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大日本帝国における医療と衛生

文献リスト(1931-1945)

作成:池田光穂

日本語で書かれた医療人類学文献


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文献

その情報



朝鮮総督府医院 満洲医科大学

1899 官立廣済院、東西医学を両立させる方式を採用
1905 第二次日韓協約締結。廣済院より朝鮮人漢医たちを追放し、朝鮮の保健医療体制や医学教育を西洋近代医学に一元化
1907 総監伊藤博文の計画により、大韓医院が設立、廣済院は統合
1907 第三次日韓協約により、日本人の官僚登用はじまる
1908 軍医総監佐藤進が院長として着任
1910 韓国併合条約公布。治療目的と、附属医学講習所における医師、産婆、看護婦の養成のために朝鮮総督府医院が開院
1920 志賀潔が第3代総督府医院院長に着任。微生物、薬理学、衛生学、病理学に拡大
1928 京城帝国大学医学部附属医院に編入 
1911 南満医学堂が、南満州鉄道株式会社の大連医院奉天分院内に専門学校として設置
   初代満鉄総裁・後藤新平の発案で、日中医学生に教育し満蒙で活躍できる医師養成を目的とす。
1922 南満医学堂は、大学令により満洲医科大学に昇格。

1937 薬学専門部設置

1945 閉学(医師2,700名、薬剤師300名、看護婦1,000名を養成)
1946 国立瀋陽医学院(中華民国)






Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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