シンポジウム
帝国医療の予感
―植民地状況における医療と文化を考える―
司会:池田光穂(熊本大学文学部[当時])
発表者ならびにパネラー:
一つの妖怪がグローバル化する学問界に現れている、ポストコロニアル理論という妖怪が。旧体制のあらゆる権力がこ の妖怪にたいする神聖な討伐の同盟を結んでいる。およそ権力と知識の結びつきに片言でも触れたものにこの蔑称を罵られなかったものがどこにあるか。この事 実は、ポストコロニアル的想像力が学問的議論において、もはや無視できない状況にあることをさす。本企画は、グローバル化する医療の現在形を、この想像力 の助けを借りて文化人類学的に考察するものである。植民地における医療的知の構築、ポストコロニーにおける身体的想像力、文化「結合」症候群の脱構築、国 民国家における少数民族の伝統医療などを俎上に載せ、人類学的知と権力の生成プロセスを回顧しつつ、そのオルターナティブな可能性を未来に向けて投射す る。
Copyright Mitsuho Ikeda, 2002-2003
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奥野克巳さんおすすめの帝国医療研究書
Fisher, Elenor and Albert Arce. 2000. The Spectacle of modernity: blood, microscopes and mirrors in colonial Tanganyika. In Arce, Alberto and Norman Long(eds.) Anthropology, Development and Modernities. Routledge.
Olumwullah, Osaak. A. 2002. Dis-ease in the Colonial State: Medicine, Society, and Social Change among the AbaNyole of Western Kenya. Greenwood Press.
Burke, Timothy. 1996. Lifebuoy Men, Lux Women. Duke University Press.
Hunt, Nancy Rose. 1999. A Colonial Lexicon of Birth Ritual, Medicalization, and Mobility in the Congo. Duke University Press.
Copyright Mitsuho Ikeda, 2002-2003
近代日本における未完のプロジェクト:帝国医療
(日本民族学会研究大会, 2003/05/25 発表予稿)
池田光穂
熊本大学・文学部
近代社会の統治術概念から導き出された植民地の医療システムとしての「帝国医療」とは、なによりもそれが使われれる歴史・社会的文脈の中に位置づ けて精確に議論しなければならない分析概念である。歴史家のデイビッド・アーノルドや脇村孝平らが、この用語を鍵概念にして解き明かそうとしているのは、 英国のインドを中心とする帝国統治のシステムが、中心地で論じられていたイデオロギー以上に、臣民(subject)への身体や集団への管理の具体的諸相 にあったことにある。他方、人類学研究において、機能的かつ批判的議論を導く装置として我々が帝国医療の概念を流用することは可能であろうか。その際に は、元の概念に含まれている歴史・社会的文脈から自由になれる理論的代償として、我々は帝国医療がもつ主要な特徴をさまざまな諸事例から彫琢し、ある歴 史・社会的文脈の中でその医療システムが帝国医療として作動可能になる社会的条件を明らかにしなければならない。
日本における近代生物医療(modern biomedicine)を帝国医療として分析する際には、次にあげる幾つか歴史的社会的条件の固有性について着目せざるをえない。
(1)近代日本の医療は、明治維新以降、激烈にシステム変換したと言われるが、これは国家が採用する医療システムにおいてである。近代医療を採用す る以前から蘭方医療が存在し、また、漢方医も根絶対象となったわけでもない。システムの移行という観点から見れば、近代医療への移行は緩やかに進行したと 考えられる。これは、今日における多元的医療にもとづく仮定法的態度の選択という医療行為の中にも残っている。
(2)国家の統治技術としての近代医療の適用が、もっとも激烈におこなわれたのは、「避病院」(伝染病隔離)や「癲狂院」(精神病)への収容政策で あり、患者や家族による微弱な抵抗に出会うが、共同体は国家政策のエージェント機能の末端としてその役割を担い、集合的な行為としての医療批判運動に繋が ることは少なかった。これらの歴史的伝統は、今日における病者差別や国家賠償制度の不備という事態に色濃く反映さえている。
(3)近代医療はつねに輸入されつつその中身は欧米の水準に追いつくべきものであるという一貫した国家政策は、結果的に主要な医療者のイメージを草 の根レベルの実践家ではなく大学病院を頂点とする科学者として定着させた。そのため国家の医療政策は、医科学を常に向上させる政策に傾き、福祉サービスの エージェントとして転換することができなかった。それゆえ近代国家の中でも稀にみる医療化の弊害に見舞われた社会となった。
日本の植民地統治は歴史的には後発の部類に属し、また帝国を構築していた周辺部分では事実上交戦状態にあったために、帝国の社会基盤整備の装置と して生物医療を十分に発動させることができなかった(これは日本の植民地人類学の事情にも通底する)。日本の植民地統治へと飛翔するはずの帝国医療のプロ ジェクトは第二次大戦終了において中途終焉したのではなく、その統治性を発揮する対象は代わったものの、これらの理念と現実は命脈を保ち続けた。そして、 今日のネオリベラル経済の医療制度改革によって初めて試練に曝されることになったのである。
発表ではいくつかの歴史的諸事例に触発された帝国医療の特徴を紹介し、それを今日の医療人類学の課題--日本において医療人類学を実践することの意味--に関連づけて論じてみたい。(Copyright(C) 2003 Mitsuho Ikeda)
Copyright Mitsuho Ikeda, 2002-2003