして、この家族を除いた諸民族問で分配
いるかはかれらのアツアのもっとも好む化身であるためにタプなのする。コロコロ家にとっては、
だ。
トーテム幻想
分配の規則にしたがって、頭はファンガレ1 レ、しっぽはタフア、からだの前の部分はト1 マコ、
後の部分はカフィカに与えられる。つまり神の《からだ》である植物種(ヤムいもとタロいも〉の
二氏族は《からだ》の部分を、神の《あたま》である種(やしの突、パンの木の実)の名を持ヲニ
氏族は末端(あたまとしっぽ)をもらうことになっている。関係体系の形式は、一見まったく無縁
とも見えうる状況にまで、首尾一貫して延長されているのだ。そして、オジプワ族における揚合と
同じように、食物上の禁制を包含する超自然界との関係のもう一つの体系は、ある一ヲの形式的構
造と結びついていながら、しかもこの体系とははっきり区別されているのだが、トーテミズムとい
う仮説はこの両者を混同する方向に導くことになろう。これらの禁制の対象である神性化された種
49 第 1 章
ラ。
は氏族の機能||これまた植物性食物と関係はあるが||の組織とは分離したいくつかの体系を構
成する。たとえば、その急流が足とも言える山や、また同じような理由から太陽とその光線になぞ
らえられているたこ、あまりにも強い食用上の禁制の対象となっているために見ただけでもときに
は幅吐をもよおす湖水産および海産のおつなぎである。
従って、テイコピア島では動物は標識とも先祖とも親族とも考えられていない、とファ1 スのよ
うに結論することができる。いくつかの動物が畏敬、禁制の対象となりうることは、集団が一人の
先祖から由来しており、神が一匹の動物に化身し、神話時代にはこの先祖と神との間にある同盟関
係が存在したという三重の観念で、複雑に説明されている。動物に対する畏敬の念は、いわばはね
かえりによって動物にむけられているのだ。
他方、植物に対する態度と動物に対する態度とは相反する。農業に関する儀礼はあるが、漁猟の
儀礼はない。アツアは動物の形をとって人々に現われるが、植物の形をとることはない。食事上の
禁制が存在する揚合には、動物に関するもので植物に関するものではない。神の植物種に対する関
係は象徴的だが、動物種に対する関係は現実的だ。植物の揚合には、この関係は種の次元で成立す
ある動物種がアツアであったことはけっしてなく、ある一匹の動物がある特定の状況においるが、
てアツアとなるだけだ。さらに、一示差的行為によって《標識づけられた》植物は、つねに、食べら
れる植物である。動物の揚合は逆だ。テイコピア島の事実をポリネシアで観察された他の全ての事
実と手早く対比したあと、ファ1 スは、ポアズの表現をほとんど一言二百そのまま繰り返して、ト
スイ- dqネP ス
ーテミスムはある特有な現象を構成するものではなく、人間とその自然的環境の諸要素との間の
関係という一般的枠内での一つの個別例をなしている、という教訓を引き出す。ハ三九八一息
*
トーテム幻想 トーテミズムの古典的概念からはいっそう遠いが、マオリの事実はテイコピアの揚合に引用した
ものにあまりにも直接に結びつくので、証明をさらに強力にする。とかげのうちのあるものが墓窟、
あるいは鳥を捕るわなをしかけた-木の守護者として尊敬されているのは、とかげが病気と死の化身
であるウィロ神を象徴するからだ。おそらく神々と自然の元素あるいは存在との聞になんらかの出
自関係が存在しているのであろう。岩と水の結合から砂、小石、砂岩等のすべての変種、およびす
べての他の鉱物、軟玉、燐石、熔岩、岩棒、さらにまた、昆虫、とかげ、虫が生まれる。タヌ・ヌ
イ・ア・ランギとカフ・パラウリという男女二神は、森のすべての鳥およびすべての呆突を生んだ。
ロンゴは栽培植物の先祖、タンガロは魚、ハウミアは野生植物の先祖である。ハペスト〉
第1 章
マオリ族にとっては、宇宙全体がぼう大な一族のように展開し、そこでは天と地がすべての帯
在、すべての事物、海、海岸の砂、森、鳥、人間の最古の先祖を象徴している。原住民は、自分
あるいは自分が歓待する旅行者に結びつける親族関係を||しかも、できうぺくぱ
ラZ
を大洋の魚、
52
もっとも細部の点に至るまで111 あとづけることができないと気がすまないとでもいうようだ。
生まれのよいマオリ人が自分の系譜を調べ、招待した客の系譜と比較し、共通の先祖を発見し、
分れた系譜の長幼を見分けようとする熱心さは、まったくの情熱だ。千四百人も合む系識を順序
正しく記憶にとどめていたという男たちの例が挙げられている。ハプリッツua ハシセン九頁〉
トーテミズムの典型的な例を提供するものとして挙げられたことが一度も
ニュージーランドは一つの限界的な例で、トーテミズムという仮説においては矛盾
しないと主張せざるをえなかったが、実は相互に排斥し合ういくつかの範噂を純粋な状態で区別す
ることを許す。マオリ族で動物、植物、鉱物がトーテムの役を演ずることができないのは、かれら
がこれをほんとうに先祖と考えているからである。サモア諸島の《進化論的》神話の中でもそうだが、
自然の三大秩序に属する要素で形成された系列が、発生論的にも通時的にも、連続していると考え’
ニュージーランドは、
ない。しかし、
られている。ところが、自然の存在ないしは要素が相互に、また、その全体が人間に対して、先祖
一つ一つの自然の要素ないしは存在が独立して特定の人間集団
に対して先祖の役を果すことはできなくなる。近代的な用語を用いるなら、トl テミスムでは諸氏
族がみな自分たちはそれぞれ異なった種から派生したものと考えているために、人類多元論でなけ
と子孫という関係にあるとすれば、
ればならないことになる(これに反して、ポリネシアの思考は人類一元論だ〉。しかしこの人類多
,i
j
;!
Flit
ji-t pip
--:
それ自体まことに独自な性格を示している。というのは、トーテミズムは、ある種のトラ
ンプ占いの揚合のように、.最初に自分の持札をすべて開げて見せる。つまり、先祖の動物あるいは
元論一は、
植物から、その子孫である人間への移り行きの各段階を説明するための札の貯えを持っていないの
だ。したがって、前者から後者への移行は必然的に非連続的と考えられている
移行はすべて同時におこなわれる)。最初の状態と最後の状態との聞にいかなる隣接性も認められ
(それに、同じ型の
ない、まったくの《観衆の眼前での舞台変化》だ。自然発生という名で想起する類型からこれ以上
遠いものは考えられないトl テミスム的発生は、適応、投出あるいは分裂に帰する。トーテミズム
且トノ・ぜオロジー
その分析は《民族・生物学》よりはむしろー《民族・論理学》に属する@ 的発生は隠喰的関係に存し、
氏族A はくまの《後育でありて氏族B はわしの《後青である》と宣言することは、AとB との関
トーテム幻想
係を種の聞の一つの関係に類似したものとして措定する具体的かつ省略的方法にすぎない。
マオリ民族誌学は、発生と体系というこっの観念の混同を解明するために役立ヲのと同時に、も
う一つ、〈同じトーテム幻想に由来する〉トーテムという観念とマナという観念との聞の混同を取
第1 章
り除くことを許す。マオリ族は、一つ一つの存在ないしは存在型をその《本性》あるいは《規範》
ティカ、およびその独自の機能、特有の行動ティカンガで定義する。こうして示差的な相において
考えられた事物および存在はテュ戸によってそれぞれ区別されるが、わユ戸は事ラ
3
側から生じてくる。このようなテュプの観念は、事物および存在に外から訪れ、したがって、むし
54
ろ、無区別および混合の原理を構成するマナの観念に対立する。
マナとテュプとは多くの共通の意義を持っている。しかし、一つの意味深い点で両者はまった
く異なっている。これら二つのことばは、ともに発展、活動、生命を表わす。しかし、テュプが
事物および人間存在の内部から発現する本性に関するのに反して、マナは一種の参与、積極的な
付随を表明するが、これは元来、一つの事物ないしは一人の人間存在に不可分に結びづいている
ことはけっしてない。ハプりッツu ヨハンセン八五頁〉
タグ1 、
ところで、禁忌(タプSHVβであってテュプEUHHと混同してはならない〉に関する慣行は、こ
れもまた、(デュルケI ムとその一派がしばしば試みたような)マナ、トーテム、およびタプ1 と
いう諸観念聞の混合を許さない非連続の次元に位する。
タプの諸慣行を総括して一つの制度とみなすことを許すものは:::生命に対する深い尊敬、人
人をしてときには恐れ、ときには敬わしめるように仕向ける畏敬である。この畏敬は一般的な生
命というものに向けられるのではなく、生命の個々の表現に向けられているが、しかもそのすべ
てにというわけではない。菜園、森、漁場にまで延長された親族集団の範囲内にあって、そのも
第1 章 トーテム幻想
および長の財産、
ハプ日ツヲツ”ヨハンセン一九八頁〉
ヲとも高度の表現が、長、
55
聖域に認められるような生命のみに限られている。
ラ6
第二章オーストラリアの唯名論
一九二O年グァン・ジ晶ネップはトーテミズムに関する四十一の理論を数え上げているが、その
うちもっとも重要な最新の理論は、すべて、オーストラリアにおける事実に基づいて樹立されてい
たと雪闘ってまちがいない。したがって、現代のすぐれたオーストラリア研究家A ・p -エルキンが、
経験的・記述的方法と、それより数年前にラドクリフn ブラウンが確立した分析の枠組とに基づき
ながら、トーテム問題を再検討しようと試みたのは驚くべきことではない。
エルキンは民族誌学的現実をきわめて仔細に究明しているので、かれの論述を辿るために不可欠
ないくつかの基本的事実を記憶に蘇らせることがまず必要であるう。
炭素Mの残留放射能を数度にわたって測定した結果は、オーストラリアにおける人間の出現を紀
元前八千年代以前に位置づけることをすでに許している。今日では、このぼう大な時の流れの間オ
北1
部ス
海ト
岸ラ
でリ
はア
、の
金原
~住
ぷ慢
は1; 事夏、ら
あフロ
会
るM
L 、、』
は霊堂
ト胞
さレ
司れ
混た
峡 ままの
自で
支い
た
をイ中と
介は
とも
しは
ずや
。認
め
な
L 、
すくなくとも
ニュ1 ギニアと、ま
た、インドネシア南部との接触および交易がさかんであったに違いない。しかし、相対的に言って、
オーストラリアの社会集団が、全体として、世界のほかの地の社会集団よりはずっと閉ざされた環
境の中で発展していたことは確からしい。とすれば、
社会組織の領域において示している数多くの共通の特徴、
オーストラリアの諸集団が、特に宗教および
およびある一つの同じ類型に属する諸様
態の往々にして特徴のある分布は説明がつく。
いわゆる《クラス》なき(つまり半族、四分クラス、八分クラスのない〉社会はすべて、ダンピ
トリア、
アルネムランド、
オーストラリア大湾の海岸地帯という周辺地域を占めている。このような分布は、これら
エランド、カ1 ペンタリア湾、ニュ1 ・サウス・ウエールズ、グィクヨーク岬、
オーストラリアの唯名論
の社会形態がもっとも古いものであり、大陸の周辺に名残りとして存続したという理由で説明がつ
くか、またはll 後者の方が真実に近いと息われるがil クラス組織の周辺地域における解体の結
果として説明することができよう。
(四分クラスも八分クラスもない)母系半族社会は南部に分布している。南東部(クインズラン
ド南部、ニュ1 ・サウス・ウエールズ、グィクトリア、南オーストラリアの東部)に数多く存在し、
第2 章
また、西オーストラリアの南西海岸沿いの小地帯にも存在する。
ハ四分クラスあるいは八分クラスのある)父系半族社会は大陸の北部に、ダンピエランドからヨ
ラフ
ーク岬まで位置を占める。
最後に、四分組織は北西部(砂漠地方、西部海岸まで〉と北東部(クインズランド〉、八分組織
ラ8
が位置を占めている中央部のあちこちハアルネムランドおよびヨ1 ク岬の半島から、南はエア湖地
方まで〉に見られる。
《婚姻クラス》組織とはいかなるものかを簡単に思い返してみよう。半族の場合にはほとんど説
明の必要がない。というのは、父系出自関係あるいは母系出自関係によって(オーストラリアには
一つの半族に属しているある個人は、その配偶者を必ず他の半族の
うちに求めねばならないという簡単な規則によって定義されているのだから。
さて、こんどは個々の領土に住み、それぞれ半族の外婚制規則に忠実な二つの集団があるとし、
出自関係は母系制としようハというのはこれがもヲともよくある例だからだが、父系制の揚合には
両方の揚合が認められるので〉
対称的な結果がでてこよう)。これらニヲの集団が、結合するべく、一方の集団に属する者はそれ
ぞれもう一方の集団の中に配偶者を求め、妻と子供は父と居を共にするようにと決める。これら二
つの母系半族をデュランとデュポンと呼ぴ、ニヲの地域集団をパりとリヨンとしよう。婚姻と出自
関係の規則は、
ーパリのデュラン
EJリヨンのデュラン
II
リヨンのヂュポン3
パリのデュポン?』
パリのデュラン家の男がリヨンのデラホン家の女と結婚すれば、子供は(その
という意味だ。これが四分組織、
となろう。これは、
母親のように〉デュポンとなり、(その父親のいる〉パリに住む、
あるいは西オーストラリアの一部族の名を借りてカリエラ型の組織と呼ばれるものだ。
同じ推論から八分組織に移るが、それは二つではなく四つの地域集団から出発する。記号表示、法
を用い、ローマ字で父系地域集団を、数字で母系半族を代表させ、左右どちらの方向から読んでも
最初の二項式が父を、等号の反対側の二項式が母を示し、母の二項式を子供の二項式に矢印で結ぷ
とハいわゆるアランダ型〉、次の図式ができる。
オーストラリアの唯名論
これらの規則の存在理由は、グァン・ジェネップがりっぱに論述している。
:::外婚制は、結果として、ル1 アン市の石エとマルセイユ市の理髪師といったほどに、普通
ではそれ以上接触することにはならなかったようないくつかの特殊な社会集団を互いに結びつけ
おそらくそれを目的としている。この観点から婚姻表を検討すると、
ラ9 第2 章
ることになるし、また、
60
:::外婚制の肯定的要素は、社会的にはその否定的要素とまったく同じ位強い力を持っているの
に、一他のすべての法規におけるのと同様、ここでも禁止されていることのみ明示してあることに
気がつくOi
---したがってこの制度は、そのこっの不可分の相の下において、氏族員相互間の合というよりは、むしろ、一般社会に対するさまざまの氏族の結合を強化す
るのに貢献する。政
治的統一体である部族が古くから存在していればいるだけ、そしてそれが多くの区分に分れてい
ればいるだけ、世代から世代へとそれだけ複雑な婚姻交叉が成立するが、この交叉と交錯の規則
正しさと周期的復帰は外婚制によって保証される。ハグァン・ジェネップ三五一頁)
以上のような解釈は、またわれわれの立場だが(『親族の基本的構造』参照〉、ラドクリフu プラ
ウンが晩年の著述の中でもまだ主張していた解釈よりは、
クリフn ブラウンの解釈は、四分組織を母系半族の二分〈これは異論がない〉と、男子の系族の
(名のある、あるいは名のない隔世代による〉二分というこ霊の二分法から演縛することに存する。
たしかに、オーストラリアでは、男性の系族が、自分の世代から数えて一方は奇数の世代を、他方
は偶数の世代を包括する二つの範噂に分れているということがしばしばある。そこで、ある一人の
男は自分の祖父、孫と同じ区分けにいれられ、自分の父と息子はもう一方の区分けに属することに
なる。しかし、この分類は、すでに複雑な婚姻および出自関係の規則の働きに直接あるいは間いまなお好ましいものと思われる。
-7HP
由来する帰結をそこに見ることなくしては、解釈することが不可能であろう。論理的に言って、
れを第一次的現象と考えることはできない。それどころか、秩序ある社会は、その組織および複雑
さの度合がいかなるものであれ、すべて、なんらかの仕方で、居住地という関係において成立する
はずである。したがって、構造原理に訴えるのと同様に居住地に関するある特定の規則に訴えるの
、画
、.,
は妥当なことである。
オーストラリアの唯名論
第二に、居住地と出自関係の弁証法に基づく解釈は、古典的なオーストラリアの組織||カリエ
ラとアランダーーを、不規則な組織と呼ばれているものをも全て包容するもっと一般的な類型分析
の中に統合することを許すというぼう大な利点を持っている。ここでこの第二の面を強調すること
この一般的類型分析がもっぱら社会学的性格に基づいており、トは不必要と思われるが、それは、
ーテミスムの信仰および慣行を度外視しているからだ。トーテミズムの信仰および慣行は、カリエ
ラ族では二義的な地位しか占めていない。アランダ族の揚合はそうとは言えないが、かれらのトl
テミスムの信仰および慣行は、どれほど重要なものであろうと、婚姻規則とはまったく異なった次
元に現われ、これに影響を及ぼしているとは息われない。
第2 章
*
エルキンの企ての独創性は、まさに、オーストラリア社会集団をト1テミスムという角度から再
かれは三つの規準を提唱する。形、
6x
検討したことに存する。一つのトーテム体系を定義するのに、
62
すなわちトーテムが個人および集団の聞に配付されるしかた(性別、ある氏族、ある半族等への所
属に応じて:::〉。次に、個人に対してトーテムが演ずる役割ハ補佐役、守護者、伴侶、あるい社会集団ないしは祭把集団の象徴として〉による営除。最後
に、集団内でトーテム割に相応する機能ハ婚姻規定、社会的道徳的制裁、哲学等)。
他方、エルキンはトl テミスムのニヲの形を特別扱いにする。《個人的》トl テミスムが特にオ
ーストラリア南東部で認められる。この揚合には呪術師とある動物種ハ一般に腿虫類)との関係が
問題になっている。動物が、一方では吉凶それぞれをもたらすものとして、他方では使者あるいは
スパイとして呪術師の補佐をする。呪術師が自分の威力の証拠として、飼い馴らした動物を誇示す
る例が知られている。この型のトーテミズムはニュl ・サウス・ウェl ルズでカミラロイ族および
クルナイ族において観察されたが、北部地方からダンピエランドまでの地域では、抗術師の体内で
生きている神話のへびに対する信仰の形で見られる。トーテムと人間との聞に措定されている同一
性は食事上の禁制をもたらすが、
である。もっと明確に言えば、
その動物を食べるのは自己の肉を食べるに等しいことになるから
その動物種は、種の魂一と呪術師の魂との間の媒介者として姿を現わ
している。
《性》トI テミスムは、エア湖地方からニュl ・サウス・ウエールズおよびグィクトリアの海岸
まで存在している。ディエリ族は両性を二つの植物と関係づける。また、時には、《烏》も援用さ
れ℃いる。こうもりときつつき(ウォリミ族〉、
みそさざいとこうもり(ユイン族)。これらすべての部族では上記のトl
こうもりとふくろう〈ディエリ族〉、みそさざいと
うぐいす(クルナイ族)、
オーストラりアの唯名論
テムは向性集団の標識の役割を果す。ある男性トーテムあるいは女性トーテムが他の性を代表する
者によって傷つけられると、向性集団全体が侮辱されたものと感じ、男女聞に争いが生ずる。トー
テムのこのような標識としての機能は、各向性集団がトーテム動物種と生きた共同体を形成してい
るという信仰に基づいている。ウォトジョバルク族の一言うように、グ一匹のこうもりの生命は一人
の男の生命だ08このような類縁関係を原住民がいかに解釈していたかはよく分らない。それぞれ
の性が、死後、それに対応する動物に生まれ変るという信仰か、あるいは友情、同胞愛の関係に対
する信仰か、さらには、また、動物の名を持った先祖が現われる神話によるものか:::。
ニュl ・サウス・ウエールズおよびグィクトリアの海岸で認められたいくつかの稀な例外を除い
て、性トーテミズムは母系半族に結びついているように見える。そこから、性トl テミスムは女性
群をよりはっきり《標識》づけようという意欲に対応するものであるうという仮説が生ずる。クル
ナイ族では、あまりにも控え目な男性に対しては、女性が男性トーテムを殺して男が結婚を申し出
第2 章
るように強制していた。争いがおこるが、婚約のみがこれに終止符をうつことができたのだ。他方、
ロ1 ハイムは性トーテミズムをフィンケ川の流域で、北西部のアランダ族の一部およびアルリジア
族の一部において見いだした。ところで、アランダ族には、地域トーテム祭犯からも、また、後述
63
64
する《懐妊》型トl テミスムからも分離した儀式的性格の父系半族がある。しかし、ほかの慣行な
いし制度はクルナイ族のものと類似点がないわけではない。アランダ族においても、また、女性が
時には主導権を握っている。これは、普通には、子供のトーテムを決めるにあたって、懐妊した揚
所を母親が自分で告げることによって果されるが、また、まったく女性の性愛的な色彩をおび式ダンスの揚合もそうだ。それから、また、すくなくもアランダ族
の一部の集団では母のトーテム
は自分のトーテムと同等に尊敬されている。
*
オーストラリアのトl テミスムの大問題は、婚姻規則との関係が提する問題である。婚姻規則が
ーーそのもっとも簡単な形でil 半族、四分クラス、八分クラスへの集団区分、再区分と関係ある
ことは見た。この系列を2、
か
し
4 、8 という《自然》序列によって解釈することほど魅力的なことは
四分クラスは半族の二分、八分クラスは四分クラスの二分で生ずることになる。し
このような発生において本来トl テミスムに由来する構造に帰せられる役割とはなんである
オーストラリアの社会集団において、社会組織と宗教との聞には
ない。すると、
う。そして、もっと一般的には、
いかなる関係が存在するのであろう。
この点で、北部アランダ族は以前から注目の的となっていた。というのは、かれらがトーテム集
かれらにおいてはこれら三種の構造の聞に回、・地域集団および婚姻クラスを持っているとしても、
。
日ヨレ可惨
」→
50οh m
lパー1:;a完
=.11レ=ュJI,猿
キンパリーランド
カラディヱリ族
ムルY キシ自矢
アルネムランド
ナアキオメリ族
ムqγ,t ' 族
フ族
ピジピシガ"!長
f 月17 ラム'//i・1長
i 端部地方
I
t ヵイティッシ品
冒
軍
邑
"'h'rルプ予自主
タイシズラシド
t'hV;\'7霊i園子 ;弘》干長:よ::ー:y;;乙:;「・・…: (ロ1Jh) {ベー
商オーストラりア・
。ラヴ7 -干シ
コtiラ族
ャーョェーア湖: : ァラバYナ族対台:
グディ手 I)~·-••••一一一一日-~, .-...,-,. .~--
i 南オーストラリア! 料ラロイ族...........
ミんとZ空八叩ピ篠: P川V川
ウォq ミ族
2 二ュー・サウス・ウ~ールズ
オーストラリア大湾
:-.~、-,
f 、,e、
~'71\1~怠\、
4 守拘
i ヴイクトリアL単
E ” w守4 齢、、
.、ι
66
はいかなる明白な関係もなく、これら三つの構造型は異なった次元に位し、そ発揮している
ように見えるからだ。これに反して、キンパリl ランド東部と北部地方との境界では、
社会構造ι宗教構造の融合が認められる。しかし、そのために社会構造は婚姻規定をここでは、
四分クラスおよび半族:::がトーテミズムの形であり、人間と(社会ではなくて〉
自然との関係を〈定義する一方法〉であるかのごとくに:::ハエルキンω六六頁〉
八分クラス、
すべてがおこる。
‘司ーノ、A
-T』、
φJPL品川町FV この地方では、婚姻を許可したり禁示したりするためには、集団への帰’属ではなく、
親族関係に根拠を求める。
いくつかの八分組織社会の場合も同様ではないだろうか。アルネムランド東部では、八分クラス
はそれぞれ固有のトーテムを持っている。すなわち婚姻規則とトーテム帰属とが一致する。北部地
方およびキンパリ1 ランドのムンガライ族とユングマン族では、トーテムは社会集団ではなく、特
定の名のある土地に結びついているが、トーテムと八分組織との聞の理論的な一致が守られるべく、
胎児の精霊は望んだクラスの一女性の前垂れの中に居を構えるようにつねに気を配るという巧妙な
理論のおかげで、結局、同じことになる。
カイティッシュ族、北部アランダ族および北西部のロリチャ族ではまったく違ってくる。かれら
のトーテミズムは《懐妊式》である。つまり、子供に与えられるトーテムはもはやその父のトーテ
ムでも母あるいはまた祖父のトーテムでもなく、母親が妊娠のはじまりを感得した揚所あるいはそ
の近くの場所に神話によって結びつけられている動物、植物あるいは自然現象だ。なるほどこの規
則は一見慾意的だが、しばしば、胎児の精霊がトーテム先祖の母と同じクラスの婦人を選ぶという
ことで修正されている。それにしても、スペンサl とギレンがかつて-説明したように、アランダ族
オーストラリアの唯名論
の子供はかならずしも父のトーテム集団または母のトーテム集団に属するといおっことはなく、母と
なるべき女性が妊娠を意識した揚所という偶然によって、同じ父母から生まれた子供たちが異なっ
たトーテムに属することもありうる。
したがって、八分組織の存在ということでは(かつてはこの規準のみに基づいて同一視されてい
第2 章
た)社会集団に同一の性格を与えることは許されない。時には、八分クラスが同時にトーテム集団
であっても婚姻規定の役は果さず、この規定は親等による決定に委ねられている。時には、八分ク
ラスは婚姻クラスとして作用するが、その揚合、トーテム一帰属とはもはや直接の関係はない。
67
四分組織の社会集団の揚合にも同様の不確実さが認められる。あるときにはトーテミズムは同時
に四分組織に対応し、あるときには数多くのトーテム氏族が四つのクラスに対応する四つの集団に
68
分けられている。四分組織というものは、子供に両親のどちらとも異なったクラスをあてがうので
(実際には、同じ半族中の母親のクラスではない方のクラス。この継承様式に間接母系出自関係と
いう名が与えられているて子供たちは必然的に両親とは違ったトーテムを持つことになる。
四分組織も八分組織もない半族社会集団は周辺に分布している。オーストラリアの北西部ではこ
れらの半族は二種のカンガルーの名で呼ばれており、南西部では二種の鳥、白いんことからす、あ
るいはたかとからす、東部では白と黒の二種のいんこ等の名で呼ばれている。
このような二元性は自然全体に及ほされている。したがって、すくなくも理論的には、すべての
存在、すべての現象はこれJの半族の聞に分けられている。これはすでにアランダ族において見られ
た傾向であったが、かれらのトーテムを数えあげたところ、その数は四百をはるかに越しており、
それが六十ほどの範噂にまとめられている。親族および地域に基づくトーテム外婚制規則が守られ
ていさえすれば、半族はかならずしも外婚制ではない。それに、周辺部の社会集団の揚合のように
半族がそれだけで存在していることもあるし、また四分組織、八分組織あるいはこれら両方の形
を伴っていることもある。たとえば、ラグァ1 トン近辺の部族は、四分組織は持っているが、半族
アルネムランドでは、半族と八分組織はあっても四分組織のない部族が記録さも八分組織もない。
半族は、
ナンギオメリ族には八分組織しかなく、半族も四分組織もない。したがって、
これを四分組織の一必要条件とするハ同様にして四分組織が今度は八分組織の条件である
れている。最後に、
オーストラりアの唯名論
その機能は必然的、自動的に婚姻を規定するものとは言えず、そ
のもっとも不変の性格は宇宙を二つの範噂に分ける点においてトーテミズムと関係があるように見
という)発生的系列には属さず、
える。
*
オーストラリアの氏族は
つまり同じ場所で懐妊されたと想定された人
間をすべて集合していることもありうる。これらの類型のいずれに属しようとも、氏族は普通はト
今度は、エルキンが《氏族的》と呼ぶ形のトl テミスムを検討しよう。
父系あるいは母系であり、さらにはまた《懐妊式》、
-テムで結ぼれている。つまり、その成員は一つないしはいくつかのトーテムに関して食事上の禁
忌を遵守し、トーテム種の繁殖をはかるべく儀式をおこなう特権ないしは義務がある。氏族の成員
をトーテムに結ぶその関係は、部族によって、系譜による(トーテムは氏族の祖先〉、ないしは土
地による(あるホルドがトーテム・サイト、つまり神話の先祖の身体から生じた精霊が住んでいる
とされている場所が存在するかれらの領土を通じてトーテムに結ぼれているとき〉として定められ
第2 章
ている。その母系半トーテムに対する関係が単に神話によっていることさえある。四分組織だが、
族の内部で男は自分の父方の祖父と同じクラスに属し、同じトーテムを所有する揚合である。
69
母系氏族はオーストラリア東部、つまりクインズランド、ニュl ・サウス・ウエールズ、グィク
トリア地方西部、および西オーストラリアの南西部の一小地方では圧倒的だ。つまり、いわゆる妊
70
娠における父親の役割の無知(というよりは、むしろ、否定と言うべきであろう)から、子供は、
母親から、女系列に継続して存続する血肉を受け取ることになる。そこで、同一氏族の成員は《同
じ一つの肉》を形成すると言われる。南オーストラリア東部の諸言語では、肉を意味する同じこと
ばが同時にトーテムを意味する。氏族とトーテムとのこのような肉における同一視から、社会的次
元では氏族の外婚制規則が、宗教的次元では食事上の禁忌が同時に生ずる。食物として摂取するに
せよ、性的交渉にせよ、同類が同類と交わってはならないのだ。
このような組織においては、各氏族は一般に一つの主要トーテムと、二次的、三次的と重要さの
順に従って並べられたまことに数多くのトーテムとを持っている。極端な揚合には、すべての存在、
事物、自然現象がまったく一つの体系と言えるものの中に包含されている。宇宙の構造は社会の構
造の再生にほかならない。
西オーストラリア、北部地方、
とクインズランドの境界で父系型の氏族が見られる。これらの氏族は母系氏族同様トーテムを持っ
ているが、後者と違って各氏族は父系地域ホルドであり、トーテムとの霊的な結びつきは、
は肉によらず、土地によって、
ヨーク岬の半島、および海岸地方のニュ1 ・サウス・ウテールズ
ここで
つまりそのホルドの領土内にあるトーテム・サイトを仲介として成
立する。トーテムの継承もまた父系に従っておこなわれるか、
な状況から二つの事態が生ずる。
あるいは《懐妊〉〉型かで、このよ‘っ
オーストラリアの唯名論
前者の揚合、父系トl テミスムは地域的外婚制になにものも加えない。宗教と社会構造とは調和
のとれた関係にある。個人の帰属という観点からは、宗教と社会構造とが重なり合う。これは母氏族の揚合に認めたことの進だ。というのは、オーストラリアに
おいては住居はつねに父方居住なので、母系氏族の揚合、出自関係の規定と住居の規定とが不調和的だったからだ。両規定がそれ
ぞれ働くので、そうして決められる個人の帰属が正確に両親の一方と同じということはけっしてな
い。他方、この父系トl テミスムは生殖に関する原住民の説とは関係がない。同じトーテムに帰属
しているということは、そのホルドの連帯性というただ一つの地域現象を表明しているにすぎない。
トーテムの決定が懐妊方式ハアランダ族におけるように懐妊した揚所であるにせよ、または、南
オーストラリアの西部におけるように誕生した揚所であるにせよ〉でおこなわれる場合には、事情
は複雑になる。この場合も、また、居住地は父方の土地に選ばれるため、懐妊も出生も父方ホルド
の領土でおこる可能性が多く、その結果、トーテム継承の規則に間接的に父系の性格を維持せしめ
る。とはいうものの、特に家族が移動する揚合には例外も生じえ、このような社会集団においては、
子供たちのトーテムが父方のホルドのトーテムの中に残るということは、ただそのような蓋然性が
いずれ
第2 章
あるというだけにとどまる。その一つの帰結であるのか、または一併存的現象であるのか、
71
軌跡和伽問、和弘whfh 川という用語は『親族の基本的構造』の中で定義し、その包含する意味を検討した由
本
72
アランダ族においては(すくなくも北部地方のアランダ族においてはて,トーテムによ
る外婚制規則は認められない。この部族においては、外婚制規定は親族関係あるいは八分組織に委
ねられており、八分クラスはトーテム氏族とはまったく別である。相関的に父系氏族の社会集団で
は食物上の禁忌がずっとゆるやかで、時には存在していないことさえあるが(ヤラルド族におけようにて母系氏族ではつねに厳格な形をとっているように見える
ことも注目をひく。
最後に、ェルキンが描写したトl テミスムのもう一つの形は、ただこれを指摘するにとどめよう。
北西部のカラディエリ族と南オ1 スト予リア西部の二地方のディエリ、マクンパおよびロリチャ諸
族においてみられる《夢の》トーテミズムである。《夢の》トーテムは、婦人が懐妊の最初の徴候
を感じたとき、時には、異常に脂肪が多いために超自然的成分を持ったものと思われる肉をのみ下
したあとで啓示されうる。《夢にみた》トーテムは、子供の誕生の地によって決定される《祭-紀》
にもせよ、
トーテムとは別のものである。
以上簡単に要約し、解説したにすぎないが、エルキンは長い分析||それはさらに他の労作にお
いて繰り返し取り上げ、.補足されているーーのあと1 オーストラリアにはいくつかの互いに異質な
形のトーテミズムが存在すると結論する。これらの形は重なり合っていることもある。たとえば、
甫オーストラリア北西部に住むディエリ族は半族のトl テミスム、性トーテミズム、母系氏族トーテミズムおよび父方居住制に結びづいた祭把トl
テミスムを併有している。さらに、これらの原住
73 第2 章 オーストラリアの唯名論
民においては、むすこは父のトーテム(むすこ自身はこれだけを自分のむすこたちに伝えるのだが)
のみならず、母方のおじの祭記上のトーテムも守る。キンパリ1ランド北部では、半族のトlテミ
スム、及び夢のトl テミスムが結びついているのが見られる。南
オーストラリアのアランダ族には父系のトーテム祭杷ハこれが夢のトーテムと重なり合う〉と母方
のおじから譲り受けるトーテム祭犯とがあるが、
父系地域ホルドのト1テミスム、
ほかの地方のアランダ族では母のトーテムの畏敬
に結びついた個人的な懐妊式ト1テミスムが見られる。
したがって、それ以上還元できないいくつかの《種》を区別することが望ましい。個人的トlテ
ヴアF 品テ
ミスム。社会的ト1テミスム。この中にはその変種として性ト1テミスム、二分組織、四分組織、
および氏族(父系であることも母系であることもある〉のトlテミスム。祭肥トI テミ八分組織、
スム。これは宗教的性格のものでこっの変種がある。一つは父系、もう一つは懐妊式のもの。最後
に夢のトーテミズム。これは社会的でも個人的でもありうる。
*
以上で分るように、エルキンの企ては、ト1テミスム説の擁護者たちがトlテミスムを、数多く
この点、スペンサ1 およびギレシの観察は、現在批判されている。他の機会にふれるつもりだが、ここでは、最近の解
釈〈エルキシω)においでさえ、アランダ制度は北部および南部の隣接部族の制度に対して示差的標識づけがされたとして示されているということにだけ注目し
ておこう。
本
74
の社会集団の中で回帰的に現われる一つの制度の形に作り上げようとして、軽率にもまた恥知らなことにも寄せ集めて援用した雑多な混合物に対する健全な反抗
としてまず姿を現わす。ラドクり
71ブラウンのあとを襲って、オーストラリア民族学の研究者たち、中でもエルキンの企てたぼう大
な探究の努力が、オーストラリアに認められる諸事実のあらゆる新しい解釈の不可欠な基礎として
残ることには疑いの余地がない。現代のもっとも実績豊かな人類学派の一つと名声も高いその主導
者に当然値いする賞讃を送ることにはやぶさかでないが、理論的および方法論的面において、この主
導者が不可避であったとは言えない窮境に身をおとしこまなかったか、と自問することは許される。
エルキンの研究は客観的かつ経験的形体の下に提示されているが、アメリカ人の批判によって荒
し尽された地盤に再建設を企てているように見える。ラドクリフ日ブラウンに対するかれの態度は
さらに陵味である。のちに論述するが、ラドクリフn ブラウンは、すでに一九二九年に、トlテミ
スムについてポアズに劣らぬほど否定的なことばで発言していた。しかし、オーストラリアで認め
かれはボアズ以上にこれを重要視して、それらの事実をいくつかに区別すられる事実については、
るよう提唱しているが、これら区別は、実際には、エルキンがのちに取り上げたものと同じと言っ
てよい。しかし、ラドクリフn ブラウンがこれらの区別を、トlテミスムという観念をいわば破裂
させるために使用したのに対して、エルキンはもう一ワの違った方向を辿る。オーストラリアにお
けるトーテミズムの形の多様さから、エルキンは、タイラl、、ボアズのあと、そしてさらにはラドク
リフn ブラウンのあとでありながら、トl テミスムという観念は首尾一貫しない観念であり、事実
を注意深く検討し直すときこの観念は氷解する、とは結論しない。かれは、あたかもトーテミズム
を数多くの互いに異質な形に還元することによってその現実性を救うことができるとでも信じてい
るかのように、ただトl テミスムの統一一位に対して異議を唱えることに甘んじている。かれにとっ
ては、もはや一つのトl テミスムというものはなく、いくつかのトーテミズムがあって、その一つ
一つがそれ以上還元することのできない実体として存在している。九頭蛇を打ち殺すのに貢献する
かわりにハしかもトーテミズム理論の樹立に当ってオーストラリアで認められる事実の演じている
かれの働きは決定的なものとなったでもあろうと思われる地盤においてて役割を考えるとき、
コ=ー
論
名一つ一つの断片と和解する。しかし、実質が欠けているのはトlテ唯
問ミスムという観念そのものであって、単にその統一性だけではない。言いかえげは、トーテミズムを粉どなにしさえすれば、実質化することができると信じて
いる。デカルトの表
叫現をもじって、エルキンは難点をさらに良く解決するという伊安か下わ分ォ7イl ルド
このような試みは、もし||先駆者であった大部分の人々とは違ってーーその提唱者が実地の大
民族誌学者でなかったならば、トーテミズムの第四十二番目、第四十三番目ないしは第四十四番目
の理論として整理されるにとどまり、なんの害も及ぼさないことであろう。提唱者がエルキンの揚
合には、理論が経験的現実にはねかえり、その衝撃でこれを瓦解させるおそれがあるのだが、実際
ルキンはこれを切りきざんで、
7ラ 第2 章
76
オーストラリアで認められた諸事実の等質性と合規格性?)れが民族学
的省察におけるこれらの事実の傑出した地位を説明するのだが〉を救うことは、これらの事実の現
にそのような結果となる。
実性の総合的様態としてのトーテミズムを放擬するという条件においてのみ可能であった。あるい
は、トーテミズムをーーその多様性を認めた揚合でさえll 一つの現実の系列として維持すること
によって、事実そのものがその多様性に汚染されるというおそれに身をさらすことになる。事実を
尊重すぺく理論を破壊せしめるかわりに、
いかにしてもトl テミスムに一つの現実性を保持しようと欲して、かれはオ1 スドラリア民族誌学
これらの事実の間の連続性をうちたてることができなくなるという
エルキンは理論を救うために事実を分離する。しかし、
を異質な事実の蒐集に還元し、
危険をおかしている。
、っ--、、
TVJJ 、u・エルキンはオーストラリア民族誌学をどのような状態で受け継いだのであろうか。
オ
十ストラリアの民族誌学が、体系尊重の精神の猛威に屈する寸前であったことはすこしも疑いの
余地がない。すでに述べたことだが、もっとも良く組織されているように見える形体のみを考察し
これを複雑になる順に配列し、さらにはこれらの形体の中で||アランダ族のトーテミズム
のように||体系の中に吸収させにくい面は断固としてその価値を無視しようという誘惑は強か
て、
った。
しかし、この種の状況を前にして二様の反応の仕方がある。イギリス人の表現を借りれば、浴槽
の水と共に赤ん坊も流し出してしまう、
りはむしろ体系的解釈の希望をまったく放擁してしまうか、あるいは、それまでにかすかにでも見
て取れた秩序に信頼を寄せてその見通しを押し広げ、すでに規格に叶っていると認められた形体だ
けでなく、体系化に対する抵抗がおそらくはそれに内在する性格のゆえではなく、把握の仕方が悪
つまり体系的な解釈を新しい事実に基づいて再検討するよ
く分析が不完全である、ないしはあまりにも狭すぎる角度で取り扱われているという理由で説明の
つく形体をも包容することを許すような、もっと一般的な観点を求めるかである。
婚姻の規則と親族組織とをめぐって、かつてわたしははっきりと以上のようなことばで問題を提
オーストラリアの唯名論
示したし、もう一つ別の研究においては、いまだ理論的分析がすでに果されていた体系と、また、
ないしは標準からはずれたものとされていた体系とを同時に説明するにふさわ
しい総括的解釈を立てようと執心した。わたしは、常貯鈴貯U紛於仙相応酬UP一JW?一一於hhN 日ベ品川拾
いで…ーか俳ふbrm 久phい除、
に規格に適しない、
この種の諸事実の総体について首尾一貫した解釈を与えることができる
ことを示した。
第2 章
ところが、トーテミズムの揚合、エルキンはトーテミズムという概念に疑いを抱くことを避け
グア日且テ
それ以上還元することができない変種ーーした(一つの社会学的グ種グと見なされているものに、
77
がってそれ自体がそれだけの種となるようないくつかの変種ーーを置き換えるという条件でなのだ
が:::て現象もまた細分を蒙ることを甘受する方を好んだ。わたしには逆にll 本書はそれを指
78
摘する場所ではないがll ここでも前節で言及した過程を踏んでまず解釈の範囲を拡大することが
できるかどうかを検討し、ついで、トl テミスムの総合的概念がこのような取り扱いに堪えないこ
とになるとしても、今度は社会的および宗教的現象を包含するような総括的な体系を再構成すると
いう希望の下に、解釈の範囲にあらたな次元を与えるべきであったように思われる。
*
すべての出発点であるクラスの等差級数に戻ろう。すでに指摘したように、多くの学者はこれを
発生の系列と解釈した。実際には、ことはそれほど簡単ではない。というのは半族が四分クラスに、
四分クラスが八分クラスに《形を変える》ことはないから。論理図式は二、四、八と連続すると想
定されるような三段階とはならず、むしろ次のような形だ。
ーl 八分クラス
||(零)
雷同いかえるならエルキンが立証したように、組織は単に半族だけ、四分クラスだけ、八分クラス
だけであることも、さらにまた、これら三づの形の一つを除いて他の二つによって構成されている
こともある。しかし、それだからといって、これらの集団構成様式の窮極の存在理由は社会学的次
オーストラリアの唯名論
元に見いだすことができず、宗教的次元にこれを求めるべきだと結論しなければならないだろうか。
まず、もっとも簡単な場合を取り上げよう。二元組織の理論は、経験的所与であって、制度とし
て観察しうる半族組織と、半族組織にはかならず包含されているが、その形において客観化の程度
に差こそあれ、ほかでもまた現われており、普遍的なものでさえありうる二元図式との重大な混同
に長い間苦んだ。ところで、この二元図式は、半族組織のみならず四分組織および八分組織にも含
まれている。この図式は四分クラス及び八分クラスがどちらもその倍数だという事実において既に
現われている。したがって、半族組織が時間的にもっと複雑な形体に必然的に先行したかどうかを
問うのは、問題としてまちがっている。図式がすでになんらかの制度として具体的な形をとってい
たところでは、半族組織が先行することができた。しかし、また、二元図式が制度という面でいき
なりもっと発展した形をとったこともある。つまり、状況によっては、簡単な形が複雑な形の吸収
によって生まれ、あるいは時間上先行したということが考えられる。前の仮説はポアズの好むとこ
ろだが、
第2 章
これがありうる唯一の発生様式に相応するのではないことはたしかだ。わたし自身観察し
たことだが、中部ブラジルのナンピクワラ族において、それ以前にはもっと多かった集団の数の減
79
*
この問題は別の著述で取り上げることになろう。
前述二三頁参照。
*
本
80
少によってではなく、それまで孤立していた二つの社会的単位の組合わせによってニ元組織が成立
するのを目のあたりにした。
したがって、二元性が原始的社会構造だとか、他の社会構造に時間的に先行する構造であると考
えることはできない。すくなくも図式の状態においては、二元論は二分組織、四分組織、および八
分組織に共通な基体を提供する。もっとも吋推論を四分組織および八分組織にまで押し拡げうるか
どうかはたしかではない。というのは、ll 二元論の揚合とは違ってil オーストラリアの思考に
おいて、四分、八分構造を表明している具体的な制度と無関係に松、四分図式る八分されないからである。オーストラリア全土を通じて四分クラスへの配分(各
クラスはそれぞれ異な
るはいたか属の鳥の名前で呼ばれている〉が、体系的で徹底的な四分から生じたと考えうる揚合は、
一例しか指摘されていない。他方、四分クラスと八分クラスへの区分がクラスの社会学的機能から
これ以外のいかなる数でも生ずるべきであろう。これらの組織においてクラ独立心ていたならば、
スがつねに四つあるいは八つであると指摘することは、同語反復をおかすことにもなろう。これら
の数は両組織の定義の一部をなしている。しかし、オーストラリア社会学が限定交換体系を表現す
るのに他の項を作り上げる必要がなかったということは意味が深い。オーストラリアでは六分クラ
ス組織も実際に指摘されている。四分組織の社会集団聞で頻繁に婚姻がおこなわれた結果、それぞ
れの集団のクラスのうちのこつずつが同じ名でa呼ばれるようになったものだ。
社会集団l 社会集団2
a
,画、
。
g
e
、回,
.
l l
b
h,
ラドクリフ日ブラウンが、婚姻規定においてカリエラ族はしかるべきクラスへの帰属よりは親等
の度合によけい執心するといおっことを示じたのは事実だ。そして、アルネムランドのウランパ族に
オーストラリアの唯名論
おいては(前にムルンギン族と呼んだ)、八分組織は婚姻規定においては現実の役割を演じてはい
ない。婚姻は母方の交叉いとことの間でおこなわれるからだが、四分組織にずっと良く適応する。
もっと一般的に言うなら、優先的あるいは婚姻規制に叶った配偶者は、通常ある一つの(四分組織
クラスに所属しているとしても、
ではない。このことから、クラスは婚姻の規定を唯一の機能とするものではない、あるいはおそら
くはそれを主要な機能とするものでさえないという考えが出てくる。エルキンをはじめとする何人
かの学者によれば四分クラスおよび八分クラスは、むしろ数部族合同の儀式に際して、儀礼の必要
章
一かに叶った親族の範噂に個人を分類するための一種の便法だと言う。
なるほど、いくつかの方言あるいはいくつかの言語の間で同義語を求めるという問題が提出され
るとき、共通の簡略な法規があれば使用に便利だが、これらのクラスはそのような機能を果すこと
あるいは八分組織の) 一人だけでそのクラスを満たしているわけ
81
82
ができよう。だが、各集団固有の親族体系よりは簡略化されたものであるがために、このような法
規は必然的に差違を無視する。しかしその機能を果すためとはいえ、さらにもっと複雑な法規化に
そむくことも許されない。各部族が自己の社会構造を表明するために一方には親族体系と婚姻規則、
他方には四分あるいは八分組織というこっの法規を持っていると認めたとしても、これらの法規が
メツサージ
異なった指示を伝えるべき性質のものであるといおっことにはけっしてならず、むしろそのような考
メツサージ
えを斥けるものだ。伝えるべき指示はあくまでも同じものだが、ただ、状況と宛先人のみが変りう
る
ムルンギン族の八分クラスは婚姻および出自関係の体系に基づいており、本質的に親族構造を
構成する。これら八分クラスは、親族関係の数のはるかに多い発展した親族構造から出発し、
,,
、.,
れをいくつかの親族群にまとめて分類し、
おこな〉フ。
それぞれ一つの名で呼ぶことによって一種の一般化を
このような再編成法によって親族の項は八つになる。というのは、八分組織が八ワの
区分を持っているからだ。(ウオーナー一一七頁)
部族間集会の揚合、この方、法は特に有益である。
83
σ〉
体系
は
第2 章 オーストラリアの唯名論
これらの人々の親族の用語が大儀式には人’々は近隣数百キロのところから来る。:::そして、
互いに全く異なっていることがある。しかし、四分クラスの名は実際には同じで、八つしかないそこで一人の原住民にとり四分クラスという点では、見たことも
ない一人の男に対して自分がど
のような関係にあるかを見て取ることは比較的容易だ。ハウオーナー一二二頁)
しかし、i ーほかでも指摘したことだがll このことから次のような結論を出すのはまちがって
いよおっ。
:かつての学者たちの意見には反するが、四分組織および八分組織は婚姻を規定しはしない。
・:なぜなら、結局、だれと結婚するかということを決定するのは、男と女の間の親族関係だか
らだ。:::ムルンギン族においては、んないしはおに属している男は九か恥の女をめとる。ハ同
上一二ニー一二三頁〉
それには違いない。しかし、ハ一〉この男はほかの集団の女をめとることはできない。とすると、
それなりに婚姻の規定を、八分組織ではないとしても四分組織の次元で表現している。
ハニ)八分組織の次元においでさえも、これら二型の婚姻が交互におこなわれているということを
84
認めさえすれば、クラスと親族関係の問の一致は回復されることになる。(三〉《かつての学者たち
あるいは八分組織のすべての社会学的意味を考えてはいなかったかもしれないが、の意見》は、
. ・
、圃.
の体系をすくなくも完全に自分たちのものとしていた集団に関する考察に基づいていた。ムルンギ
ン族の揚合は違う。ムルンギン族を同じ次元に置くことはできない。
したがって、婚姻クラスという伝統的な概念を改めるべき理由はすこしもない、とわたしは信
ずる。
四分組織の始まりは、二重の二元性(一方が歴史的に他方に先行するということは必要ではない
が〉の社会学的統合の方式として、八分組織はこの方式の反復としてのみ説明がつく。というのは、
四分組織が半族組織から生じたと認めねばならない理由はないとしても、八分組織と四分組織との
聞に派生的関係を認めるのは妥当なことと思われるからだ。まず、そうでないなら、なにかほかの
数だけクラスを持った組織があるべきだし、それに、二重の二元性はこれも二元性だが、三重のニ
元性となると新しい原理を介入せしめることになるからだ。そのような新しい原理は、
H ペンテコースト型の六分クラス組織において見られる。しかしこのような組織はまさにオースト
ラリアには欠けており、要するに、オーストラリアでは、八分組織は二×四型の操作の結果として
アンプリン
のみ生じうる。
とすると、エルキンが指摘したものだが、八分クラスが純粋にトーテム集団であり婚姻規定には
影響のないように見える諸例はどのように解釈するべきであろうか。まず、これらの例のエルキン
の活用の仕方は絶対的な説得力を持つものではない。ムルンギン族の揚合に限定しよう。八分組織
はここでは婚姻
規定にすこしも無関係ではないため、対応を挽回するという唯一の目的から、複雑
巧妙に操作された。つまり八分クラスを設定するときに、原住民は(ほぼ二回に一回適用される選
択婚姻の規則を導入することにより〉その機構を変え、八分クラスへの区分が婚姻による交換に反
響を及ぼすのを避けようとした、というのだ。この例から引き出しうる唯一の結論は、八分組織に
オーストラリアの唯名論
ムルンギン族はそれまで実施していたものより良い社会的統合法、ないしは
異なった原理に基づくものを適用しようとしたのではない、ということだ。伝統的な構造を維持し
たまま、かれらはそれを隣接住民から借用した外見の下にいわば隠し、紛装した。しかも、オースト
ラリア原住民がきわめて複雑な社会制度に対して抱いているように見える驚嘆の念にかられて:::@
訴えることによって、
このような借用にはほかにも例がある。
かづてはムリンパタ族は父系半族を持っているだけであった。八分組織は、例外的に優れた知
第2 章
*その反対が主張されたハレイシ〉。しかし、いわゆるカラディエリ型の組織は、理論的には、単に三つの単系血だけで機能を発揮することができるわけだが、
観察された事実には、実際に三分がおこなわれていることを示唆するはない。エルキンは自分自身第四の単系血縁集団の存在を確立したではないか。〈エルキン
ω一九六一年版七七t 七九頁〉
85
86
性に恵まれ、大いに旅行した何人かの原住民が異部族の衆落で話を聞き、八分クラス組織を完全
のちに導入したものだ。あちらこちらに反対者はいたが、これらの規則は、理解でき
なくても、すばらしい権威となっている。八分クラス組織がこれらの部族にとって抗し難い魅力
となっていることはすこしも疑う余地がない。:::しかし、以前の体系が父系的性格であったた
めに、八分クラスの割当てにしくじり親族関係は守られているが、形式的観点からは規定に惇る
婚姻が数多く生じた。(スタナーによる要約)
に覚えて、
また、時には、外部から強制された組織は理解されない。T - G - E ・ストレロ1 は、北部地方
から来た隣接部族によって異なった八分組織クラスに配置された二人の南部アランダ人の話を誇っ
ている。かれらはそうされても、なお、互いに兄弟と呼びあったという。
この二人の南部の男は新しい到来者たちによって、それぞれ、違ったクラスに入れられた。と
いうのは、その中の一人がある八分組織集団出の女をめとっていたからだ。こうして、この男の
婚姻は、外来者の理論に基づいて《合法化》されていたのだ。かれらはわたしに以上のような説
明をしてから最後に、記憶と伝統がさかのぼれる限りの普から四分クラスの制度のもとに統制さ
れた生活を営んでいた南部の旧地に、自分たちの体系を強制するほど思いあがった北部アランダ
人について厳しい批判を述べたop 四分クラス組織は、われわれ南部の者たちにとってはニヲの
組織のうちでは最良のものです。われわれは八クラスがすこしも理解できません。これはなんの
役にも立たないばかげた組織で、せいぜいかれら北部地方のアランダ族のような気違いどもには
良いのでしょう。しかし、われわれは、われわれの先祖からこんなばかげた慣行は譲り受けませ
んでしたodハストレロ1 七二頁)
オーストラリアの唯名論
四分組織あるいは八分組織が発案され、模倣され、ないしは理知的に借用されたとき、
その機能はづねにまず社会学的であった、づまり比較的簡単な、しかも部族という限界をこえて適
用されうる形で親族体系および婚姻による交換体系を法規化するのに役立った||そして、いまだ
にしばしば役立っているーーと措定しよう。しかし、これらの制度は、ひとたび与えられると独立
した存在を営みはじめる。好奇心あるいは審美的驚嘆の対象として、また、その複雑さのゆえによ
り高度の文明型の象徴として:::。これらの制度は、その機能を十分に理解しない隣接の住民たち
そこで、
によって、そういうものとして借用されることも度を重ねたに違いない。そのような揚合には、既
第2 章
存の社会的規則に合わせておおまかに調整されたこともあったし、すこしも調整されなかったこと
その存在様式は観念的であるにとどまり、原住民は四分クラスあるいは八分クラスを《ももある。
87
てあそぶ》か、あるいはただ忍従するだけで、ほんとうにこれを使いこなすには至らない。言いか
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
えるならば、11 エルキンの信じていることの逆だが||これらの組織がトーテムに基づいている
。。
8 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
がゆえに不規別であると宣言する必要があるのではなく、不規則であるがゆえにトーテム型でしか
、、、、、、、
ありえないのだ。トl テミスムは、ーl 社会組織が欠けているときにはーーその思弁的で無償の性
格のゆえに、これらの体系が機能を発揮しうる唯一の地盤を提供する。それに、《不規則的》とい
うことばも両者の揚合同じ意味を持つてはいない。エルキンはあらゆる体系的類型学の努力を暗に
糾弾し、これを互いに異質な様態の単なる目録、ないしは経験だけに基づく描写で置き換えようと
して以上の諸例を指摘する。しかし、わたしにとっては、《不規則的》ということばは規則的形体
の存在に惇るものではない。《不規則的》といおっことばは、人々が好んで言うほどには頻繁には見
その実体が11 明確に確立されたと想定して||正常な形態の実体とは同じ次元
マルクスが言ったように、《発疹》
られないもので、
に置くことを許されないような病理学的形態にのみ適用される。
は《皮庸》ほどに実体のあるものではない。
Jもっ7Cd臥U
、エルキンの経験的諸範鴎の奥に一つの体系のきざしを見て取ることはできないだろう
か。妥当なことだが、エルキンは母系氏族のトl テミスムと父系氏族のトーテミズムとを対立せし
トーテムは前者の場合は《肉》であり、後者の揚合は《夢》だ。したがって、一方では有機
的、物質的であり、他方では精神的で、無形だ。その上、母系トl テミスムは氏族の通時的、生物
める。
学的継続性を保証する。それはその単系血縁集団の女性たちによって世代から世代へと継承され
肉と血だ。これに反して、父系トーテミズムは《ホルドの地域的連帯性》、
藤幹、生物学的ならぬ領土上の結びつきであり、氏族の成員を共時的にーーもはや通時的ではない
オーストラリアの唯名論
11 結びつける。
つまり内的ならぬ外的
以上のことはすべて真実だ。だが、それだからといって、いくつかの異なった社会学的《種》が
対象になっていると結論しなければならないだろうか。これはあまり確かではなく、対立は逆にも
なりうる。つまり、母系トl テミスムも、また、共時的機能を持っている。それは、さまざまの氏
族の出の妻たちが居住しに来るそれぞれの父方の領土で、部族集団の一不差的構造を同時性において
表明することに存する。父系トl テミスムの方も、通時的機能を持っている。神話伝説上の先祖が
ある特定の地に定着したことを祭紀集団の管理の下に定期的に記念することによって、
間的継続性を表明しているからだ。
トl テミスムの二つの形は、
ホルドの時
したがって、互いに異質的どころか、むしろ相互補完の関係にある
ように見える。一方から他方へ変形によって移行する。異なった方法によってだが、両者は共に物
第2 章
質世界と精神世界、通時性と共時性、構造と出来事の聞に関連を打ち立てる。それは、自然と社会
の平行的な属性を表明するこっの異なった、しかし、相関的な仕方、ほかにもありうる方法のうち
の二つだ。
')
89
エルキンはこのことをあまりにもはっきりと感じているため、トl テミスムをいくつかの異なっ
90
た実体に細分したあと、これになんらかの統一を取り戻そうと努力する。すべての型のトl テミス
ムは一方では人間と自然の親族関係および協同を、他方では現在と過去の連続性を表明するという
こ重の機能を果している、とかれは結論する。しかし、表現はあまりにも漠然としており、一般的
すぎて、この時間的連続性が最古の先祖が動物の外形を持たねばならなかったということを意味し
ていることになぜなるのか、また、社会的集合体の連帯性がなぜ必然的に祭紀の多様性という形で
確立されねばならないのかは、もはや理解できない。単にトーテミズムに限らず、いかなるもので
あれ、あらゆる哲学、宗教が、エルキンがトl テミスムを定義するものと主張する性格を示してい
る
。
・:毎日の必要に直面させられた人聞が、個人としてのみならず社会の成員として忍耐強く頑
強に生き続けようと志しうるだけの十分な信念、希望および勇気を生ぜしめる:::一ヲの哲学
::(エルキンωコ三頁〉
このような結論に到達するべくしてあれほどの観察、あれほどの調査が必要だったのだろうか。
エルキンの教訓豊かな、洞察力の鋭い分析とこのような簡略な総合との間にいかなる結びづきも認
められない。この二つの次元の間を支配している空虚は、十八世紀、グレトリ1 の和声に、その高
音と低音の間に馬車を一台通すこともできようという非難があびせられたことを思いおこさせ第
2 章 オーストラリアの唯名論
みふhp、Ahi 由、@
j 卓・泊+JL
91
92
第三章機能主義的トーテミズム
エルキンがどのようにしてトI テミスムを救おうと企てたかを検討してきた。かれはアメリカ学
界の攻撃をかわすべく、陣を開いて主力をこっの側面に集中し、
密な分析に、他方では先人たちよりもさらに大まかな総合に支えを求めたのだ。しかし、ほこのような戦術はかれが蒙った主な影響、しかも相対する二つの方
向にかれを引き裂く影響を
一方では先人たちよりもさらに綿
iま
反映している。ラドクリフu ブラウンからは、かれは綿密な観察法と分類の晴好とを受け継いだの
だが、他方、マリノアスキーという模範は、早急な一般化と折衷主義的な解決へとかれを促しエルキンの分析はラドクリフ”ブラウンの教訓に着想を得、かれの
総合の企てはマリノフるのだ。
スキーのそれに結びつく。
なるほど、
に対するかれの応答は、エルキンのそれのように、
アメリカ学界の批判
トl テミスムをいくづかの実体に細分してまで
マリノアスキーはトーテミズムの現実性を認めている。じかし、
もこれを事実の中に確立しようとすることには存せず司観察の次元をいきなり超越して、トl テミ
そこにおいてトーテミズムを直観的に把えることに存
マリノアスキーは、厳密な意味での民族学的観点というよりは生物学
的および心理学的観点に近い見方を採用する。かれの提唱する解釈は自然主義的であり、実利主義
スムの統一と単一性とをふたたび見いだし、
する。このような目的から、
的であり、情緒主義的である。
いわゆるトーテム問題は、個々別々に取り上げれば答えることの容
易な三つの質問に還元される。まず、なぜトーテミズムは動植物に訴えるのか。これは動植物が人
マリノアスキーにとっては、
第3 章機能主義的トーテミスム
間に食物を提供し、食物の需要は未開人の意識においてもっとも重要な位置を占め、さまざまの強
烈な感動を呼ぴおこすからだ。部族の基本的な食物を構成しているいく種類かの動物および植物種
がその部族の成員にとって主要な関心点となるのはすこしも驚くべきことではない。
原始林から未開人の胃の蹄ついでその精神へと導く道は短い。世界は、未開人には、ただ有益
な動植物種のみ、しかもその中でも第一番に食用に供することのできるものが浮き出して見える
混沌とした図として与えられる。ハマリノアスキーωニ七頁〉
93
人は、人間と植物および動物との類縁関係に対する信仰、増殖の儀礼、食物上の禁制および飲食
の秘蹟的形式を基礎づけるものを問うことだろう。人間と動物との聞の類縁関係は容易に確かめる
94
ことができる。人間同様、動物は動き、音声を発し、感動を表明し、身体と顔とを有する。さらに、
動物のカは人間のカより優れているように見える。鳥は飛び、魚は泳ぎ、腿虫類は脱皮する。人間
と自然との問で動物は仲介者の地位を占めており、
長敬ないしは危倶、食物としての渇望、これがトl テミスムの成分だ。生命のない対象ll 植物、自
然現象ないしは工作された物ーーは《トーテミズムの実体とはなんら関係のない:::副次的形成》
かくして動物は人間に種々の感情をおこさせる。
のものとしてのみ介入する。
祭犯の方は、食用に供しうるものであれ、有益なものであれ、危険なものであれ、その種を掌握
しようという願望に対応するもので、そのようなカに対する信仰が生活共同体の観念をもたらす。
人間と動物は、前者が後者に働きかけうるためには、同じ本性を分けもつ℃いなければならない。
そこで動物を殺したり、食べたりすることの禁止といったような《当然の制限》、およびそれと相
閥的に人間に帰せられる、その動物種を増殖せしめる力の肯定が生ずる。
最後の問いは、トl テミスムにおける社会学的面と宗教的面の並存に関するものだ。今日までは
前者のみが取り上げられていたが、それは、あらゆる儀礼は呪術へと向い、あらゆる呪術は個人な
いしは家族の専門化の傾向を示しているからである。 トーテミズムにおいては、呪術による種の増殖は、当然一人の専門家が自分の近親の補佐を受
けておこなう義務ないしは特権となる。。一八頁〉
家族自体が氏族に変貌すべき傾向を持っているので、一つ一つの異なったトーテムがそれぞれの
氏族に付与されていることは問題とはならない。
かくして、トl テミスムはあたりまえのこととなる。
機能主義的トーテミスム トーテミズムは、未開人が環境から自己に有益なものを引き出すための努力および生存競争に
おいて、宗教によって与えられた祝福としてわれわれに現われる。ハ二八頁)
第3 寧
つまり、問題は二重に逆転されている。トーテミズムはもはや一文化現象ではなく、《自然な条
件からの自然な帰結》である。その起源および発現において、トi テミスムは生物学および心理学
の領域に属し、民族学の領域ではない。トl テミスムが存在しているところで、しかも異なった形
で存在している理由を問おっことはもはや問題ではなく、その異なった形を観察可叙述、分析するとは二次的な関心にしか値いしない。提出されうる唯一の問題
はll しかし果して提出するだろう
かl !なぜトーテミズムがいたるところに存在しないかを理解することであろう。
実際には、妖精マリノフスキ?のかなり軽いll と同時にかなり軽はずみな||魔法の杖の働き
95
96
で、トl テミスムは雲のごとく消え去ったと想像することは慎しもう。問題はただ逆転されたにす
ぎない。そして舞台から姿を消したのは?民族学とそのすべての成果、知識、方法だけだったもしれない。
*
トーテム問題の理論家たちの抱いている幻影の奥に隠
あばき出すことに成功して、トーテム問題を清算することに決
定的に貢献することになる。これが、わたしがのちにかれの第二理論と呼ぶものだが、まず第一論を検討することが必要である。第一理論の運びはその原理にお
いてマリノアスキーのものるかに分析的で厳密なものだが、まことに似かよった結論に到達している。
ラドクリフu ブラウンは、晩年に至って、
されていた実際の問題を取り分け、
ラドクリフ”ブラウンはあるいは認めるのを喜ばなかったかもしれないが、かれの出発点はポア
ズの出発点と異ならない。ポアズ同様かれは、グトl テミスムということばは、有用でなくなった
あとも、術語として生き続けたd のではないかと自問する。ポアズ同様、しかもほとんど同じこと
ばで、かれは、いわゆるトl テミスムを、神話や儀礼が表明している人間と自然種との関係の一ヲ
の特定の揚合に還元するという企てを告げるl
たJものだという。
トl テミスムという観念は、相異なるいくつかの制度から借用した要因によってでっち上げられ
オーストラリアに限っても、性別、地域、個人、半族、四分クラス、八分クラス、
’h
少7 第3 寧 機能主義的トーテミスム
氏族〈父系および母系)、ホルド等いくつかのトーテミズムを区別するべきである。
これらすべてのトーテム組織が共通に持っているものは、社会的分化の単位をそれぞれなんら
かの自然種ないしは自然の一区分と結びつけることによって性格づけようとする一般的傾向だ。
この結びつけは数多くの異なった形を取りうる。(ラドクリフnブラウンω一二ニ頁〉
その一つ一つの形の起源にまでさかのぼろうとした。しかし、われわ
れは原住民社会集団の過去について、まったく無知、あるいはほとんどまったく無知であるため、
このような企ては臆測および思弁にとどまっている。
今日まで、人々は、特に、
ラドクリフ日ブラウンはこのような歴史的考証に、自然科学に想をえた帰納的方法を置き換えよ
うとする。経験的複雑さのうらに及んでいくつかの単一な原理に到達することを企てるのだ。
ト1テミスムは人間の社会集団に普遍的に存在しているある現象の一つの特別な形であり、たがってすべての文化形態においてll
ただしいくつか異なった形のもとに||現われるという
ことを明示することができるだろうか。ハ一二三頁〉
98
デュルケ1ムが、問題をこのようなことばで提示した最初の人であった。デュルケlム表しながらも、ラドクリフ目ブラウンは、かれの論法を、神聖視されたも
のという観念分析から出発したものとして斥ける。トーテムは神聖なものだ、ということは、《儀礼いうことばが義務づけられた態度および行為の集まりを示す
ということを認めた揚合にはそのトーテムとの聞に儀礼的関係が存在するということを確認しているにすぎない。したがって、
《神聖な》という観念は説明を与えず、問題をただ儀礼的関係という一般的問題にまわしない。
社会の秩序が維持されるためには(維持されなければ問題はないことになろう。というの社会は消え去るか、あるいは異なった社会に変貌することだろうからて
社会の構成区分である氏
族の恒久性と連帯性とを確保する必要がある。この恒久性と連帯性とはいつに個人のているものであり、個人の感情が有効に表明されるためには集団的表現を要
求し、集団的表現体的な事物に固定される必要がある。
集儀個
団礼人
を化の
代さ愛
表←れι着
す「た←の
る集感
事国情
物的
行為
d
以上のようにして、現代社会における国旗、玉、大統領等の象徴に帰せられる役割は説明がつく。
トーテミズムは、動物あるいは植物に訴えるのだろうか。デュルケl ムはこの現しかし、なぜ、
象に偶有的な説明を与えた。氏族の恒久性と連続性は一つの標識を要求するにとどまり、
識は、怒意的に選ばれた新館、しかも芸術的表現法に欠けているいかこの標
機能主義的トーテミスム
ど簡単なものであってよいし、また、最初は、そういうものであるに相違ない。たとえ、のちって人々がこれらの表徴に動物あるいは植物の表象を《認めた》と
しても、それは動物および植が現に存在し、手近にあり、表徴となりやすいからだ。したがって、デュルケl ムにとっては、ト
1 テミスムが動植物に与える地位は、いわば《遅延》現象を構成している。当然生ずるべき現象で
あったが、本質的なものはなにも提供しない。これに反して、ラドクリア”ブラウンは、人間と動
物の関係の儀礼化はトーテミズムよりはもっと一般的でもっと広い枠組を提供し、その枠組の中で
トl テミスムが成立したに違いないと主張する。このような儀礼的態度は、エスキモーのよ沿っにト
第3 章
ーテミスムを持たぬ民族においても見られ、ほかにもトーテミズムとは無関係な例が知られている。
アンダマン諸島では食物中で重要な地位を占めているかめに対して儀礼的行為が守られ、カリ99
ルニアのインディアンはさけに対し、北極の部族は、みな、くまに対して儀礼的行為を守っているこれらの行為は、実際は、狩猟民族の社会ではいたるところで
見られる。
IOO
もしいかなる社会的分化も生じなかったならば、事態はそのままにとどまっていたことだろう。
しかし、社会的分化が生じれば、儀礼的、宗教的分化が自動的にこれに従う。そのようにして、カ
トリック教においては、、聖者崇拝が教区の組織および宗教の個別化に伴って発展した。同様の傾向
の蔚芽は、すくなくともエスキモーにおいて、《冬の住民》と《夏の住民》
対応する儀礼上の二分として見られる。
への分化およびそれに
時と所のいかんを問わず観察が示唆していることだが、自然な利害関係が儀礼化された行為を惹
きおこし、儀礼上の分化が社会的分化に従うということを認めるというこ重の条件において、トー
一つの違う問題に席を譲る。しかし、この問題はもっと一般的なテミスムという問題は消え去り、
ものであるという利点がある。
人々が未開と呼ぶ民族の大半が、その慣行および神話において、動物および他の自然種に対し
て儀礼的態度をとるのはなぜであろうか。(一二九頁〉
上述の分析が答えを提供した、とラドクリフu プラウンは考える。ある社会集団の物質的ないし
は精神的福祉に重要な影響を及ぼすあらゆる事物あるいは出来事が儀礼的態度の対象となる傾あることは、普遍的に立証された事実なのだ。トーテミズムがそれ
ぞれの社会区分の社会学的な標
識とするべく自然種を選ぶのは、単に、トーテミズム出現以前において、すでにこれらの種が儀礼
的態度の対象となっていたからにほかならない。
こうして、ラドクリフu プラウンはデュルケ1 ムの解釈を逆転させる。後者の解釈によれば、ト
ーテムが儀礼的態度の(デュルケ1 ムの用語では《神聖な》)対象であるのは、トーテムがまず社
会学的標識の役を果すべきものだったからである。ラドクリフn ブラウンにとっては、自然は社会
的秩序に従属しているというよりは、むしろ、これに合体されている。実際には、ラドクリフu プ
ラウンはli かれの思想のこの発展段階においては||デュルケ1 ムの思想をいわば《自然化》す
る。かれは、公然と自然科学から借用した方法が社会的なものを一つの別離した次元にうちたてる
という逆説的な結果に導くことを認めるわけにはゆかない。民族学は自然科学の方、法に従うぺきだ
と主張するのは、かれにとっては、民族学が一つの自然科学であることを品同定するに等しい。した
がって、||違った次元でだが、自然科学がしているように||観察し、記述し、分類するだけで
は十分ではない。観察の対象自体が、つつましやかにもせよ、自然に属するものでなければならな
い。トl テミスムの最終的な解釈は、儀礼的、宗教的分化をして社会的分化に歩を譲らしめること
になりうる。どちらの分化も、共に、同じ理由から、《自然な》利害関係に左右され続ける。-フド
クリフu プラウンの第一理論によれば、マリノアスキーにおける揚合と同様、ある動物は、それが
z。z 第 3章 機能主義的トーテミスム
まず《食用に供せられうる》のでなければ《トーテム》とはならない。
*
I02
しかし、比類なき調査者であったマリノアスキーは、一般性を用いて一つの具体的問題をきわめ
ることができないことをだれよりもよく心得ていた。かれがトl テミスムの総体ではなく、トロプ
リアンド諸島で見られる特定の形を研究するとき、生物学的、心理的、道徳的考察は、民族よびさらには歴史に行動分野の自由を譲る。
ラパイの村の近くにオプクラと呼ばれる穴があり、トロプリアンド社会を構成する四氏族がその
ルクラプタ氏族の動物、大とかげが現われ穴を通って地の奥底から出て来たとされている。まず、
ついで、当時第一位を占めていたルクパ氏族の犬、
出
それから、現在ではもっとも重要な氏族で
あるマラシ氏族を代表するぶたが出て来た。最後は、ルクワ、yシガ氏族のトーテムわに、説によっ
ては、へびあるいはふくろねずみだ。犬とぶたはそこここうろつきはじめる。犬は地上にノの実を見つけ、
たないものを食べた。お前の生まれは賎しい。
においをかいで、食べた。するとぶたが言ったop お前はノクを食べた。お前はき
おれが首長になるのだod爾来、主権はマラシ氏族
の最高系族に属している。たしかに、ノクの実は食糧欠乏の時にだけ採るもので、下等な食物とれている。(マリノアスキーωニ巻四九九頁)
マリノアスキーも告白しているように、これらのトーテム動物は原住民の文化においてすべて同
等の重要さを持つにはほど遠い。かれのしているように、最初に呼ばれたもの||大とかげ||と
最後にやって来たもの11 わに、へびあるいはふくろねずみ||の地位の低さはそれに相当する兵
族に与えられる地位の低いことで説明がつくと主張することは、トーテミズムについてのかれの一
般的理論と矛盾している。というのは、このような説明は自然の秩序ではなく文化の秩序、生物学
ではなく社会学的秩序のものだからだ。氏族の階級制を説明するために、
二氏族は海から到来した侵入者たちに向来し、他の二氏族は原住民を代表するという仮説を考える
必要に迫られる。このような仮説は歴史的であり、したがって(普遍性をほこりとするかれの一般
マリノアスキーはさらに
的理論に反して)普遍化することができないだけではなく、神話の中で犬とぶたは《文化的》動物、
他の動物は土地、水あるいは森にずっと密接に結びついているために《自然的》動物と見られてい
ると考えることもできようということを暗示している。この道ないしはこれと平行する道をとるの
であったなら、なんらの特定の経験的根拠も持たぬ実利主義的臆測にはよらず、メラネシアの民
族・動物学(つまり世界のこの地方の原住民たちが動物について抱いている実証的な知識、かれら
が技術的および儀礼的面で動物を使用する仕方、およびこれら動物についてかれらが抱いている信
仰〉に準拠するべきであろう。他方、いま例として挙げたような関係は、人が生きた関係ではなく
概念的に考えい九ものであることは明白だ。これらの関係をことばで表わすこと際の目的性と言うよりはむしろ理論的な目的性の導くままに身を委ねるのだ。
第二に、《いかにしても》実利性を求めると完トーテム動物あるいはトーテム植物に原住民の文
103 第3 章 機能主義的トーテミスム
104
化という観点からいかなる実利性も見いだせない数知れぬ例につきあたる。その揚合、原するには、利害関係という観念を操作し、それぞれの揚合これに適切な
意味を与えねばならず発点において措定された経験的要求は漸次ことぼのあや、論点の先取、ないしは同義語反復変えることになる。マリノアスキー自身、トー
テム種を有益な種、中でも食用に供するこる種に還元するという公理(これこそかれの体系の基礎をなすものだが〉を遵守することい。ただちに他の動機を持ち
だしてくる必要に迫られる。感嘆あるいは危倶である。しかさまざまの病気、一服吐ないしは死骸ほどに規格はずれなト1
では、なぜオーストラリアで、笑い、
テムに出会うのだろう。
実利的な解釈に対する執劾なまでの噌好から、時には奇妙な弁証法に引きこまれることにたとえばマクコネル嬢は、ハ北部オーストラリアのカ1
ペンタリア湾海岸の)ウィク・ムンカン族
のトーテムは経済的な関心を反映していると主張する。海岸の部族はトーテムとして海牛に似かに、かきおよび他の貝類、ならびに《北風の季節を告げる》物
ジュゴング、海がめ、各種のさめ、
雷鳴、《食物をもたらす》満潮、および《魚取りの操作を保護するとされている》小鳥を持る。内陸の原住民もまた、かれらの環境と関係のあるトーテムを所有
している。野ねずみ、ウl
ラピ・カンガルー、《これらの動物が食用とする》若草、くず、ヤムいも等だ。
もう一つ別のトーテムで、《近親の死を告げる》流星に対する親愛の情ともなると、説明
にずっとむずかしい。しかし、それは、その肯定的な機能のほかに、あるいはそのかわりに
ひる〕のように、危険で不愉快なものを表象し
これを無視することができず、増殖させて、敵および外来
者に害を加えることができるという意味で否定的な社会的利点を提する。ハマクコネル一八三頁〉
:::トーテムは、わに、はえ〔ほかではまた、
ていることもある。これらのものは、
と、著者は説明を続ける。
ムそうだとすると、なんらかの関係において肯定的あるいは否定的に〈あるいは無関係であるがた
ス
.
一八めにさえ?〉なんらかの利点を提すると言えないものを見いだすのはむト実利的で自然主義的な理論は、一連の内容のない命題に還元されてしまおう。
制だが、スペンサ1とギレンは、もっと前に、単純な実利主義によればただ有害なものと鵬ような種がトーテムの中に包含されていることについて、はるかに満
章
第
105
はえとかはあまりにもひどい災害であるため、その繁殖をはかるための儀式がなぜ容在
するのか理解に苦しむ:::。しかし、はえやかは、それ自体まことに憎むべきものだが、原住民
が一年のある期間なによりも獲得したいと望んでいるもの、
一見、
つまり強雨に密接に結びついている
106
ことを忘れてはならない。三六Ot 一六一頁〉
ということはli そして、次のことばはトl テミスムの全野に広げることもできようll はえと
かは粋斡わかいかとして知覚されてはいず、女併として概念的に考えられになる。
すでに本書の中で分析した研究では、ファ1 スは、まだ、実利的説明の方に傾いているように思
やしの突、パンの木の実はテイコピア島の主要産物であり、そのた
め無限に貴重なものとされている。しかし、食用に供せられる魚がなぜトーテム体系から除外ているかを理解しようとするとき?この種の解釈は微に入ったもの
とは言えない。魚は、捕獲すまでは、漠然とした無差別な実体を構成している。魚は、食用植物が菜園や果樹園の中にあっわれる。ヤムいも、タロいも、
察できるのとは異なる。それゆえに魚釣りの儀礼は特定の氏族に委ねられてはいない。全帯で、神聖なる丸木舟のまわりに集まり、人が魚を捕る操作に則ってこ
の儀礼をおこなう:::食用植物に関する揚合は、社会はその成長に関心を抱く。魚の揚合には、その捕獲に興がある。ハファl スω二九七頁〉
この理論は妙を得ている。しかし、この説を受けいれたとしても、人間とその需要との聞では文
化が媒介をなしており、両者の関係を単に自然のことばで考えることはできないということはすで
ファl ス自身気がついていることだが: に明らかであろう。
・:トーテム動物種の大部分は、はっきりした経済的利点を提供していない。ハファ1 スω一一一九
植物性食糧に関してさえ、ことが実利的解釈が認めているよりは
複雑なことを示唆している。経済的利点という観念はしかるべく区別すべきいくつかの面を持って
おり、これらの諸面はつねに相互に合致するものでもなく、その一つ一つが社会学的および宗教的
行為と合致するものでもない。そこで、食用植物を、ω食糧としての重要さω栽培に必要な労力
ωその成長をはかるための儀礼の複雑さω収穫の儀礼の複雑さ、最後にω主要な種を管理する
氏族の宗教的な重要さ||つまり、カフィカ(ヤムいもてトI マコハタロいもてタフア(やしの
木〉、ファンガレ1 レハパンの木)||に基づいて、上下に階級づけることができる。ファ1 スの
指摘するところ〈表町)を要約すると、次の表を得る。
この表はトーテム体系に対応しない。というのは、トーテム体系に現われる植物の数の方が多い
五頁)
107 第 3 章 機能主義的トーテミスム
ファ1 スのもう一つの著作は、
{l) (2) (3) (4) (5)
タロいもタロいもヤムいもヤムいもカフィカ
パンの木ヤムいもタロいもタロいもトーマコ
やしの木プラカやしの木パンの木ファンガレーレ
バナナの木やしの木バナナの木さごやしタフア
プラカバナナの木パンの木やしの木
さごやしパンの木さごやしバナナの木
ヤムいもさごやしプラカプラカ
また、その儀礼が栽培の揚
〈フアース〔2 〕p.66)
からだ。もっとも地位の高い氏族が管理し、
合でも収穫の揚合でももっとも複雑なザムいもは、食糧としでは最下位、必要とする労力では第二位となっている。パナナの木とではないが、栽培においても収
穫においても《トーテム》であるパンの木とやしの木よりも重要な儀礼のている:::等。
ごやしの木は《トーテム》
*
ラドクリフnブラウンが、後期三十年の自己の思想の進展を明確に識していたかどうかは、まず、疑わしい。というのは、かれ後期の著述さえも、むかしの著作
の精神に対する深い忠実さるからだ。もっとも、この進展は漸進的におこなわれたのれにおいては二つの傾向がつねに共存し、時と揚合に応じてあるときにはも
う一方がはっきりした形をとった、にはその一方が、
も言えよう。年をとるに従ってどちらの傾向も明確になり、洗練され、対立がいっそう明白になっ
h-
Avh、
JJAμ
そのどちらか一方が結局は勝を占めることになろうと予測することはできないしたがって、ト1テミスムに関する最初の理論をうちたてたちょうど十年のち、ラ
ドクリフ”プ
ラウンが呪術をめぐってマリノアスキーに対立したこと、そして当時かれが呪術という現象て提唱した解釈がil
トーテミズムとどく似た現象を対象としていたのだが11 、かつての考えか
らはまったくほど遠いものであったことをあまり意外に思う必要はない。この揚合には、マリノフ
第3 章
スキl の方がずっと首尾一貫しており、呪術の問題をトl テミスムの問題と同じ仕方で、つまり、
一般的な心理学的考察に訴えて処理していた。呪術のあらゆる儀礼および慣行は、人間にとっ結末がさだかではない企てに自己を委ねるさいに覚える不安を除
き、ないしは軽減する一手ぎない、と言うのだ。こうして、呪術は実用的、情緒的究覚性を持つことになる。
’スタ
ムマリノアスキーが呪術と危険の聞に措定した連関が、すこしも自明なものではないことにスに注目しておこう。単に失敗するかもしれないということにせよ、
あるいは-ア’スグい分に応えるものではないということにせよ、あらゆる企てには危険が伴う。ところで制会においても呪術ははっきりと限定された分野を占
めており、この分』乞@
蹴るが、他の企ては埼外に置く。包含されている企てがまさしく社主張することは、論点の先取になろう。というのは、いくつかの企てが儀礼を伴っているとい
う事
’スタ
突を別にしては、人聞社会がどのような企てが危険が多い、あるいはすくないと見なすのかを決定
することを許す客観的・基準は存在しないのだから。実際に危険が伴う活動形体が既術に無縁でヌギンド族の揚合だが、それは技術的、経済的水準がごく低いパ
%09
ような社会集団も知られている。
I IO
ントウ族の小部族で、かれらは南部タンガニカの密林中で不安定な生活を営んでおり、森林中にお
ける養蜂が重要な役割を演じている。
危険な森林中の長い夜間歩行や、目もくらむような高所でこれまた危険な蜂の群との遭遇とい
った数多くの脅威に身をさらさしめることを考えると、養蜂が、いかなる儀礼をも伴っていない
ことは仰天すべきこととも見えよう。しかし、危険がかならずしも儀礼を招かないということを
わたしに指摘した人がいる。狩猟を生業としているいくつかの部族は、もっとも大きな獲物を儀
式もなしに攻撃する。それに、儀礼はヌギンド人の日常の食糧探究にはまったくすこししか関係
がない。ハクロッセ日ウプコット九八頁〉
マリノアスキーが措定した経験的関係は、したがって、確認されない。しかも、特に、ラドクリ
フn ブラウンが気づいたように、
ことばを逆転してまったく反対の命題に達した揚合にも、すこしも変らずもっとも
マリノアスキーが提唱する論、法は(もっとも、ロワジーのあとを
継いでだがて
らしいものであろう。
:つまり、儀礼とこれに結びついた信仰がなければ、個人は不安を覚えないことであろう。
儀礼は、不安全感と危険感とを生ぜしめるという心理的効果がある。アンダマン島民がジュゴン
グ、ぶたあるいはかめの肉を食べるのが危険だと考えることは、まさにこれらの危険から守ると
いう目的を表示した一連の特殊な儀礼が存在しなかったならば、まずありえないことだろう。
したがって、ある民族学理論が、呪術と宗教は自己に対する信頼、精神的福祉および安全感を
人間に与えると主張するとすれば、呪術と宗教は、また、これがなければ煩わされなかったよう
な恐れと不安とを人間の中に生ぜしめると言うこともできよう。(ラドクリア目ブラウンω一四八l
一四九頁〉
第3 章機館主義的トーテミスム
つまり、人々はある状況におかれて不安を覚えるから呪術に訴えるのではなく、呪術に訴えるか
らこれらの状況が不安を生ぜしめる、というのである。ところで、
るラドクリアu ブラウンの初期の理論に対しても効を奏する。というのは、
この論、法はトl テミスムに関す
かれの初期の理論は、
要するに、人聞は、有益と思われるーーもちろん自然な有益性という意味で||動植物種に対して
儀礼的態度をとる、と主張しているのだから。むしろ、人々がなんらかの利点を見いだすにいたる
のは、これらの種に対して守っている儀礼的態度のゆえだ、とも言えないだろうか。(それに、ト
ーテムのリストの奇怪さもこのような解釈を示唆するところではないか。)
III
たしかに、社会生活の初期においてl ーさらに今日においてもli 、不安のとりことなった個人
I.I2
が、精神病患者において認められるものと似た衝動的行為を示したし、また(いまだに示しということは考えられる。その数知れぬ個々の変形に一種の社会淘汰
が働き、それが突然変異に対
する自然淘汰の揚合のように、集団の永続と秩序の維持に有益なものを守り、普及させて、他のも
のを排除する。しかし、このような仮説は現在時において立証することがむずかしく、遠い過去に
ついては確かめることはまったくできず、儀礼が不規則的に生じ、消滅するという単なる事実の確
認になにをか加えるものでもなかろう。
不安に訴えることが説明のかすかな輪郭なりとも提供するためには、まず、不安はなにに存して
いるのか、そして、ついで、-方唆味で無秩序な感動と、他方もっとも厳密な的確さで標識づけら
れ、しかも幾づかの明確に区別された範嬬に分けられている行為との聞にいかなる関係が存在すのかを知る必要があろう。いかなる機構によって前者が後者を生
ぜしめるのであろうか。不安は一
つの原因ではない。それは、人聞が、肉体に由来するものか精神に由来するものかといおっことさえ
自分でも知らない内的動揺を、主観的に、しかも漠然と知覚する仕方だ。知性で把えうるある関連
が存在するとすれば、それは的確な行動と無秩序の構造ーーその理論はまだできていないl !との
間に求められるべきであって、これらの行動と感受性というスクリーン上に映じた未知の現象の影
との間ではない。
マリノアスキーが暗黙のうちに訴えている精神医学自体が、患者の行動は象徴的であり、
第3 章 機能主義的トーテミスム
釈は一つの文法、つまり一つの常勤||あらゆる法規と同じく、本性、ll の領野
に属することを教えている。これらの行動は不安を伴うことがありうるが、不安がこれらのマリノアスキーの学説の根本的な欠陥は、もっともすぐれた仮説にお
いて生ぜしめるのではない。
完工え、一つの帰結ないしは並存的現象にすぎないものを原因と見なしていることに存する。
情緒性は人間のもっとも不明確な面であるため、人々は、説明できないものはまさにそのゆえに-
これに訴えようという誘惑に常時さそわれた。一つの所与説明となるには適さないことを忘れて、
iま
それが理解できないからといって、第一所与というわけではない。理解できないというもし説明が存在するなら、これをほかの次元に求めるべきだといおっこと
を示しているにさもなければ、問題を解決したと信じながら、別の名札をつけて満足していることになろうこのような錯覚がトーテミズムに関する省察を歪曲し
たといおっことは、ラドクワフu ブラウンの
学説の初期の状態がすでにこれを示して十分である。同じ錯覚が、また、『トーテムとタプ1 』に
おけるフロイトの企てをくつがえしている。クローバーがフロイトの著述をまずその不正確さとあ
まり科学的ではない方法のゆえに糾弾してから、二十年後、多少態度を変えたことは知られところが、フロイトに対して不正を犯したと自責する。たかが一一九
三九年には、クローバーは、
II3
羽の蝶を動力ハンマーでおしつぶしたようなものではなかったのか。もし、一見そう見えるように、
フロイトが父親の殺害を一つの歴史的出来事と見なすことを放擬したのなら、そのかわりそこに一
II4
つの回帰的潜在性の象徴的表現を見ることもできるのではないだろうか。トーテミズムとかタプl
のように、繰り返し見られる現象ないしは制度となって現われる心理的態度を代表する非時間的類
型である。(クローバーω三O六頁)
しかし、真の問題はそこにはない。フロイトの主張に反して、肯定的なものにせよ否定的なもの
その起源もその執劫さも、数世紀、数十世紀を通じて異なった個人においにせよ、社会的制約は、
て同乙性格を一示しながら繰り返し現われるという推進力ないしは感動の働きでは説明がつかない。
というのは、もし感情の回帰が慣行の執劫さを説明するものなら、慣行の起源は感情の出現と時を
一つの典型的な状況に対応したとしても、
たとえば親殺しの衝動が、ある一歴史的出来事ではなく、ある
フロイトの学説は変更の必要がないことになろう。●
同じくするべきことになり、また、
速い過去に根が沈みこんでいる信仰や慣行の最初の起源について、われわれはなにも知らず、ま
た、けっしてなにも知ることはないだろう。しかし、現在を問題にする限り、各個人が社会的をその揚その揚で自己の感動の働きのもとに自発的におこなってい
るのでないことはたしかだ。人は、集団の成員としては、各人が個人として感ずるこι に応じて行動するのではない。各人は自
分に許され、あるいは命ぜられている行動の仕方に応じて感ずるのだ。慣行は、内的感情を生ぜし
める以前に、外的規範として与えられている。そして、これら無情な規範が、個人の感情、および、
個人的感情が表われうる、ないしは表われるべき境遇を決定する。
I Z ラ
また、制度および慣行が、その最初の起、源となった個人的感情に似かよった個人の感情によって
たえずあらたにされ、新しいカを与えられて活力を得ているものなら、これらの制度、慣行はつね
に溢れでるばかりの情緒的豊富さを包蔵しているのでなければならず、それがその肯定的な内容と
これら制度、慣行に対して示される忠実さ
は、大抵の揚合、因襲的態度に由来していることが知られている。いかなる社会集団に属するにせ
よ、その一成員が慣行遵奉になんらかの理由を与えうることはまれだ。その人聞が言えるのは、せ
いぜい、事態はつねにそうであったし、自分は自分以前に人々が行動したように行動している、と
いうことだ。このような返事はまったく真実をついているものと思われる。各個人が、自分の生涯
のあれこれの時期に自分自身で親しくこれらの社会的信条を生きたがためにこれを果しているのな
らば、当然抱いているべきと息われるような熱意は、その服従においても実践においても認められ
ない。感動はたしかに訪れるが、それ自体は無感動な慣行が犯されたときだ。
われわれはデュルケ1 ムの方に歩み寄っていたように見える。しかし、窮極的に分析すれば、
デュルケ1 ムも、また、社会的現象を情緒性から派生せしめている。トl テミスムについてのかれ
いうことにもなろう。ところが、事実はそうではなく、
第3 章機能主義的トーテミスム
*クローバーとは違って『トーテムとタプl 』に対するわたしの態度は、したがヲて、年を経てむしろきびしくなった。
『親族の基本的構造』六O九t 六一O頁参照。
u6
の理論は、必要から出発し、感情への訴えで完結する。すでに指摘したように、トーテムの存在vla品
かれにとっては、最初は象形的なものではなく慈意的に選ばれた表徴でしかなかったもののうちに、
動物あるいは植物の像を認めたことに由来する。しかし、人々は、自分たちの氏族への帰-属を表徴によって象徴することになったのだろうか。グ共同生活に
よって結び合わされた:::文化程度
の低い人々をして:::自己の身体にこの生活共同体を想起せしめるような映像を描き、あるいは彫
りこましめる《本能的傾向》のゆえだd とデュルケl ムは言う〈三三二頁〉。この描記《本能》が、
したがって、神聖なものに関する情緒理論において完結するかれの体系の根底にはある。しかし、
これまで批判して来た理論同様、神聖なものの集団的起源にづいてのデュルケl ムの理論は、論点
の先取に依存している。集会および儀式のさいにそこで現に感ずる感動が、儀礼を生み、あるいは
存続せしめるのではなくて、儀礼活動が感動を挑発するのだ。宗教的理念がグ沸きたつ社会環境と
その興奮そのものd ハデュルケ1 ム一三三頁〉から生まれたどころか、社会環境は宗教的理念を前提
としている。
真実のところ、推進力および感動はなんの説明にもならない。肉体の強さからにせよ精神の無力
さからにせよ、推進力および感動はづねになにものかに台恥している。いずれの揚あって、けっして原因であることはない。原因は、生物学のみがその術を心得
ているように、有それでなければ知性のうちにのみ求めることができる。後者こそ、心理学およ体の中に求めるか、
u7 第3 章機能主義的トーテミ及ム
、
び民族学に与えられた唯一の道である。
u8
第四章知性
J、
黄金海岸北部のタレンシl 族は、それぞれ独自のトーテム禁制を守る父系氏族に分れている。こ
の特徴をかれらはオl ト・グォルタの住民、さらにはス1 ダン西部の住民と共にしている。単に形
式的な類似というだけではない。もっとも一般的に禁制の対象となっている動物種も、禁制を説明
するべく援用されている神話もこのぼう大な領域のすべての地を通じて同じである。
タレンシ1 族のトーテム禁制は、カナリア、きじばと、飼育されためんどりなどの鳥、わに、へ
び、かめ(水棲および陸棲〉などの腿虫類、いく種かの魚、大いなど、けっし類のりす、野うさぎ、
反匁動物のやぎおよびひつじ、それとねこ、いぬ、ひょうなどの肉食動物、さらに、さる、野ぷた
等のほかの動物を包含している。
これらすべての生物に共通ななにものかを見つけ出すことは不可能だ。このうちのいくつかは
食糧源として原住民の経済生活の中で重要な位置を占めてはいるが、食糧源という点では大部分
第4 章 知性へ
のものは取るにたらぬ。それを食べる権利のある者たちにはすばらしいご馳走となるものも多い
が、他方、食肉としては軽蔑されているものもある。おとなは、だれも、いなご、カナリアある
いは小へびなどを喜んで食べたりはしない。ただ、なんでも手あたりしだいに食べる幼い子供た
ちがこれに甘んずることはあるのだろう。危険なものとされている動物種もいくつかある||し
かし、実際に危険な揚合と呪術上そう見なされている揚合とがある||たとえば、わに、へひょう、およびすべての猛獣がそれである。これに反して、実際に
も、また呪術的見地からもま
ったく無害なものも多い。いくづかのものはタレンシ1 族の乏しい民間伝承の中に位置を占めて
きじばと、ねこと種々様々だ。:::ついでだが、ねこをトーテムとする氏族も家
これを食べることができる氏族と食べるこ
いるが1 支」守也、
畜のねこにはすこしも敬意を示さず、家畜のいぬは、
とができない氏族から違った取り扱いは受けない。
タレンシ1 族のトーテム動物は、したがって、動物学的意味でも実利的意味でも、また呪術的
意味でも、一つの群を形成してはいない。言いうることは、せいぜい、一般にトーテム動なりありきたりの野生の動物種あるいは家畜に属するということだ。
(フナl テス一四一t 一四ニ
頁〉。
u9
われわれは、もはや、マリノアスキーからはほど遠い。だが、ことにフォ1 テスは、トI テミス
120
ムが醸し出した幻想の奥にあり、、ボアズ以来人々が気づき始めていた一つの問題を白目の下に置た。この種の信仰および禁制を理解するためには、これに、あ
る社会のこみいった構造を明白にす
るための、幼少期からづいた習慣の形で容易に伝えられる簡単で具体的な手だてという一クの総括
的な機能を付与するのでは不十分だということだ。なぜなら、さらにもう一づの質問が提せられる
これこそおそらくは根元的な質問だ。なぜ動物による象徴主義で
なければならないのか。そして、ことに、ある種の動物の選択は実利的観点から説明がつかないと
いうことが||すくなくも否定的に||確立された以上、なぜこのような象徴主義であってほかの
ことになろうから:::。しかも、
象徴主義ではないのか、と、う司、だ。
、uwzrl 、hwJJ
タレンシl 族の場合を段階を追って辿ってみよう。特定の先祖の祭紀に当てられた祭壇の近辺で
出会うがために禁忌の対象となっている個々の動物、あるいは時には、さらに、地理的に所在の限
定された動物種が禁忌の対象となっていることがある。この揚合、通常与えられている意味では、
トlテミスムではない。《土地の禁忌》は、これら神聖な動物または動物種とトーテムとの中間的
とかげ、
その土地のさる祭壇の境内で殺してはならないわに、にしきへび、
いもり等の大腿虫類だ。これらの動物は、人聞がそれこれの村の人々と言われるのと同じ
範噂を形成している。たとえば、
意味で《その土地のものたち》であり、吉凶いずれにせよ、大地の威力を象徴している。ここで、
すでに、なぜ、陸棲動物のうちでもあるものが選ばれ、他のものは選ばれなかったかという質問が
提せられる。ある特定の氏族が管理している土地ではにしきへびが、
にが、特に神聖祝されている。その上、
あるほかの氏族の土地ではわ
こういった動物は単なる禁制の対象以上のもので、それは
これを殺裁することは殺人をおかすにも等しいこととなろう。タレンシ1 族が輪廻を
信じているということではないが、先祖たち、その子孫の人間たち、さらに住みついている動物た
先祖であり、
ちは、すべて、領土という紳で結びつけられているからであるoF 先祖たちは:::その子孫の社会
知性へ
生活において精霊として現に存在しており、同様にして、神聖祝された動物は神聖なる沼の中に、
あるいは、集団と同一視されている風光の中に現存しているのだ〆(一四三頁〉
タレンシl 社会は、したがって、土地と単系血縁集団とをそれぞれたて糸、ょこ糸とする織物に
たとえられよう。といっても、これらの要因は、いかに密接に混り合っていても、なお、先祖崇拝
という一般的枠の中でそれぞれ特定の制裁と儀礼上の象徴とを伴った、特異な現実を構成している。
タレンシ1 族は、一個人は社会的人格としていくづもの役割をあわせ持っており、その一つ一つが
社会の一一聞ないしは一機能に対応しており、個人には自己指導と選択という問題が常時課せらいることを知っているop
トーテム象徴は、他のすべての儀礼的象徴と同じく、個人がみずからを
導くために用いる観念論的な目印だ8 ハ一四四頁)。拡大氏族の成員として、一人の人間は神聖祝さ
れた動物によって象徴される共通の遠い先祖に属し、一単系血縁集団の成員としてはトーテムが象
徴するこれより近い先祖に、最後に個人としては、自分の個人的な運命を啓示し、ある家畜ないI2I 第4章
はなんらかの狩猟動物を仲介として自分に姿を現わすことのできる特定の先祖に依存する。
122
しかし、これら動物象徴主義のすべての形に共通な心理学的主題とはなんであろうか。タレン
シl 族にとっては、人々とその先祖とは終ることなき闘争状態にある。人々はいけにえという手
段によって先祖を強制しようとし、あるいは妥協を求めようとする。しかし、先祖の行動は予見
することができない。先祖が室ロをなすこともある。しかも、先祖は、好意的な保護によってとい
うよりは、むしろ、毎日の生活の安全を急激におびやかすことによって人々の注意を引く。先祖
は、人間の問題に攻撃的に介入して社会秩序を維持するのだ。いかなる手段によっても、人々は
けっして先祖に指図を下すことはできない。河川や森に住む動物たちと同じく、先祖はじっとし
ていず、意表をついてくるし、いたるところに姿を現わす。先祖の行動は予見不可能で攻撃的だ。
日常経験において観察されるような人々と動物たちとの聞の関係が、神秘的因果律の次元で、人
人と先祖たちとの聞の関係の適切な象徴を提供している。(一四五頁〉
フォl テスは肉食動物に主要な地位が帰せられていることの説明を見い
だす。それはタレンシl 族が《きばを持った》ということばのもとに一括する動物であって、他の
動物、時には人間さえ攻撃して自己を守り、存続するものだog 先祖の攻撃の可能性との象徴的な
このような対照の中に、
第4 章 知性へ
結びつきは明白だodその生命力のゆえに、これらの動物はまた不死性の恰好の象徴である。この
つまり動物による象徴主義であるということは、先祖崇拝に
よって構成されている社会的、道徳的法規の根本的な性格に由来する。さまざまの動物による象
ような象徴主義が、つねに唯一の型、
徴が利用されていることは、この法規がいくつかの異なった面を持っているという事実で説明が
つく。
ポリネシアにおけるトl テミスムに関する研究の中で、ファ1 スはすでにこの種の説明へと向っ
ていた。
ポリネシアのトl テミスムにおいて現われてくる自然種は、大抵の揚合、陸棲にせよ水棲にせ
よ、動物である。時には植物が姿を見せることもあるが、主要な地位を占めることはけっしてな
い。動物に対するこのような偏好は、トーテムの行動が神の行為ないしは意向について情報を提
供するという信仰によって説明がつくように思われる。植物は動かないので、この観点からすれ
ぱ、ほとんど関心に値いしない。むしろ、運動能力ないしは移動能力を具え、ごく変化に富んだ
運動のできる動物種を優遇している。というのは、これらの動物は、また、しばしば||形、色、
123
葬猛さ、特殊な叫び声等||目立つ性格を示し、これらの性格は、超自然的存在が自己を表わす
ために用いる方法の数の中により容易に数えることができるからだ。ハファ1 スω三九三頁〉
124
ファl スとフォ1 テスの以上のような解釈は、トーテミズムの古典的な支持者、ないしはゴール
デンワイザーのような初期の批判者たちの解釈よりは、はるかに満足を与えるものである。なぜな
ら、二人の解釈は、独断に走る、あるいは見かけだけの明証性に頼る、というこっの暗礁を避けて
いるからだ。トーテム体系と一言われているものにおいて、社会的単位はほかの方、法によって命名さ
れることもできたのであり、自然種が、社会的単位になんでもよい名称を提供しているのでないこ
とは明白だ。そして、動物あるいは植物の名を名としていても、一つの社会的単位がその名と自分
との聞に、その後育であるとか、同じ本性を分け持っているとか、それを常食としているとか:
いった実質的な類縁性が存在することを暗々複に肯定しているのではないことも、また、これに劣
らず明白だ。結びつきは勝手気億なものではなく、また隣接関係でもない。ファ1 スとフォl テス
が気づいているように、残された可能性は、この結びづきがある類似の知覚に基づいているという
ことだが、それでも、なお、その類似がどこに位置するのか、そしていかなる次元で把握されてい
るのかを知る必要がある。いま引用した二人の学者のように、この類似が肉体的あるいは精神的秩
マリノアスキーの経験主義を有機体と情緒の次元から知覚と判序のものであると言い、そうして、
断の次元に移すことが許されるだろうか。
まず、このような解釈は、トーテム系列と系譜系列とを分離し、両者に同等の重要性を認める社
会集団の場合にしか考えられない、といおっことに注目すべきであろう。二つの系列が結ぼれてい一方が他方を想起せしめることができる。▲▲▲▲しかし、い
ために、オーストラリアにおいては、これら
二つの系列は混同されており、フォ1 テスとファ1 スが言及している直観的に知覚された類似は、
まさにそのような隣接性のゆえに、考えられない。北米あるいは南米の数多くの部族においては、
いかなる類似も措定されていない。先祖と動物との聞の結びつきは外的で、
歴史的である。互いに知り合い、遭遇して、衝突した、あるいは同盟したのだ。アフリカの数多く
の神話の語るところもまた同じで、タレンシ1 族さえも同様である。以上すべての事実は、結びつ
暗々裡にも意識的にも、
きをもっとずっと一般的な次元に求めるようにと促すが、その点われわれが論じている学者たちも、
かれら自身が示唆している結びつきが単に推論によって得られたものである以上、異議を唱える理
由はなかろう。
知性へ
第二に、この仮説は応用範囲がごく限られている。ファ1 スは、動物トーテムに対する偏好が認
これをポリネシアに適用する。そして、フォl テスは、このような仮説められるという理由から、
第4 章
が特にいくつかの《きぱを持った》動物の場合にその価値を現わすことを認めている。他のものは
125
どうするのだろう。植物がもっと重要な地位を占めているところでは、植物はどうしたらよいのだ
ろう。また、自然現象や自然の事物、正常なあるいは病的な状態、工作されたもの等、すべて、ト
オーストラリアとインドにおけるトl テミスムのいくつかの形においては無ーテムとして使われ、
126
視することのできない役割を果し、時には本質的な役割さえ演じているこれらのものはどうしたら
よいのだろう。
言いかえるならば、ファ1 スとフォ1 テスの解釈は、二重に狭すぎる。まず、対象が、ごく発達
した先祖崇拝とトーテム型の社会構造とを持った文化に限られている。さらに、これらの文化のう
ちで、動物を主とするトーテミズムの形に限られ、あるいはその上に、ある種の動物に限られてい
る。ところで、||この点ではわたしはラドクリフu ブラウンと同意見だが||応用範囲の限られ
それにそぐわない例を、事実の方が譲歩してくれるまでひねくりた解決を考え出し、そのあとで、
まわすことによってでは、いわゆるトーテム問題を結着させることはできない。そうではな
くて、
観察の対象となっている例が、すべてそれぞれ個々の様態として現われることができるほどに一般
的な次元にいきなり到達することが必要だ。
最後に、なによりも、フォ1 テスの心理学的理論は不完全な分析に頼っている。ある観点から見
て、動物を大ざっぱに先祖にたとえることができる、ということは考えられる。しかし、そのような
条件は必要ではなく、しかも十分ではない。もし次のような表現が許されるなら、類似しているの
附類似点?はなくて、相違点なのか。と言う意味は、まず、互いに類似している動物はすべて動物的挙措を同じくしているのだからてついで、互いに類似してい
る先祖ハというの
は、先祖はすべて先祖としての挙措を同じくしているのだからヌ最後に、これらの二つの集団の
一方に互いに異なる動物と(というのは、間の総括的な類似、があるのではなく、
それぞれ特定の外見と固有の生活様式とを持った異なった種に属しているのだからて他方に互い
に異なる人間||先祖はその一つの特殊な揚合を形成しているll (人聞は、社会構造の中でそれ
ぞれ特定の地位を占めている社会区分に分けられているので〉がある、ということだ。いわゆるト
ーテム表象が措定している類似は、これらこっの相違の体系の間にある。ファ1 スとフオ1 テスは、
台俳昨労仲仕の観点からや勧的類倹世の観点へと移行することによって大いなひとたびこの進展が呆されたあと、外的類似性から内的相向性への移行がなすべく
して残さ
これらの動物は、
かし、
れている。
*
知性へ
人間とトーテムとの間に客観的に知覚された類似という観念は、トーテムの中に、冠毛のあるへ
にじへぴ、水棲のひょう、雷獣等(エグァンス日プリチャl ドω一O八頁〉架空の動物を数えるア
び
ザンデ族の場合に、すでに一つの問題を提起することになろう。しかし、
いしは事物に相当しているヌエル族においてさえ、そのリストはまことに奇妙な取合わせを形作っ
トーテムが現実の存在な
第4 寧
ざまの魚、
ぬるぬるしたコ1 プ(牛の一種〉、大とかげ、わに、さ
ジュラ鳥、さまざまの木、パピルス、かぼちゃ、さま
みつばち、赤蟻、河川および細流、多様な模様の毛皮の家畜、単塞・丸動物、皮革、角材、
ていることを認めざるをえない。ライオン、
だちょう、しらさぎ、
127
まざまのへび、かめ、
綱、動物の身体のさまざまの部分、最後に、いくつかの病気だ。これらのトーテムの全体を考察す
るとき\
はヲきりとしたいかなる実利的要因もこれらの選択においては重要な役割を演じていない、と
言える。暗乳類、鳥、魚、植物およびヌエル族にもっとも有用な事物は、かれらのトーテムの数
京エル族のトーテミズムに関する考察は、したがって、トl テミスムの中に、
主に、あるいはもっぱら経験的関心の儀礼的表現を見る人々の論を確認するものではない。ハエ
グアンスu プリチャ1 ドω八O頁)
にはいっていない。
この論述は明らかにラドクリフu ブラウンに対して向けられている。さらに、
チャ1 ドは、似たような理論について同じような論述がすでにデュルケ1 ムによってなされたこと
エグァンスu プリ
を指摘している。以下のことばは、ファl スおよびフォl テスの解釈に適用することもできよう。
そうかといって、~一般に、ヌエル・トーテムは、当然そうあるべきと思われるような、自にづ
き注意を引くなんらかの特徴のある動物でもない。それどころか、ヌエル族の神話創造の想像をかきたて、かれらの民話の中で第一の地位を占めている動物は、
トーテムとして現われること
があっても、稀に、しかも、あまり意味のないような仕方で現われる。ハ向上八O頁)
この著者は、ll わたしの論述の最初から、
出てきたl !なぜ晴乳類、鳥、腿虫類および木が精霊の力と血縁集団との間の関係の象徴となった
か、という問いに答えることは避けている。せいぜい、漠然とした信仰によってある種の存在がこ
つまり、つねに、いわばライト・モチーフのように
知性へ
のような機能を果すようになることができる、と指摘しているだけだ。烏は飛ぶ。したがって、空
に住む至上の精神と交感するにはより適しているというわけである。この論法は、それなりにまた
精霊の発現には違いないのだが、へびには適用されない。樹木は、熱帯の大草原では稀なため、そ
のなげかける陰のゆえに神の恩恵と見なされている。河川および細流は水の精と関係を有している。
単宰丸の動物、ことに毛色が注目をひくようなものは、例外的に強力な霊的活動の自に見える表徴
であると信じられている。
エグァンス日プリチャl ドが妥当にも斥けている一種の経験主義および自然主義に立ち戻るので
第4 章
ない限り、以上のような原住民の考察は意味のすくないものと認めざるをえまい。というのは、水
129
がその生物学的ないしは経済的機能のゆえに儀礼的態度の対象となっているという考えを排除した
とすれば、水が水の精に対して持っていると想定されている関係は、・要は、水に帰せられている霊
的な価値を表明する冗長な一方法であるにすぎず、説明とはなりえない。他の揚合にしても同様だ。
これに反して、エグァンスu プリチャ1ドはいくつかの分析を、深めるすべを見いだし、
ヌエル族の思考においていくつかの型の人聞をいく種かの動物に結びつけている関係をそれによっ
130
て、
し、
わ
ば一ヲ一っときほぐすことに成功している。
双生児を定義するのに、ヌエル族は一見矛盾をはらんでいると見える表現様式を用いる。一方で
は、双生児は《一人の人間》ハラン)だと言いながら、他方では、《人間》(ラン)では(ディット〉だと言うのだ。これらの表現を正しく解釈するには、そこ
に含まれているを追って検討する必要がある。霊力の発現である双生児は、まず《神の子》(ガット・クオであり、||空が神のいますところであるためーーま
た《天の人々》(ラン・ニアル〉であるとも
営ロえる。この観点からすれば、双生児は、《地上の人々》ハラン・ピニ〉である普通の人聞に対立す
る。鳥は《天》のものであるため、双生児は鳥と同じように扱われる。しかし、双生児はそれなお人間存在だ。かれらは《天のもの》でありながら、相対的には
《地上のもの》である。し同様の区別は鳥にも適用される0 種類によっては、ほかの鳥より低いところを飛び、しかもほかの
鳥ほどよく飛べない鳥がいる。したがって、かれらなりに、しかも全体としては《天のものりながら、鳥も、高低を基準として分類することができる。とすれ
ば、双生児がほろほろ鳥、こ等《地上の》鳥の名で呼ばれる理由が分る。
双生児と鳥との聞にこのようにして措定された関係は、レグィu プリュル式の融即の原理でも、
131 第4 章知性へ
/,〆「精霊
,r:,天, の烏たち
ー夫の人びと
,..1,・4’
縛の予たち
淑生広:::;:…........・-ド…一一一一…ヒ地上の鳥凡十一
{ー)
間
人
L
、
烹
シ」
ぴ
人
の
上
地
132
マリノアスキーが言及しているような実利的考察でも、ファl スとフォ1 テスが認めた感覚的類似
の直観によっても説明がつかない。われわれは知的関係を結び合わせる一連の論理的脈絡を目前に
している。双生児が《鳥である》のは、双生児と烏とが一つであるからでも、双生児が烏に類似し
ているからでもなく、双生児が、他の人間に対しては《地上の人びと》に対する《天の人びと》の
ようなものであり、鳥に対しては《天の鳥》に対する《地上の鳥》のようなものだからだ。つまり、
双生児は、烏と同じく、至上の精霊と人間との中間的地位を占める。
はっきりと論述しているわけではないのだが、
を辿って一つの重要な結論に到達する。というのは、
エグァンスn プリチャl ドは、以上のような推論
このような推論は、ヌエル族が双生児と烏と
の聞にうち立てる特定の関係のみならず(もっとも、この関係はプリテ-イッシュ・コロンビアのク
ワキウトル族が双生児とさけとの間に考える関係とあまりにも類似しているので、この二つを比較
するだけで、どちらの揚合も、論理の運びがもっと一般的な原理に基づいていると考えさせるに十
分だて人間集団と動物種との聞に措定されているあらゆる関係に適応する。エグァンス日プリチ
ャ1 ド自身言っていることだが、このような関係は隠喰の秩序に属する(同上九O頁。詩的隠喰)。
ヌエル族は自然種を諮るに単系血縁集団といったようなかれら自身の社会的区分からの類推をもっ
てし、単系血縁集団と一トーテム種との関係は、プ1 トと呼ぶものにならって考えられている。プ
一人の共通の先祖に由来する傍系血縁集団相互間の関係だ。そこで、動物界は社会といートとは、
う世界のことばで思考される。肉食動物の共同体〈シ昆ング〉がある。ライオン、ひょう、
ナ、山いぬ、野生および家潜のいぬによって形成されており、その一系族(トl ク・ドイエル〉と
マング1 スの変種、猫等の亜系族に分けられ
ハイエ
してマング1 ス(じやこう猫科〉を包含し、さらに、
,る。草食動物は一つの共同体ないしは群(パプ〉を形作り、かもしか、しか、すいぎゅう、牝といったうし科のすべての動物および野うさぎ、ひつじ、ゃぎ等
を包含する。《足なき住民》知
性へ
ぴの系族を、《河川の住民》は水流および沼地に棲息するすべての動物を総括する。後者は大とかげ、すべての魚、水鳥および魚をとる鳥。もっとも、これに
は、家畜を飼育せず、魚とりと
河岸での野菜の栽培を生業とする原住民アヌアク族およびパラク・ディンカ族も含む。鳥は広範な共同体を形成し、《神の子たちて《神の子のおいたちておよび
《貴族のむすこあるいはむすめ》
といういくつかの系.族に再分されている。(向上九O頁〉
以上のような理論的分類がトーテム表象の基礎になっている。
第4 章
トーテム関係をトーテムの性質自体のうちに求めることは許されず、
に呼びおこす連合のうちに求めるべきである。ハ向上八二頁)
それが精神したがって、
133
エグァンスu プリチャl ドは、このような考えにいっそう厳密な表現を与えて最近になって、
、・30
、u ・4K1
134
生物にいくつかの観念および感情が投影されているのだが、
これら生物の外に存する。(エグアンスu プリチャ1ドω一九頁)
そのような観念、感情の起源は、
このような考えはまことに実り豊かなるべきものだが、とはいうものの、二つの点で全面的な賛
同を控えざるをえない。第一には、双生児に関する原住民の理論の分析がヌエル族の神学自体にあ
まりにも密接に従属している。
〔双生児を烏と同視するという〕様式は、双生児と鳥との聞の二相的関係を訳出するものでは
なく、双生児、鳥、神の聞の三相的関係を訳出する。神との関係において、双生児と烏は共通の
性格を提示するのだ。:::ハエグアンスu プリチャ1 ドω一三二頁〉
このような型の関係が設定されるために、至高の神性に対する信仰は必要ではない。
ヌエル族よりは神学的精神によほど疎い社会集団においてこれらの関係が存在するこ
とを明示したように:::。このように自説を立てるとき、
ところが、
わたし自身、
エグァンス”プリチャ1 ドは、したがっ
て、自説に制限を与えるという危険を冒している。ファ1 スやフォl テスのように(かれらほどに
ひどくはないがヌエグァンスn プリチャl ドは一般的な解釈をある特定の社会のことばで提示し
ているが、そうすることによって自説の効力を限定している。
第二にエグァンスH プリチャl ドは、『ヌエル族の宗教』出版の数年前トl テミスムに関する第二
*本
理論によってラドクリフu ブラウンがなしとげた革命の重要さを計り知っていたとは見えない。
ラ
イギリスの民族学者たちが一般に気がついたよりはずっと根本
的に、第一理論とは異なっている。わたしの考えでは、この理論は、単にトーテム問題の決済を呆
ドクリフn ブラウンの第二理論は、
知性へ
もう一つ違った次元で、異なったことばで提示される真の問題、しかもその存在は、
分析の果てには、トーテム問題が民族学的思索の中にかもしだしたはげしい渦の深い原因として現
われるべきであったにもかかわらず、明確には認知されていなかった問題を明るみに出しているの
だ。たしかに、当時の知識の状態および根絶し難い偏見がこれを意識することを妨げ、
すのみならず、
あるいはゆ
第4 章
晶aELF-JYヲテイタ,.-47・オtkF ・ゼチ晶1F
本書一三一頁の図式を『アスディグァルの武勲詩』(高等学術研究所、宗教科学部門年報一九五八l 一九五
ν - av ・母デル翼
九年、ニO頁。一九六一年三月「現代」一七九号、一O九九頁再掲)の中で示したものと、この観点に立って対比
されたい。
**一九六O年には、まだ、エグァンスE プリチャl ドは、トーテミズム問題に対するラドクリア目プラウンの貢献は一
1J
九二九年の論文に限られると信じているように見える。ハエグァンスu プりチャ1 ド向、一九頁註1 〉
司ド
I3 ラ
136
がめられた外見しか示さなかったとはしでも、数多くの、しかもすぐれた精神たちが理屈にあう動
いまや、われわれが注意機もなくいきりたったということは、信じ難いことでもあろう。そこで、
を向けなければいけないのは、ラドクリフu ブラウンのこの第二理論である。
*
この理論は、第一理論の二十二年後、《社会人類学における比較研究方法》という題でおこなわ
れたご九五一年のハックスレl 記念講演」の中で、著者自身がその新奇さを強調することもなく
発表される。事実、ラドクリアu ブラウンは、この理論を、人類学に《一般的命題》を立てること
を許しうる唯一の方法である比較研究方法の一例として提唱している。第一理論も同じ様にして紹
介されたのだからハ前述九六l 九七頁参照ヌニつの理論の問には方法論的次元において連続性があ
る。しかし、類似はそこまでで終る。
ニュ1 ・サウス・ウェl ルズのダ1 リング川流域のオーストラリア部族は、それぞれ、たか(イ
ーグルホ1 ク〉、からす(クロウ)と呼ばれるニヲの母系外婚制半族に区分されている。このよ〉つ
な社会組織に歴史的説明を与えようとすることは許される。たとえば、敵対していたこっの住民集
団がある日仲直りをすることに決めたとする。そして、平和をより良く保証するべく、爾来、相互
一方の集団の男は他方の集団の女を繋るように取り決めたというわけである。しかし、問題にF』、
‘,
hu -
なっている部族の過去についてわれわれはまったく知識がないので、この種の説明は根拠がなく、
憶測にとどまるのを免れえない。
そこで、むしろ、ほかに類似した制度が存在するかどうかをたずねてみよう。プリティfy ュ・
コロンビアのシャ1ロット女王諸島のハイダ族は、それぞれわし〈イ1グル〉、大がらすハレイグ
シ〉と呼ばれる母系外婚制半族に分れている。ハイダ族のある神話は次のように語る。時の始源に
おいて、わしが世界中のすべての水の主であり、水を漏れないかごの中にいれて持っていた。大シャ1
ロット女王諸島の上空を飛んでいる聞に水が地上にこぼれた。こうらすがかごを盗んだが、
して湖や河川が作られ、爾来、
なった。
そこで鳥はのどをうるおし、さけが住みづいて人々の主要な食糧と
知性へ
このようにこれらオーストラリア及びアメリカの半族の名祖鳥は、つまりごく隣接しており、し
かも、対称的に対立した種に属している。ところで、オーストラリアにもいま要約した神話によく
似たものが存在している。たかがかつては水を井戸の中に封じこめ、大きな石で葦をして、水を飲
みたいときには石を持ち上げて飲んでいた。からすがこの細工に気がつき、自分も水を飲みたいも
のと、石を取り除き、水の上でしらみでいっぱいの頭をかいた。そして、井戸の蓋をするのを忘れ
た。水はみんな流れ出して東部オーストラリアの水脈を生ぜしめ、からすのしらみが魚となり、現
在原住民の食糧となっているというのだ。歴史的再構成の精神に従って、これらの類似点を説明す
オーストラリアとアメリカとの聞にかつて関係があったと想像をめぐらす必要があるだ
137 第4章
るために、
ろうか。
138
それは、オーストラリアの外婚制半族||母系および父系ll がしばしば鳥の名で呼ばれている
こと、したがって、オーストラリア自体においてダl リング川流域の部族は一般的状況の一例証と
なっているにすぎないのを忘れることになろう。西オーストラリアにおいては白いんこがからすと
対比され、グィクトリア地方では白いんこが黒いんこと対比されているのが見られる。トーテム鳥
は、また、メラネシアにおいても非常に広まっている。たとえば、
かの部族では、半族はそれぞれ海わしと魚を捕るはいたかの名で呼ばれている。
ニュl・アイルランドのいくづ
さらに一般化する
ならば、いま述べて来た事実を、ハ半族ではないが)これまた鳥や鳥と同類の動物で表示されてい
る性トーテミズムに関係のある事実と対比することもできよう。東部オーストラリアでは、こうも
りは男性トーテムでふくろうは女性トーテムだ。ニュ1 ・サウス・ウェlルズの北部では、これら
の機能はそれぞれこうもりときばしりに帰せられている。最後に、オーストラリア二元論が世代の
次元で現われることがある。つまり、ある個人が自分の祖父および孫と同じ範憶にいれられ、父と
息子はもう一つの範時にいれられる。隔世の世代で形成されているこれらの半族は、名を持ってい
ないことが多い。しかし、名づけられているときには、鳥の名を持づことがある。たとえば二四オl
ストラリアではかわせみとはちくい鳥、あるいは、また、赤鳥と黒鳥だ。
冒頭でわれわれが提した、なぜすぺてこれらの烏が、という聞いは、したがって、拡大される。
外婚制半族のほかに他の型の二分も、一対の鳥の名にちなんで表示されている。もっとも、かな
らずしもつねに鳥とは限られない。オーストラリアでは、半族は、また、ほかの動物の対にも結
びつけられていることがある。ある地方では二種のカンガルーに、もう一つの地方では二種のみ
一方の半族がおおかみに、他方が野生のねこにつぱちというふうに:::。カリフォルニアでは、
結びつけられている。ハラドクリア目ブラウンω一一一ニ頁)
比較研究的方法は、まさに、ある特定の現象を一つの全体の中に位置づけることに存するのだが、
比較が進展するに従ヲてこの全体がますます一般的なものとなる。最後には、次のような問題に直
それぞれ特定の一自然種との結合によって互いに区面する。社会的集合体あるいは社会の区分が、
知性へ
別されているという事実をどのように説明すべきか。この問題こそトlテミスムの問題にほかなら
ないのだが、他の二つの聞いをその奥にひそめている。各社会が人間存在と他の自然種との関係を
第4 章
どのように理解しているかという聞い(アンダマン島の例が証明しているように、ト1テミスム外
の問題)と、もう一つは、社会的集合体が、標識、象徴、あるいは標識、象徴となる事物によって
いかにしてその独自の性格を認められるに至るのかという問いだ。この第二の問いも、同様に、ト
139
ーテミスムの枠からはみ出す。というのは、この観点からすれば、ある同一の役割が、問題となっ
14。
ている共同体の型によって、一本の旗にも、一つの紋章にも、一人の聖者にも、あるいは一つの動
物種にも帰せられうることになるのだから。
これまでのところではーラドクリフ目ブラウンの批判は、一九二九年にかれが論述したもの、
まり、すでに検討したように、ポアズの批判にまったく合致した考えを繰り返し述べているにとど
まる(前述二二頁、九六頁参照〉。しかし、ラドクリフn ブラウンの一九五一年の講演は、このような
批判はある一つの問題を未解決のままに残すものであって不十分である、と宣言する点で革新をも
ザつ
しでさえも、なお、
たらす。動物種に対する《トーテム》偏好について満足すべき説明を提唱することができると仮定
さらに、ある種があるほかの種より好んで選ばれている理由を理解する必要が
あろう。
いかなる原則に基づいて、たかとからす、わしと大がらす、おおかみと野生のねこというよう
な対が、二分組織の半族を表象するべくして選ばれているのだろう。このような問いはいたずら
な好奇心から発せられているのではない。もしこの原則を理解することができたら、われわれは、
おそらく、原住民自身がかれらの社会構造としでの二分組織をどのように表象しているかを内側
から知ることができるようになるだろう。言いかえるならば、なぜすべてこれら鳥が、という関
われわれは、なぜことさらにたかとからすとかその他の対を、という問いいを発するかわりに、
を発することが許される。ハ向上一一四頁〉
知性へ
この歩みは決定的なものだ。これこそ形式にふたたび内容を与え、そうすることによって、形式
主義からも機能主義からも共に遠くへだたった真の構造分析への道を開く。というのは、一方にお
いて制度を表象によって堅固なものとし、他方において同じ神話のすべての異説を同時に解釈する
ことによってラドクリフu ブラウンが企てているのは、まさに、構造分析にほかならないのだから。
オーストラリアのいくつもの地方で知られているこの神話には二対立者が登場する。かれらの衝
突が物語の主な材料を提供する。西部オーストラリアの一説はたかとからすとを扱っている。たか
はからすの母方のおじだが、婚姻では優先的に母方の兄弟の娘と結ぶことになっているため、たか
はからすの義父となる可能性がある。現実にそうであるにせよ可能性を持っているだけにせよ、義
父は自分のおいでむこである者から食物の贈与を要求する権利がある。そこで、t たかはからすにウ
ォ1 ラピ・カンガルーを一匹持って来るように命ずる。猟は成功したのだが、からすは誘惑に負け、
獲物を食べ、成果なくして帰ったと言い張るb しかし、おじは信じようとはせず、腹がふくらんで
いるのを問いつめる。からすは、空腹をおさえるためアカシアのゴムをたらふく食べたのだと言う。
それでもなお信じかねたたかは司おいをくすぐって肉をはきださせる。罰として、たかはからすを
火の中に投げこみ、目が赤くなり、羽毛が暴くなるまで出さない。苦しみのあまりあげた叫ぴ声が
141 第4章
142
爾来からす独特のものとなる。以後からすは自分で猟をせず、獲物を盗むことに甘んじるようにと
定めちれる。爾来、事態はそのようになっている。
この神話を民族誌学的な背景に頼らずに理解することは不可能だ、とラドクリフu プラウンは続
ける。オーストラリア原住民は、自分を《肉食者》と見なしている。肉食の鳥であるたかとからす
は、その主な競争相手である。原住民がやぶに火を放って猟をするとき、火を逃れようとする獲物
を人間と奪い合おうと、たかはいち早く姿を現わす。たかも猟をする。からすは野営の火から遠か
らぬところで木の校にとまり、ご馳走を盗む機会を待っている。
このような型の神話は、登場する動物は違うが、構造の類似した他の神話と対比することができ
る。たとえば、南オーストラリアとグィクF リア地方との境界に住む原住民は、かれらの主な獲物
カンガルーよりはちいさい有袋類の動物〉がかっであるカンガルーとふくろぐまハウォンパット。
ては仲が良かったと語る。ある日、
はからかって、
ウ寸ンパットハ陸棲)が《住居》を作ろうとした。カンガルー
ののしった。しかし、はじめて雨が降り、ウォンパットが自分の《住居》に雨を避
ウォンパットは、二人にはせますぎると言って、カンガルーがはいってくるのけてこもったとき、
を拒絶した。カンガルーは怒ってウォンパットの頭を石で打ち、頭蓋骨を平たくしてしまった。ウ
ォンパットはカンガルーの尻に投槍をさした。爾来、事態はそのままになった。ウォンパットは平
たい頭をして穴の中に住み、カンガルーはしっぽを持っていて、地上に生きている。
クヤスト・ツウ・スト1F ー
もちろん、これは、ただ《それだけの話》にすぎず、子供じみたものと判断することも許さ
れる。語り手が調子にのせれば聞き手をたのしませる。しかし、何ダl スかの同じ型の物語を検
一、つの共通の主題が見えてくる。動物種間の類似と相違が友愛と葛藤、連帯性と対立討すると、
のことばで訳出されているのだ。言いかえるならば、動物の生の世界は、人間たちの社会を支配
しているような社会的関係の形で表象されている。ハラドクリフu ブラウンω一二ハ頁)
知性へ
このような結果を得るべく自然種はいく対かの対立に分類されているが、それは比較を許すよう
な共通の性格をすくなくも一つ示している種を選ぶという条件の下にのみ可能だ。
たかとからすの場合には原理は明白だ。前者は捕食鳥、後者は腐肉をあさるものとして互いに異
なるのだが、ともに主要な肉食の烏である。しかし、こ‘つもり|ふくろうの対はどう解釈すべきだ
ラドクリフ”ブラウンは、夜の鳥であるという両者に共通の性格にまずひかれたと告白する。ろう。
第4 章
ところが、ニュ1 ・サウス・ウal ルズの一地方では、昼の鳥きばしりが、女性トーテムとしてこ
うもりに対立する。たしかに、ある神話は、きばしりが婦人たちに木によじのぼるすべを教えたと
143
語っている。
インフォ1 マントが供給したこのような説明に元気づけられて、ラドクリアH プラウンは尋ねる。
144
,
F}うもりときばしりとの聞にどのような類似があるのだJ原住民の男は、そんなζ とを知らないの
に明らかに驚いたようすで、答えて言う;でも、お分りでしょうに。どちらも木の幹のほこらに住ん
でいますodところが、ふくろう(ナイト・アウル〉とよたかハナイト・ジャl 〉の揚合も同じだ。
肉を食べること、木にかくれて生活することはこの対に共通の特徴で、人間の生活条件との一比較
点を提供する。しかし、対の内部で、類似性の奥に潜んで、対立もまた存在している。肉食ではあ
るのだが、二種の烏の一方は《猟をして他方は《盗む》。同一の種に属しながらも、いんこは白、
黒と色を異にする。ともに樹上に棲む鳥も、昼のものか夜のものか、等:::。
したがって、われわれの出発点であったダl リング川流域の部族の《たかーからす》の区分は、
分析の果てには、もはやグある構造原理のごく頻繁に見られる一応用型d ハ一二三頁〉としか見えず、
その原理とは対立する項の結合に存する-。いわゆるトーテミズムなるものは、動物および植物に関
することばで形成された特殊な用語を用いて(しかも、その点にその唯一の特異な性格があるのだ
がて違ったふうに形式化することもできる相関関係や対立をそれなりに||今日ならば、独自の
法規に従って、と言うところだろう||表現しているにすぎないことになる。たとえば、南北アメ
リカのいくつかの部族においては、天ー地、争いl 平和、川上l 川下、赤l 白等の型の対立によっ
ているが、そのもっとも一般的な類型およびもっとも体系的な適用は、あるいは、中国の陰陽二原
理の対立に見るべきかもしれない。おすとめす、昼と夜、夏と冬、これらの結合から夫婦、一日あ
るいは一年という有機的な全体性グ道d が生ずる。トl テミスムは、
とならずに、むしろ統合を生ぜしめるのに役立つようにするという一つの一般的な問題を表明する
こうして、対立が統合の障碍
一つの特定の方法に帰せられる。
*
ラドクリアu ブラウンの証明は、トーテミズムの反対者も擁護者も、
たジレンマを決定的に取り除く。かれらは生物種に自然の刺戟物か、あるいは勝手な口実というた
ともに閉じこめられてい
だこっの役割しか与えていなかったのだから:::。トーテミズムの動物たちは、もっぱら、あるい
知性へ
はことさらに、恐怖、驚嘆、ないしは懇望の対象であることをやめる。観察の所与から出発して思
弁的思惟が築いた概念や関係が、これら動物の感覚的現実の奥に透けて見えてくる。とうとう、人
人は、自然種は《食べるに適している》からではなく、《考えるに適している》から選出されるの
だと理解する。ラドクリフ日ブラウンのこのような学説と以前のかれの学説との聞のひらきはあま
第4 章
ラドクリア目ブラウンの文章を多少越えているので、どういう点で木のほこらに巣くう鳥の生活が人間の生活条件を想
起せしめるのかと人はわたしに問おっこともできよう。ところで、半族が木の部分の名で呼ばれているオーストラリアの部
族が、すくなくも一つは知られている。,ヌグンパ族においては、グワイム1 ドテン半族はヌl ライハもと)とウァング
ハなか)とに分れ、グワイグリール半族はウインゴハいただき)とされている。これらの名は木の投げかける影の各部分
を指しているが、設営のさいに各集団が占める揚所を暗示しているf (ト1 マス一五二頁〉
本
14 ラ
” L
146
りにも大きく、自分が辿った道のりをラドクリアH プラウンが理解していたかどうかを知りたいと
いう願いをおこさせるが、その答えは、南米でかれがおこなった講義録と、オーストラリア原住民
の宇宙観に関するさる講演の未発表の原稿のうちに求めることもできよう。かれにとっては-それ
らは一九五五年に死が訪れるまでに自説を発表する最後の機会となった。かれは、自分が考えを変
えることがありうるとか、また、人からの影響をうけることがあるということを心よく認めるよう
な人ではなかったが、「ハックスレ1 記念講演」に先立つ十年間が人類学と構造言語学との接近を
その特色としていたことに注目せずにいることはむずかしい。だれしもこの接近の企てに参与した
ものは、それがラドクリアn ブラウンの思想の中にその反響をえたと考えたいとはすくなくも思う
ことだろう。対立および相関関係という概念、対立するものの対という概念は長い歴史を持ってい
それについで構造人類学が、人文科学の語棄の中でこの概念にふたたび名る。だが、構造言語学、
誉ある地位を与えたのだ。これらの観念が、いまだに自然主義および経験主義の刻印をおされてい
た以前の立場を放機する方向へとラドクリフu ブラウンを導くのをわれわれは辿ったが、それらが、
かれ自身の筆によってそのすべての意味を担って用いられでいるのを見るのは感銘深いものがある。
Jもっ’とd血U
、このような出立は臨時跨なしにはおこなわれない。
そのオーストラリアでの事実の分野を越えての外延とに確信がないように見える。
一瞬の問、-ブドクリフu ブラウンは自
説の意味と、
われわれがここで《対立》ということばで呼んでいるものについてのオーストラリア原住民の
考え方は、対立による連合の一つの応用例だ。これは人間の思惟の一つの普遍的な特色であり、
われわれをして、高・低、強・弱、黒・白のように反対のものの対によって思考するようにしむ
ける。しかし、オーストラリア原住民における対立という概念は、
と一対の敵対するものという観念とを結合している。(向上一一八頁)
一対の反対のものという観念
知性へ
現代構造主義の一つの帰結がーーとはいっても、まだ明確に陳述されているわけではないが||
アアジアツ品スム
連合主義心理学をそれが務ちこんでいる不信から引き出すことでなければならないのは、まったく
真実である。連合主義は、あらゆる思惟の最小公約分母とも言うべき基本的論理の輪郭を描き出す
という大きな功績があった。ただ-それが本源的論理であり、精神の(そして、おそらくは精神の
奥にある大脳の〉構造の直接の表現であって、無定形な意識に対する環境の働きによる受動的な産
物ではない、と認めることのみが欠けていた。しかし、ラドクリフu ブラウンがいまだに信じよう
第4 章
としていることに反して、
を説明するのであって、
この対立と相関関係、排除と包括、両立と矛盾の論理こそが連合の法則
その逆ではない。新しい連合主義はポールの幾何学と類似がないとは言え
147
ないような一連の操作体系の上にうち立てられるべきであろう。ラドクリフu ブラウンの結論その
ものが示しているように、かれを単なる民族誌学的一般化オーストラリアにおける事実の分析は、
を越えて、言語、さらには思惟の法則にまで導く。
それだけではない。構造分析において形式と内容の分離が不可能であることをラドクリフu ブラ
ウンが理解したことにわたしはすでに注目した。形式は外部にあるのではなく、内部にある。動物
148
の名による呼称の理由を感知するには、これらの呼称を具体的に検討しなければならない。という
のは、われわれは、勝手気佳が支配する領域との境界線をどこに引いてもよいというわけではない
のだから。意味は自分で自分を規定するのではない。いたるところにないものなら、いずこにもな
い。なるほどわれわれの知識には限界があるため、しばしばこれをその最後の隠れ家まで追跡する
ことは許されない。そこで、ラドクリフu ブラウンは、オーストラリアのいくづかの部族は動物の
生と人間の生活条件との類縁性を肉食の晴好の関係のもとに考えるのに、他の部族は居住地の共有
に考え及ぶのがなぜかは説明しない。としても、かれの証明は、この相違もまた意味があり、十分
な情報を得ていれば、これらこっの集団のそれぞれの信仰、技術、あるいは各集団が環境に対して
保っている関係の聞に見てとることのできるほかの相違とこの相違とを、相関関係におくこともで
きることを暗々裡に想定している。
たしかに、ラドクリフ目ブラウンが辿った方法は、それが示唆している解釈と同じく堅固なもの
である。社会的現実のそれぞれの次元は、それなくしては他の次元の理解が不可能になるような、
欠くべからざる相互補完体として捉えられる。慣行は信仰へ、信仰は技術へと送りこむ。しかし、
異なる次元は、単に、互いに反映し合うのみではない。それは相互に弁証法的に反応するため、わ
れわれは、まず、制度、表象および状況を、それぞれ、対立および相関の関係において評価するま
では、ただ一つの次元でも知ろうと望むことは許されない。一つ一つの実際の試みを通して、人類
学は、活動しつつある人間の思惟と、その思惟が適用される対’象の人間との間の構造の相向性が真
実であることを証明しているにすぎないのだ。内容と形式の方法論的統合は、それなりに、もっと
本質的な統合を反映している。方法と現実の統合である。
149 第 4寧 知性へ
Z ラ。
第五章心の中のトーテミズム
おそらくラドクリフu プラウYは、わたしがいまかれの証明から引き出した結論を斥けたことだ
ろう。というのは、生涯li ある書簡が証拠となっているがーーかれは構造について経験主義的な
考え方に固執していたからだ。それでも、わたしは、一九五一年のかれの講演によって関かれた道
の一つのきざしを、歪曲することなくあとづけたと信ずる。この道をラドクリフu プラウンが辿ら
なかったとしても、老齢と病苦に脅されながらも、なお、これらの革新の約束を宿していたかれの
思想の豊かさを証明しているものである。
民族学に関する文献の中でトl テミスムに関するラドクリフu プラウンの晩年の理論がいかに新
奇なものと見えようとも、かれはこのような理論の創始者ではない。とはいっても、厳密な意味で
の民族学的省察の埼外に位置を占めていた先駆者たちからかれが着想を得たということはありそう
もない。ラドクリフu プラウンの理論において認められる主知主義的性格を考慮にいれるとき、ベ
ルクソンがごく似かよった考えを擁護したことに人は驚きもしよう。だが、興味深いことには、
〆
j 第5 章心の中のトーテミスム
『道徳と宗教の二源泉』の中に、いくつかの点でラドクリフa ブラウンとの類似が指摘されうる理
これは思想史の問題であると同時に、トーテミズムに関論の素描が見いだされるのだ。もっとも、
する思弁の奥に潜んでいる公準にまで湖ることを許す一つの問題を提出する機会でもあろう-情緒
性および生きた経験にどのような地位を与えているかは周知のこの哲学者が、一つの民族学的問題
を取り上げるとき、民族学者たちの中でも他のすべての点では理論的立場がかれのものに近いと考
えることのできるような人々のまったく対極に身を置くということがどのようにしておこりうるの
だろうか。
『ニ源泉』の中でペルクソンはトl テミスムを動物崇拝の角度から取り上げ、後者を精霊崇拝の
一様式に還元する。トl テミスムと動物崇拝とが一つだというのではないが、それでも、ト1 テミ
あるいはさらにある植物種、時には一つの単なる生命なき物体を、宗
教に似ていないとは言えない敬意をもって扱うdC 九二頁〉ことを前提としている。このような敬
スムはグ人間がある動物種、
意は、原住民の思惟においては、その動物あるいは植物と氏族の成員とが一つであるという信仰に
いかにしてこのような信仰は説明されよう。結びついているように見える。
Z ラz
* S ・タックス、L ・c -エイズレ1 、I ・ラウズ、C ・F -フォ1 ゲリン『今日の人類学の評価』シカゴ一九五三年一
O九頁に掲載されている本書の著者あてのラドクリアu ブラウンの手紙を参照。
この両極を検討
Z ラ2
これまで提唱された解釈は、すべて、二つの仮説の間に並列する。したがって、
すればこと足りる。一つは、われわれがグである4 という動詞ーーその意味はフランス語において
さえ一義的ではないが||で訳出する表現がさまざまの言語において提する意味の多様さを意に介
しないレグィ目プリュ1 ル式の《融即》であり、もう一つは、デュルケl ムのおこなっているよう
にトーテムを氏族の標識および単なる呼称に還元することだが、あとの揚合には、トーテミズムを
実践している人々の生活の中でトl テミスムが占める位置を説明することができない。
もっとも、どちらの解釈も、動植物種に対する明らかな偏好という事実が提する問いに、端的に
はっきりと答えることは許さない。そこで、人が植物および動物を知覚し、考える仕方に独自なも
のがありうるのかとたずねる必要に迫られる。
動物の特性が唯一の質に凝縮するように見えるのと同時に、その個性は一つの属の中に溶解す
るとも言えよう。ある人だと認めるのは、その人を他の人々から区別することである。ところが、
ある動物と認めることは、普通は、その動物が所属する種を理解することだ:::。
いかに具体的、個体的なものであっても、本質的には一つの質として、また、
らわれる。ハペルクソン一九二頁〉
一匹の動物は、
一つの属としてあ
人間と動物あるいは植物との聞の関係を特徴づけるものは、個体を通り越えたこのような属の
直接の知覚だ。この知覚が、また、《トl テミスムというこの奇妙なもの》をよりよく理解する
のを助ける。たしかに、真理は、いま引用されたこっの極端な解決の中間に求められるべきであ
る
0
一つの氏族がなにそれの動物であると言われることからは、なにも引き出すものはない。だが、
』むの中のトーテミスム
同じ一部族内に包含されているニクの氏族が、必然的に、二つの異なった動物でなければならな
いといおっことは、もっとずっと教えるところが多い。なるほど、これら二氏族が、生物学的な意
味で二つの種を構成していることを明記したいと思うと仮定してみよう。:::ニ氏族の一方にあ
る動物の名を、他方に別の動物の名を与えもしよう。:::これらの名は、それぞれ孤立しては、
一つの呼称にすぎないものだった。二つ一緒になると、一つの肯定に匹敵する。たしかに、これ
らこっの名は、二氏族が血を異にしていることを意味している。ハペルクソン一九三t 一九四頁)
第5 章
ペルクソンの理論を結論まで辿る必要はない。もっと論拠に乏しい地盤に引きこまれることにな
ろう。ベルクソンはトーテミズムの中に外婚制擁護の一つの手段を見、外婚制自体は生物学的に有
害な近親結婚を避ける本能の現われだとする。しかし、もしこのような本能が存在するとすれば、
Z ラ3
Z ラ4
制度という手段に訴えるのは余計なこととなろう。それに、採用されている社会学的類型は、そ
れを示唆した動物学的原型と奇妙な矛盾を提することになろう。動物は同族婚であり、族外婚では
ない。動物は、もっぱら、同種の範囲内で結び合い、再生する。そこで、各氏族の《特異性を明ら
かにして氏族を《その固有の性質によって》互いに区別することによって、ーーもしトl テミス
ムが生物学的性向および自然な感情に基づいているものだとすれば||求めている結果とは逆のも
のに到達することになろう。各氏族は、一ヲの生物学的種としては同族婚とならねばならず、氏族
が相互にまじわることはなくなってしまおう。
ペルクソンは以上の難点をまことによく意識していたため、自説をこのJの点で改めることをため
らわなかった。人聞をして同族結婚を避けるべくしむける必要の現実性は維持したまま、かれは、
これに対応するいかなる《活動する現実の》本能もないことを認める。自然は、知性の手だてによ
って、《本能がそうしたでもあろうように、行動を決定すべき想像力による表象》ハ一九五頁)を生ぜ
この欠陥を補う。しかし、この点以後は形而上学の真只中にはいってしまうしめることによって、
だけではなく、この《想像力による表象》は、いま見たように、その想定されている対象とはまっ
たく逆の内容を持つことになろう。おそらくはこの第二の障碍を乗り越えようとしてであろう、ベ
ルクソンは想像力による表象を一つの形式に還元することになる。
かれら(二氏族の成員たち)が二種の動物種を構成していると宣言するとき、
は動物性ではなく、二一元性を強調しているのだ。ハ向上一九五頁)
かれらそこで、
両者の前提は異なっているにもかかわらず、ペルクソンが二十年も前に述べていることは、
フ
ド
クリフu ブラウンの結論にほかならない。
*
哲学者ペルクソンのこのように鋭い洞察力は、受身腰とはいえ、専門の学者たちもまだ解決して
いない民族学の問題に正しい答えを出さしめたがハ『二源泉』の発表は、ラドクリフu ブラウンの第
心、の中のトーテミスム
この問題を
γヤツセ・グ
機として、時代を同むくしていたペルクソンとデュルケl ムとの間で、理論上の文字通りの入れ変
えがおこることだ。動くものの哲学者がトーテム問題の解答を対立と概念一理論におくれるといヲても、ほとんど時を同じくするてさらに注目に値するのは、
および、時には二律背反にまで湖る傾向があったにもかかわらず、
.
""
ルケl ムは、つねづね範瞬、
第5 章
ルクソンとは逆の歩みを辿って、解答を無区別という次元に求めた。さて、トーテミズムに関する
デュルケ1 ムの理論は三段階に展開する(ペルクソンは、その批判において、最初の二段階だけを
取り上げてこと足れりとした〉。つまり、氏族はまず《本能的》に一つの標識を自分のものとする
これは何本かの線で引かれた簡単な素描にす、ぎないもののこともある。の
Z ララ
が(前述一一六頁参照)、
ちになって、この素描の中にある動物の象形を《見て取りて図案をしかるべく書き変える。そし
て最後に、氏族とその標識の感情的混同によって、この象形が神聖祝される。
しかし、各氏族が、自分たちのために他の氏族とは独立におこなうこのような一連の操作が、
いには体系に組織されるということがいかにしておこりうるのだろう。デュルケ1 ムは答える。
ヲ
Z ラ6
たとえトーテム原理が、好んである特定の動植物種にその座を選ぶとしても、そこに局限され
たままでいることは不可能だった。神聖さというものは、極度に伝染性を持ったものだ。そこで
トーテム存在から、それに多少なりと縁のあるものに拡がる:::。トーテム存在の滋養となるも
の:::トーテムに類似じているもの:::トーテム存在がつねに関係を保っている存在:::。結は、全世界が同じ部族の諸トーテム原理の間に分け与えられ
ることとなった。ハデュルケ1 ム三一
八頁〉
《分け与えられる》ということばは、明らかに唆味さを宿している。ほんとうの分配は、それぞ
れ他の地域の進展との衝突がなければ全領域を侵すことにもなるような、発展途上のいくつかの地
域相互間の、しかも予見不可能な制約から生ずるものではないのだから。結果として生じてくる配
分は慾意的で、偶有的なものとなろう。それは、歴史と偶然の所産である。そして、受動的に生き、
第5 章心の中のトーテミスム
前もって考えられることなくして蒙った区別が、いかにして《原始的分類》の起源でありうるかと
いうことは理解に苦しむ。これら《原始的分類》の首尾一貫した体系的性格を、デュルケl ムはモ
ースと共に確立した。
このような精神状態は、われわれの精神状態と無関係であるどころもはない。われわれの論はこの論理から生まれた:::。昔同様今日でも、説明するとは、一
円ノの物がいかにして一つの、
あるいはいくづかの他のものと性質を同じくしているかを示すことだ:::。いくつかの相互に異
質な項を一つの内的鮮によって結び合わせるたびに、われわれは必然的に相反するものを同一と
見なしている。確かにわれわれがこうして結合させる項は、オーストラリア原住民が対照させる
ものと同じではない。われわれはかれらとは違った基準により、違った理由から、これらの項を
選出する。しかし、これらの項を関係づける精神の運び自体は、本質的には変らない。
.......................................
Z ラア
つまり、宗教的思惟の論理と科学的思惟の論理との聞に深淵はない。共に、同じ本質的要素か
らできているが育発展の均衡と様式において異なっている。特に前者の特徴と見えるものは、極
度の混沌および強烈な対照に対する生来の晴好だ。この二点で前者はとかく過激になる。類似を
認めたつもりで混同し、相違を求めて対立させてしまう。節度と微妙さを心得、ず、極限を求める。
さらに、この論理は論理的機構を用いるのに一種の不器用さを示すが、論理的機構のどれ一つと
Z ラ8
して知らないものはない。ハデュルケ1 ム三四OI 三四二頁)
以上の文章を長々と引用したのは、まず、おそらく、これはデュルケ1 ムの書いたもっとも優れ
たものの一つと思われるからである。かれは、あらゆる社会生活は||基本的なものでさえ||人
その知的活動の形式的性質は社会の具体的な聞における知的活動を前提としており、じたがって、
組織の一反映ではありえないということを認めていた。しかし、『基本的形態』から引用したこの
文章は、『規則』の第二の序文と『分類の原始的形態に関する試論』とから引用することもできた
と思われる文章と共に、社会的なものの知性に対する優先性を確言するときにデュルケl ムがあま
りにもしばしば採用した逆の見方に内在する矛盾を示している。ところで、ベルクソンは、まさに、
デュルケ1ムの言うような意味での社会学者の逆であろうと志す限りにおいて、属の範噂と対立の
観念とを、社会的秩序が自己を設定しようとして用いた悟性の直接与件とすることができるのだ。
そして、デュルケ1 ムが社会的秩序から範酵および抽象観念を派生せしめると主張するとき、この
秩序を説明するべくかれが手もとに見いだすものは、感情、情緒的価値、ないしは伝染とか感染と
かいう漠然とした観念だけになってしまう。したがって、デュルケ1 ムの思想は、相矛盾する要請
にひき裂かれたままにとどまる。ペルクソンが、真の社会学的論理の根底を据えようとしてデュル
ケ1 ムより優れた立場を占め、デュルケ1 ムの心理学は、ペルクソンのそれと同じほどに、しかし
逆で、対称的な仕方で、表明されていないものに訴えねばならないという、トーテム研究の歴史に
よってはっきりと例証された矛盾は、以上のようにして説明がつく。
これまでのところ、ベルクソンの歩みは、ただ後退を続けているように見えた。自説の呼ぴおこ
した反論の前に態勢を崩すのを余儀なくされ、心ならずもトl テミスムという真理を背にして追い
ではない。ペルクソンの明察は、
このように考えることは、事態の根底にまで達していること
もっと積極的な、もっと深遠な理由に基づいていたということも
つめられたかのごとくだ。ところが、
心、の中のトーテミスム
ありうるのだから:::。ペルクソンが、トーテミズムのいくつかの面を、民族学者より良く、ある
いは民族学者より先に理解することができたのは、トl テミスムを内側から生きている、あるいは
生きたいくつかのいわゆる未開民族の考えと、ペルクソンの思想とが奇妙な類似を示しているとい
うことではないだろうか。
民族学者にとっては、ペルクソンの哲学がシウl ・インディアンの哲学を想起せしめるのに抗し
難い。ベルクソンは『宗教
生活の基本的形態』を読み、省察したのだから、自分自身この類似に気
第5 章
がついたことでもあろう。というのは、デュルケl ムは、この書の中で(二八四l 二八五頁)、南は
Z ラ9
オザl ジュ族から北はダコタ族に至るまでの全シウ1 世界に共通の形而上学を、『創造的進化』の
ことばに近いことばで表明したダコタの一賢人の訓えを紹介している。この形而上学によれば、事
物と生命ある存在とは創造的連続性の固化した形体にすぎない、というのだ。アメリカの文献から
160
引用しよう。
あらゆるものは、動きながら、ある時、あるいはほかのある時に、そこここで一時の休息を記
す。空飛ぶ鳥は巣を作るためにある所にとまり、休むべくしてほかのある所にとまる。歩いてい
る人は、欲するときにとまる。同様にして、神も歩みをとめた。あの輝かしく、すばらしい太陽
が、神が歩みをとめた一つの揚所だ。月、昼、風、それは神がいたところだ。木々、動物はすぺ
て神の中止点であり、インディアンはこれらの揚所に思いを馳せ、これらの揚所に祈りを向けて、
かれらの祈りが、神が休止したところまで達し1 助けと祝福とを得られるようにと願う。(ド1
セl 四三五頁〉
類似を引き立てるために、
いる個所を引用しよう。
ただちに、『ニ源泉』の中でペルクソンが自分の形而上学を要約して
大いなる創造力の流れが物質の中に奔り出て、獲得できうるものを獲得しようとする。大部分
の点で流れは中止した。これらの中止点が、われわれの自にはそれだけの生物種の出現となる。
つまり有機体だ。本質的に分析的かつ総合的なわれわれのまなざしは、これら有機体の中に多くの機能を果すべく互いに協力している多数の要素を見て取る。し
かし、有機体生産の仕事この中止そのものにすぎなかった。ちょうど、足をふみいれただけで、一瞬にして、幾千ものつぶが、互いにしめし合わせたかのごとく
一つの図案となるというような単純な行為だ。ハベソン二一二頁〉
以上のこっの文章はあまりにも正確に重なり合うため、
がトーテミズムの奥に隠れているものを理解したのは、ペルクソン自身は意識していなかったにし
ねても、かれの思想がトーテム住民の考えと調べを同じくするものであったと寸ど大胆なことではないとおそらく見えることだろう。それではどのような川親近
性は、世紛やJhMhw かおよびhr
皆続なかかという名でペルクソンが呼んでいる現実の岬的に把握しようという欲求、両者の間の択一の拒否、両者を同じ真AU
寧としようとする努力を共にしていることに由来するように見える。自分の気質に第
この両者を読んだあとでは、ペルクソン
161
*この類似は深く検討するに値しよう.ダヨタ語は時を指示する単語を持っていない。しかし、持続の中に存在する仕をいく通りにも表現することができる。ダ
ヨタ族の思惟にとっては、確かに、時は、尺度が介入しない持続に還元され
る。それは限界のない、どうにでも処理できるものだ。〈マレシおよびマクコ1 ヌ一二頁〉
上学的考察は避けながらも、ラドクリフu プラウンも、対立と統合とを調停するべくトーテミズム
162
をある普遍的な企ての一つの特定な形に還元したとき、同じ道を辿っていた。野生人の思考法にす
ばらしく通じていた実地の民族学者と、書斎にいながらにしていくつかの点で野生人のように思惟
する哲学者とのこのような合致は、ただ一つの根本的な点についてのみしか生じえなかったが、
、”’ ..
の点は指摘に値いすると思われる。
本
もっと湖るが、そして、ほとんど劣らずに意外と考えられようが、ラドクリフn プラウンのもう
-人の先駆者をジャンn ジャック・ルソーのうちに見いだすことができる。ルソーは、たしかに、
民族誌学に関してペルクソンよりはずっと闘志にもえていた。だが、十八世紀においては民族ルソl
の明察をさらに驚くべきものとしているの知識がまだきわめて限られていたことのほかに、
のは、それが、トーテミズムに関する最初の概念より数年も前のことだという点である。トーテミズムに関する最初の概念がロングによって導入され、その著書
が一七九一年のものであることを息
い出すが、『不平等の起、源に関する論文』は一七五四年に湖る。ところが、ラドクリフn ブラウンお
よびベルクソンと同様に、ルソ1 は-動植物界の《特異》な構造の人間による把握のうちに最初の
ついで、考えられてはじめて生きられるようになる社会的分化の源泉とを見論理的操作の源泉と、
る
。
『人間における不平等の起源と根拠に関する論文』は、フランスの文献の中に数えらおそらく、
れる最初の一般人類学論であろう。その中で、ルソーはほとんど現代のことばで、自然から文化へ
の移行という人類学の中心問題を提出する。ペルクソンよりは思慮深く、かれは、自然の秩序に属
しているがために自然を越えることを許さない本能に訴えることは避ける。人が社会的存在となる
以前には、生殖本能というP盲目的性向は:::ただ純粋に動物的な行為を生ぜしめるのみであっ
-一・』O
叶JHH
自然から文化への移行は人口の増加を条件とした。しかし、人口の増加は、直接に、自然な原因
として働いたのではない。それは、まず、人聞がいくつもの異なった環境で存続できるように生活
心の中のトーテミスム
様式を多様化し、自然との関係を多角化するように強要した。しかし、この多様化、多角化が技術
的、社会的変貌をもたらすことができるためには、それが人間にとって思考の対象となり、思考の
方法となることが必要であった。
第5 寧
さまざまの存在を、自分自身に、また、相互に、繰り返し適用することが、自然に、人間の精
神の中にいくつかの関係の知覚を生ぜしめることになった。われわれが、大、小、強、弱、早い、
および、必要に応じて、
163
遅い、こわがり、勇敢ということばで表現するこれらの関係、ほとんど
意識せずに比較しているこれに似たほかの観念は、ついには、人間において、反省のようなもの、
164
あるいはむしろ自己の安全に必要な最小限の注意をうながすある機械的な慎重さを生ぜしめた。
ハルソ1ω六三頁)
この文章の最後の部分は、悔悟としては説明がつかない。ルソ1 の思想においては、先見の明
と好奇心とは、知的活動の二面として結びついている。自然状態が支配しているときには、これ
ら二面は共に人間に欠けている。というのは、人間はg ただ、自己の現存在の感覚に身を委ねて
いるg からだ。もっとも、ルソl にとって、情緒生活と知的生活とは、自然と文化と同じ様に対
立する。自然と文化とは、グ純粋の感覚から、もっとも簡単な認識にいたるまで8 とまったく同じ
距離をへだてている。それがいかに真実であるかは、ルソ1 の筆によって、時に、自然状態に対
立して、社会状態ではなく、グ推論の状態d が置かれている(四一、四二、五四頁〉のを見るほどであ
る。
つまり、文化の到来は知性の誕生と合致する。他方、連続するものと非連続なものとの対立は、
生物学的次元では種の中における個体の系列性および種相互間の異質性によって表現されるために
乗り越え難く見えるが、人間の自己を完成する能力に依存している文化の中では、この対立は乗り
越えられている。
種におけるにせよ個体におけるにせよ、われわれが持っている:::能力:::。ところが、
匹
の動物は、数ヶ月にして生涯あるべき姿となり、
たままの姿である。ハルソlω四O頁)
その種は、千年ののちでも、千年の初めにあっ
とすれば、まず、動物から人類、自然から文化へ、情緒性から知性へという三重の移行(実は
一つのものだが)は、
鍵があると考える動植物界の社会への適用の可能性は、
ついで、ルソーがすでに考えており、われわれがそこにこそトl テミスムの
ど’のように考えねばならないのだろう。と
いうのは、各項を徹底的に分離すると、ハデュルケl ムがのちに身をもって経験するように〉その
,ei ...の中のト“テミスム
発生を理解できなくなる危険に身をさらすことになるから。
ルソ1 の答えは、項の区別を維持したままで、不可分的に情緒的、知的な内容を持ち、自覚する
だけで一方の次元からもう一方の次元に変えることができる唯一の精神状態によって人間の自然的
ピチZ
条件を定義することに存する。つまり、それは憐側、あるいはまたルソーが言っているように、他
者との同体化で、項の二元性はある程度まで相の二元性に対応している。人聞は、まず、自分がす
第5 章
ルソーがはっきり言っているように、動物もいれねばならない)
自分を区別し、これら同類を相互に区別する能力、
べての同類(その中に、と同一で
-16ラ
あると感ずるから、そののちに、つまり種の多
様性を社会的分化の概念的支柱とする能力を獲得することになるのだ@
166
このように、初め自己をすべての他者と同一視するという哲学は、サルトルの実存主義からは考
えうる限り遠いものである||サルトルはこの点ではホップスの説を踏襲している。もっともこの
ような哲学は、ルソーをいくつかの奇妙な仮説へと追いやる。たとえば論文の註ωだが、そこでル
ソーは、オランウータンおよびアジア、アフリカに見られる類人猿は、旅行者の偏見によってあや
まって動物界に混入されたが、人間だということもありうると示唆している。しかし、同時に、こ哲学は、すでに見たように、二元的対立によって操作する論理
の出現に根拠を得た並は、的な考え||象徴主義の最初の発現と合致するーーを、自然から文化への移行について抱くかれに許す。人間と動物を感性を具えた存
在として総括的に把握することli ここに同一視が存す
るのだが||は対立の意識を要求し、これをあとに従えている。まず、揚の構成部分として考えら
れた論理的要因相互間の対立、
の対立である。ところで、
ついで、揚の内部そのものにおける、《人間》と《人間でないものこれこそ言語の歩みにほかならない。言語の起源はルソーにとっては、
必要にあるのではなく、情念にあるのであり、その結果、最初の言語は比倫的なものであったに違
いない、ということになる。
人をして話さしめた最初の動機は情念であったため、人間の最初の表現は比喰であった的言語がまず誕生し、本義は最後に見づけられた。事物をその真の姿で見
たときに、はじめて\
ζ
人はこれをその真の名で呼んだのだ。初めは、人は詩でのみ語った。推論することを思いついた
のはずっとあとのことだ。ハルソ1閃五六五頁〉
つまり、知覚の対象とそれが呼ぴおこす感動とを一種の超現実の中で混同する包括的なことばが、
本来の意味での分析的還元に先行したというのだ。隠喰がトーテミズムの中で演ずる役割は幾度か・
強調したが、隠喰は言語をあとから飾りたてるものではなく、その根源的な叙法の一つである。ル
ソーによって対立と同じ次元におかれた隠喰は、同じ理由から、論弁的思惟の最初の形の一つを構
成する。
心、の中のトーテミスム
*
「今日のトl テミスム」と題された試論が回顧的な考察で結ぼれるというのは、いわば逆説をな
している。しかし、トーテム幻想が、最初その支柱となった事実をいっそう厳密に分析することに
よって一掃され、その奥に潜められている真理が現在よりも過去においてより一一層明確になると
すれば、逆説はトーテム幻想の一面にほかならない。というのは、トーテム幻想は、まずペルクソ
ンのように民族学に関して無知であった哲学者と、トーテミズムという概念がまだ形をなしていな
かった時代に生きたもう一人の哲学者とが、現代の専門家より前にll しかも、ルソ1 の揚合に
167 第S章
はさらにトl テミスムの《発見》以前にll あまり親しんでいなかった信仰や償行、あるいはだれ
168
一人その現実性を確立しようともしなかった信仰や慣行の本性を看破することができたといに存するからだ。
あるいは、ペルクソンの成功はかれの哲学的偏見の間接的な帰結であるのかもしれない。ペルク
ソンは、価値と見なされているものを正当化しようとすることにおいて同時代の人々におくらなかったが、かれは価値の限界を白人の正常な思惟の内部に引き、
その周縁に引かない点でれらとは異なっている。したがって、区別と対立の論理は、ペルクソン哲学がこの様式よりも低い地位を与える限りにおいて、野生人お
よび《閉じた社会》のものとなる。こ真理がいわば《はねかえって間接的に》勝利を占めている。
ここでわれわれが教訓を引き出そうとするとき、肝要なことは、ペルクソンとルソーつまり、まず外部から把えた思考法あるいは単に想像した思考法を自分
しかし、
内向という歩みによって、
自身について試みることによって、異国の制度(ルソ1 の揚合は、それが存在するとも気づかず
に〉の心理学的根拠にまで湖るのに成功したということだ。こうして、この二人の哲学者おのの人間精神は、いかなる距離によってへだてられてい忍ものでも、
人間精神の中でおこならこれを検討する実験の揚となりうるということを立証している。 トーテミズムは、それに帰せられた風変りさが、
によってさらに誇張されて、われわれの社会制度から引き離そうとして原始的制度に加えこれを目で見た者たちの解釈と理論家の思弁と
一時、強化することに貢献したが、このことは、宗教現象の揚合には、
いた。この揚合には、対比によってあまりにも多くの類縁性が明らかにされることとなっただろう
から。いわゆる文明化した宗教がトl テミスムに接触することによって解体するのではないかと恐
れて、トT テミスムをできる限り遠ざけ、必要に応じてはこれを戯画化しながらもll ーさもなけれ
ば、デュルケームの例のように、宗教とトl テミスムの結合の結果は、両者の特質を失った新しい
トーテミズムを宗教の中にいれたのは、宗教的事象にとりつかれ
カを、ことさら時宜を得て
ものを生んでしまう||、なお、
ていたためであった。
心、の中のトーテミスム
しかし、学聞は、たとえ人文科学であっても、明確な観念、ないしは明確なものにしようと努力
している観念についてのみ有効に働きかけることができる。もし宗教をある特定の研究に依存する
自立した秩序にうちたてようと望むならば、これを学問の対象に共通の、いま述べたような運命か
ら解放する必要があろう。宗教を対照によって定義した揚合、不可避的に、学問の自には河宗教はも
はや混沌とした観念の世界としてしか姿を現わさないであろう。すると、宗教の客観的な研究をね
らうあらゆる企ては、宗教的人類学の自負によってすでに性質を歪められ、横領された観念の地盤
とは違う地盤を選ぶことを余儀なくされよう。するとll 有機体という面からでなければlJ 情緒
による接近、および社会学的接近の道しか残されないことになろう。これは、ただ、現象のまわり
をへめぐることにすぎない。
169 第5 章
170
これに反して、思惟の機構にふみこむことを許すという、他のいかなる概念体系にも与えられて
いる価値を宗教的観念にも付与するならば、宗教的人類学の歩みは有効と認められることになろう。
B -av’園、
サ’JI その自立性と特異性とを失う。 トーテミズムの揚合において、このような事態が生ずるのをわれわれは目のあたりに見てきた。
トーテミズムの現実性はいくつかの省察様式のある特定の例証に還元される。たしかに、
感情は現われているのだが、けっして癒えることのない観念体のひびおよび傷に対する答えとして
補助的に現われているにすぎない。いわゆるトーテミズムは、悟性の分野に属する。そして、ト1
ここでも
テミスムが答えるべき要請、これを満足せしめる仕方は、まず、知的秩序に属する。この意味で、
トーテミズムはなんら古いものでも、遠隔のものでもない。その映像は投射されているのであって、
受けとられたものではない。その本質は外から来るのではない。というのは、もしこの幻想が一片
の真理をひそめているとしたら、それはわれわれの外ではなく、われわれの内にあるのだから。
リ- E
|
リ
ンク
文
献
- レヴィ=ストロース『今日のトーテミスム』仲澤紀雄訳(みすず書房)
そ
の他の情報
Copyleft,
CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099