はじめによんでね

お子さまのぺーじにもどる

Say it Loud! I'm Kid, and I'm Proud

「こどものくせに」というさべつとたたかおう!


 ニーチェというおじさんは、こんなことをいいました。

「わたしはからだであり、わたくしはたましいである」

こんなふうに こどもは はなす。 そして、おとなが こ どもたちのようにはなしてはならない りゆうというものは あるだろうか(ないよ)。

※ニーチェ『このようにツァラトゥストラは語った(上)』吉沢伝三郎訳、講談社、p.65、 1971年


「現 代精神の形成への決定的な第一歩は、 道徳的懐疑主義が道徳的ないきどおりと結合した次の段階で踏み出される。現代のニヒリズムが生み出 したのはこれらの2つの、理論的には相いれない態度の融合である。

19 世紀半ばのロシアの革命論者、現代の ニヒリズムの創始者は、いきどおりとユートピアの熱情に燃えた冷厳な実証主義者だった。彼のニヒリ ズムは道徳的懐疑主義とはまったくちがっていた。

彼 らは不正な社会への恐怖を表現するため に懐疑思想をつかい、それによって科学的合理主義によって培われた2つの有力な精神力、つまり科学 的客観性と社会改革への渇望を結びつけた。

こ れら2つはいずれも合理主義時代の後期 に完成されたものだった。このようにして現代の懐疑的な狂信思想が生まれるのである。それは失意の 理想主義で狂わされた一種の科学主義であり、人間と社会についての機械的な概念によって性格を変えられた理想主義である」(M・ポラニー、松井巻之助訳、 p.234)

科学的合理主義はわれわれの世紀(= 20世紀、引用者)の公共生活を腐敗させたが、その完成は芸術に広い発見の大道を開いてくれた。ドス トエフスキーを源とする新しい文学の方向は、道徳的な実在について真に残されているものを求めてニヒリズムの限界についての探求にとりかかった。この探求 は意味のない失望を導くことも多かったが、その運動は概してこの世紀の道徳的な傾向を堅実なものとし、道徳性の基礎を固めなおすため、地盤を綺麗に取り片 付けた」(M・ポラニー、松井巻之助訳、p.236)

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