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ロイヤル・タッチ

Royal Touch

Charles II performing the royal touch; engraving by Robert White (1684) from "Royal touch," by Wikipedia

皆さんから、このコーナーについての質問やご意見をいくつか伺いました。ありがとうございました。今回は、従来よく議論されてきました が、いまひとつ明確ではない“手あて”の意義について考えます。

“手あて”ほど、人間における治療的な行為の中で“もっとも原型にちかい”ものはない、としばしば言われる。確かに、止血をしたり痛みを 和らげる行為として、手をあてたり、さすったりすることは人間以外の動物にはほとんど見られない現象である。しかしながら、手あてはまた他人に対して行な われるとき、はじめて社会的な意味での“治療行為”となる。だから、自分に対する手あてを、他者へのそれと一緒にして、人間の治療行為の原型として考える ことには無理がある。

さて、他者が行なう手あての中で最も典型的なのは、治療者による癒しである。しかし、医者ではない王様が治療していたという歴史的な記録 が確かにあるのだ。13世紀から18世紀という比較的長い間、国王——とりわけイギリスとフランスの王たち——が行なった“手当てによる病気の治療”とそ の慣習は、フランスの歴史家マルク・ブロックの同名の書物のタイトル“王の触り”すなわち『ロイヤル・タッチ』として、よく知られている。

皮膚病、癲癇(てんかん)、瘰癧(るいれき)——のちに近代医学者たちによって頚部リンパ腺結核と解釈されている——に罹った病者の顔、 首、頭などに国王が、触れると、病気が治ると信じられ、またその記録は“治癒した”と証言している。そのなかでも瘰癧への治癒が多かったため、この病いは 「王の病気」(the Kings Evil)と呼ばれていた。国王は訪れた民衆に手で触れるだけでなく、特別な祈りの言葉をかけたり、聖水で清めたり、国王の指輪に触れさせたり、銀貨を与 える場合もあった。

このようなイベントとしてのロイヤル・タッチの治癒儀礼は、民衆に王家の威信と正当性を印象づけるための格好の機会になった。王家はこの 行事の政治的効果に注目し、その開催日を公示したり、そのための旅行をした。従って絶対王政の形成期には、この慣習は王家の重要な公式行事とまでなった。

しかし、国王がなぜこのような“治癒力”を持つのかは疑問のままであった。歴史家ブロックによると、国王の《治癒力の源泉》についての論 争が、ロイヤル・タッチが行なわれていた時代にも実際に、王家擁護派のグループと神学を擁する教会の間で行なわれたという。その議論において、教会は、国 王という特別な人格が洗礼を受けることによって王の治癒力が現われると見なした。キリスト教の聖人たちによる秘蹟のひとつと見なされたのだ。他方、王家の 側は受洗の時点ではなく、王位の継承時から治癒力が発揮されていると反論した。

時代が経つにつれ合理的精神を尊重する思潮から、まず教育を受けた人びとがロイヤル・タッチに懐疑的になった。また、国王自身も新時代の 教育を受け呪術的な色彩のあるこのような儀礼を嫌うこともあった。イギリスでは18世紀初頭のアン女王がロイヤルタッチを行なった最後の国王となった。ま た、フランスのルイ15世は1722年には2000人以上の民衆に触れたが、彼自身はこの慣習を「迷信」であると考えていた。そして、ルイ16世処刑に よってロイヤル・タッチは1789年をもって終焉した。

ロイヤル・タッチ儀礼の特徴として、それは宗教の専門家ではなく世俗の権力者が呪術的な治療をおこったことにある、と西洋史ではしばしば 言及される。すなわち、国王=世俗的統治者、神(または教皇)=聖なる支配者という図式である。しかしながら、この慣習が、なぜ民衆に熱狂的な支持を受け たかがこの図式では理解されない。王が治癒力をもつという考えは民衆の生活・慣習・意識・行動の反映であることが理解されなければならないのである。

さて、19世紀の終わりごろの報告を見ると、多くの非西洋の伝統的社会では、むしろ王には超自然的な力が宿っていると人びとが考えていた ことがわかる。例えば、西アフリカのファン人たちの部族王は、首長であると同時に呪医(medicine man)であり、かつ鍛冶職にもついていた。また西ポリネシアのトンガでは、ある種の肝臓の病いと瘰癧の原因を、王=首長の身体や彼の持ち物に触れた後 に、手を清浄にする儀礼を怠ったせいであると考えられていた。そのような病気に罹ったものは、王の足が患部に触れることによって治療したといわれている。 王の身体への接触が病気を起こすと同様に、治癒することもできるというこのような慣習は、ロイヤル・タッチのそれときわめて類似していることが分かる。す なわち、民衆の王の�治病能力への期待�はむしろ一般的にあったと見てよいだろう。

ロイヤル・タッチは、王政の崩壊と共に消滅したが、�手当て�が治癒力をもつという考え方は、やがてフランス革命期には手あての“動物磁 気”による治療——これはメスメリズムと呼ぶばれる——などに継承された。現在でもホリスティク・メディスン、ニューサンエンス、気功などに“手あて”の 考え方が脈々と息づいている。

もっとも、タッチ=手あてが、人類にとって普遍的な治療の様式である、と性急に結論づけることはできない。ここにおいて紹介した治療につ いて、その細部を検討してみると形としては一致している�タッチ�の意味づけや性格は微妙にあるいは全く異なっていることが分かる。

そうしてみると、最初に述べたような治療の普遍性を信じ、歴史の中にそれを発見するという営為は、手あてが“治療の原型”であると思い込 んできた学者たちの希望の投影であったことが分かる。「近代医療が忘れてしまった“手あて”の理想」を主張するのは、近代医療を批判的に乗りこえようとす るそのような人たちである。近代医療は、手あてを否定したところにその成立基盤をもつと言う方が適切であろう。そのような考えに立って初めて、私たちに とっての“手あて”の意味を明らかにできるのではないだろうか。

クレジット

このコーナーでは、「いのち」に関する世界のさまざまな民族や社会でみられる興味深い慣習や 信条 を紹介します。そのねらいは、周囲から消え去ってゆく「変わった習慣」を面白がったり、懐かしむことではありません。むしろ「いのち」の多様なあり方につ いて読者の皆さんとともに考えたいのです。いろいろなテーマについて多角的に取りあげますので、皆さんからのご意見をお待ちしております。

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