クチュマタン高原の歴史
解説 池田光穂
標高2400メートルのこの町は、日中の日差しの強さにくらべて、朝夕はめっきり冷える(copyright, M.Ikeda 1996)。
・15世紀:クチュマタン高原はメキシコ(アステカ)化したキチェのGumarcaah の支配下にあった。
・16世紀初頭までに、キチェ族の支配は弱体化し、小さいが独立した国家体制群を形成する。
・1525-30年 スペインの征服者たちによる軍事的支配が確立する(Altos Cuchumatanes)。しかし、他のグアテマラの地域に比べて、植民者たちにそれほどの[経済的・軍事的・宗教的?]魅力はなかった。
・コングレガシオン(congregacion)政策――教会・修道会が信徒を管理する制度(後述)――により、もともと分散居住していた人た ちは教会のある町の中央に居住するようになった。
・コングレガシオン政策は、(i)先住民のカトリック化と(ii)労働力調達への利便性を確保することに貢献。後者には、エンコミエンダ(先住 民の保全を理由に先住民を管理利用できる)、貢納の査定(tasacion de tributos) 、レパルティミエント(入植者による強制労働徴用制度)がある。
・植民者や入植者の関心は、封建制の維持よりも企業的的取り組みに、また土地のコントロールよりも労働力のコントロールにあった。
・スペイン王室による土地の確保は、1635年から1720年のあいだ、中米全体の経済的不況期におこなわれたが、その理由は、この時期に先住 民の労働力調達は低下していたからである。
・労働力の調達が困難になった理由は、1520年〜1670年のクチュマタンの先住民人口は、スペイン人が持ち込んだ疾病のために急激に落ち込 み、この150年間の90%の人口が激減したと推測されている(ウィリアム・ジョージ・ローベル)。
文献
- Lovell, William George, 1980
Land and Settlement in the Cuchumatan Highlands (1511-1821): Study of in the Historical Geography of Northwestern Guatemala. Ph.D. Thesis. Geography. The University of Alberta Edmmonton, Alberta. 308pp.