監視と処罰:監獄の誕生
Surveiller et punir : naissance de la prison, Michel Foucault, 1975
Presidio modelo, National Penitentiary Cuba, Isle of Pines (left); Illinois State Penitentiary at Stateville, ner Joliet, Illinosis (right)
Mao by Andy Warhol ( Series #90-99) from Guy Hepner, left; Modern scenery of a Chinese town in image, right
《処罰の定義》処罰——あるいは刑罰——とは、公的権威によって課せられた害であり、その権威によって、法に
違反すると判決される作為または不作為をした者にたいして、人びとの意志がよりよく服従へと向かうようにとの目的で課せられるのである。
(トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』水田・田中訳、p.204、1966年);A
punishment is an evil inflicted by public authority on him that hath
done or omitted that which is judged by the same authority to be a
transgression of the law, to the end that the will of men may thereby
the better be disposed to obedience. - Chapter XXVIII: Of
Punishments and Rewards, Leviathan/The
Second Part, Wikisource.
ミッシェル・フーコー『監視と処罰:監獄の誕生』(邦訳名『監獄の誕生』)Surveiller et punir, naissance
de la prison (Paris: Gallimard, February 1975).についての解説です。
章立て
【書誌情報】
さかさまになったホイッグ党史——「自由ならざるもの」の隆盛についての心ならずものの歴史
【キーワード】「装置(ディスポジティフ)」「メカニズム」「テクノロジー」「微小権力」「規律」「規律訓練(訓育)」「基盤状配置(カド リヤージュ)」「従順な身体」「一望監視(パノプティック)」「非行者(デランカン)」「監獄行政」「安全(セキュリティ)」「解剖政治(アナトモポリ ティック)」「生政治(ビオポリテイック)」(→バイオポリティクス)
【時間概念】古典主義時代(17-18世紀:アンシャン・レジームの時代)/近代時代(フランス革命、ナポレオン・ボナパルト以降)
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テキスト:授業用の資料なのでともにパスワードがかけています。
フランス語:Foucault_Michel_Surveiller_et_Punir_Naissance_de_la_Prison_2004.pdf (download with password)
日本語:(4分割版)
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第1章 受刑者の身体 [は じめにもどる]
懲罰のエコノミーで再配分される(p.12)
身体刑の消失(p.13)
身体刑の消失期:19世紀初頭(p.19)
権利—(自由)—財産 (p.16)
犯罪それ自体を裁くのでなく、犯罪の枠組(含意?)を裁く(p.22)
犯罪ではなく、犯罪を犯した精神(性)を裁く(p.23)
アノマリーの定義への要請(p.22)
分析的理性を応用せしめる(cf. p.24)
テーゼ類の提示(pp.27-8)
学問的メタファーの多様:このレトリックに注意せよ!
身体についての政治的な技術論(p.28)
身体についての一種の経済学(p.29)
権力の微視的物理学(p.30−)
アンチ・オイデプス(→p.28)
具体的な刑罰制度を研究せよ(p.28)
(新しい)権力についてのテーゼ(p.31)
権力=知のアイディア
権力は何らかの知(識)を生み出す(p.31)
権力と知は不可分なつながりをもつ(p.32)
<最小限の権力>を記号体系化する(p.33)
第2章 身体刑の華々しさ [は じめにもどる]
告白と懺悔、とくにカトリックの伝統における
フーコーとカトリック思想
告白を通しての主体形成:
身体刑における自白の様式(前期フーコー)
語りを通しての主体形成・自己のテクノロジー(後期フーコー)
古典主義時代における自白
刑罰に回収される拷問(p.46)
拷問は処罰における初期の行為(p.46)
恐怖の時間的考量、JAL123便の遺族における
身体機能のコード化/生命の質を量として考量する思想とは何か?
権力の権威とさかしまの世界は共存できる!(p.63)
民衆の暴発(pp.65-)
民衆の暴発はなぜ罪人には向かわず、処刑人に向かうのか?
なぜ、大衆は供犠たる罪人に熱狂しないのか?
<死刑囚の断末魔語録>という大衆の恐怖の消費形式(p.68)
プロファイルの対象になる人間は、なぜ拷問好きなのか?
快楽殺人になぜ虐待・拷問が伴うのか?
殺害まで犠牲者に恐怖を味あわせる嗜好は、性的欲望の領域に属することなのか?
第2部 処罰
第1章 一般化される処罰 [はじめにもどる]
身体刑の廃止を要請する人々の要求(p.77)
犯罪は荒々しさを失い、刑罰は烈しさを増す(p.79)
放浪罪(p.80)
懲罰権のエコノミー(p.83)
「刑罰制度を、すべての違法行為を排除するための、ではまったくなく、違法行為を差異に留意しつつ管 理するための装置として把握しなければならない」(p.92)
テクノ=ポリティック(p.94)
セミオ=テクニック(p.96)
犯罪の2つの客観化=客体化:(1)万人の敵=非市民=異常=治療対象化、(2)介入戦術=犯罪防止 の場の組織化=利害関心の計算、確実かつ真実性の地平の確立。(pp.103-4)
第2章 刑罰のおだやかさ [はじめにもどる]
身体刑から拘禁へ
その推移は、身体刑のように暴力を身体に刻印する(ないしはその帰結としての死)観念を植え付け るのではなく、刑罰一般の抽象概念の内面化あるいは身体ハビトゥス化を目論む?ということなのか? 不勉強にしてこの程度の理解しかできない。
服従する身体(p.131)
強制権 coercion(p.131)
18世紀末の処罰権力を組織化する3つの方法(p.133)
1.君主権
2.改革的な法学者による新しい法主体の確立
3.監獄制度:個人に対する強制権の技術としての処罰
第3部 規律・訓練
第1章 従順な身体 [は じめにもどる]
兵士の理想像(p.141)
ラ・メトリー『人間機械論』の二重性(pp.142-)
「身体組織が値打であり、しかも第一の値打であり、これがすべて他のものの源泉であるとすれば、訓育
は第二の値打である。どんなによくできている脳でも、この訓育を行わなければ、水の泡である。交際社会の試練を待たなければ、どんなによくできた人間で
も、土百姓同然ではある」。ラ・メトリ(岩波文庫、杉訳・71ページ)
1.解剖学=形而上学の領域:デカルト
2.技術=政治(テクノ=ポリティック):軍隊・学校・施療院(=近代以前の病院)の諸規則や身 体の統制や矯正の方法
権力の力学=政治解剖学(p.143)
規律・訓練(discipline)p.143
服従がうまれる/強制権が可能になる(p.144)
権力の新たな微視的物理学(p.144)
合理的組織化(racionalization),p.145
■ 配分の技術(p.147)
1.閉鎖の特定化(p.147)
2.閉鎖の特定化を通して、空間を再構成する(p.148)
3.機能的な位置決定が(施設の中で)記号体系化する(p.149)
4.基本要素は相互に置き換え可能である:クラス分けは規律訓練の計画と目標にとっては便宜 的恣意的なもので、その本質的な類別ではない、ということか?(p.150)
タブロー(表)の構成/権力の技術/知の手段(p.153)
■ 活動の取り締まり(p.154-)
1.時間割(p.154)
2.時間面での行為の磨きあげ(p.155)
3.身体と身振りの相関化(p.156)
アナトモ=クロノジック(p.156)
4.身体=客体の有機的配置(p.157)
5.尽きざる活用(p.157)
■ 段階的形成の編成(p.160)
■ さまざまな力の組み立て(p.165)
「規律・訓練はもはや単に、さまざまの身体を配分し、そこから時間を抽出し累積する技術にと どまるのではなく、さまざまの力を組立てて有用な仕組を獲得する技術となった」(p.166)
1.ひとつの身体は他の身体に連結しうるひとつの要素になる(p.166)
2.部品になっているのは、複合的時間を形成する時間上の系列である(p.167)
3.注意深く計算された組合せは精確な命令組織を必要とする(p.168)
政治〜(戦略)〜戦争 vs. 軍隊〜(戦術)〜政治 (p.170)
軍隊〜(戦術)〜政治 =? 政治〜(戦略)〜戦争 |
ルソーの社会契約論批判 (p.171)
第2章 良き訓育の手段 [はじめにもどる]
■ 階層秩序的な監視(p.175)
■ 規格化をおこなう制裁(p.181)
1.儀式化(p.181)と処罰(p.182)
2.処罰の対象は逸脱一般である(p.183)
3.処罰の機能は矯正感化である(p.183)
4.処罰は恩恵=制裁の二重態勢の要素である(p.184)
5.序列における個々人の配分には、逸脱を明示し階層化の中に位置付け、懲罰を加えるか褒美を与 えるという二重の役割が含まれる(p.185)
■ 試験(p.188)
試験:知と権力の合致形態の最たるもの?(p.188)
1.可視性の逆転:試験は本来能力を顕示させるものであるが、規律訓練の権力は、そのことを通し て(=その権力を行使を通して)自らを不可視なものとし、評定されるべき個々人をより顕示させる方向へ働く(p.190)
2.試験は個人を記録文書の対象とする(p.192)
3.試験は記録作成の技術を通して個人をひとつの事例に仕立て上げる(p.194)
第3章 一望監視方式 [は じめにもどる]
癩(古典主義時代)とペストの社会統制の様式の違い(p.198)
ベンサムのパノプティコン(p.202)
ベンサムのパノプティコン(p.202)
権力の自動化/没個性化(p.204)
監視する人のモードも形成(p.206)
規律訓練の2つのイメージ(p.210)
1.封鎖
2.権力の行使をより快適に効率よく(パノプティコン:「巧妙な強制権」p.210)
規律訓練の制度の拡張が生み出した効果(p.211)
1.機能面の逆転(p.211)
2.分散移転(p.212)
3.国家管理(p.213)
規律訓練の社会のテーゼ(pp.218-)
1.「規律・訓練は人間の多様性の秩序化を確保す るための技術である」(p.218)
【権力=知の誕生】
権力を行使する者の華々しい輝きで明示される権力のかわりに、権力が適用される相手の狡 い仕方で客体化する権力で対処するのであり、君主制の豪奢な表徴を誇示するよりもむしろ、権力が適用される相手に関する知を形づくるのである (p.220)。
2.「権力の一望監視的な様式は……ある社会の法律=政治的な大構造の無媒介的な従属下にあるわ けでも、その大構造の直接的な延長の中にあるわけでもない。といってもしかし完全に独立してはいない」(p.221)
3.パノプティコンという方式の大多数は、その背後に長い歴史をもつ(p.224)
第四部 監獄
第1章 「完全で厳格な制度」 [はじめにもどる]
18世紀から19世紀の転換期
監獄の計算合理性(p.232)
「完全で厳格な制度」バルタール(p.235)
法律違反者と非行者=在監者=犯罪者という主体の成立(pp.248-)
生活史の把握(p.249)
非行ないし非行者、あるいは非行性(p.252)
第2章 違法行為と非行性 [はじめにもどる]
身体刑から監獄刑への移行
身体刑にともなう受刑者の行進(p.259)
護送車の叙述(p.262)
拘禁が再犯を生み出す(p.264)。その理由は、非行者という新たな主体を創出するからだ。非 行者は司法によって定義される法律違反者ではなく、監獄の制度が作り出す、司法の外部にあるシステムが生み出す非−司法的カテゴリーである。
犯罪の再生産性(p.265)
我々は監獄における制度の失敗を長きに渡って認めてこなかった(p.267)。[例としての 1974年7月のフランス各地でおこった囚人の暴動]
行刑についての普遍的な7つの準則(pp.267-)
1.拘禁は個人の行動変容を機能とする
2.刑罰は、被拘禁者の刑罰の軽重のみならず、その人間の性格やふさわしい矯正技術にした がって決めるべし
3.刑罰と刑期は、拘禁後の変化——主に進歩や堕落の軸に配列される——にしたがって変更さ れるべし
4.労働は被拘禁者の変容と社会化をうむべし
5.被拘禁者への教育は公権力にとって不可欠な配慮であり、被拘禁者の義務である
6.監獄組織には、管理や教育における専門家が管理監督に(全部ではなくとも少なくとも一部 は)関与すべし
7.拘禁が終了後も、元被拘禁者には取り締まりと保護が必要である。その理由は彼/彼女らの 再適応がもとめられるから
社会防衛の時代(19世紀末)
法律上の自由の剥奪と「同時に」おこる4つの制度のアンサンブル(p.269)
a.監獄の規律訓練的な<補足部分>:超権力
b.客体性・技術・行刑上の<合理性>
c.監獄が犯罪性を(目的とは逆に)強化すること
d.規律訓練の働きを強化する諸<改革>
「刑罰制度はただ単純に違法行為を<抑制する>わけではなく、それらを<差異化し>、それでもっ て一般的な<経済策>を確保しようとする」(p.271)[→バタイユ]
1780年から1848年革命における三つの過程(pp.271-3)
1.民衆的な違法行為の政治的規模での展開
a.各種の局所的な違法行為の政治的統合化
b.ある種の政治運動は、既存の違法行為の形式をよりどころにする
2.不正の代表者と闘うのではなく、法制度そのものと闘う(p.272)
3.法の新しいシステムが、犯罪そのものが増加させた
民衆的違法行為の三重の一般化(p.273)
(i)一般的な政治地平への行為の組み込み
(ii)社会平等の場での輪郭の規定
(iii)法律違反の形式の水準のつながり
法律違反者ではなく非行者の産出という仮説(p.275)
流刑者の状況(p.276)
「役立つ非行」(p.277)
第3章 監禁的なるもの [はじめにもどる]
メトレーの少年施設の開設(1840年1月22日)(p.294)
表象の問題::「なぜメトレー施設なのか。なぜならそれは規律・訓練の最も強度な状態におけ る形態であり、人間の行動に関する強制権中心のすべての技術論が集約される見本であるのだから。そこには「僧院・監獄・学校・連隊などのそれぞれの要素」 が存在している」(p.294)。
科学の関与(p.296)
監禁群島においては、行刑技術を社会全体に押し広げている
1.法律違反(=犯罪)と非行の間の曖昧な領域侵犯(p.299)
古典主義時代には、これらには区分があった
2.拘禁という領域において規律・訓練のシステムが貫徹する(p.300)
古典主義時代には、権力から自由になるアウトローの領域が確かに存在した
監禁システムの一般化は、そのような外部性を消失させた(→p.301)
3.拘禁制度により処罰権がよりスムースに施行されるようになる
司法:法律的領域、規律訓練:法律外領域の2つの領域が相互に活動する
4.「権力の基本的なる監禁制度は、権力のこうした新しい経済策でもって新しい<法律>形式 を、すなわち合法性と自然との、規則命令と組織構成との1つの折衷であるノルムを強調してきた」(p.303)
5.社会の監禁網は、身体の現実的支配と観察をおこなう。(p.304)
その運用原理:権力のエコノミー
6.監獄(=システム)の保守性/頑強さ(p.305)
監禁都市=パリについてのラ・ファランジュの記事(p.306)
最後の文言はレジスタンス理論を示唆するか?
「この[監禁都市]び中心部の、し かも中心部に集められた人々こそは複合的な権力諸関係の結果および道具であり、多様な<監禁>装置によって強制服従せしめられた身体ならびに力であり、こ うした戦略それじたいに構成要素たる言語表現にとっての客体なのであって、こうした人々のなかに闘いのとどろきを聞かねばならない」 (pp.307-8)
この最後の文書の脚注はつぎのごとくカッコイイ!ものである。
「ここでこの書物を中断する。近代 社会における規格化の権力ならびに知の形成にかんする各種の研究にとって、この書物は歴史的背景として役立つはずである」(p.308)
■ UCBでのフーコーの肉声を聞く:
Michel Foucault - The Culture of the Self,
First Lecture, April 12, 1983
■ 簡単な著作目録
■番外編
ブルース・シュナイアー(Bruce Schneier)『超 監視社会:私たちのデータはどこまで見られているか』池村千秋(いけむら・ちあき)訳、草思社、2016 年/Schneier, Bruce, 2016. Data and Goliath : the hidden battles to collect your data and control your world. W.W. Norton & Company.
第1部 私たちの超監視社会
第1章 情報化時代の「排ガス」
第2章 監視されるデータ
第3章 分析されるデータ
第4章 監視ビジネス
第5章 国家の監視と統制
第6章 官民監視パートナーシップ
第2部 なにが脅かされるのか?
第7章 政治的自由と正義
第8章 公平で平等なビジネス
第9章 企業の競争力
第10章 プライバシー
第11章 安全
第3部 超監視社会への対抗策
第12章 原則
第13章 国家に関する提案
第14章 企業に関する提案
第15章 私たちができること
第16章 新しい社会規範
■練習問題
1.フーコーの時代には存在しなかった「デジタル・
パノプティコン」というものを定義し、その具体的な働きについて考察しなさい。
リンク
文献
その他の情報
■ローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig, 1961- )
"In computer science, "code" typically refers to the text of a computer program (the source code). In law, "code" can refer to the texts that constitute statutory law. In his 1999 book Code and Other Laws of Cyberspace, Lessig explores the ways in which code in both senses can be instruments for social control, leading to his dictum that "Code is law." Lessig later updated his work in order to keep up with the prevailing views of the time and released the book as Code: Version 2.0 in December 2006." - Lawrence Lessig
■サイバー監視やアーカイブ統治術(Cyber- Monitoring, Cyber-vigilance, archival governmentality, cyber-archive governmentality)→「情報リテラシー論」を参照に!
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
日本の拘置所(小菅)