監視と処罰:監獄の誕生
Surveiller et punir : naissance de la prison, Michel Foucault, 1975
Presidio modelo, National Penitentiary Cuba, Isle of Pines (left); Illinois State Penitentiary at Stateville, ner Joliet, Illinosis (right)
Mao by Andy Warhol ( Series #90-99) from Guy Hepner, left; Modern scenery of a Chinese town in image, right
《処罰の定義》処罰——あるいは刑罰——とは、公的権威に
よって課せられた害であり、その権威によって、法に
違反すると判決される作為または不作為をした者にたいして、人びとの意志がよりよく服従へと向かうようにとの目的で課せられるのである。
(トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』水田・田中訳、p.204、1966年);A
punishment is an evil inflicted by public authority on him that hath
done or omitted that which is judged by the same authority to be a
transgression of the law, to the end that the will of men may thereby
the better be disposed to obedience. - Chapter XXVIII: Of
Punishments and Rewards, Leviathan/The
Second Part, Wikisource.
ミッシェル・フーコー『監視と処罰:監獄の誕生』(邦訳名『監獄の誕生』)Surveiller
et punir, naissance
de la prison (Paris: Gallimard, February 1975).についての解説です。
章立て
【書誌情報】
さかさまになったホイッグ党史——「自由ならざるもの」の隆盛についての心ならずものの歴史
【キーワード】「装置(ディスポジティフ)」「メカニズム」「テクノロジー」「微小権力」「規律」「規律訓練(訓育)」「基盤状配置(カド リヤージュ)」「従順な身体」「一望監視(パノプティック)」「非行者(デランカン)」「監獄行政」「安全(セキュリティ)」「解剖政治(アナトモポリ ティック)」「生政治(ビオポリテイック)」(→バイオポリティクス)
【時間概念】古典主義時代(17-18世紀:アンシャン・レジームの時代)/近代時代(フランス革命、ナポレオン・ボナパルト以降)
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テキスト:授業用の資料なのでともにパスワードがかけています。
フランス語:Foucault_Michel_Surveiller_et_Punir_Naissance_de_la_Prison_2004.pdf (download with password)
日本語:(4分割版)
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第1部 身体刑 SUPPLICE
I. 拷問 (Surveiller et
punir より) この本は、1757年に国王ルイ15世の暗殺を企てた罪で公衆の面前で四つ裂きにされたロベール=フランソワ・ダミアンの試練についての長い記述で始ま る。その75年後に書かれたパリの若い受刑者のための刑務所の規則と並行して、受刑者の生き方を細かく規制している。この2つの出来事は、18世紀にヨー ロッパが経験した「刑罰の経済」の進化を物語っている。 この時期は、「懲罰的光景の消去」のプロセスによって特徴づけられ、儀式は視界から隠されることによって後回しにされた。人々の心の中では、刑罰の暴力性 よりも刑罰の確実性が優先された[9]。以前は、刑罰の公的な性質と刑の象徴的な性質(パリサイダーには拳が切り落とされ、冒涜者には舌が突き刺される) が、犯罪に直面する王室の権力を示していたが、権力は、目に見える刑罰の不在によって異議を唱えられることがないことに気づいたとき、自らの権力を発見し た。さらに言えば、こうした人々が罰を受ける側を支持するとき、危険な存在になりうるのだ。このようにして、「刑罰は耐え難い感覚の芸術から、停止された 権利の経済へと進化した」[10]。 このプロセスは、矯正的正義の考えを強化することにつながる。現代の処刑儀式は、死刑執行人が医師、心理学者、チャプレンなどに取って代わられ、その役割 は殺害計画を相殺することであることを示している[11]。世紀末には、正義はより公平で平等なものとなることが意図され、受刑者の社会的地位はもはや処 刑方法に影響を及ぼさなくなった。それゆえ、1791年のフランス刑法第3条は、「死刑を宣告された者は、その首を切り落とす」と定めている。裁判官は責 任能力を判断するだけでなく、犯罪が社会規範に合致しているかどうかも判断するため、犯罪と刑罰の変遷が説明できる[12]。 著者は、このプロセスは直線的なものではなかったと主張する。特にイングランドは抵抗が強かった。フランスとプロイセンが先行していたが、反革命の時期に は古い刑罰に回帰した。ギロチンはもともと「合法的な死の新しい倫理」を生み出すためのものであったが、テ ロールはそれをたちまち「偉大な演劇的儀式」へと変えてしまった[13]。 フーコーはミクロ物理学の概念を使って権力を説明している。権力は所有物ではなく「戦略」であり、その支配の効果はこのように気質であり、戦術であり、技 術である。権力とは、「人が持つかもしれない特権ではなく、常に緊張し、常に能動的な関係のネットワーク」である。したがって、それは「支配階級の獲得し た特権や維持された特権ではなく、その戦略的地位の全体的な効果」である[14]。 |
第1章 受刑者の身体 [は じめにもどる]
懲罰のエコノミーで再配分される(p.12)
身体刑の消失(p.13)
身体刑の消失期:19世紀初頭(p.19)
権利—(自由)—財産 (p.16)
犯罪それ自体を裁くのでなく、犯罪の枠組(含意?)を裁く(p.22)
犯罪ではなく、犯罪を犯した精神(性)を裁く(p.23)
アノマリーの定義への要請(p.22)
分析的理性を応用せしめる(cf. p.24)
テーゼ類の提示(pp.27-8)
学問的メタファーの多様:このレトリックに注意せよ!
身体についての政治的な技術論(p.28)
身体についての一種の経済学(p.29)
権力の微視的物理学(p.30−)
アンチ・オイデプス(→p.28)
具体的な刑罰制度を研究せよ(p.28)
(新しい)権力についてのテーゼ(p.31)
権力=知のアイディア
権力は何らかの知(識)を生み出す(p.31)
権力と知は不可分なつながりをもつ(p.32)
<最小限の権力>を記号体系化する(p.33)
第2章 身体刑の華々しさ [は じめにもどる]
告白と懺悔、とくにカトリックの伝統における
フーコーとカトリック思想
告白を通しての主体形成:
身体刑における自白の様式(前期フーコー)
語りを通しての主体形成・自己のテクノロジー(後期フーコー)
古典主義時代における自白
刑罰に回収される拷問(p.46)
拷問は処罰における初期の行為(p.46)
恐怖の時間的考量、JAL123便の遺族における
身体機能のコード化/生命の質を量として考量する思想とは何か?
権力の権威とさかしまの世界は共存できる!(p.63)
民衆の暴発(pp.65-)
民衆の暴発はなぜ罪人には向かわず、処刑人に向かうのか?
なぜ、大衆は供犠たる罪人に熱狂しないのか?
<死刑囚の断末魔語録>という大衆の恐怖の消費形式(p.68)
プロファイルの対象になる人間は、なぜ拷問好きなのか?
快楽殺人になぜ虐待・拷問が伴うのか?
殺害まで犠牲者に恐怖を味あわせる嗜好は、性的欲望の領域に属することなのか?
★第2部 処罰
II. 処罰 (Surveiller et
punir より) 今後、無法者は単に自由を奪われるだけである。しかしこれは、罪人が地下牢や流刑地の底に閉じ込められるという意味ではない。むしろ、牢番や彼が体現する 権威が鞭打ちなどによって直接的に姿を現すことなく、捕虜を強制することができる新しい牢獄建築の背後に権力が消えていくのである。 パノプティコンはジェレミー・ベンサムの夢だった。現在、刑務所は円形のプランで建てられており、中央の塔にいる看守は、囚人のシルエットが中庭を見下ろ す別の窓から外の窓の光に照らされて浮かび上がっているのを、見られることなく観察することができる。 このような建築であれば、監視されているという感覚だけで囚人たちの服従を引き出すことができるため、警備員の必要性を完全に排除することができる。つま り、近代的な刑務所は、経済的な観点からは安価であるだけでなく、何よりもまず、全権的な視線を通して個人の良心に働きかける、罪の意識を植え付ける事業 なのである。 こうして刑務所は懲罰的な機能から「正常化」的な機能へと移行し、肉体を通じて更生を意図する受刑者の「魂」を間接的に標的にする[15]。フーコーによ れば、権力はもはや個人の知識との関係なしには考えられないのである。啓蒙主義から受け継がれた理想である人類の「解放」に貢献するどころか、現代社会は ますます組織化された監視に近づいている。 |
第1章 一般化される処罰 [はじめにもどる]
身体刑の廃止を要請する人々の要求(p.77)
犯罪は荒々しさを失い、刑罰は烈しさを増す(p.79)
放浪罪(p.80)
懲罰権のエコノミー(p.83)
「刑罰制度を、すべての違法行為を排除するための、ではまったくなく、違法行為を差異に留意しつつ管 理するための装置として把握しなければならない」(p.92)
テクノ=ポリティック(p.94)
セミオ=テクニック(p.96)
犯罪の2つの客観化=客体化:(1)万人の敵=非市民=異常=治療対象化、(2)介入戦術=犯罪防止 の場の組織化=利害関心の計算、確実かつ真実性の地平の確立。(pp.103-4)
第2章 刑罰のおだやかさ [はじめにもどる]
身体刑から拘禁へ
その推移は、身体刑のように暴力を身体に刻印する(ないしはその帰結としての死)観念を植え付け るのではなく、刑罰一般の抽象概念の内面化あるいは身体ハビトゥス化を目論む?ということなのか? 不勉強にしてこの程度の理解しかできない。
服従する身体(p.131)
強制権 coercion(p.131)
18世紀末の処罰権力を組織化する3つの方法(p.133)
1.君主権
2.改革的な法学者による新しい法主体の確立
3.監獄制度:個人に対する強制権の技術としての処罰
★第3部 規律・訓練
III. 規律 (Surveiller et
punir より) 現代の刑務所は会計の世界でもある。刑務所は数字を作り、表を作り、独房は紙に描かれた箱であり、囚人が見える部屋でもある。囚人同士を隔てる壁は十分に 堅固で、昨日まで処罰される犯罪者を厳しく管理することを不可能にしていた、あらゆる些細な密売に終止符を打つ。 この刑務所システムの導入は、いくつかの結果をもたらす。第一に、非行という現代的な犯罪形態が出現したことである。この犯罪形態は、すでに知られ、登録 され、当局によって捜査されている個人によって犯されるという点で、旧来の犯罪形態よりも好ましい。したがって、(メトレーの刑務所コロニーに送られた者 のように)それほど深刻な再犯を犯す可能性は低い。 しかし、この制度は本質的な逆転をも明らかにしている。拷問の目的が、当局ができるだけ多くの人々の目に触れるようにすることであったのに対し、パノプ ティシズムでは、問題は逆になる。最大数を最小数に見えるようにするにはどうすればいいのか。 このようにしてフーコーは、ペスト発生時の監視をモデルに、警察と住民監視の必要性の問題を導入する。社会悪は疫病をモデルとして構想される。 |
第3部 規律・訓練
第1章 従順な身体 [は じめにもどる]
兵士の理想像(p.141)
ラ・メトリー『人間機械論』の二重性(pp.142-)
「身体組織が値打であり、しかも第一の値打であり、これがすべて他のものの源泉であるとすれば、訓育
は第二の値打である。どんなによくできている脳でも、この訓育を行わなければ、水の泡である。交際社会の試練を待たなければ、どんなによくできた人間で
も、土百姓同然ではある」。ラ・メトリ(岩波文庫、杉訳・71ページ)
1.解剖学=形而上学の領域:デカルト
2.技術=政治(テクノ=ポリティック):軍隊・学校・施療院(=近代以前の病院)の諸規則や身 体の統制や矯正の方法
権力の力学=政治解剖学(p.143)
規律・訓練(discipline)p.143
服従がうまれる/強制権が可能になる(p.144)
権力の新たな微視的物理学(p.144)
合理的組織化(racionalization),p.145
■ 配分の技術(p.147)
1.閉鎖の特定化(p.147)
2.閉鎖の特定化を通して、空間を再構成する(p.148)
3.機能的な位置決定が(施設の中で)記号体系化する(p.149)
4.基本要素は相互に置き換え可能である:クラス分けは規律訓練の計画と目標にとっては便宜 的恣意的なもので、その本質的な類別ではない、ということか?(p.150)
タブロー(表)の構成/権力の技術/知の手段(p.153)
■ 活動の取り締まり(p.154-)
1.時間割(p.154)
2.時間面での行為の磨きあげ(p.155)
3.身体と身振りの相関化(p.156)
アナトモ=クロノジック(p.156)
4.身体=客体の有機的配置(p.157)
5.尽きざる活用(p.157)
■ 段階的形成の編成(p.160)
■ さまざまな力の組み立て(p.165)
「規律・訓練はもはや単に、さまざまの身体を配分し、そこから時間を抽出し累積する技術にと どまるのではなく、さまざまの力を組立てて有用な仕組を獲得する技術となった」(p.166)
1.ひとつの身体は他の身体に連結しうるひとつの要素になる(p.166)
2.部品になっているのは、複合的時間を形成する時間上の系列である(p.167)
3.注意深く計算された組合せは精確な命令組織を必要とする(p.168)
政治〜(戦略)〜戦争 vs. 軍隊〜(戦術)〜政治 (p.170)
軍隊〜(戦術)〜政治 =? 政治〜(戦略)〜戦争 |
ルソーの社会契約論批判 (p.171)
第2章 良き訓育の手段 [はじめにもどる]
■ 階層秩序的な監視(p.175)
■ 規格化をおこなう制裁(p.181)
1.儀式化(p.181)と処罰(p.182)
2.処罰の対象は逸脱一般である(p.183)
3.処罰の機能は矯正感化である(p.183)
4.処罰は恩恵=制裁の二重態勢の要素である(p.184)
5.序列における個々人の配分には、逸脱を明示し階層化の中に位置付け、懲罰を加えるか褒美を与 えるという二重の役割が含まれる(p.185)
■ 試験(p.188)
試験:知と権力の合致形態の最たるもの?(p.188)
1.可視性の逆転:試験は本来能力を顕示させるものであるが、規律訓練の権力は、そのことを通し て(=その権力を行使を通して)自らを不可視なものとし、評定されるべき個々人をより顕示させる方向へ働く(p.190)
2.試験は個人を記録文書の対象とする(p.192)
3.試験は記録作成の技術を通して個人をひとつの事例に仕立て上げる(p.194)
第3章 一望監視方式 [は じめにもどる]
癩(古典主義時代)とペストの社会統制の様式の違い(p.198)
ベンサムのパノプティコン(p.202)
ベンサムのパノプティコン(p.202)
権力の自動化/没個性化(p.204)
監視する人のモードも形成(p.206)
規律訓練の2つのイメージ(p.210)
1.封鎖
2.権力の行使をより快適に効率よく(パノプティコン:「巧妙な強制権」p.210)
規律訓練の制度の拡張が生み出した効果(p.211)
1.機能面の逆転(p.211)
2.分散移転(p.212)
3.国家管理(p.213)
規律訓練の社会のテーゼ(pp.218-)
1.「規律・訓練は人間の多様性の秩序化を確保す るための技術である」(p.218)
【権力=知の誕生】
権力を行使する者の華々しい輝きで明示される権力のかわりに、権力が適用される相手の狡 い仕方で客体化する権力で対処するのであり、君主制の豪奢な表徴を誇示するよりもむしろ、権力が適用される相手に関する知を形づくるのである (p.220)。
2.「権力の一望監視的な様式は……ある社会の法律=政治的な大構造の無媒介的な従属下にあるわ けでも、その大構造の直接的な延長の中にあるわけでもない。といってもしかし完全に独立してはいない」(p.221)
3.パノプティコンという方式の大多数は、その背後に長い歴史をもつ(p.224)
★第四部 監獄
IV. 刑務所 (Surveiller et
punir より) このシステムが成功したことで、第二の結果として、刑務所以外の施設でもこのシステムが採用されるようになった。監獄のような方法は、学校、寄宿学校、兵 舎にも見られる。そこでは、ベッドが徐々に並べられ、時間割が厳しくなり、運動と反復が重視される。 ミシェル・フーコーによれば、これらの施設がそれぞれのやり方で行う人間の身体の矯正は、モラルの矯正につながり、各人が生涯を通じて一連の身体によって 矯正された後は、自分自身が検閲官となる。 刑務所を中心とした強力な社会的ネットワークのおかげで、孤立しているのはもはや主権者ではなく、個人なのだ。 |
第四部 監獄
第1章 「完全で厳格な制度」 [はじめにもどる]
18世紀から19世紀の転換期
監獄の計算合理性(p.232)
「完全で厳格な制度」バルタール(p.235)
法律違反者と非行者=在監者=犯罪者という主体の成立(pp.248-)
生活史の把握(p.249)
非行ないし非行者、あるいは非行性(p.252)
第2章 違法行為と非行性 [はじめにもどる]
身体刑から監獄刑への移行
身体刑にともなう受刑者の行進(p.259)
護送車の叙述(p.262)
拘禁が再犯を生み出す(p.264)。その理由は、非行者という新たな主体を創出するからだ。非 行者は司法によって定義される法律違反者ではなく、監獄の制度が作り出す、司法の外部にあるシステムが生み出す非−司法的カテゴリーである。
犯罪の再生産性(p.265)
我々は監獄における制度の失敗を長きに渡って認めてこなかった(p.267)。[例としての 1974年7月のフランス各地でおこった囚人の暴動]
行刑についての普遍的な7つの準則(pp.267-)
1.拘禁は個人の行動変容を機能とする
2.刑罰は、被拘禁者の刑罰の軽重のみならず、その人間の性格やふさわしい矯正技術にした がって決めるべし
3.刑罰と刑期は、拘禁後の変化——主に進歩や堕落の軸に配列される——にしたがって変更さ れるべし
4.労働は被拘禁者の変容と社会化をうむべし
5.被拘禁者への教育は公権力にとって不可欠な配慮であり、被拘禁者の義務である
6.監獄組織には、管理や教育における専門家が管理監督に(全部ではなくとも少なくとも一部 は)関与すべし
7.拘禁が終了後も、元被拘禁者には取り締まりと保護が必要である。その理由は彼/彼女らの 再適応がもとめられるから
社会防衛の時代(19世紀末)
法律上の自由の剥奪と「同時に」おこる4つの制度のアンサンブル(p.269)
a.監獄の規律訓練的な<補足部分>:超権力
b.客体性・技術・行刑上の<合理性>
c.監獄が犯罪性を(目的とは逆に)強化すること
d.規律訓練の働きを強化する諸<改革>
「刑罰制度はただ単純に違法行為を<抑制する>わけではなく、それらを<差異化し>、それでもっ て一般的な<経済策>を確保しようとする」(p.271)[→バタイユ]
1780年から1848年革命における三つの過程(pp.271-3)
1.民衆的な違法行為の政治的規模での展開
a.各種の局所的な違法行為の政治的統合化
b.ある種の政治運動は、既存の違法行為の形式をよりどころにする
2.不正の代表者と闘うのではなく、法制度そのものと闘う(p.272)
3.法の新しいシステムが、犯罪そのものが増加させた
民衆的違法行為の三重の一般化(p.273)
(i)一般的な政治地平への行為の組み込み
(ii)社会平等の場での輪郭の規定
(iii)法律違反の形式の水準のつながり
法律違反者ではなく非行者の産出という仮説(p.275)
流刑者の状況(p.276)
「役立つ非行」(p.277)
第3章 監禁的なるもの [はじめにもどる]
メトレーの少年施設の開設(1840年1月22日)(p.294)
表象の問題::「なぜメトレー施設なのか。なぜならそれは規律・訓練の最も強度な状態におけ る形態であり、人間の行動に関する強制権中心のすべての技術論が集約される見本であるのだから。そこには「僧院・監獄・学校・連隊などのそれぞれの要素」 が存在している」(p.294)。
科学の関与(p.296)
監禁群島においては、行刑技術を社会全体に押し広げている
1.法律違反(=犯罪)と非行の間の曖昧な領域侵犯(p.299)
古典主義時代には、これらには区分があった
2.拘禁という領域において規律・訓練のシステムが貫徹する(p.300)
古典主義時代には、権力から自由になるアウトローの領域が確かに存在した
監禁システムの一般化は、そのような外部性を消失させた(→p.301)
3.拘禁制度により処罰権がよりスムースに施行されるようになる
司法:法律的領域、規律訓練:法律外領域の2つの領域が相互に活動する
4.「権力の基本的なる監禁制度は、権力のこうした新しい経済策でもって新しい<法律>形式 を、すなわち合法性と自然との、規則命令と組織構成との1つの折衷であるノルムを強調してきた」(p.303)
5.社会の監禁網は、身体の現実的支配と観察をおこなう。(p.304)
その運用原理:権力のエコノミー
6.監獄(=システム)の保守性/頑強さ(p.305)
監禁都市=パリについてのラ・ファランジュの記事(p.306)
最後の文言はレジスタンス理論を示唆するか?
「この[監禁都市]び中心部の、し かも中心部に集められた人々こそは複合的な権力諸関係の結果および道具であり、多様な<監禁>装置によって強制服従せしめられた身体ならびに力であり、こ うした戦略それじたいに構成要素たる言語表現にとっての客体なのであって、こうした人々のなかに闘いのとどろきを聞かねばならない」 (pp.307-8)
この最後の文書の脚注はつぎのごとくカッコイイ!ものである。
「ここでこの書物を中断する。近代 社会における規格化の権力ならびに知の形成にかんする各種の研究にとって、この書物は歴史的背景として役立つはずである」(p.308)
■ UCBでのフーコーの肉声を聞く:
Michel Foucault - The Culture of the Self,
First Lecture, April 12, 1983
■ 簡単な著作目録
■番外編
ブルース・シュナイアー(Bruce Schneier)『超 監視社会:私たちのデータはどこまで見られているか』池村千秋(いけむら・ちあき)訳、草思社、2016 年/Schneier, Bruce, 2016. Data and Goliath : the hidden battles to collect your data and control your world. W.W. Norton & Company.
第1部 私たちの超監視社会
第1章 情報化時代の「排ガス」
第2章 監視されるデータ
第3章 分析されるデータ
第4章 監視ビジネス
第5章 国家の監視と統制
第6章 官民監視パートナーシップ
第2部 なにが脅かされるのか?
第7章 政治的自由と正義
第8章 公平で平等なビジネス
第9章 企業の競争力
第10章 プライバシー
第11章 安全
第3部 超監視社会への対抗策
第12章 原則
第13章 国家に関する提案
第14章 企業に関する提案
第15章 私たちができること
第16章 新しい社会規範
☆『監視と罰:刑務所の誕生』は、ミシェル・フーコーの主要著作の一つで、1975年2月に ガリマール社から出版された。このエッセイは、刑務所の歴史的出現を考察し、それを通じて18世紀末以来西洋社会で支配的な政治的合理性の形態である「規 律」を分析している。
Surveiller et punir :
Naissance de la prison
est un ouvrage majeur de Michel Foucault, paru aux éditions Gallimard
en février 1975. L'essai examine l'émergence historique de la prison,
et à travers elle une forme de rationalité politique dominante dans les
sociétés occidentales depuis la fin du xviiie siècle : la discipline. |
『監視と罰:刑務所の誕生』は、ミシェル・フーコーの主要著作の一つ
で、1975年2月にガリマール社から出版された。このエッセイは、刑務所の歴史的出現を考察し、それを通じて18世紀末以来西洋社会で支配的な政治的合
理性の形態である「規律」を分析している。 |
Présentation générale Contexte Lorsque Surveiller et Punir paraît en 1975, Michel Foucault est un intellectuel reconnu, qui jouit d'une position éminente à la fois dans le monde académique – il a été nommé professeur au Collège de France en 1970 – et médiatique, où son avis est régulièrement sollicité par la presse nationale. Depuis le début des années 1970, son engagement politique s'est accru, et Foucault entreprend dès 1972 de théoriser la position qu'il entend adopter à l'intersection du monde militant, du champ académique et de la sphère publique ; ce travail aboutit en 1976 à la formalisation du concept d'« intellectuel spécifique »[1]. La prison est son domaine d'intervention publique principal. À la suite de grèves de la faim de militants de la Gauche prolétarienne pour obtenir le statut de prisonniers politiques, il fonde en 1971 avec Jean-Marie Domenach et Pierre Vidal-Naquet le Groupe d'information sur les prisons (GIP). L'association ambitionne, notamment à travers l'élaboration d'un questionnaire, de permettre à la voix des prisonniers et des personnels impliqués dans le système carcéral d'accéder à l'espace public[2]. En 1973, Foucault préface l'essai De la prison à la révolte de Serge Livrozet qui a mis sur pied le Comité d'action des prisonniers (CAP) « dont l'action prend le relais du GIP, dans une logique un peu différente »[3]. Sans être un ouvrage militant et sans aborder de manière directe l'actualité des prisons françaises, Surveiller et punir entre en résonance avec l'engagement de Foucault au moment de sa rédaction. « Que les punitions en général et que les prisons relèvent d'une technologie politique du corps, c'est peut-être moins l'histoire qui me l'a enseigné que le présent », peut-il ainsi affirmer en introduction[4]. Pour l'historienne Michelle Perrot, Surveiller et punir s'intègre à l'échelle de l'œuvre de Foucault dans un « cycle carcéral »[5], entamé avec Moi, Pierre Rivière... (1973) et conclu avec Le Désordre des familles (1982), écrit avec Arlette Farge. |
一般的なプレゼンテーション 背景 Surveiller et Punir』が1975年に出版されたとき、ミシェル・フーコーは、1970年にコレージュ・ド・フランスの教授に任命された学術界でも、全国紙が定期的 に意見を求めるメディア界でも、著名な地位にあった知識人として認められていた。1970年代初頭以降、彼の政治的関与は強まり、1972年には早くも フーコーは、過激派の世界、学問の場、公共圏の交差点で彼が意図する立場を理論化し始めた。 刑務所は彼の公的介入の主要な領域であった。政治犯の地位を得るためにゴーシュ・プロレタリエンヌの活動家たちがハンガーストライキを行った後、1971 年にジャン=マリー・ドメナック、ピエール・ヴィダル=ナケとともにGIP(Groupe d'information sur les prisons)を設立した。この協会の目的のひとつは、アンケート[2]を作成することで、刑務所システムに関わる囚人や職員の声を公の場に届けること だった。1973年、フーコーはセルジュ・リヴロゼのエッセイ『De la prison à la révolte(監獄から反乱へ)』に序文を寄せている。リヴロゼはCAP(囚人行動委員会)を立ち上げ、「その行動はGIPから引き継がれたが、少し異 なる論理を持っていた」[3]。 戦闘的な作品でもなければ、フランスの刑務所における現在の出来事を直接扱ったものでもないが、『Surveiller et punir』は、それが書かれた当時のフーコーのコミットメントと共鳴している。「刑罰一般と刑務所が身体の政治的技術の一部であることを教えてくれたの は、おそらく歴史よりも現在である」と彼は序文で述べている[4]。歴史家のミシェル・ペロにとって、『Surveiller et punir』は、『Moi, Pierre Rivière...』(1973年)に始まるフーコーの作品における「監獄サイクル」[5]の一部を形成している。(1973)で始まり、アルレット・ ファルジュとの共著『Le Désordre des familles』(1982)で結ばれている。 |
Contenu L'essai étudie l'apparition historique de la prison sous sa forme moderne, en commençant par constater la disparition de l'application en public de la peine de mort au profit d'exécutions cachées par le secret des murs. Selon l'auteur, cette évolution est révélatrice d'une révolution de la façon selon laquelle le pouvoir se manifeste au peuple. Foucault écrit que l'objectif de ce livre est d'écrire « une histoire corrélative de l'âme moderne et d'un nouveau pouvoir de juger; une généalogie de l'actuel complexe scientifico-judiciaire où le pouvoir de punir prend ses appuis, reçoit ses justifications et ses règles, étend ses effets et masque son exorbitante singularité »[6]. |
内容 このエッセイでは、死刑の公開処分がなくなり、塀の中の密室での処刑が行われるようになったことから始まる、近代的な形の刑務所の歴史的出現について考察 する。フーコーの見解によれば、このような展開は、権力が人々にそれ自身を示す方法における革命を示している。 フーコーは本書の目的を、「近代の魂と新しい裁く力との相関史、すなわち、罰する力がその支持を見いだし、その正当化と規則を受け取り、その効果を拡大 し、その法外な特異性を隠蔽する現在の科学的・司法的複合体の系譜」を書くことだと書いている[6]。 |
Historique de publication Le livre est publié aux éditions Gallimard en février 1975[7]. |
出版の経緯 この本は1975年2月にガリマール社から出版された[7]。 |
Résumé I. Supplice Le livre ouvre sur une longue description du supplice de Robert-François Damiens, écartelé sur place publique en 1757 pour avoir tenté d’assassiner le roi Louis XV. Il met en parallèle le règlement de la prison des jeunes détenus de Paris, écrit 75 ans plus tard, qui règle finement le mode de vie des détenus. Ces deux évènements témoignent de l'évolution dans l'« économie du châtiment » que connaît l'Europe au xviiie siècle : c'est la fin des supplices, à savoir de la torture[8]. Cette époque est marquée par un processus d'« effacement du spectacle punitif », avec un cérémonial qui gagne l'ombre en étant soustrait aux regards. La certitude de la punition prime dans les esprits sur la violence vue de la punition[9]. Alors qu'avant, le caractère public du supplice, la symbolique des condamnations (poing coupé des parricides, langue percée des blasphémateurs) permettait la démonstration du pouvoir royal face au crime, le pouvoir a découvert sa propre puissance en se rendant compte qu'elle n'est pas remise en cause par l'absence visible de supplice : le peuple n'a pas besoin d'assister au châtiment des siens pour s'en tenir à ce qu'il souhaite qu'il s'en tienne. De plus ce peuple peut s'avérer dangereux quand il soutient le châtié. Ainsi, « le châtiment est passé d’un art des sensations insupportables à une économie des droits suspendus »[10]. Ce processus mène au renforcement de l'idée de la justice correctrice. Les rituels modernes de l'exécution montrent qu'au bourreau ont succédé médecins, psychologues, aumôniers, etc., qui ont vocation à contrebalancer le projet de la mise à mort[11]. En fin de siècle, la justice se veut plus juste en s'égalisant : le statut social du condamné n'a plus d'effet sur le mode de mise à mort. D'où l'article 3 du Code pénal français de 1791 : « Tout condamné à mort aura la tête tranchée ». Le juge ne fait pas que juger de la responsabilité, mais de l'adéquation avec les normes sociales, ce qui explique l'évolution des délits et peines[12]. L'auteur soutient que ce processus n'a pas été linéaire. L'Angleterre a été particulièrement réfractaire. Si la France et la Prusse ont été en avance sur elle, l'époque de la contre-révolution a marqué un retour d'anciens châtiments. Si la guillotine avait originellement vocation à créer « une nouvelle éthique de la mort légale », la Terreur en a vite fait « un grand rituel théâtral »[13]. Foucault utilise le concept de microphysique pour qualifier le pouvoir. Le pouvoir n'est pas une propriété, mais « une stratégie » ; les effets de sa domination sont ainsi des dispositions, des tactiques, des techniques. Il s'agit d'un « réseau de relations toujours tendues, toujours en activité plutôt qu'un privilège qu'on pourrait détenir ». Il n'est ainsi « pas le privilège acquis ou conservé de la classe dominante, mais l'effet d'ensemble de ses positions stratégiques »[14]. |
概要 I. 拷問 この本は、1757年に国王ルイ15世の暗殺を企てた罪で公衆の面前で四つ裂きにされたロベール=フランソワ・ダミアンの試練についての長い記述で始ま る。その75年後に書かれたパリの若い受刑者のための刑務所の規則と並行して、受刑者の生き方を細かく規制している。この2つの出来事は、18世紀にヨー ロッパが経験した「刑罰の経済」の進化を物語っている。 この時期は、「懲罰的光景の消去」のプロセスによって特徴づけられ、儀式は視界から隠されることによって後回しにされた。人々の心の中では、刑罰の暴力性 よりも刑罰の確実性が優先された[9]。以前は、刑罰の公的な性質と刑の象徴的な性質(パリサイダーには拳が切り落とされ、冒涜者には舌が突き刺される) が、犯罪に直面する王室の権力を示していたが、権力は、目に見える刑罰の不在によって異議を唱えられることがないことに気づいたとき、自らの権力を発見し た。さらに言えば、こうした人々が罰を受ける側を支持するとき、危険な存在になりうるのだ。このようにして、「刑罰は耐え難い感覚の芸術から、停止された 権利の経済へと進化した」[10]。 このプロセスは、矯正的正義の考えを強化することにつながる。現代の処刑儀式は、死刑執行人が医師、心理学者、チャプレンなどに取って代わられ、その役割 は殺害計画を相殺することであることを示している[11]。世紀末には、正義はより公平で平等なものとなることが意図され、受刑者の社会的地位はもはや処 刑方法に影響を及ぼさなくなった。それゆえ、1791年のフランス刑法第3条は、「死刑を宣告された者は、その首を切り落とす」と定めている。裁判官は責 任能力を判断するだけでなく、犯罪が社会規範に合致しているかどうかも判断するため、犯罪と刑罰の変遷が説明できる[12]。 著者は、このプロセスは直線的なものではなかったと主張する。特にイングランドは抵抗が強かった。フランスとプロイセンが先行していたが、反革命の時期に は古い刑罰に回帰した。ギロチンはもともと「合法的な死の新しい倫理」を生み出すためのものであったが、テ ロールはそれをたちまち「偉大な演劇的儀式」へと変えてしまった[13]。 フーコーはミクロ物理学の概念を使って権力を説明している。権力は所有物ではなく「戦略」であり、その支配の効果はこのように気質であり、戦術であり、技 術である。権力とは、「人が持つかもしれない特権ではなく、常に緊張し、常に能動的な関係のネットワーク」である。したがって、それは「支配階級の獲得し た特権や維持された特権ではなく、その戦略的地位の全体的な効果」である[14]。 |
II. Punition Désormais, les hors-la-loi sont simplement privés de leur liberté. Cela ne signifie pas pour autant un confinement des coupables dans des oubliettes ou au fond de quelque bagne. C'est plutôt le pouvoir qui disparaît derrière une architecture carcérale nouvelle capable de contraindre les captifs sans que le geôlier et l'autorité qu'il incarne aient à se manifester directement par quelque coup de fouet ou autres. Rêve de Jeremy Bentham, le panoptique s'impose. Les prisons sont désormais construites selon des plans circulaires permettant au surveillant situé dans une tour centrale d'observer sans jamais être vu, les silhouettes des détenus se détachant à contre-jour sur des fenêtres extérieures via d'autres fenêtres donnant sur une cour intérieure. Cette architecture permet éventuellement de se passer complètement de surveillant, le seul sentiment d'être observé étant susceptible d'obtenir des captifs une forme d'obéissance. Ainsi, en plus de n'être pas coûteux d'un point de vue économique, la prison moderne est d'abord une entreprise de culpabilisation travaillant les consciences individuelles à travers un regard tout-puissant. La prison passe alors d'une fonction punitive à une visée « normalisatrice », visant indirectement par les corps l'« âme » des détenus qu'il s'agit de redresser[15]. L'institution carcérale et à travers elle la justice moderne détient par là même des pouvoirs d'une ampleur inédite jusqu'ici, le pouvoir n'étant désormais plus concevable selon Foucault sans la relation qu'il entretient avec la connaissance de l'individu. Loin de contribuer à l'« émancipation » de l'Humanité, idéal hérité des Lumières, la Société moderne s'apparente de plus en plus à de la surveillance organisée. |
II. 処罰 今後、無法者は単に自由を奪われるだけである。しかしこれは、罪人が地下牢や流刑地の底に閉じ込められるという意味ではない。むしろ、牢番や彼が体現する 権威が鞭打ちなどによって直接的に姿を現すことなく、捕虜を強制することができる新しい牢獄建築の背後に権力が消えていくのである。 パノプティコンはジェレミー・ベンサムの夢だった。現在、刑務所は円形のプランで建てられており、中央の塔にいる看守は、囚人のシルエットが中庭を見下ろ す別の窓から外の窓の光に照らされて浮かび上がっているのを、見られることなく観察することができる。 このような建築であれば、監視されているという感覚だけで囚人たちの服従を引き出すことができるため、警備員の必要性を完全に排除することができる。つま り、近代的な刑務所は、経済的な観点からは安価であるだけでなく、何よりもまず、全権的な視線を通して個人の良心に働きかける、罪の意識を植え付ける事業 なのである。 こうして刑務所は懲罰的な機能から「正常化」的な機能へと移行し、肉体を通じて更生を意図する受刑者の「魂」を間接的に標的にする[15]。フーコーによ れば、権力はもはや個人の知識との関係なしには考えられないのである。啓蒙主義から受け継がれた理想である人類の「解放」に貢献するどころか、現代社会は ますます組織化された監視に近づいている。 |
III. Discipline La prison moderne est également un monde comptable. Il produit des chiffres et construit des tableaux dans lesquels les cellules sont tout autant des cases tracées sur le papier que des pièces dans lesquelles sont visibles les prisonniers. Les parois les séparant les unes des autres sont suffisamment solides pour que cessent tous ces petits trafics qui hier rendaient impossible le contrôle strict des coupables sanctionnés. La mise en place de ce système carcéral a plusieurs conséquences. La première, c'est l'apparition de la délinquance, forme de criminalité moderne préférable à l'ancienne en ce sens qu'elle est le fait d'individus déjà connus, fichés et travaillés par l'autorité et donc peu susceptibles d'une récidive beaucoup plus grave (comme ceux envoyés vers la Colonie pénitentiaire de Mettray). Mais aussi, ce dispositif rend perceptible un renversement essentiel : alors qu'à travers le supplice il s'agissait pour le pouvoir d'être visible du plus grand nombre, avec le panoptisme la problématique s'inverse. Comment faire en sorte que le plus grand nombre soit visible du plus petit nombre. Foucault introduit ainsi à une problématique autour de la police et d'un quadrillage de la population sur le modèle de la surveillance au temps de la peste. Le mal social est conçu sur le modèle de l'épidémie. |
III. 規律 現代の刑務所は会計の世界でもある。刑務所は数字を作り、表を作り、独房は紙に描かれた箱であり、囚人が見える部屋でもある。囚人同士を隔てる壁は十分に 堅固で、昨日まで処罰される犯罪者を厳しく管理することを不可能にしていた、あらゆる些細な密売に終止符を打つ。 この刑務所システムの導入は、いくつかの結果をもたらす。第一に、非行という現代的な犯罪形態が出現したことである。この犯罪形態は、すでに知られ、登録 され、当局によって捜査されている個人によって犯されるという点で、旧来の犯罪形態よりも好ましい。したがって、(メトレーの刑務所コロニーに送られた者 のように)それほど深刻な再犯を犯す可能性は低い。 しかし、この制度は本質的な逆転をも明らかにしている。拷問の目的が、当局ができるだけ多くの人々の目に触れるようにすることであったのに対し、パノプ ティシズムでは、問題は逆になる。最大数を最小数に見えるようにするにはどうすればいいのか。 このようにしてフーコーは、ペスト発生時の監視をモデルに、警察と住民監視の必要性の問題を導入する。社会悪は疫病をモデルとして構想される。 |
IV. Prison Le succès de ce système aidant, la seconde conséquence de sa mise en place est son adoption par d'autres institutions que la seule prison, à commencer par l'atelier, où quelques contremaîtres suffisent désormais à contrôler des centaines de travailleurs : ils déambulent à présent dans des allées rectilignes d'où ils dominent les employés assis à une table individuelle et tous visibles de loin. On retrouve également des méthodes carcérales dans les écoles, les pensionnats ou les casernes, où les lits sont peu à peu alignés, les emplois du temps plus stricts, l'exercice et la répétition valorisés. Le redressement des corps humains auquel ces institutions procèdent chacune à leur façon conduit selon Michel Foucault au redressement des morales, chacun devenant son propre censeur une fois qu'il y a été corrigé par un concours d'organismes, tout au long de sa vie. Par un fort maillage social, avec au centre la prison, ce n'est plus le souverain qui est isolé, mais bien l'individu. |
IV. 刑務所 このシステムが成功したことで、第二の結果として、刑務所以外の施設でもこのシステムが採用されるようになった。監獄のような方法は、学校、寄宿学校、兵 舎にも見られる。そこでは、ベッドが徐々に並べられ、時間割が厳しくなり、運動と反復が重視される。 ミシェル・フーコーによれば、これらの施設がそれぞれのやり方で行う人間の身体の矯正は、モラルの矯正につながり、各人が生涯を通じて一連の身体によって 矯正された後は、自分自身が検閲官となる。 刑務所を中心とした強力な社会的ネットワークのおかげで、孤立しているのはもはや主権者ではなく、個人なのだ。 |
Débat avec les historiens En 1977, un article critique de Jacques Léonard[16] est à l'origine d'un débat entre Michel Foucault et les historiens qui se concrétise par la Table ronde du 20 mai 1978[17] à la Sorbonne en présence de Maurice Agulhon, Nicole Castan, Catherine Duprat, François Ewald, Arlette Farge, Alexandre Fontana, Michel Foucault, Carlo Ginzburg, Remi Gossez, Jacques Léonard, Pascal Pasquino, Michelle Perrot, Jacques Revel. Dans son article Jacques Léonard écrivait : « À lire Foucault, on se persuade aisément que l’histoire est encore très jeune » et invitait la discipline à « se diversifier, s’ouvrir aux choses essentielles de la vie, et par exemple étudier le corps humain et tout ce qui lui arrive, dans le temps et l’espace »[18]. |
歴史家との論争 1977年、ジャック・レオナールの批判的な論文[16]がきっかけとなり、ミシェル・フーコーと歴史学者たちとの議論が始まり、1978年5月20日に ソルボンヌ大学で開催された円卓会議[17]には、モーリス・アグルホン、ニコル・カスタン、カトリーヌ・デュプラ、フランソワ・エワルド、アルレット・ ファルジュ、アレクサンドル・フォンタナ、ミシェル・フーコー、カルロ・ギンズブルグ、レミ・ゴッセ、ジャック・レオナール、パスカル・パスキノ、ミシェ ル・ペロ、ジャック・ルヴェルが参加した。ジャック・レオナールはその論文の中で、「フーコーを読むと、歴史学はまだ非常に若い学問であることを容易に納 得させられる」と述べ、「多様化し、人生の本質的な事柄に目を向け、例えば、人間の身体とそれに起こるすべてのことを、時間と空間の中で研究する」よう、 この学問に呼びかけている[18]。 |
Références 1. Daniel Mouchard, « Intellectuel spécifique », Dictionnaire des mouvements sociaux, Presses de Sciences Po, 2009, p. 307. 2. Michelle Perrot, « La leçon des ténèbres. Michel Foucault et la prison », in Les Ombres de l'histoire. Crime et châtiment au XIXè siècle. Flammarion, Paris, 2001, p. 31 3. Perrot (2001), p. 34. 4. Cité par Perrot (2001), p. 28. 5. Perrot (2001), p. 27. 6. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, lire en ligne [archive]), p. 27 7. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, lire en ligne [archive]) 8. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, lire en ligne [archive]), p. 14 9. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, lire en ligne [archive]), p. 15 10. Michel Foucault, Surveiller et punir, naissance de la prison, Paris, Gallimard, 1975, p. 18. 11. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, lire en ligne [archive]), p. 17 12. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, lire en ligne [archive]), p. 18 13. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, lire en ligne [archive]), p. 21 14. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, lire en ligne [archive]), p. 31 15. Illustration par gravure figurant dans l'ouvrage [archive] 16. Jacques Léonard, « L'historien et le philosophe : À propos de «Surveiller et punir. Naissance de la prison », Annales historiques de la Révolution française, no 228, 1977, pp. 163-181 (lire en ligne [archive]) 17. Michelle Perrot (dir.), L'Impossible prison. Recherches sur le système pénitentiaire au XIXe siècle, Paris, Seuil, L'univers historique, pp. 40-55 18. Jacques Léonard, « L'historien et le philosophe : À propos de «Surveiller et punir. Naissance de la prison» », Annales historiques de la Révolution française, vol. 228, no 1, 1977, p. 163–181 (DOI 10.3406/ahrf.1977.4050, lire en ligne [archive], consulté le 21 juillet 2024) |
参考文献 1. Daniel Mouchard, 「Intellectuel spécifique」, Dictionnaire des movements sociiaux, Presses de Sciences Po, 2009, p. 307. 2. Michelle Perrot, "La leçon des ténèbres. Michel Foucault et la prison", in Les Ombres de l'histoire. Michel Foucault et la prison", in Les Ombres de l'histoire. Flammarion, Paris, 2001, p. 31. 3. Perrot (2001), p. 34. 4. Perrot (2001), p. 28より引用。 5. Perrot (2001), p. 27. 6. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, read online [archive]), p. 27. 7. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 and 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, read online [archive]). 8. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 and 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, read online [archive]), p. 14. 9. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 and 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, online reading [archive]), p. 15. 10. Michel Foucault, Surveiller et punir, naissance de la prison, Paris, Gallimard, 1975, p. 18. 11. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 et 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, available online [archive]), p. 17. 12. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 and 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, available online [archive]), p. 18. 13. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 and 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, online reading [archive]), p. 21. 14. Michel Foucault, Surveiller et punir : naissance de la prison, Gallimard, 1975 (ISBN 2-07-029179-0 and 978-2-07-029179-3, OCLC 1504053, online reading [archive]), p. 31. 15. 本書に掲載されているエングレーヴィングによるイラスト [archive]. 16. Jacques Léonard, 「L'historien et le philosophe: À propos de 」Surveiller et punir. Naissance de la prison", Annales historiques de la Révolution française, no 228, 1977, pp. 17. Michelle Perrot (ed.), L'Impossible prison. Recherches sur le système pénitentiaire au XIXe siècle, Paris, Seuil, L'univers historique, pp. 18. Jacques Léonard, 「L'historien et le philosophe: À propos de 」Surveiller et punir. Naissance de la prison", Annales historiques de la Révolution française, vol. 228, no 1, 1977, pp. 228, no 1, 1977, pp. 163-181 (DOI 10.3406/ahrf.1977.4050, read online [archive], accessed 21 July 2024). |
Abolition de la prison Biopolitique Panoptique Dispositif Institution disciplinaire |
刑務所の廃止 生政治 パノプティック 装置 懲罰施設 |
https://fr.wikipedia.org/wiki/Surveiller_et_punir |
■練習問題
1.フーコーの時代には存在しなかった「デジタル・
パノプティコン」というものを定義し、その具体的な働きについて考察しなさい。
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日本の拘置所(小菅)
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