民族誌の批判的読解
Critical Reading of Ethnography
池田光穂
ブロック『祝福から暴力へ』秋津・田辺訳・法政大学出版局
図3−1、家屋の構造、:p.75
図3−2、ヴァジンバを暴力的に征服するものとしての割礼(ツヂャヌ=祝福)、ヴァジンバの両義性を示す図式::p.84
図3−3、王の沐浴儀礼::p.89(これは図3−2の派生)
図4−1、割礼儀礼の場所::p.115
写真1:p.123
図4−2、ハシナ(力、神聖)とヘリの関係::p.135(これは図3−2の派生)
図5−1、祝福の道筋(=出自の流れ)、ハシナとツヂャヌ::p.171
図5−2、力のアンチテーゼ::p.181(これは図5−1の派生)
図5−3、マヘリ的媒介物::p.189(これは図5−2の派生)
図5−5、図5−3を円形に変形::p.192(これは図5−3の派生)
図5−6、家屋の構造と出自/暴力のモーメント:p.195(これは、図3−1と図5−3の合成)
図6−1、神話:p.211(図5−3の派生)
写真2:ラナヴァルナ治世の王室の割礼における官吏:p.252
図7−1、スラチャの踊り(1854):君主の卓越性=ハシナへの接近性
図8−1 メリナの政治史と割礼の歴史:p.305
M・ブロック『祝福から暴力へ』ノート
【民族=人びとの概観】
メリナ:オーストロネシア系言語
・18世紀〜19世紀中葉:メリナ王国の成長、約二百万人の臣民をもつ。モーリシャス(英植民地)との交易と軍事援助で栄える。
・1859年:フランスの植民地化
・1960年:フランスからの独立
・1971年:革命
【テーマ】
・200年間にわたる割礼儀礼の変化 ・
【分析手法1】
・構造分析=儀礼が何かを意味するシステムである。
【構造分析の実際】
・割礼儀礼=少年男子に対しておこなう通過儀礼。少年は割礼を通して石造りの巨大な共同墓の先祖から祝福を受ける。(→機能:出自集団 への組み込み)
・力の2つの側面:(1)生命力=母親の否定的ないしは両義的な力。(2)祖先(=共同墓)や長老による祝福(→出自集団への組み込ま れる)
・(α)出自と秩序は、生命力の否定的側面を拒否する、(β)出自と秩序は生命力の肯定的側面を暴力的に征服する、という二重の暴力を 行使する。
・それに対応するのが、(α)家の戸口=女性世界(性的開口部)でペニスに傷をつけ、(β)男性たちがまつ戸外に出る。少年たちは再び (α)窓を通して家に侵入する(否定的生命力の世界に介入する)。少年たちは性的主体として祝福を受ける。
・モチーフとして、生物的再生産の否定、出自秩序の強調。
・これらのプロセスは、参加する人々の意味を実践を通して教化する。
【分析手法2】
・儀礼的コミュニケーションの分析
【儀礼的コミュニケーションの実際】
・儀礼的コミュニケーションの特徴:言語や行為の定式化、冗長性、保守性
・通常、儀礼にコミュニケーションがあると想定すると、儀礼の命題的内容(=「儀礼はとはこのような意味メッセージをもつのだ!」)は 縮減してゆく。しかし、ブロックによると、儀礼の命題的内容は維持・均衡状態にある。なぜか?
・儀礼は割礼の意味を超越論的に説明する。つまり、人間の再生産や創造性は、人間によるものではなく、祖先や長老が(少年たちを)暴力 的に征服することで成し遂げられる。
・このメッセージが伝わるのは、儀礼の参加者が体験する生命力に対する否認と再認(女性的かつ否定的面が否認され、男性的かつ長老的か つ祖先的な面が肯定再認される)の繰り返しのプロセスによってである。これが、儀礼のイデオロギー的性格である。
・ただし、儀礼のイデオロギー的性格は、それだけでは十分にされない。それを明証するのは、儀礼の歴史的変化を追うことである。
【儀礼のイデオロギー性の証明】
・まず、「儀礼が社会的に決定される」という命題を検討する。儀礼の社会的決定という観点から2つの議論を検討する。機能主義ならびに 主知主義(ないしは象徴論)である。前者は、儀礼が社会的に決定されるという主張であり、後者はそれに対するアンチテーゼをなす研究の潮流である。
・儀礼の機能主義的理解:儀礼を経済現象の変化という外部の変化から説明する因果論は、儀礼のシンボリズムや儀礼的知識について明確な 説明を与えることができぬ。
・儀礼の象徴論(それを主知主義と呼ぶ)では、逆に、儀礼の細部におよぶコスモロジーとの関連性のみばかりが強調されて、社会とどのよ うな意味をもつのかをほとんど不問にする。
・これらの諸問題は、儀礼を歴史の文脈においてみることでより一層あきらかにされるだろう。
【メリナの社会経済的変化における割礼儀礼】
・要約:割礼儀礼は200年間にわたって、家族儀礼から王室儀礼となり(植民地状況の中では国家祭祀となる)、ふたたび家族儀礼となっ てきた。なぜか?
・政治経済状況の変化にともなって、儀礼の位置づけ=儀礼の知識的側面は変化する。他方、儀礼のシンボリズムそのものは長期にわたって も変化していない。儀礼のシンボリズムが変化しないのは、人間の社会的経験という事実を儀礼そのものが否定し、永遠の秩序を構築するという機能が儀礼的コ ミュニケーションにそなわっているからだ、と主張する。
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