はじめに よんでください

哲学・人類学ノート

池田光穂

カメレオン

ここに本文

【私の課題】——コメンタリー:池田光穂 (2017年1月16日)
□太田氏の所論のうち興味深い主張を世界的に散種すること
□場当たり的(ad hoc)批判に終始せず、その評価し進展させると同時に、自分にうける影響を最大化すること
□太田氏のいう「対話」を具体的にどのように実現させるか?

【私が思う懸念】
□太田氏の議論は分かるものが分かればいいという前衛主義か?
□僕が十分に咀嚼理解できているとは思えないが読み難い論文である。
□太田氏の意識の流れを、彼自身の学問的経験、あるいはこれまでの彼の著作を踏まえて読まないと単体で読むには難解かもしれない。論文とは本来そんなもの かもしれないが……
□修復的司法過程モデル※という議論は、この論文をよくするための介入的手法として使えるか?(※ある状況における問題解決のためにすでにある社会的規約 をサスペンドして以前の現状に復帰できるような社会環境をまず整備して、社会のさまざまなアクター間に対話を促すこと)

・【評価すべき点】
□反省という態度(5-21)の可能性
□先住民の革新的定義(6-5)
□IPのアフターライフの4つの事例(8-5, p.35)
□アプリオリな責任要求を求める論文ではない。
□特定の価値を押しつける論文ではない。
□単一の理論的枠組みを押しつける論文でもない。
□これまで当たり前のように見てきた世界の見方に対して異議申し立てして、他者の視点から異なった見方でみることを強力に促す論文である。
0-1・なぜレヴィナスなのか?_絶対的な他者_不可能な他者の引き受け論_そして記憶。






0-2「ブルースは、卑しい出自をもつ音楽だ;そのルーツは奴隷と隔離の中にある。社会は、それに値する尊厳と敬意をもって黒人のアメリカ人を扱ってこな かった。ブルースはそのような厳しい時期の証言を帯びている。ブルースを歌ってきた男女の多くのように、ブルースは、その誕生の状況によって限界づけられ ることを拒絶したのだった」——バラク・オバマ
・政治的アイデンティティの論文ではオバマをポスト人種社会にたとえてリベラリズムの政治を代弁するものとして紹介されている(太田 2012:69註3)。日本では人種ではなく、排除により形成された別のカテゴリーが(人種の?)類似の機能をもつと紹介。


1-1
・ポストという言葉の重要性
・ポストという用語は「理論的介入の触媒」になりえる。
・太田氏の時間論(太田 2012:1-5)




1-2
・ポストは新しい言葉の到来を意味する言葉なのではない。
・ポストという用語法は錯認を生む









1-3
・ポストは新しい言葉の到来を意味する言葉よりも、その言葉のアフターライフを指示することばである。(→1-4)
・クリフォード:ポストは「未完の移行」を含意する。
・したがって、ポストコロニアルとは、継続するコロニアリズム、終わっていないコロニアリズムを含意する。(→憑在論)=過去の「負の遺産」が現在の我々 を呪縛する。





1-4
・ポスト論の太田氏の講釈はつづく。
・「いつまでも同じテーマや関心に囚われ進歩がないという批判も聞こえてきそうだ」と、御自身の批判に対する反撃への皮肉も忘れない。
・「理論や社会現象にはアフターライフがあるにちがいない」これはそのとおりだ。つまり、アフターライフを考えない/忘却する学問は、堕落するのだ。
・「この歴史的変化に対し忠実でありたい」忠実=フィデリティというのは誤解を招くことばである。コンフォーミストもまた忠実だからだ。たぶん「真理」や 「真実」というのものが、今日の学問追求のための正当化に使えないとしても、それを担保すべき言葉を模索することは必要かと。「正義」も同じようなジレン マに陥っている。


1-5
・ポストは責任の表明をあらわす政治的用語だ(→『憑在論』2008)
・歴史をつくる主体としての「先住民」の登場

・【先住民の回帰の2つの意味】(1)国連主導の脱植民地事業からの脱落してきた対象の救済、(2)文化人類学の理論に対する「未決の課題」を与える。
・2008年は『亡霊としての歴史』







1-6
・イシの「脳の帰還」問題:『亡霊としての歴史』「終焉を拒む先住民たちの歴史(第1章)」
・repatriation には「本国送還」の意味もある。
・類似の問題は、日本におけるアイヌの遺骨返還問題。





1-7
・国連における先住民は「自己決定権を有する集団的主体」であるが、文化人類学による先住民の理解と説明は、それに追いついていない、という太田の批判。
・文化人類学の既知の学問的概念(=先住民についての)は有効でも有用でもない。
・では、どうすればいい?(→この論文はそれに応えているだろうか?)





1-8
・太田氏の先行研究、これまでの著作。ふりかえり。


・アイヌ、グアテマラ(マヤ)、ハワイの先住民について考えてきた。











1-9
・太田の時間認識「わたしが先住民の隆盛を脱植民地化の再創造として捉えるようになったのは、21世紀に近づいてから」。(→『政治的アイデンティティの 人類学』参照)
・先住民の隆盛を「脱植民地化の再創造」として考える






1-10
・太田氏が考える宿題とは?:「未来の文化人類学にとって、(歴史における)ポジションの相違から生まれる対立を乗り越えることができるのかという問い」
・太田氏が考える現状認識は?:「先住民から文化人類学へ投げかけられる批判は、分断を超えるための「歴史を語りなおす機会が残されており、それに参加す ることを誘う声」である」
・太田氏の提示する課題:「構築主義に根差した理論化の動向が先住民運動と対立するとき、文化人類学はポストコロニアルになることは可能なのか」?
・ポストコロニアルになるとは、「コロニアリズムの下に成長してきた文化人類学の理論と実践を反省し、この知を脱植民地化することを意味する」(2- 16)。
・文化人類学はポストコロニアルになれるか?という読者への問いかけは、何度も出てくる。(=この審問には読者は答えなければならない/あるいは、ポスト コロニアルにならなければ、文化人類学を続ける価値もなし、とも聞こえる)。そうすると、どのようにしてポストコロニアルなるかということだ!繰り返す と、(A)どのようにして文化人類学の理論と実践を反省し、また、(B)どのようにして文化人類学という知を脱植民地化するか?ということ。

1-11
・理論の確信に疑問を付す=文化人類学の[前提の]ドクサへの反省行為。
・分析をという態度を拒絶する——太田氏の態度表明
・他者は対象として認識できるという確信への批判——不可知論(A)
・他者は理論によって説明できない——不可知論(B)

1-12
・レヴィナスは冒頭のエピグラム参照
・「理論に包摂されない他者、自らの理解の枠組みから溢れだす他者、わたしの理解を裏切る可能性をもつ他者、さらにはわたし自身が立つ歴史に光を投げか け、そのなかにおける責任を問いただす「絶対的な外部性」としての他者を想定する」>>絶対的な他者の想起。それゆえ他者を迎えることができる(村岡のユ ダヤ思想、レヴィナスもまた、からの影響)そして、反省を求める他者!
・【疑問】ユダヤ思想と他者、あるいは「歓待の思想」
・本章の執筆の意図:「到達しえない他者、知的に所有し、認識しつくすことが困難な他者との関係が展開するなかで、文化人類学の未来の姿を想像しよう」。
・【コメント】結局は(理念化された絶対的)他者概念を立てて、自分の学問(=文化人類学)の未来しか考えないのかい?という同類異業種の仲間や「絶対的 な他者」(=先住民)からのもっと素朴だが具体的な審問に太田氏はどう答えるのか?



2-1
・ポストモダン、ポストコロニアルの問題系の時期は1980-2000年期である。
・ポスト概念


2-2
・ポストの問題は、全章でしめされており、この箇所はくり返しになり、すこし冗長な気がする。
・ポストモダン人類学の位置づけをめぐって:太田氏による日本の批判者は表面的で、その歴史的背景を把握しておらず、また、そこから歴史を引き受ける覚悟 (責務)がないという、というこれまでも議論を思いうかべる。【もし、そうでないと太田氏が反論されるなら、それを聞きたい、そして再度確認したい】




2-3
・ポストモダン人類学の成果を否定的、消極的、後ろ向きに捉える論者に対する批判
・宮武氏の「存在論的転回」はカント以前にもどろうとする反動だということ?
・ここでいうカント的は純粋理性批判における啓蒙理性の挑戦(=アプリオリな総合的判断)のことだろう。つまり、対象が認識を規定するのではなくむしろ認 識が対象を規定しているのだという「コペルニクス的転回」。そして悟性(了解=感性と共同して認識をおこなう)を実践せよという命令語法。
・宮武には、ポスト理論から学ぼうとする視点がなく、アフターライフというから何の影響をうけるのかという意識がないと、太田氏は批判





2-4
・松田氏は、ポスト理論を「表象の政治学」と正しく把握したが、その理論的成果はなかったと批判。
・「学問的実践とアクティヴィズムの連携」が試みられたが、現実の社会問題の多様性の前に立ち止まっている(=アポリアを抱えた?)と指摘。
・松田氏の処方箋(=対抗戦術)は「生活論に依拠した人類学の刷新」であるが、太田氏はそれに満足していないかのようだ。
・【場外の野次馬的感想】松田氏や小田亮氏のポストモダン人類学の乗り越え方に共鳴する(エピゴーネン?)世代の若い人たちは沢山いるのに、太田氏のエピ ゴーネンが少ないのはなぜか?_人類学の七不思議なのか?それとも異常事態か?(僕の理由は「難しすぎる(ムズい!)」からではないかと?!)
2-5
・宮武や松田のような否定的反応をポスト理論あるいは『文化を書く』の否定的評価の米国での実例(オリン・スターンの所論)にもとめる。
・民族誌をめぐる議論を文学理論に転落した。そして、文化人類学を崩壊させた。
・It ”seemed to threaten the traditional bedrock principles of truth, science, and objectivity with relativizing epistemic murk of newfangled literary theory and other suspected influences.” スターンは「認識論的暗闇(epistemic murk)」はタウシグの『シャーマニズム、コロニアリズム…』に由来するという(p.23)。
2-6
・当事者再度(クリフォード)の所感:脱植民地化とフェミニズム運動という2つのグローバルな大きな歴史的勢力に呼応すべく文化人類学の変革を模索してい た——太田もこのラインの見解を支持する(下線部)。







2-7
・文献は「トランスポジションの思想」
・当該箇所(改訂版 p.187-188)は、民族誌が、政治的詩学の作品になりえることを雄弁にしめしている。
https://goo.gl/HsZxaK
に書いた。
1)理論の強さを信じない——不可知論者としての太田氏
2)把握しつくそうとしない——認識論的専制主義を拒否する太田氏
3)コロニアリズムへの反省——「リベラリスト」としての太田氏
これらが「健全な」相対主義と自己変革力を生む
そう理解してもよろしいだろうか?(2-7と2-8)
・これらのテーゼは太田氏は激怒するかもしれないが「健全な相対主義の復権」を主張しているようにも見える(2-10の『文化を書く』の評価の指摘参 照)。

2-8
・『文化を書く』を文化人類学の堕落(=反キリスト)として読むか(米国・松田氏)
・『文化を書く』を形而上学(=理論の神学化)として読み、行為や実践の現場へ戻れ(=プロテスタント)と主張するか?(宮武氏)
・『文化を書く』を文化人類学の自己変革力の現れとして読むか(太田氏)?——解放の書物(=聖書あるいは福音書)として読む(2-9へ続く)。

2-9
・太田氏は、文化人類学を弁証法として理解していることはこれで明確なのかではないか?:「変革(とそれを拒む反動)の流れの……バランスにより規定され る問題設定のなかで文化人類学を学んだ」(カール・バルトとしての太田好信氏?!):そのココロは、理論ないしは超越者(=他者)と人間(=学者)の間の 根本的断絶をまず強調し、この断絶はフィールドワークにおける他者の「言葉と行為」への信頼と理解への努力によってのみ弁証法的に克服される、と。

2-10
・グレイター・ヒューマニティズ(偉大な人文学)の復興:クリフォード
・理論言語の共有
・『文化を書く』の評価のおさらい:「『文化を書く』はギアツの提唱した「解釈学的転回」の限界を示しつつ、脱植民地化というグローバル規模での政治変容 に対応し、フェミニズムが明らかにする男性中心主義という権威構造に批判を加え、知的変革をより先鋭化させた」
・フェミニズム理論の影響の指摘はこの論文で2回目
・太田氏の決意表明:「わたしは人文学の一部となった文化人類学の知の特徴は、状況依存的、継続的、非還元的であることを学んだ。いまとなっては、記憶す る者も少ないし、「知的ゲーム」にしかみえないのかもしれないが、わたしはこのような起源をもつ知を引き受ける」。



2-11
・太田氏の理解:宮武氏や松田氏との距離の違いは、文化人類学という学問と自分との関係の認識の違いである「宮武、松田とわたしとの間で評価が異なる理由 の一つには、学んだ場所が米国か日本か、あるいは理論への関心の強か弱かという差異よりも、……文化人類学と自己との関係をどう認識するかという問いへの 回答のちがいにあるのかもしれない」=これを太田テーゼと呼んでもいいだろう。
・【重要な指摘】太田テーゼでは、文化人類学とは、つねに自己との位相のなかでその学問が定位されるという。



2-12
・「マージンで文化人類学という学問に躊躇しながら参加しなければならない人間、すなわち自らの脱中心性を意識せざるをえない存在は、この学問の中心に位 置する規範が、しばしば西洋中心主義的な暗黙の了解に依拠し続けていることに気づかざるをえない」これは太田氏のアメリカ経験を体現する=「インフォーマ ントが研究主体になろうとしている」。



2-13
・マージナルな位相にいることで、湧き上がる疑問:「インフォーマントは民族誌を書けるのか。(ギアツのいう意味での)文化分析における分析者と研究対象 との関係とは何か。文化分析は、はじめから研究対象が文化人類学者になることを排除してはいまいか、などの疑問」そして、
・太田氏のパラダイム変革の自覚(本人は夢想と謙遜)。ちょっとカッコよすぎではないか?

2-14
・太田氏のポストモダン人類学との出会い
・脱植民地化の文脈のなかで『文化を書く』を再度理解(=再文脈化)する
・ここで、太田氏の時間論のテーゼが再度登場する:「ポストは断絶ではなく移行だ!」


2-15
・ようやく、先住民が登場した!
・【『文化を書く』を相続する=選択することによる再確認】「そのなかに残る再節合されうる(いまでは、はなはだ不人気で、顧みる者も少ない)課題や問題 は何かを考えること」
・『文化を書く』を相続する=倫理の模索【これも重要なテーゼ】










2-16
・太田の言う「ポストコロニアルになる」とはどういう意味か?どんな体験を意味するのか?【答え】「コロニアリズムの下に成長してきた文化人類学の理論と 実践を反省し、この知を脱植民地化することを意味する」
・(これらの審問は、すでに1-10で提唱されている):ここまでの間に議論が挿入されすぎている。まとめてもいいのではなのか?=この論文の難渋な原 因?





2-17
・歴史のなかで粘り強く思考すること(これも太田テーゼ)
・レヴィナスからの影響:「他者からの眼差しを意識した結果生じる他者への責任の自覚にもとづく倫理に立脚すること」(冒頭のエピグラムを意味を想起せ よ)
・「倫理は、方法論とは異なり、確定した分析を保証するわけではない」>>だから何なの?という気持ちにもなる——そういう不誠実な揶揄はいけないのだ が……。
・他者からの眼差しというよりも、レヴィナスのほうの眼差しが(倫理的に)キビシすぎる!Ramos 2012: 491は、アマゾンのパースペクティヴィズムの人類学批判のARの論文(僕にとっては重要!)
・いずれにしても、安易に太田氏を批判しているつもりの理論家も、背後にレヴィナスの陰がみえると、少し緊張してしまう。

2-18
・倫理に関する村岡晋一テーゼ(『対話の哲学』2008年):「倫理とは人間と人間の関係を意味し、他者とのよりよい関係の下、ともに「居合わせる」世界 を築こうという希望を含んでいる(村岡 2008: 53)」
・その意味で、文化人類学と倫理は近いところにあった(→贔屓の引き倒し?)
・ヘルマン・コーヘン『ユダヤ教の源泉からの理性の宗教』(1919)
・マリノフスキーの日記の問題
・「「現地の人びとの視点から」という(コロニアリズム的発想を反映した)表現ではあるが、自らが実践しようとした民族誌の目標を語った。それは、多少表 現を変えながらも、文化人類学者が大切にしてきたフィールド調査を支え、民族誌を綴るとき、そして文化人類学全体を導く一つの倫理ともいえるはずだ」
・応用人類学においてマリノフスキーがその嚆矢だったことや、マリノフスキー自身もまた自己決定についてコメンタリーをしている点は、マリノフスキーがも つ歴史的制約を考慮しても、この「倫理」問題はより複雑なのではないか?

2-19
・「脱植民地化はこの倫理の意味を翻訳し、いまでは「現地の人びとの視点から」は異なった意味を帯びるようになってはいまいか」。ちょっと理解不能。
・「21世紀になり歴史のなかにおいて他者と相対することがこの倫理のあらたな意味であると考えている。つまり、マリノフスキのこの有名な表現は、他者か らの眼差しがわたしたちに課す他者への責任を語ることばになっている」
・ポストコロニアル状況はフィールドの人と調査者の関係が、相対することになった。もはやコロニアリズムの論理と倫理などは使うことも居直ることも可能で はないのだ、ということとどう違うのか?


2-20
・鈴木道彦の審問:現地の人たちからみれば、私は誰なのか?——スローガンが倫理化する(=対他的な関係性の政治的立場を要求する)
・鈴木道彦(1929- )は、『民族的責任の思想』(1967)の著者・玉城素(1926-2008)と生前関係をもつ。60年安保世代?








2-21
・「脱植民地化により翻訳」とはどういうことをさすのか?「現地の人びとの視点から」の意味が,新しい歴史的意味をもつようになるということか?
・「「現地の人びとの視点から」という倫理」が新たな意味をもつ。これには首肯できる。
・移民やディアスポラは、本質主義とは無縁のところにあり、先住民運動は、保守的な本質主義を武器にした闘争にしか見えないのか?——あるいは、そのこと 時代が「暗黙の前提としている世界観を逆なでる」という意味で面白いのか?——では単なる判官贔屓でないことは、どのようにしたら「正当化」されるのだろ うか?





3-1
・アフターライフは両義的である:希望(よい亡霊?)と、おぞましい亡霊として登場。

3-2
・人種のアフターライフとレヴィ=ストロースによる貢献(=世論形成力としては評価すべき?という意味か?)





3-3
・人種概念と人種主義は別のものであるという、ハースコヴィッツとベネディクトの努力、仮に現在では意義が低下したとしても、人類学者の「倫理的関与」の 歴史として記憶すべきではないのか?



3-4
・モンタギューは、人種概念の放棄を提唱(1962)
・ワッシュバーンも同様=「人間の思考において人種はマイナーな概念」(1963)
・こういう態度には、カラーブラインドや無人種性のように「なかったものにしておこう」という立場で、太田氏は批判的(=歴史としっかり相対する派)。
・でも、太田氏はこれを運動論的に批判しているのか?(=カラーブラインドな戦術では現実は打破できない。黒人はblack gold と本質主義で戦っているではないか?!)それとも、理論的に問題がある(=人種は政治的問題だから、人種の生物学/本質主義をしても学問的には無効だ)と したいのか?それとも、その両方?いずれにしても人種主義はやっかい払いをしたい対象だから?

3-5
・そこで持ち出されるのが、デュボイスの主張:「「黒人とは、ジョージア州でジム・クロー主義の[下]バス[の後部座席]に乗る者だ」と(Du Bois 1986 [1940] : 666 ; Visweswaran 1998: 78)」3-9)=これを、人種概念の政治的定義と呼んでおこう。
・人種概念の政治的定義は、太田のいう「政治的分類」研究会の基本的テーゼ。



3-6
・ポストコロニアルを想像=実践できない人類学者の事例にアダム・クーパーがあげられる。「先住民という考え方は国際法の概念である一方、先住民を「未開 人」や狩猟採集民の婉曲表現にすぎないと考える文化人類学者(たとば、Kuper 2005: 983)」
・アダム・クーパー翁を擁護するつもりもないが、この主張は伝統的な/古典的な/コロニアルな人類学者が言ってきたことではないか?(変奏としてのアイヌ 狩猟民とアイヌ農耕説=これらは先住民の生業を、我々=文明人の生業の選択の自由と対比する態度と同じ)


3-7
・デュボイスの信念は、人種主義からなりたつ黒人の位置を解放することにあるので、人種としての黒人の人類学的/ゴビノー的/生物学的定義には、ひたすら 興味がないどころか、有害だと感じていただろう。
・したがって、この太田氏の主張には大いに首肯できる。



3-8
・ハースコヴィッツは、黒人を定義するときに、人種の生物学的定義にもとづき、黒人と白人の混血にもとづき、それらの間の差異に大きな意味をもたないと主 張する。しかし、これは〈純粋な人種〉が存在するという非現実仮想を図らずしも前提としてしまった。


3-9
・太田氏が何度も強調するデュボイスの黒人の定義「黒人とは、ジョージア州でジム・クロー主義の[下]バス[の後部座席]に乗る者だ」。人種概念は人種差 別主義によって産出される。
・デュボイスの定義が興味深い点は、「人種は構造的差別の経験を共有する人びとが集団化し抵抗するとき、その集団を表すバッジとして重要になる」というこ とを通して、人種が集団的抵抗権を行使する主体のマーカーに成り得ることを指摘している点である。
・ブラックパワーはその実例だと、太田氏はいう。




3-10
・これには世間的異論はあるだろう:「人種は生物学的特徴、エスニシティは文化的特徴による分類であるという一般的理解は、破綻していることになる」。む しろ、人類学者の人種とエスニシティの峻別という啓蒙的努力は、被差別当事者や市井の人たちの人種概念のアフターライフのなかでは、意味をなさず、人種の 絶望的な本質主義的概念だけがしぶとく生き残り続けたと言うべきではないのか?
・キムリッカは「先住民に対して冷た過ぎる」かもしれないが、太田氏も「ベネディクトやハースコヴィッツたちの(喩え虚しい結果に終わったとしても)努力
に対して冷た過ぎる」という所感を僕はもつ。

3-11
・人種主義は、過去の遺物ではない——これは正しい。
・差別という状態の継続が(その解消に向けて)学問が引き続き取り組む課題になることは、誰もが首肯すること。
・ただし、学問は「なぜそれが悪いのか?」だからこそ「その廃絶に取り組む」という言挙げは常に必要だということだ(3-12)。




3-12
・アフターライフの意義=状態の継続=理論の継続
・「21世紀のリベラル民主国家」という状況を紹介することすら安心できなくなった現今の状況では「リベラルな民主政治」から学び直すことも、今後も必要 になってくるかもしれない。
・文化人類学とリアルポリティークとの関係ついて、この論文を読みながら僕たちは常に考え続ける必要があるだろう。

3-13
・アイデンティティの政治の定義:「人種、ジェンダー、性的指向、宗教などの規準により人びとが集団として排除されてきたという認識の下、その是正を求 め、政治的要求をおこなう社会運動……の総称がアイデンティティの政治である」
・個人のアイデンティティではなく、集団のアイデンティティを問題にしているのだ。
・「政治的アイデンティティとは、ある種のパワーの形態に抗する闘争のなかで一般にみられるグループに所属することで特徴づけられる社会的アイデンティ ティの一形態である」(フランス語ウイキ)[L'identité politique est une forme d'identité sociale marquant l'appartenance à certains groupes ayant en commun une lutte pour une certaine forme de pouvoir.]

3-14
・「アイデンティティの政治」による、これまでの人びとの定義の変更が可能になる。例えば「チカーノとは19世紀中盤から米国の帝国主義的拡張の結果米国 に取り込まれ、1930年代米国が不況になればメキシコへと強制送還された経験を伝承する人びとであり、北米先住民とはジェノサイドの対象となり、自らの 土地、ならびに文化・言語・宗教の簒奪を経験した人びとの末裔であり、米国の日系人(Japanese)とは戦前の排日移民法などの対象となり、戦中は強 制収容所に収監され、日常的に差別を経験してきた人びとの系譜に自らを位置づける存在」だという。だが、これは《チカーノの政治的アイデンティティ形成》 の歴史を説明にすぎないのではないだろうか? なぜなら、チカーノと定義される人たちは、その人たちやその祖先が経験してきた政治アイデンティティを具有 する人たち、ないしはそのような《仮想経験》を共有する人たちのことだから。

3-15
・解放
・人種=統治技法
・被差別部落民
・「解放とは歴史のなかで抑圧者と被抑圧者とが相対することを出発点にしなければ、達成不可能」——その通りだと思う。
・「排除されてきた集団が集団として是正を求めるのは当然」——それは人民の抵抗権という形で、法的資格を与えようという人類の歴史があるのでは?
・政治のテーマは人間解放にあるという太田理論:「すべての政治はアイデンティティの政治であるという根拠はここにある」
・これを先住民「解放」のテーゼとしてパラフレイズすれば:「先住民居住地」あるいは「先住民=人種カテゴリー」からの解放ではなく《先住民として解放》 されるということになろう。




3-16
・1970年代の批判とはなにか?
・左派の批判:集団化することは(他のメンバーを)排除し、階級のような社会変革を推進する力にはたえりえない。
・右派の批判:利益集団で、日和見主義者で、公共善を求めない。
・反動としてのネオコンになるのではないか?
・過去のアイデンティティ=分裂を導く説








3-17
・マルチカルチャリズム
・PC(political correctness)=揚げ足とりの批判説









3-18
・ダニエル・ロジャーズ:1980年代のアメリカの分裂に関する諸論争の分析?アイデンティティの政治は、社会的統合を失うという理由づけが当時は盛んに あったといことか?


3-19
・日本におけるアイデンティティの政治批判者たち:右派も左派も
・ステレオタイプ:「アイデンティティの政治は理論的後進性を帯びた社会運動」






3-20
・本質主義は厄介な存在か?
・プラグマティックな解決方法はあるのか?
・デモクラシーとアイデンティティ




3-21
・アイデンティティ・ポリティクスの政治
・ドクサに関する自覚
・倫理の導出








3-22
・認識論、それともオントロジーの議論?
・この箇所は意味がとりづらい=文章が長いから?
・「アイデンティティの政治からの問いかけに応えるためには、歴史のなかで他者に相対する倫理が必要である」とは、我々が具体的に対処すべき問題か?
・「これまでコロニアリズムのなかでは他者を代弁・表象し、説明しつくそうとしてきた学問が……ポストコロニアルになることを目指そう」フォイエルバッハ のテーゼを思いだす。だが、文化人類学がこれまでの姿勢を変えようと、なぜ単刀直入に言わないのか?このような修辞を弄する意味は?
・「応答可能性こそがいわば「同胞」と「異邦人」との境界設定をなしているのである」(村岡 2008:182)ともある——村岡のテーゼは、応答可能性が、絶対的な他者の性格が「仲間」とみることも可能にするという「奇妙に矛盾した性格」を与え ているのだという(村岡 2008:181)。







4-1
・総論として、太田氏はオリビアとラディーノ女性の質問という邂逅のストリーが我々に齎すものとしてこの状況を描写している。しかし、太田氏の先住民の知 識人としてのオリビアへの(道徳的な)傾斜(ないしは思い入れ)が強く出ていて、ラディーノの女性の申し立てが必要以上に、先住民が立ち向かっている状況 を理解していない《政治的冷感症》に描かれすぎているように思える。そのような表象の裁判官として、人類学者は機能(=社会的役目を果たすことが)できる のだろうか?

4-2








4-3









4-4(その通りなのだが……)
・レイシズム国家としてのグアテマラ。その通りだと思う。だが、このような集会に参加した、ラディーノの女性を描くための背景説明として、このような言及 が事前に表現されていれば、読者は、ますます、先住民を描写する太田氏の説明に嵌まってしまう(つまり過剰な同情か/過剰な反発)。
・これは先住民表象を全面に出した太田氏の腹話術だと非難すると、僕は、小林よしのりや金子議員のような悪人——そこまで悪くなくてもアイデンティティの 政治はだめだという上野千鶴子や宮台真司のような——同様の罪を犯してしまうのか?


4-5
・現今の課題の一例:「憲法改正の一項目として問われたが、マヤ諸語の公用化は否決されている。いまだにマヤ先住民の政治参加を困難にする障害は数多く残 されたまま」。






4-6
・イデオロギーとしてのメスティサへ





4-7








4-8





4-9
・2003年9月11日は、waqxaqi b’atz’の日だが、1973年9月11日もそうではないと思われる。この年の9月11日が、ピノチェト・クーデターの30周年であり、ミルナ・マック の殺害(1990年)の日の13年目の9月11日だということ。彼女はその年のマヤ暦の新年の日と符合した911を思いだそうとしたことだろう。








4-10










4-11









4-12
・無名のラディーノの女性のこの発言に、太田は「アイデンティティの政治は分裂を招く」という言説を仮託しているのか?——彼女の「怒り」を、実際に聞い てみて確認することをしなかったのは、太田の責任(=倫理的責務)ではないのか?
・そして、オリビアには「どうして、ラディーノの女性に直接反論しなかったのか?」と聞くべきではなかったろうか?



4-13
・白人の不可視化をメスティソ女性にも負わせようとするのか?——言い方は悪いけど、この言挙げは、トランプがアメリカにおいてメキシコ人にやっているこ とに似ていないか?
・「力を持つもの」という批判は、つねに自明性(ドクサ)を動員する。我々はそれにより自覚する必要があるのではないか?
・可視化される側にも、他者をドクサで判断してしまう危険性がないのか?
・このような断定は「判定」なのか?_それとも事実による判定なのか?
・被差別民は有徴であることももちろん僕は首肯するけど:「有徴化し可視化されるのは、マヤ、シンカ、ガリフナ」

4-14
・この下線部「解釈」には、僕は首肯しがたい。その理由は、彼女の発言の怒りからだけで、そのようなことを決めつけているから。それは、太田氏の言説その ものが、むしろ(彼女を暫定的に除外した多くの先住民差別主義者の発語にて)ラディーノという集合的カテゴリーの人と、そのような発想を一義的に結びつけ ているから、と僕は反論したい。
・少なくとも、この言論の法廷には被告人が反論できるような政治的スベースがないように思われる。

4-15
・ラディーノが公的にも指摘にも言い続けてきた先住民差別行為や言辞を、私もまた呪った上で僕は、太田氏に言いたい。正義の判断をおこなう手続論を思いだ そう——反論や批判は一般論や言説のタイプではなく、具体的な発語に基づいておこなうべきだと。
・「マヤ暦を現代史の出来事と節合させるのは悪い冗談に過ぎず、そのラディーノ女性は自らが近代、そして理性の側に立ち、9月11日に四つの事件が起きた ことについて、あえて沈黙を決め込んでいたのであろうか」というのは、マヤ人のオリビアに過剰に感情移入した、太田さんの敵意(情動)なのではないのか?
・記憶の悪い馬鹿な僕だが、この当時の新聞(プレンサ)には、WTCの911のほかにもラテンアメリカとグアテマラには別の911があるという主張は非常 にマイナーだが言われていたと思う。エピソードの過剰演出ではないのか?

4-16
・これでもか、これでもかと憶測を重ねて「推定有罪」の論を止めない太田検察官に僕は少し辟易する。
・先住民に対してパターナリズムを振りかざす人権派のラディーノが一番たちが悪いというのは僕も聞いてきたが、(政治的意味をもつ)国家宮殿前でマヤの儀 礼に参加するだけでも少なくとも先住民レイシストではないと思う。それとも異端審問官か連合赤軍幹部のように「先住民に少しでも疑念を持てばそれは有罪な のだ!」とおっしゃりたいのか?——(この後「我々ニッポンジン」と同一化される)ラディーノの女性の違和感を解消する(ないしはよりディープな反省に誘 う)、太田氏が考える第三の弁論を伺いたい。

4-17
・モノリンガルというもの特権性を享受しているようにもみえるが、では、メスティソ(ラディーノ)に先住民のバイリンガル性を指摘すると、彼らは驚嘆する のか、そして、モノリンガル政策への強制に対する義侠心をもつこともある。変わりうる可能性を先住民に認めないのは、人類学者の隠されたオリエンタリズム なのではないか?
・部落民「糾弾闘争」における——マニ教的審問「差別者は差別できる文脈と特権があるかぎり永遠に差別するだろう」——という論法に似ていないか?


4-18
・マヤ先住民の立場に仮託した一方的非難に聞こえる。
・マヤの人たちが、太田さんの論理を十分に理解した上で「私はそうは思わない」と言述すれば、太田さんはどう答えるのか?

4-19
・多声的共存は、それぞれの発語をひとつの言説にまるめこんだりするものではないが、この「わたくしたち」の倫理は、あまりにも高潔過ぎて、僕にはついて いけない。この情動的不調和はなんなのか?
・太田さんのいう「先住民たちは、そのような姿勢を許さないであろう。たとえば、次に紹介するハワイ大学での出来事は、もしあの時、オリヴィアがラディー ノ女性に対し沈黙していなかったなら、おそらくこんな論理で論駁がなされたのではないかと想像させる内容」は、もう非先住民なら(人類学者も含めて)推定 有罪になってしまうという論法の再演ではないのか?
・糾弾に疲れたラディーノ差別者は言う「こんなことならインディオに生まれていればよかった」と——モリソン「青い目が欲しい」の傷ましい物語を思いつ つ。



5-1
・同じような論調で……被告人?へのカーター氏への検察側陳述?になっていないか?











5-2
・ハワイは調和的な社会ではない。それとも、そうなったのか?
・あるいは、そのような白人が押しつけた社会を、白人自身が壊したのか?







5-3
・沖縄とハワイが複雑に重なりあう












5-4





5-5
・白さ=植民地主義の特徴




5-6
・latinoからのladino への音訛説





・ハオレは自然界の分類にもとづくものではなく、アメリカ的白さ=植民地主義的形態の特徴である。つまり、政治的分類である。


5-7









5-8
・カータの主張:ハオレを使うのは人種主義者であり、分離主義者である。







5-9
・カーターの願いに異論がないことも事実として太田さんは受け止める。(→トラスクの意見を聞いて自分の盲点に気づく:5-10参照)
・カーターはナイーブな逆差別(Reverse discrimination)として血祭りにあげられる。
・だけど、このような描写は、日本の部落差別問題のように「出る杭は打たれるぞ。ブラク(民問題)はコワイ。とにかく黙っていて、火の粉が降りかかった時 には『部落問題の基礎知識』に基づいてテキトーに応接するようにしておけ。そのための部落問題だ」とどこかの役所の上司のように回収されてしまうのではな いのか?

5-10
・トラスクの反論
・「歴史というゲームに参加しなければならない」という命令語法
・歴史の中にいても「陰湿な差別者」であることは可能なのではないか?_それはナイーブで「一見善良な」パターナリストよりもかなりたちのわるい事態を招 来してしまわないか?




5-11
・すべての人間にとって「開かれたスピーチ・アクト」は可能か?




5-12
・カーターは人種主義をよく理解していない、というのがトラスクの主張






5-13
・ベル・フックスの主張:黒人から白さを指摘されると、白人は黒人による人種主義だと憤る。だが、ベル・フックスは、教育の現場のなかで、ブラック・フェ ミズムの良質で生産的な差別解消の可能性を提唱していないか?(例:彼女のパウロ・フレイレへの肩入れ)



5-14
・白人が善良であるほどは忠実な飼い犬(=黒人)に手を噛まれると、酷く落ち込むと同時に怒りを向けられないために、酷くフラストレーションに陥ってしま う。
・このフラストレーションは、現今の文化人類学が味わっているフラストレーションと同じだ。
・居心地の悪さのフロイト的解釈を思い起こす——居心地の悪さを解消するのは神経症の治療に似て、その不快の原因を自覚するのみならず、そのようなストレ スフルな環境を変えるように主体の自覚を促すことだと教えてくれなかっただろうか?



5-15
・リベラル個人主義は先住民に対する抑圧と共謀する可能性になると、しばしば太田さんは指摘するが、それはすべてのものではあるまい。だとしたら、どのよ うなタイプのリベラルデモクラシーが、先住民に対する抑圧になる可能性があるか、自分の言葉で論を張るべきだろう。



5-16
・「オリヴィアやトラスクの発話は、アイデンティティの政治の典型」と言ってもいいのか?_抑圧者は被抑圧者の痛みを知らないから、その立場が廃絶されな いかぎりは永遠にわかりっこないと言ってはいないだろうか?
・「そう歴史のなかから主張される発言に応えるため、ラディーノ女性もグアテマラの歴史のなかにおいて、自らの「民族責任」を自覚し、自らの立ち位置を問 いただすことを忘れてはならない」と太田氏は説教されるが、ラディーノの女性の意識を無意識の解釈の可能性にまで含めて太田氏は検証しただろうか?_論述 のタイプと発話者のエピステーメーを直結してもいいのだろうか?

5-17
・先住民の代弁(アドボカシー)としての太田さん。なぜ、本人=当事者たちに語らせてくれないのか?_太田さんもまた、透明な存在ではないはずだ。
・名指された人たちも、また、先住民と同時に、政治的アイデンティティを組み換えてゆく可能性を論じるべきなのではないだろうか?
・もっとも、太田さんの所論に乗っかれば「中立な立場(=リベラルデモクラシーがよしとする立場)からつまり透明な立場から批判せず、自分を可視化したま え、と反論を受けるだろう・

5-18
・名指しの政治的力を読み取ること(5-17)。そして、このような力はどのように得ることができるのか?



5-19
・コミットメントと(傍観者を決め込んでいた)文化人類学
・文化人類学の位置をどのように変えるのか?
・コミントメントはアカンと後に言われてしまう:「コミットメントやアクティヴィズムということばで置き換えることのできない学問に内在する倫理に目覚め る」(5-23)

5-20
・いくつかの具体的な試み:1)「研究対象社会へ知識を還元すること」、2)「研究上のテーマをインフォ-マントと共同で調査すること」、3)「(民族誌 的権威の分散という意味で)民族誌の著者にインフォーマントを加えること」、4)「文化人類学者が著す民族誌の読者に対象社会の読者を想定すること」





5-21
・太田さんのさらなる反省への審問:「わたしたち自身が巻き込まれているコロニアリズムの歴史を自覚し、「異文化研究」の成果をその歴史へと連結する作業 に、どれだけ文化人類学が自覚的であったか」??
・1)研究対象を他者化することへの反省の欠如
・2)歴史への責任意識の欠如
・その代わりに文化人類学は何をしてきたか?「社会理論を使い説明しつくす」こと
■他者としての先住民の眼に映る私とは誰か?という問い
■他者から眼差されることから生まれる《責任》について熟考する
■現地の人々の視点からの重要性、他者の認識論は《我有》できないから。



5-22
・もはや傍観者ではいられない!(でも、このスローガンはいくたびもくり返し言われてきたことではないか?)
・「他者から課せられる責任に応答する倫理の自覚」をせよ、と太田さんは、言う。しかし、これはこれまで何度も言われきてはいないだろうか?
・でも、それがまだできていないのも事実だ。




5-23
・このあたりの提案は、いまひとつ具体性に欠けて僕はついていけない。
・例えば、具体的に何をすれば「対話」になるのか?
・ただし、対話がキーワードになる(レヴィナスや村岡晋一の所論)
・政治党派つまりセクト間の不毛な水掛け論のように読めてしまう。
「コミットメントやアクティヴィズムということばで置き換えることのできない学問に内在する倫理に目覚める」(5-23)
・ストイシズムなのか、それとも厳格な(口うるさい)セクト主義なのか?



6-1







6-2







6-3
・「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会・報告書」(2009)は、先住民権利を認めていないが文化の権利は認めているという太田さんの主張は正鵠を 得ていると思う。実際に下記のサイトで、当該報告書の部分(pp.23-40)を引用してコメンタリーを検討したことの僕の結論である。
◎アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会・政策コメンタリー(池田)
https://goo.gl/JCqweX


6-4
・山内昌之の「歴史的記憶を保有する人びとの集団」の先住民(民族)理解は、間違っていると言いたいのか?
・政治的アイデンティティの定義が、先住性という本質的定義と、本当に層御排除的なものなのか?補完したり、弁証法的な関係にないのか?




6-5
・先住民の(自己の存在に関する)、排除に対する挑戦であり、不正義の是正という政治的要求があるから、先住民は「政治的アイデンティティ」をもった主体 である、という太田の認識を確認しよう。
・これらの異議申し立てには、国家はそれに対して応答すべき、という立場。
・そこに寄り添う人類学者は、伴走者?アドボケート?代弁者?パトロン?
(→7-19)



6-6
・我々との共有すべき課題の提示
・俺たちシャモも差別者と同じ価値観を共有しているはずだから、それをあぶりうだそう、というこの主張は、「自分は差別者ではない」と思う人にとっては、 右翼よりもなおリベラルなひとに首肯しがたい説得戦術になっていまいか?






6-7
・金子市議発言(2014)をめぐって
・たしかに、金子議員のフレイムを使って「じゃあ、元アイヌを(文化振興法を使って)本物のアイヌにすればいいじゃないか?あるいはDNAでみつけた本物 アイヌのみにパターナリズムにもとづくケアをすればいいじゃないか?」というのは自民党のみならず野党の国会議員でも思っていそうだ。
・つまり、リアルポリティークにおいてすら「政治的アイデンティティとしての文化的アイヌ」を他者が構築することが可能なるのではないか?——だとしたら 酷い話ではないか?

6-8
・金子市議発言(2014)の趣旨のパラフレイズ:〈アイヌは存在しないから問題はすべて階級に起因する〉。問題は、階級差別の解消である。アイロニカル だが、こうなれば、メソアメリカおける先住民問題とはプロレタリアート階級としての先住民農民が農業資本家や地主(=レイスや民族としての階級)によって 隷属しているわけだから、先住民問題の解消は、農地改革(生産性向上)とその文化政策(格差是正の識字率や就学率)にあると指摘したロドルフォ・スタベン ハーゲンのレベルの低い日本版じゃないかというふうにも読める(『開発と農民社会』)







6-9
・常本氏はアイヌの自己決定権を否定したという批判(→脚注14)
・常本氏と金子氏は双方とも同じだと批判:「金子と常本は、政治的にはまったく逆の方向を向いているようでありながらも、両者とも平等な個人により構成さ れた日本という社会像を共有し、金子においては歴史に立ち返ることはなく、常本は歴史への相対が十分ではない、とわたしは考えている」
・この批判は少しキビシすぎないか?(部落解放糾弾者としての太田さん?!_そういう太田氏は誰なのか?)


6-10
・国民平等というのは、差別を粉飾するための正当化戦術。旧土人=保護対象、しかし、それが被差別のマーカーになる。「包摂による排除の機制」というマー ク・ウィンチェスターの論法なら、すべてのパターナリズムによる保護政策は偽善ということになる。
・さまざまな犠牲者の上に市民社会はなりたつ。そのとおり「国内ではアイヌということばが差別用語として機能してきた歴史を振り返れば、日本の市民社会に おける自由と平等は、「異族」としてつくりだされたアイヌの苦痛により贖われてきた」。だが、この論法は、一歩転落すれば「日本の市民社会における自由と 平等」などは〈アイヌの解放〉にとればとるに足らないという、爆弾テロの口実になることも僕たちはよく知っている。
・よもや文化人類学の太田さん流〈=太田竜〉になるのはあまりにも悲惨。
・玉城『民族的責任の思想』1967
・過去を痕跡として記す。そしてルサンチマンが暴力に転化しない方法とは?


6-11
・金子議員がおこなっていることは、歴史の痕跡の否認である。異義なし!
・だが太田さん:ここで言う「体験し理解できる〈歴史〉」とは何なのか?



6-12
・アイヌの思想家は、覚醒?(相対の実践)していた。
・それでもなお、三好文夫はなぜアイヌを描こうとしたのか?(=他者を表象したい欲望)_それに対する佐々木の答え(=理解)とは何なのか?
・佐々木からの想定しうる回答は「自分の民族的属性と責任」を描け/記述しろ、ということになるか。
・これは太田さんの「支配的存在を名指し、可視化する」プロジェクトと軌を一にする。だから佐々木の批判をとりあげた。
・シャモ=抑圧者を描くこと






6-13
・アイヌの鳩沢氏の同胞批判:「アイヌたちはなぜ、歴史を通した形のなかから、物を考え、積極的に発言しようとしないんだ」
・これらは、アイデンティティの政治、であると太田さんはまとめる。
・アイヌとシャモは相対(あいたい)せよと、太田さんは言う。
・ほとんどトロツキストの永続革命論



7-1
・対米従属の日本國は未独立状況ということになる「ヤマトはヤマトで琉球依存をやめて早く独立しなさい!」琉球民族独立総合研究学会のQ&Aよ り。








7-2






7-3
・このあたりになると、太田氏の主張や現象の解釈は、同工異曲のような論調になって、読者(=馬鹿な僕)の集中力がなくなってくる。







7-4
・アイデンティティの政治








7-5
・翁長知事の主張の範囲(〜7-6)







7-6








7-7









7-8







7-9
・責任主体をあぶりだすゲーム化していないか?




7-10
【重要な審問】=論文の読者各人が考えなきゃならないポイントか。
・1.他者と相対する倫理とは何か?
・2.他者の眼に映る私は誰か?
・3.他者の眼差しが私に課す責任とはなにか?
・(7-18,8-10も参照のこと)



7-11
・6-5参照







7-12
・「けーし風」








7-13
・自治体も支援する言語復興運動の内実は、興味深い。








7-14






7-15
・親川(2013)
・結局、太田氏は「状況の変化に向けた努力」をせよ!が言いたいのか?そして「「日本民族[ヤマトゥ]というポジショナリティで、しまくとぅばを殺さない ためのアクションを起こ」そうではないか!と太田氏は提唱するのか?
・じゃあ、僕たちはどのようにして具体的プランを策定すればいいのか?_そんなことを聞くと、太田氏は「自分で考えなさい!」と反省を僕たちに促してくれ るのか?_言い方わるいけど、これこそがリベラリズムの自立した運動主体の鍛え方の発想ではないのか?反省的に現今の社会状況を考えると「ザイトクやネト ウヨは、戦後のリベラリズム教育が差別と平和に関して具体的に問題を考えることをせず、真摯に取り組まなかった反動として生まれたのではないか?」と言う ことができる。


7-16
・親川による批判によると、日本人は機会主義者で、帝国主義的ノスタルジーという点から表面的にシマクトゥバに共感しているにすぎないということになる。



7-17
・太田さんの自己批判〈僕はラディーノだ!〉=当たり前なのだが:「日本語の言語復興に加わる必要もないし、日本の一社会に生まれ落ち日本語で生活してい るだけでなく、そのことばで歴史を学び、自己表現ができる。これが日本では多くの場合、当たり前の状況であると考えてきた。これらの考えが歴史性を欠い た、誤った認識に基づいていたことを学んだ」



7-18
・「彼女から奪った歴史を問い正す」とは? だがしかし、それは彼女の自己決定権(オートノミー)の問題でもあるような気がする。あるいは、我々は「加害 者」としての構築の度合いが(まだまだ)足らないとさらに自己批判する必要があるのか?——自己批判は永久革命に似て終わりはないものとして、このような 謝罪要求に対する〈後ろめたさと民族的偏見がないまぜになった反動〉や〈プライドと称したヒステリックな反撃〉に立ち向かえるのか?あるいはそれこそが 〈相対〉の原理なのか?
・相対による審問→(7-10)(8-10)も参照

7-19
・「どんな立場からものを言っているのか!」と糾弾できる文脈の中で、もっともリベラルなものがさらに誠実に謝罪を重ねる、これは滑稽さを通り越した悲劇 だろう。
・上野俊哉の所感:太田さんの引用による(居心地の悪さの感情の)代補?






7-20
・「その経験を不快や息苦しさとして記憶するよりも、その経験から多くを学んだつもりであった」=僕には無理だな、嫌な思いでしかない。そして、その苦い 経験は「加害の立場と被害の立場なんて、分かりあえることない」という虚無感(=グアテマラの内戦)


7-21
・島袋の「「あなたも私と同じように自分の立場を忘れずに話しましょう」という(中略)お願いにすぎない」>>果たしてそうなのか?PCの文脈でヘゲモ ニーをとったものの立場の声なのでは?「ヤマトゥとして歴史のなかで相対することを求めているのが、島袋のこの介入の真意なのではないか」だとしてもなお 文脈のなかや、実際に議論する中では可能だけど、論理としてそれが先験的にいつも有効なのか僕は疑問。論理抜きに反論させてもらうと「あまりに現実の政治 的憎しみの問題に立ち向かうにはナイーブな認識論なのでは?」と思ってしまう。
7-22
・「和解」や「移行期正義」という法的概念は、逆に形式化することで意外に論理的手続を優先した官僚的手続のレパートリーになっているのではないか?
・注13は、和解のテーマ





8-1
・まとめ
・ポスト概念の再定義
・アフターライフの提唱
・歴史と相対することを通した文化人類学の倫理の再考への促し









8-2
・私は誰だというカント的問いに答えよと、太田氏は僕たちに審問す。
・太田のいう「倫理とは、他者とのよりよい関係のもと「ともに居合わせる」ことができる世界を目指す指針」





8-3
・先住民への「回帰」現象
・先住民は第2次大戦後の(国際社会における)脱植民地化事業から落ちこぼれた世界史のアクターが、国際社会に「回帰」(=復帰)するありさま。
・先住民の回帰はまさにその通りだが、最初にであった先住民(native)と何百年後に出会う先住民(indigenous people)は同じ民ではない。人類学者が同じでないように。


8-4
・すでに死に絶えていた/死すべき運命にあったと思われる「人種概念」のアフターライフが、「政治的アイデンティティ」として甦る。しかし、それはフラン ツ・ファノンを墓場から呼び戻すことにはならないのか?
・アイデンティティの政治の歴史的起源は1960年代






8-5
・アイデンティティの政治の評価は低い。その理由:1)ナショナリズム(民族主義)と同一視される、2)21世紀の政治的エートスとは親和性がない?_米 国におけるトランプやフランスによるルペン派の進出、ブリクシットなどは、「ナショナリズムにもとづくアイデンティティの政治」なのでは?それとも、これ もアフターライフなのか?(あまり心地のよいものではないが)
・もし、我々がこのようなトレンドを先取りしており、その世俗政治(real politique)の正当化に理論として流用=節合されたら、私たちは心地よいとは思わないだろう。


8-6
・(振り返り)





8-7
・(振り返り)




8-8
・(振り返り)






8-9
・(振り返り)
・アイデンティティの政治のアフターライフ
・平等の政治がもつ均質化の暴力に警鐘を!(=権力によるマイノリティや不満勢力の包摂)
・「ヤマトゥという呼称が重要な理由も、この歴史を忘れ去ることを拒むという意志に直結しているはずである」。異義ナシと言わないと糾弾されてしまうので はならないという「恐怖」は、戦前や共産圏での思想検閲と弾圧と同じか?




8-10
・他者と相対(あいたい)することの定義:「自らがおこなっていない行為への責任を、集団の一員として引き受けること」。これは、集団的主体へと個人を導 く全体主義の思想に似て、とても誤解を招く表現であると思う。
・他者はいつも「わたしの正当性を問いただす存在」としてたち現れるのだろうか?もし、いつもそうだとしたら、このような審問はあまりにも現実離れていな いだろうか?(異なった知のあり方を模索することを是としてもなお!)
8-11
・コロニアリズム以降の支配と被支配











8-12
・レイモンド・ファースの当惑:自分が植民地住民の立場を擁護する側の人間が、植民地主義者そのものであると指弾された時の当惑。
・文化人類学は果たしてポストコロニアルになれるのか?(本論文に通底する審問のひとつ)
・レイモンド・ファースは、1952年、彼のフィールドのティコピア島民がハリケーンの被害にあったとき、英国政府を動かして食糧援助とその分配に貢献し たという。しかし、R.C.ミッチェルに言わせれば、ソル・タックスのアクション人類学と同様、いかに住民が自己決定しようと、アクション人類学者(タッ クス同様ファースもまた)よりも政府のほうがはるかにコントロール権限をもっていることが明らかだと批判的にみる(Michell 1970:45)。これは人類学者ができる最高の「応用」ですら、せいぜい権力や財力をもつ政府やエージェントへのお手継ぎに過ぎないということである。
【8-13】
・キムリッカ批判(19):彼(キムリッカ)は、先住民を国民的少数派に包摂させるというが、後者の特徴を「いまだ主権を放棄していない集団」とみなす。 これは先住民がまず排除されて入植者に脅威となった存在の歴史性を配慮しない態度だと、清水昭俊とともに、太田さんは批判する。
・多文化主義における多様性賛美への批判。なぜなら、それは移民文化をモデルにするから、先住民の存在の歴史を無視するだからだと批判。これは、先住民= 抑圧民とう政治的アイデンティティの定義とは合致しないのでは?
【8-14】

8-15
・「平等な個人というリベラリズムの中核をなす考え方を全否定するわけではないものの」と言いながらかなり、リベラリズムの具体的中味(要綱)を指摘せ ず、リベラリズムを叩いてこなかっただろうか?
・太田さんの自覚するポイント:「人びとを集団化するナショナリズムの論理と同じように、単純な二項対立を反復する時代錯誤な要求で」かもしれないという 疑念?



8-16
・多様な主体性形成に取り組む太田さん:とりあえず「パッチワーク」(アイヌの刺し子という刺繍)の隠喩で理解。ちょっと前なら、バフチンのポリフォニー が使われたのではないか?








8-17:太田氏の先住民頌歌が続く:「先住民たちは文化的ジェノサイドを経たあとも、断片化してしまった文化的実践を自らの記憶とこれまで蓄積された知 識とを節合させ、21世紀において先住民として生きのびる力強さを示す」。そしてクリフォードのアリュートの老女の引用が、それをリフレインする:「われ われは、何千年もの間、災禍と嵐を乗り越えてきました。ロシア人がきて以来の災いは、まるで長く続いている大嵐のようなものです。でも、他のすべてと一緒 ですが、荒天はいつの日か過ぎ去るのです」。
・俺たちもまた同じ隊列を組む人間として、このような力強さ、このような(辛酸を舐めたものだけが到達できるディープな)楽観主義と同一化しようと、提唱 されるのか?

8-18
・このような頌歌を、ナショナリズムの再演であると言うと、「コロニアリズムの歴史を負う立場にある者」は黙っとれという意味なのか?_だが、コロニアル な歴史の中で犠牲者の立場にある主体もまた、このような自民族讃美を、悪しきナショナリズムの再演ないしはコピーではないかと(運動論的に)自己批判する ものもいやしまいか?_リベラルデモクラシーは、そのような公共性を暴力的に作り上げてしまう力をもってはいまいか?
・太田さんのジョン・コルトレーン『至上の愛』の決意(Resolution)表明:「植民する側の一員として享受してきた特権、そしてコロニアリズムの 終焉後でも継続する新コロニアリズムへの責任を曖昧にするべきではない。(複雑な関係性が支配した)コロニアリズムという構造、そしてその影響への責任は 消えないはずである」。〈責任を認識しろ!責任を取れ!〉というシュプレヒコールに聞こえる。

8-19
・(1)日本のコロニアリズムのアフターライフと、(2)日本のコロニアリズムにおける文化人類学の立ち位置




8-20
・朴裕河(パクユハ)『帝国の慰安婦』をめぐる議論
・「慰安婦の問題を解決するために何よりも必要なのは、そうした様々な声を知ることです。また、その声を聞いて考えたことを思うままに語ることです」 (p.316)

8-21
(異義なし!)





8-22
(異義なし!)









8-23
・ル=グィン『世界の合言葉は森』の作品をめぐって
・(この寓意は太田さんの論文にとって必要なエピソードなのだろうか?)
・この寓意は、本稿を太田氏の主張に沿って深く理解するためには、重要な物語かもしれないが、太田氏も御理解されているように、この寓意を読んだからと いって、私たちがポストコロニアルになれるという訳でもあるまい。

8-24
・(『世界の合言葉は森』(ル=グィン 1990[1972]))





8-25
・(『世界の合言葉は森』(ル=グィン 1990[1972]))






8-26
・(『世界の合言葉は森』(ル=グィン 1990[1972]))









8-27
・(『世界の合言葉は森』(ル=グィン 1990[1972]))
・(これが太田さんの言いたい事なのか?)「この小説では、コロニアリズムからの解放は達成されたものの、分断を和解へと導く可能性は曖昧なまま残されて しまった。おそらく、21世紀の現在では、和解の可能性がより強く希求されているにちがいない、とクリフォード(Clifford 2013a: 183)は述べている」
・問い:「はたして、ポストコロニアルという移行期において、文化人類学者は過去との和解に向け、自らの立ち位置をあらたに構築できるのであろうか」

8-23
・アイデンティティの政治は終わったのではなく、むしろ強化されている?
・アイデンティティ=同一というものに対する再審問が必要という:「第二の自然となった考え方を自覚した結果は、歴史のなかに起源をもち、現在でも残響す る不正義を正す責任を引き受ける立ち位置から、不正義としか呼べない歴史を生きることを強いられてきた人びとと相対すること、個別の事例において、歯切れ の悪いように聞こえる倫理にもとづく対話を反復することへとつながる道を開く」
・これも、名指される存在への自覚を促す言葉。:「他者の眼差しのなかに映るわたしとはだれか、その眼差しがわたしに課す責任とは何かを意識」せよと太田 さんは、繰り返す。
8-29
・「アイデンティティの政治」は終わっていないことに首肯する読者は多いはず。むしろ、1960年代末に、夢をみた人たちとは異なり、同一化する主体のイ メージは分散し、拡散し、インターネットを通してさまざまに流通——マルクスのいう交通——しているのではないか?
・レヴィナスで閉じられる:「記憶を通し、過去がもう一度取り上げられる」=これこそが、ポストという時間性の中に、アフターライフという形を取り得るア イデンティティの政治があるということなのだろう。
・「未来はすでに確定している現在(present-becoming-future)の延長であることをやめ、いま一度、不確かな、いやそれであるから こそ開かれた可能性に満ちるのである」=時間性の脱臼というテーマは、太田さんのブランド化しているね?







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