帝国医療という修辞
What is
Imperial Medicine?
近代医療や熱帯医療 には教科書があり、教育内容にはディシプリンがある。しかし、帝国 医療や植民地医療はそうではない。単純にそういうことである。前者は実体化された医療であり、後者はそうではない。帝国医療は、ある政治空 間のなかに居場所をみつけた医療であり、統治という技術体系と隠喩的連関から払拭できない医療のことである。したがって、帝国主義体制が終焉した今日で は、近代医療や熱帯医療は、医療者が続けている医療であり、帝国医療や植民地医療は人文学者や社会科学者が分析している医療である。
このことが十分整理されていないために「帝国医療の研究をおこなう」などという論題を掲げた瞬間に、帝国医療はどこにある、帝国医療とは何ですかという 質問攻めにあうことになる。しかしながら、ここで「帝国医療というものはどこにもない。それはただの分析概念である」と言い放つことはできない。なぜな ら、これらの断定は価値自由の問題を考えたウェーバー以前の状態に時間を巻き戻すことになるからだ。我々が考えなければならないのは、近代医療や熱帯医療 の成り立ちを、帝国医療や植民地医療という分析的想像力を介して検討することである。そうすることで、近代医療や熱帯医療が、科学者や行政官としての医療 者たちの英雄的努力によって構築されてきたという史観の影響力を中和し、宗主国内部における衛生政策を通しての国民主体の構築、植民地の統治対象としての 帝国臣民の形成、医療と人種主義の関係などに光が当てられるかも知れない。もちろん、帝国医療というものは修辞なのであるから、この分析概念は民衆史観や 抵抗理論と同様に、帝国という抑圧者モデルをより単純化し、モデル化によって生じた被害者の主体をより悲劇的かつ英雄的に描くという別のかたちの対抗神話 を生産することに荷担するかも知れない。
帝国医療を研究する人類学にはどのような課題があるだろうか。私の提案はこうである。帝国医療に押しつけられてきたこれまでの修辞上の戦略を熟知し、そ れに対してアイロニカルな視点をとること。その視点をもちフィールドデータを使って別のタイプの帝国医療像を提示してゆくこと。これである。本稿では、そ の前哨戦として帝国医療を支配している3つの隠喩を列挙して(それらを強調することで逆に)帝国医療概念の人類学的相対化への糸口を提示してみたい。3つ の隠喩とは、すなわち(i)帝国医療は権力である、(ii)帝国医療は技術である、(iii)帝国医療は思想である、という一連の表現である。
(i)帝国医療は権力である
帝国医療は西洋近代医療として把握される。中国における政治形態が長年にわたって帝国であったとしても、中国医療は帝国医療として見 なされることはない。非西洋医療は、近代医療とは比較考量の対象にはならないものとして、医療のカテゴリーからは排除されてきた。西洋医療は唯一独自な医 療。鉄壁の論理、首尾一貫した体系をもち、そしてきわめて実証的な医療である。このイメージを我々の骨の髄まで植え付けるもの。それは治療の確実性とその 科学的な説明であり、近代科学の権力そのものである。近代国家は、国民教育、高等科学の振興、科学的成果の社会的利用を推し進めてきた。近代科学の有効性 を疑問視する批判的な研究者においてすら、近代科学がおしなべて常に権力の中心から定義される事実を否定しない。
医療人類学が、近代医療を相対化する最初の視点は(伝統医療を含む)民族医療の発見である。だが民族医療における医療概念のモデルは、近代医療をもとに 抽出された要素からなりたっている。すなわち、病者と治療者のセット、治療的出会いという状況設定、病因論体系の共有、そして治療技術の存在。民族医療も このモデルにそって描かれ、近代医療との対比の中で理解される。しかし、これは民族医療概念が人類学パラダイムに登場した時期において、何を「医療」とい うものを根本的に構成するのかという検討の中で、近代医療の要素に対応して構築されてきたものである[池田 2002:245]。
したがって医療とは近代医療のことに他ならない。医療は社会制御のための重要な手段である。このことを誰も疑うことがなくなった時、まさに帝国医療はキ リスト教の宣教師とともに海外をわたり、植民地行政の衛生政策の中心理念となり、熱帯病研究者が猖獗の地で科学研究に従事することになる。
帝国医療は権力そのものであるという修辞をさらに採集したいのであれば、それは権力批判としての帝国主義研究を繙けばよい。そのような議論の中には、近 代医療批判、反医学言説、マルクス主義的近代批判と同じように、帝国主義諸政策が、あたかも首尾一貫した一枚岩の体系から引き出されているかのようなヴィ ジョンが連ねられている。帝国医療の実態が、個々の部分は相互に引き合ったり反発しながらも、一定の方向に転回した非定型な集合体であると、我々が理解で きるのはまだ随分先のことのようだ。
(ii)帝国医療は技術である
これらの修辞を正当化する際の源泉になるのは近代医療の科学としての側面が強調される時である。社会から自律した知的実践活動とみな されている「医療」に対する、人類学の研究対象としての関心は、徹頭徹尾これが権力やイデオロギーから自由であるという幻想からうまれている。薬草はそれ を利用する社会的文脈から切り離され、最後は薬理学的な成分や遺伝子に究極因が求められる。シャーマンや呪術師や産婆は、心理療法、民間薬剤師、伝統的出 産介助者といった西洋近代医療で了解可能な職能カテゴリーの中に配列される。霊能者があたかも悪霊と戦い、良霊を操作できるかのように、霊能力という技術 は操作可能で、外在化し、価値的に中立なものでなければならない。能力の操作者は対象や実践の内容とは無関係に善なる存在でなければならない。そういう前 提を満たして、技術の「有効性」に関する言説が、技術の神話を決定づける。
技術をイデオロギーから中立したものとして見なす、この種の神話は屈強である。そこでは外科手術技法や整形外科手法が軍陣医学から生まれたこと、救急医 療体制が野戦病院管理のシステムから生まれてきたことを忘却する。むしろ、技術者としての医療者を中立的なゲームの論理に巻き込むために、技術のイデオロ ギー中立性はきわめて有効性に働く。しかし、社会現象である国際医療援助協力は、災害時の緊急医療援助においても、このような理念が無条件に働くわけでは なく、むしろ実際にはさまざまな政治力学の産物であると言ってよい。
医療は内的な論理的一貫性よりも、時代や社会状況の中で機能を変化させてゆくダイナミックな社会構成体の一部分となる。つまり医療技術を社会現象から切 り離すことの難しさが現実の諸側面を直面すればするほど浮かび上がるのである。そのため医療の実践は、M.フーコーのいう統治性 (governmentality)の問題系の中で考えたほうがよいという期待が登場する[フーコー 2000]。その時、医療はひとつの思想となるのだ。
(iii)帝国医療は思想である
統治性は洗練された権力の技法に関わる。この観点からみると帝国医療はいかにも古典的抑圧権力として理解しやすい。宗主国本国では権 力行使のタイプが生産的な規律訓練のものに変化しているにも関わらず、植民地では相変わらず抑圧的権力が跳梁跋扈する[Vaughan 1991]。この矛盾を調停するのが、内部には均質な同質集団(例、国民)、外部には「社会の敵」を案出するという作業である。植民地統治すなわち帝国医 療には人種主義思想は欠かせない。
思想としての帝国医療は、宗主国内部おいては国民の啓蒙教化を通して実現されるが、植民地においては、帝国臣民の構築と同時に、(個的・集合的)身体へ の医療的介入を通して実現することができる。思想の価値が、実施する場所において変化するのは、近代人にとっては大いなる疑念を疑わせる根拠になる。それ をカモフラージュするのが「危機」の思想である。もちろん当事者たちは、差異の問題をより普遍的な危機の問題がそれを乗り越えさせたと信じている。
帝国医療のポストコロニアル・ヴァージョンである国際医療援助協力は、しばしば、医療の必要性を瀕死に陥った患者の前にいる医療者として喩えるが、これ は帝国医療以来のパターンを踏襲している(国際共産主義運動も類似の隠喩に訴える)。この比喩には、すでに幾つかの暗黙の前提がある。それは、医療者は、 患者を救済しなければならない、救済できる能力がある、その能力を無条件に開放すべきである、という3つの前提である。そして、理想的な傷病患者の平癒、 死亡率の低下、衛生知識の向上など、具体的身体への介入を通して帝国医療の思想は結実すると考えられてきた。未完
この文章は「帝国医療の予感――その修辞上の戦略――」(2003)の一部です。
◆ 帝国と医療