医学史あるいは医療史
Very Very Short History of Western Medicine
用語の定義:
医学史 history of medical practices and its theories
通常、医学史とよばれてきたものは、施術と施術にかんする理論の歴史的変遷と、それについて考察する学問分野をさす。長い間、医療者 (=医師)がおこなう知的認識としての医学は、医療制度の根幹をなすと考えられてきたので、洋の東西を問わず医学史は、施術とその理論の歴史とされてきた。
医療史 history of medicine
上掲の医学史に加え、それらに多大な影響をもたらしてきた流行病の歴史(疫学)、人口動態や栄養、施術者や病人についての歴史的研究に よって、医学の歴史は、たんなる施術とその理論の歴史的考察だけでは、十分に説明できないという問題が露呈した。
また、(後に述べるような19世紀以前の)医学史は、たっぷりと啓蒙主義と勝利者史観(「ホイッグ史観」という)の影響を受けていたた め、より広い歴史認識の基盤が要請されるようになった。
洋の東西をとわず、偉大な医学者は、つねに先人の業績に敬意を払う傾向を持ち続けてきた。彼らの業績には、かならずヒポクラテスやガレヌス (あるいはガレン)などの古代医学(ancient medicine)についての言及がみられる。つまり、古典的伝統の系譜に連なるという認識がつねにあったようだ。
英国では18世紀には、John Freind, Daniel Leclerc, Kurt Sprengel などの医師たちが、医学の歴史について研究をはじめるようになった。この傾向は19世紀の中頃までつづき、the Royal College of Physicians of Londonの医師たちがこのような傾向を受け継いだ。
しかし、西ヨーロッパにおける19世紀後半の医学を含めた科学の成長は、ヨーロッパあるいは世界各地の国家による科学政策の統制と密接に関 係して、やがて各国の高等教育機関において医学史が講じられるようになった。
19世紀末期のドイツでは、全国の各大学に医学史研究の機関がおかれるようになる。特にライプチヒ大学のそれは重要で、Karl Sudhoffが1905-25年に研究所長に就任し、そこから、Henri Sigerist, Owsei Temkin, Erwin Ackerknecht——彼らは後に北米で活躍するようになる——が育った。
1950年代までに北米、ドイツ(西)、スペインやその他の国々の医学校で教えられるようになった。
医学史の伝統を築いてきたのは、臨床家で研究者であった医師たちであったが、科学史研究が盛んになるにつれて、医学のバックグラウンドとは 異なる経歴をもつ研究者がこの分野に参入してきた。
このような科学史研究の隆盛は、医学におけるそれまでの勝利者史観、つまり、科学的に正統化されたものだけが生き残り、その科学の伝統を直 系的に守ってきたという、歴史の必然的な進歩を信じる御都合主義が批判されてきた。
このような勝利者史観という科学史上の立場をハーバート・バターフィルド(Herbert Butterfield)は、ホイッグ主義(Whiggism)と呼んで批判した。
1960年代に入り、フーコーの先駆的な業績を含め、医学史の研究は、複数の科学的参照軸(multi-discipline)をもつよう になってきた。
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