日本からコンビニがなくなる日
The day when all the
convenience-stores, KON-BINI, in Japan
disappear...
解説:池田光穂
アマゾンにおけるピッキング労働の現状を知るために——Amazon Japan Officialより
鬼面人を驚かす話ですが、日本からコンビニがなくなる日がくるかもしれません。(あるいは、 アマゾン・ドット・コムがなくなる日を想像してください!!)
ん、な馬鹿なとおもう人がいるかもしれませんが、こういう話です。
つまりコンビニ産業が成長するためには、フランチャイズ加盟店を増やしつづけるということを おこなわねばなりません。これは無限連鎖講と似ていないことはありません(もっとも資本主義そのものが巧妙な無限連鎖講ですが・・・)。
しかし、共産主義革命と同様、国民の一人一人がコンビニ店の店主となるわけにはなりません。 つまり、マーケットには限界があるということです。これが、フランチャイズ方式による利益率の限界という側面です。
つぎに、フランチャイズというシステムの不正義です。これは、フランチャイズへの負担が大き くて廃業に追い込まれた元店主たちの訴訟に代表されているように、コンビニ産業が提供する情報への代価とブランド(代紋)の使用料に対する不満がこれから 出てくる可能性があります。
コンビニ産業にとっては、これがフランチャイズシステムの限界だと言い訳するしかありません が、コンビニ店の店主に言わせれば、その経営が軌道に乗れば乗るほど、ブランド(代紋)に対する対価は徐々に重荷になってきます。
さらに、コンビニやファストフード店に対するブランド価値の低下です。自然食品嗜好やスロー フードへの転換を図る人たちには、コンビニやファストフード店は将来悪の牙城と見なされる可能性があります。
つまり、コンビニ店に対する消費者の客離れが進行します。これは、コンビニ店の店主のみなら ず、フランチャイズを提供するコンビニ企業そのものへの脅威になります。なぜなら、右上りの消費構造がコンビニ消費システムを支えてきたからです。
そこで、きわめて一枚岩だった、あるいはそのような従属を強いられてきたコンビニ店が、自ら システムを構築したり、スローフード的サービス化を試みるようになります。つまり、コンビニ企業と店主たちのあいだに亀裂が入ります。コンビニのノウハウ を仕入れた店主達は、フランチャイズ(代紋)を返したり、新興のマイクロ企業家たちによってコンビニテリトリー(シマ)は蚕食されていきます。
これが、日本からコンビニが無くなるシナリオです。
もちろん、ここでコンビニが無くなるとは「絶滅」するという意味ではなく、後の人たちから 「コンビニという懐かしい小売りのシステムもあったねぇ〜」——中年以上の人たちなら「あそこの角にタバコ屋(パン屋)さんがあったねぇ、いまは自販機に なって後継者がいなくなったんだろうねぇ〜」という話が分かるでしょう?——というエピソードに終わる日がいつかはくるという意味でお話しました。
2003.01.12
てなことを昔書いて——というのは私の教え子にかつてコンビニをテーマに卒論を書いた学生が いたからです。すでに1999年に『新教養主義宣言』において山形浩生が次のようなことを書いています。慧眼ですので、今日でも引用に値します(Dec. 25, 2006)。
「コンビニのPOSは一日単位、いやそれ以下でとられて分析している。これは在庫の調整が一 日単位でできるからなのだ。というか、コンビニは店頭がほとんど在庫そのものだったりするから、そうしないとダメなのだ。そういう環境では、一日単位の売 り上げデータというものは意味を持ってくる。情報に対応する行動の裏付けがあって初めて情報には価値が出てくる。その行動を可能にする財力、資本力、物質 力があって、初めてその情報には価値がある」(山形 1999:58)。
この主張を私(池田)がパラフレーズして承けるとすると次のようなことをその含意があると思 われます。
【テーゼ1】
コンビニは、商品 をストックしてお客に売るという商売をしているのではなく、商品の受け 渡しをしているエージェントである。極端に言うと、コンビニとは宅配便の事務所ないしは郵便局の私書箱みたいなもの(町のほっとステーショ ンというのは、 それなしには消費生活が成り立たないからという意味ではある意味で正しい標語ではある)。
【テーゼ2】
コンビニは毎日死 に、毎日生まれていると言うこともできる。またフランチャイズにおけ る、のれんの利用料を払い、また仕入先から経営者という観点からみると、それぞれのコンビニが姿を消して、また近隣の別のコンビニが誕生していること事態 が、その都度、その局所的な場所において、コンビニが消失している状態をみることができる。コンビニが絶えることのないように見えるのは、フランチャイズ のもとで店主と労働者が生存維持のレベルで動いているからであり、そのような機能が働くなった時、コンビニは無くなったということが言える。ただし、これ は私の上の議論からみると、かなり屁理屈ではある。
2009年4月の付記
(付記)その後、現在(2009年4月)では、コンビニ業界はもともと親会社あるいは関 連企業(ホールディ ングスと呼ばれる持ち株会社の系列に入る)であるスーパーマーケット業界や金融、運輸通信業などとの連携を強め、その生き残りをかけて、我々の生活の隙間 の角までの消費に介入しようとしてきています。日本からコンビニがなくなるよりも(逆に)日本的生活らしさそのものが変化しているのかもしれません。コン ビニによりむしろ[かつての]日本がなくなっているのかも知れません。
2015年3月の追記
「国内コンビニエンスストア3位のファミリーマートと、4位のサークルKサンクスを傘下 に持つユニーグループ・ホールディングスが経営統合に向けて近く交渉に入ることが分かった。実現すれば、コンビニ事業の売上高は首位のセブン—イレブン・ ジャパンに次ぐ2位に浮上し、店舗数でも肩を並べる。ファミリーマートの関係者は5日、朝日新聞の取材に対し、統合交渉に入ることを認めた。共同持ち株会 社の設立など統合の形態や統合時期などの詳細は、今後詰める。コンビニのブランドを一本化するか併存させるかも注目される。ファミマとサークルKサンクス の2014年2月期の売上高(フランチャイズを含む全店ベース)の合計は約2兆6700億円。約1兆9500億円のローソンを抜き、セブンイレブンの約3 兆7800億円に次ぐ規模になる」朝日新聞デジタル:2015年3月6日01時04分
これに対して、僕はFBで次のように呟きました:「ローソンが3位になるんですね——で もフランチャイズの店主にはそんな福音でもないと思う。契約条件変えられたり、搾取率が上がったりしてね」
●コンビニと大学を事例におこなったワークの記録——マネジメント・モデル・キャンパス(MMC)へ!
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