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自殺と死の文化人類学研究

Cultural Anthropological Study of Suicide and Death


Philippe de Champaigne's Vanitas (c. 1671) is reduced to three essentials: Life, Death, and Time

池田光穂

自殺と死の文化人類学研究:自殺は、徹頭徹尾、社会 現象である。(→デュルケーム『自殺論』) 自殺についての文化人類学的研究というものはあまり見当たらない。

死の現象や埋葬儀礼についての研究は山のようにあ る。(→メトカーフやハンチントン、バリー、ブロック) ほとんどの社会で自殺は異常死の典型とされているために、忌み嫌われタブー死される。あるいは、そのことについて議論することすら嫌われる。(→ゴーラ 「死のポルノグラフィ」) 多くの宗教は自殺は背教的行為だが、ある種の宗教において自殺あるいは自殺的行為は原則として推奨はされないが[ある一定の条件のもとで]徳の高い崇高な 行為と見なされるものもある。(→死は宗教学の基本的な問題系のひとつ)

近代法学では「死の自己決定」というテーマで自殺に 触れられるが、その中身は安楽殺(euthanasia, mercy killing)で、自殺行為を貫徹できない人を幇助したり、他殺されることを望む人の願いを叶えてあげることについての議論である。この種の議論は、つ まるところ「慈悲のために殺す」という撞着語法かつ撞着行為という矛盾を抱えているために、歯切れがわるい[慈悲は救済ないしは永遠の命を与えることだ、 他方、殺害は末梢行為だから]。ないしは、「解決できない問題」のまわりを堂々巡りしているだけである。(→五十子『死をめぐる自己決定』) これらような議論の混乱は、つまるところ、「人間の死」を普遍化し、ひとつの価値観の中に留め置こうとする研究者(あるいは人間一般)の偏見に由来してい るものと思われる。 死を徹底的に個別化し、分散化させること。普遍的やパターン化できるという心理学や行動科学の傲慢から解放されること。人間の死は、一個一個別物であり、 それぞれに意味があること。瓦礫の山にある骨の一個一個の中に死のアイデンティティを見いだすこと。一個一個の中に、秘められた死のポルノグラフィを解読 (decording)すること。 これしかない。 文化人類学という非力な学問が、死の普遍化という傲慢な社会科学という軍事力に対抗できるのは、この一点を突破すること以外にない。

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