は じめによんでね

遺跡観光の始まり、という神話

The myth of the beginning of archaeological tourism

【質問】

私は世界のいろいろな古代文明に興味があり、海外旅行で遺跡見学をするのが楽しみです。このような観光はいつ ごろから始まり、どのような展開をとげたのでしょうか、お教えください

【垂水源之介のお答え】

古代ローマでは帝国内の道路網が整備され、小アジアやエジプトの史跡への旅行がおこなわれたという記録があり ます。巨大遺構の前に立たされた人間は驚きとともに、それがどのようにして造られたのかという疑問をもちます。当時の旅行は神殿への巡礼が中心でしたが、 そのような異境への関心も芽生えてかもしれません。くしくも紀元一世紀末のローマの歴史家タキトゥスが『ゲルマーニア』をあらわしますが、これは異文化の 生活や風俗を記述し理解しようとする民族学の遠い先駆けとなります。

ローマ帝国時代が繁栄していた同じ時代の新大陸の都市のひとつにメキシコシティ北部のテオティワカンがあり、 その巨大な太陽と月のピラミッドは観光地としてきわめて有名です。大都市テオティワカンは一度放棄されたといいますが、その後にメキシコ盆地を支配したメ シカの人たちはこの遺跡を偉大な神々が造営した都だと解釈しました。遺跡はたんなる見物の対象ではなく、むしろ神聖な場所とみなしたのです。

さて時代は近代になります。今日の大衆観光はイギリスのクック旅行会社によってその原型がつくられました。一 八六六年には南北戦争の戦場跡をみるアメリカ旅行への旅行団を、翌年の二度目のパリ万博には二万人の観光客をイギリスから送りこみます。ちなみにこの年ア メリカを船出したクエーカー・シティ号に乗船したマーク・トウェインはほかの乗客とともにクフ王のピラミッドに登ります。クック社は六八年からパレスチ ナ・エジプトに観光団を出しますが、その翌年スエズ運河が開通しエジプトの遺跡観光は本格化します。パッケージツアーというものが欧米ではじまるのです。 しかし一八七〇年当時カイロのアメリカ大使館に登録された同国の年間観光客は三〇〇名ほどでしたから、九〇年代の初めのエジプトへの年間観光客数三一〇万 人あまりに比べればまだ僅かなものです。

遺跡観光ときってもきれないものはガイドブックです。最近はわが国でも遺跡の考古学的な説明や発見の物語など を盛り込んだ高度な解説書(例えば創元社の「知の再発見」双書シリーズなど)が発行されています。世界の著名な遺跡の多くはかつて植民地に位置するものが 多く、その考古学的な発掘は長いあいだ先進国の学者によっておこなわれてきました。古代遺跡の文化財はひろく言えば人類全体の文化財ではありますが、この 理念にたどりつくまでに多くの文化財の略奪や破壊があったことも事実です。したがってある文化財がその国の誇りとして重要な意味をもつこともじゅうぶんに 理解できます。途上国には自国だけで考古学者を育てる基盤がないこともあり、いろいろな面で国際協力が求められています。このような遺跡観光の成立と現状 について一観光客としてその理解を深め、文化財に対して敬意ともに冷静な眼で鑑賞してゆくこと。このような観光を通して、私たちもまた遺跡をめぐる国際協 力に参加しているのかも知れませんね――それ以外の社会的効果もあるでしょう。それを研究するのが観光人類学、あるいは観光の文化人類学とよばれる学問領 域なのです!。

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