マー シャル・マクルーハンの著述に見られる「出版資本主義」に関するノート
The Original Idea of the Print Capitalism is not from Ben Anderson thesis but from Marshall McLuhan's
解説:池田光穂
→「18 印刷されたことば──ナショナリズムの建築家」
・メディアの変化が社会意識に影響を与える(概略)
──活字による印刷は複雑な手工芸木版を最初に機械化したものであり、その後のいっさいの機械化 の原型となった。‥‥活字印刷が情報を蓄積する手段あるいは知識を迅速に回収する新しい手段に他ならないと見るならば、それによって時間と空間の両方にお いて、心理的にも社会的にも、郷党精神(parochialism)と部族精神(tribalism)とは終わりを遂げた(p.173)。
──印刷もまたそれ以外の人間の拡張と同じであって、心理的ならびに社会的な影響を及ぼし、以前 の文化の境界と模様を突然に変えてしまった。‥‥情報を移動するのに電気という手段を用いるようになって、われわれの活字文化はいま変わりつつある。それ は、ちょうど、印刷術が発明されて、中世の写本やスコラの文化が変化を受けたのと同じである(p.174)。
──アルファベット(およびその拡張である活字)が知識という力を拡張させることを可能にし、部 族人の絆を壊滅させた。かくして、部族人の社会を外爆発させて、ばらばらの個人の集合としてしまった。電気による書字と速度は、瞬間的かつ持続的に、個人 の上に他のすべての人に関心を注ぐ。こうして、個人はふたたび部族人となる。人間種族全体がもう一度、ひとつの部族となる(pp.174-175)。(原 著『メディアの理解』pp.170-172)
・欲望の形成、あるいはメディア影響力のタイムラグ論
──実際、活字による印刷がおこなわれるようになって、最初の二世紀は、新しい書物を読んだり書 いたりしなければならないという必要よりは、古代および中世の書物をみたいという欲望のほうに、むしろ動機があった(p.173)
※マクルーハン理論には、メディアの影響力に関するタイムラグ仮説があり、メディアの革新につ いて人々がその影響を真にうけるようになるには200-500年の時間差がある。
──印刷術の発明以来の五世紀間、印刷が人間の感覚に与える影響について明確に言及したり認識し たりしたものは、きわめて稀である(p.175)。
──印刷はたんに書写の技術になにかをつけ加えたにすぎないのではない。それは自動車がたんに馬 になにかをつけ加えたにすぎないのではないのと同じだ。印刷も最初の数一〇年間というものは、誤解されたり誤用されたりの「馬なし馬車」すなわちバスの段 階を経験していた。
・印刷の視覚効果
──心理的に見れば、印刷本は視覚機能を拡張したものであるから、遠近法と固定した視点を強化す ることになった。視点と消失点とを強調すると、そこに遠近法の幻覚が出来上がる。これに結びついて、空間が視覚的、画一的、連続的なものであるという、も う一つの幻覚が生じる。活字が線条をなして正確に画一的に配列された姿は、ルネッサンス期に経験された偉大な文化の形態および革新と切り離せないものであ る。印刷の最初の一世紀に、視覚と個人の視点がはじめて強調されたのは、活字印刷という形をとlつた人間の拡張によって自己表現の手段が可能となったから であった(p.175)。
・反復可能なイメージの生産=拡張の原理
──社会的に見ると、活字印刷という形をとった人間の拡張は、国家主義、産業主義、マス市場、識 字と教育の普及というものをもたらした。なぜなら印刷は正確に反復可能なイメージを提供し、それが社会的エネルギーを拡張させる、まったく新しい形態を刺 激したからであった(p.174)。
──いくつかの書物が同一のものであることに(南太平洋のネイティブが──池田)気づいて驚いた というのは、結局、印刷と大量生産のもっとも魔力をもった局面にたいする自然の反応であった。ここには均質化にもとづく拡張の原理があり、それが西欧の力 を理解する鍵となっている。開かれた社会が開かれているのは、画一的な活字印刷にもとづく教育的加工のおかげてあって、それによるからこそ、どんな集団も 数量的につけ加えていくだけでかぎりなく拡張していくことができるのである(p.177)。
・メディアと国家主義
──印刷が及ぼす心理的および社会的帰結には、我々が新しいナショナリズムと関連させているよう な事態、つまり、印刷の分裂的かつ画一的な性格を拡張して、さまざまの地域を次第に均質化させ、結果的に権力、エネルギー、侵略を増殖をさせる事態が含ま れる(p.178を改訳、原著p.175)。
──印刷されたページの画一性と反復性には、もう一つの重要な局面があった、それが正しい綴り 字、文法、発音というものに向けて圧力をかけ始めたということだ(p.178)。※つまり書記法の画一化による同一のイメージの流通を可能にした。
──印刷本の上に、画一の定価をつけられた商品という奇妙に新鮮な性格を付与したのが反復性であ り、その結果、価格システムへの道を開いた。‥‥加えて、印刷された書物には、携帯の便利さ、入手のしやすさという性格があった。‥‥こうした拡張的性格 と直接の関係にあるのが、表現の革命であった。‥‥活字印刷によって世界そのものに向かって。大声かつ大胆に訴えかけることのできるメディアが生み出され た(p.181)。
──活字印刷の影響が数多くあるなかで、たぶん、ナショナリズムの出現がもっともよく知られたも のであろう。方言および言語の集団によって人間を政治的に統一するというのは、個々の方言が印刷によって広大なマス・メディアに変ずる以前には考えられな いことであった。‥‥ナショナリズムそれ自体は、集団の運命と地位を強烈に示す新しい視覚的なイメージとして到来したもので、印刷以前には知られていな かったような迅速な情報移動に依存していた(p.180)。
──こんにち、一つのイメージとしてのナショナリズムは、あいかわらず印刷に依存しているけれど も、それはすべて電気メディアの挑戦を受けている。政治においてもビジネスにおいても、平等のジェット機のスピードの影響で、古い国家集団という社会組織 はまったく役に立たなくなっている。ルネッサンス期に、(均質の空間における連続と競合である)ナショナリズムが新しいものであったばかりか、自然なもの でありえたのは、印刷の迅速さと、その結果として生ずる市場と商業の発展のせいであった(pp.180-181)。
・身体における非関与
──活字印刷が人間に与えた贈り物である能力のなかでもっとも意義のあるものが、非密着性
(derachment)と非関与性(noninvolvement)──すなわち、反応することなしに行動する力──であろう。ルネッサンス期以来、科
学はこの能力を高めてきたが、電気の時代となると、これが困惑の種となってしまった。‥‥「公平無私の」(disinterested)ということばは、
活字人間の崇高な非密着性と倫理的高潔性を表明するものであったが、その同じことばが、過去一〇年ほどに「知ったことではない」(could'nt
care less)という意味でますます使われるようになってきた(p.176)。
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●「偉大な書物——つまり〈必要な〉本ということであるが——とは、他の人びとが明確に表現する ことなく、漠然と持っている問いに答えることができる書物である」——オクタビオ・パス『弓と竪琴』牛島信明訳、の初版の序文から
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