いまなぜ、帝国医療か?
The social meaning of Imperial medine in Contemporary Japan
■ 梗概
【パート1】:ジャンプ
このシンポジウムを企画した道のりと、文化人類学の問題系との関わり。主に、文化人類学の専門家を相手にした、多少、子難しい解説で す。
【パート2】:ジャンプ
キーワードとしての帝国医療を理解するために、ベーシックな概念としての帝国主義や植民地主義概念のおさらいをします。これは学部生向 け優しい——優しく解説を試みようとした——説明です。
【パート3】:ジャンプ
医療は病気への対処行動ないしは、それらの体系だといわれている。人間と医療の長期にわたる関係について考察するは、人間と病気につい ての長い長い歴史についておさらいしておく必要がある。『地域からの世界史』という新しい視点からの世界史入門書の書物に収載された拙文「病気の文明史」 という論文があるので、それをお土産として配布しました——ただし、これについての議論はおこなわない。
いま、なぜ帝国医療か?
The social meaning of Imperial medine in contemporary Japan
■ シンポジウムの趣旨
(これまでの研究の経緯)
・日本民族学会『民族学研究』67/3の小特集
「民族医療の再検討」(寄稿者:奥野克巳、近藤
英俊、慶田勝彦、池田光穂)
・日本学術振興会平成14年度科研費補助金基盤研究C(1)「グローバル化する近代医療と民族医学の再検討」(研究代表者:奥野克巳)[研究班:奥野克
巳、花渕馨也、信田敏宏、池田光穂]による3年研究計画の初年度の研究経過報告
・日本民族学会研究大会分科会(シンポジウム形式)「帝国医療の逆襲:21世紀ポストコロニーの医療を考える」(代表者:奥野克巳)で発表予定[参加予定
者:奥野克巳、森口岳、山崎剛]
■ 共通した問題項目と方向性
(1)社会から自律した知的実践活動とみなされている「医療」に対する、人類学の研究対象とし
ての関心をもつ。
(2)医療を研究対象としている人類学の下位領
域(医療人類学;
medical anthropology as hyphenated
subdiscipline)における、従来の研究関心と研究方法とは異なった問題関心——
例えばポストコロニアル状況に直面する文化人類学のさまざな挑戦的取り組み——の観点から刺
激を受けて、医療を人類学の研究対象として再定義してみたい。
(3)医療人類学を特色づけてきたさまざまな概
念装置——伝統医療、民族医療、シャーマニズ
ム、文化結合症候群にはじまって、医療、身体、精神、誕生、死、生命など我々の身の回りを所与の用語と概念を再検査するだけでなく、既存の枠組にとらわれ
ない新しい定義、再定位(re-orientation)のもとで組みたててみたい。
■ そこで生じつつある新たな状況
・これまで論じられてきた(特に近代医療批判、反医学言説、マルクス主義的近代医療批判)よう
な近代医療が、首尾一貫した一枚岩の体系ではなく、個々の部分は相互に引き合ったり反発しながらも、一定の方向に転回した非定型(atypical)な集
合体であるという認識が生じてきた。
・医療は治療のシステムであると同時に、内的な論理的一貫性よりも、時代や社会状況の中で機能
を変化させてゆくダイナミックな社会構成体の一部分である——医療を社会現象から切り離すことの難しさ、を感じる。
・医療の研究は、一方で科学的認識論としても吟味の対象になるが、同時に身体をモニターする相
互作用的実践という観点からも分析できる。このような多面性を民族誌的方法論をとおしてどのように理解することができるのか。我々は研究対象を構成する枠
組を再検討することで、結果的に人類学パラダイムにおける知的伝統のブレーンストーミングをおこないかねない事態に直面している(「概念構築のバザール
[mercado]的状況」)。
■ いまなぜ帝国医療なのか?
(1)民族医療の検討:
医療人類学が、近代医療を相対化する最初の視点は、(伝統医療を含む)民族医療の発見である。しかし、これは民族医療概念が人類学パラダイムに登場した
時期や、近代医療概念の形成のなかで、何を「医療」というものを根本的に構成するのかという検討の中で、近代医療に対抗的に構築されてことがわかった。こ
れは、主に近代医療をリードする科学者たちが、自己アイデンティティの構築することと密接に関係することのように思われる。
(2)医療実践の検討:
民族医療の再検討が、近代医療の定義とアイデンティティに関わる自己認識に関わることがらを明らかにすることに繋がったとするのに対して、医療実践はど
のような意味をもつのだろうか。国際医療援助協力は、しばしば、医療の必要性を瀕死に陥った患者の前にいる医療者という風に、個人のモラル実践に喩える伝
統がある。この比喩には、すでに幾つかの暗黙の前提があり、医療者は患者を救済しなければならない、救済できる能力がある、その能力を無条件に解放すべき
である、という3つのポイントである。
(3)帝国医療と統治性
しかし、社会現象である国際医療援助協力は、災害時の緊急医療援助においても、このような理念が無条件に働くわけではない。このような、専門職集団が掲げ
る理念と実際の社会的機能の違いについては北アメリカの社会学においてすでに早くから指摘されている。医療の実践は、むしろ(フーコーの指摘を展開させつ
つある奥野克巳の)統治性(governmentality)の問題系の中で考えたほうがよいのかもしれない。これが現在までの我々——すくなくとも私に
とっての——がたどってきた「近代医療の再概念化」への道のりである。
以上は、研究者や大学院生が多い学会員向けであった。
とりあえず、帝国医療や熱帯医療という用語を、諸研究者の見解にもとづいて紹介しておこう。
帝国医療:
(狭い意味では)「近代植民地主義の展開のなかで宗主国が植民地にたいしておこなう公的な医療」[見市 2001](→見市他編 2001『疾病・開発・帝国医療』東京大学出版会の冒頭の総説論文)
植民地医療:
(植民地状況において)「入植者の健康を維持・管理することを目的とした帝国医療の延長線上に、細菌学説に基づく防疫を含め て、植民地行政と緊密な連携の上に築かれた医療の研究と実践」[奥野克巳 2003](→BE研究会での口頭発表、2003/03/31, Osaka)。
■ 基礎概念のおさらい:
◆ 帝国主義(imperialism)
・帝国(empire)は古くから言われてきた、巨大な版図(はんと)の国家に由来する。古代ローマ帝国[神聖ローマ帝国(962-1806)]、帝国の
モデルになるが、この帝国の概念は帝国主義とはいちおう無縁。帝国主義における想定される帝国のモデルは、British
Empireなど、帝国主義の時代に帝国間の覇権争いに参入した西欧の諸国家。
◆ 帝国主義の時代
・歴史家は1870年代から第1次世界大戦期(1914-1918)「帝国主義の時代」と言ってきた。
参考:[フランス第三共和制(1870-1940)、ドイツ帝国(1871)、ビクトリア女王インド女帝(1876)][この時期には 何があったか?=西欧の国民国家確立期、紛争も含めた国際関係の多角化、植民地分割の完了、戦争の技術革新とシステム化]
◆ 日本の植民地帝国の時代
・日本の植民地政策の特徴は、開国後の欧米列国との「不平等条約」(1850年代)によって、日本そのものが帝国主義による従属状態 (〜1911年)にあった時点で、すでに植民地領有を開始していたことである。
・日本の植民地帝国の歴史は1895年(日清戦争後の下関条約:遼東半島(のち還付)、澎湖島、台湾を割譲)から連合軍に降伏する 1945年までというのが、一般的な見解である。
◆ 帝国主義の構成要素
・イデオロギーとしての植民地主義、宗主国(suzarain)と植民地(colony)という2つの領域における人民と、それらの間にある統治・経済シ
ステム。
◆ 植民地主義(colonialism)
・領土を拡張することの動機は経済的な富の獲得だが、富の増殖をどのようなメカニズムに依存するかは、それぞれの時代の支配的な考え方に左右される(=経
済史研究)。武力による資源の収奪から(初期海洋帝国)、植民地経営を通した商業圏の確保(重商主義)、工業資源輸入し製品として輸出させる(自由主義経
済)まで、多様な広がりをもち、時代を支える技術や市場の構造に依存する。
・英語における今日のような権力の濫用に着目した価値下落用語としての植民地主義(colonialism)の初出は1886年以降である[OEDの
"colonialism"の項目]。
・帝国とは版図を拡張する運動だが、伝統的国家と国民国家では、周辺部における異質な要素を管理する際の統治の強度が異なる。つまり、伝統的国家では、統
治が緩やかで多元性を認める傾向があるのに、国民国家の帝国では境界を厳しく管理し、中央の価値観を貫徹させる(ギデンズ『国民国家と暴力』)。
◆ 帝国主義が経済=統治システムとして理解される
・ホブスン(John Atkinson
Hobson,1902):資本主義の発達が富の分配の不平等を産む(過剰蓄積/過小消費)、金融資本家が国際社会に投資を求める行動にでる。
・ヒルファーディング(Rudolf Hilferding, 1910):金融資本(銀行と産業資本の融合)は資本主義活動における独占を生み出す。
・レーニン(1917):帝国間の抗争が植民地と市場の再分割を促す。自由競争が独占を生み出すという史的唯物論。
これ以降、帝国主義は、主に経済システムを主軸におき、政治・統治システムがそれに伴って作動するモデルとして把握されるようになる。
◆ 植民地主義の非人道的イメージづけ
他方、植民地主義は経済よりも、被統治民の人権を認めないような非人道的政治=統治システムとして理解されるようになる。
◆ 植民地主義/帝国主義の否定
・第15回国連総会(1960)「植民地諸国・諸民族に対する独立付与に関する宣言」=「外国による人民の征服、支配および搾取は、基本的人権の否認」と
いう認識を国際社会に示す。この理念に反するような統治システムは、経済、政治をとわず植民地主義ないしは帝国主義という過去の用語が動員されて、批判の
対象として捉えられるようになる。また、歴史上の概念と区分して新植民地主義(neo-colonialism)や新帝国主義(neo-
imperialism)として呼ばれるようになる。実際、英語の用法としての新植民地主義(neo-colonialism)の初出の用法は1961年
ごろである(「植民地主義の最も危険なタイプのものは新植民地主義である」(New
Statesman 20, Jan 82/1))。
◆ 帝国医療の定義
「帝国医療とは狭義には近代植民地主義の展開のなかで宗主国が植民地に対しておこなう公的な医療制度を指す」(見市
2001:26)。
(→なお見市はポストコロニアル時代には「帝国なき帝国医療」もありえると意味深なことも指摘している)
「帝国医療は、植民地の経営を守り、その存続をはかるために宗主国によって行われた医療サービスであり、目に見える政治権力の行使以上に重要な統治技術
だったのである」(奥野 印刷中)。
医療は病気への対処行動ないしは、それらの体系だといわれている。人間と医療の長期にわたる関係に
ついて考察するは、人間と病気についての長い長い歴史についておさらいしておく必要がある。『地域からの世界史』という新しい視点からの世界史入門書の書
物に収載された拙文「病気の文明史」という論文があるので、それをお土産として配布しました——ただし、これについての議論はおこなわない。
私のイントロダクションはこれで終わりです。
ハート&ネグリの「帝国」
朝日新聞のインタビュー(2002.11.20 文化欄)マイケル・ハートは次のように、連中の「帝国」の概念を説明する。
「世界の政治やビジネスのリーダーたちは現在二つの選択肢を迫られている。一つは世界情 勢の重要な決定権をアメリカが握り、アメリカの利益に沿って世界を動かすブッシュ政権の単独行動主義路線、アメリカの帝国主義です。もう一つは、必ずしも 国民国家を中心としない世界秩序の確立という選択肢です。私たちはこれを『帝国』と呼びます。WTOやIMFなどの経済組織やG7に代表される主要国民国 家、様々なNGOや多国籍企業が一体となって機能する、中心なきネットワークです」。
ハートは、後者の『帝国』に自分たちの議論が与することを確信し「出現する必然性がある」とまで言っている。このようなハッタリを、連中の パフォーマンスという要素を中和化して、どのように我々の議論の肥やしとすべきだろうか?
帝国主義/文化/医療
について学ぶ文献リスト
このリストは網羅的かつ普遍的なものではなく帝国主義/文化/医療を考えるために、現在私が自分 の勉強用に構築しているものです。
林房雄『大東亜戦争肯定論』 東京 : 番町書房 , 1964.8-1965.6
Okakura, Kakuzo. The awakening of Japan. New York : Century Co., 1904(齋藤美洲訳「日本の目覚め」『岡倉天心集』筑摩書房)
【クレジット】いま、なぜ帝国医療か?:——シンポジウム「帝国医療の予感」の趣旨説明——:池田光穂(熊本大学文学部[当時])
1/25/2003