はじめによんでください
後発帝国医療
Late-Imperial Japanese Medicine: An Example of Phantom Medicine
――ファントム・メディシンの諸相――
(予稿原稿)
日本文化人類学会・第38回研究大会(2004年6月6日:東京外国語大学)・発表予稿集
私の関心は、近代医療の再概念化にあります。つまり医療を社会から独立した自律的な知識と技術が統合した実践であるという、これまでの医療観を解体し別のものを提示してみたい。それを実現させるためには、私がこの研究領域でおこなってきた以下の3点を見つめ直す必要があります。私は、
(1)社会から自律した知的実践活動とみなされている「医療」に対する、人類学の研究対象としての関心をもってきた、
(2)医療人類学の通常の研究関心や方法とは多少異なった問題関心――ポストコロニアル状況に直面する文化人類学のさまざな挑戦的取り組み(批判的医療人類学)をもってきた、そして、
(3)この分野を特色づけてきたさまざまな概念装置――伝統医療、民族医療、シャーマニズム、文化結合症候群にはじまって、医療、身体、精神、誕生、死、生命などを再吟味することです。
それらを通して次の3点を自覚するようになりました。
(a)これまでの近代医療批判、反医学言説、マルクス主義的近代医療批判では近代医療は、首尾一貫した一枚岩の体系と思われてきたが、どうもそうではなく、個々の部分は相互に引き合ったり反発しながらも、一定の方向に転回した非定型な集合体ともいえるものである。
(b)医療は治療のシステムであると同時に、内的な論理的一貫性よりも、時代や社会状況の中で機能を変化させてゆくダイナミックな社会構成体の一部分であり、医療を社会現象から切り離すことはナンセンスである。
(c)医療の研究は、一方で科学的認識論として吟味の対象になるが、同時に身体をモニターする相互作用的実践という観点からも分析できる。
これらは、結果的に既存の医療人類学パラダイムにおいて一種のブレインストーミングが起きかねない状況にあるというが、私の認識です。
私がいうファントム・メディシンとは、医学用語の幻肢(phantom limb)――四肢を切断した後も、しばらくの間手足の感覚が残ること――という概念からイメージを借用しています。医学に関する歴史を紐解くと医学の功利的利用が極限まで利用され人間の福利に弊害をもたらしたことが多く見つけられます。数々の人体実験、タスキギー事件、ロボトミー、優生学、T4計画、731部隊、生体解剖、自白剤を使った精神的拷問などです。奇妙な符合ですが、これらの問題の多くは帝国医療や植民地医療の時代に、西洋の中心でもまた周辺地域でも起こりました。医学はこれを「医療技術の濫用」と位置づけ、その事件後は守るべき医学者の倫理というものを要項化し、事件そのものは誤った逸脱例として切断してきました。しかし、歴史学者たちの発掘はまさに切り捨てた四肢の痛み、つまり幻肢痛があるかのように、時代と社会を超えてその問題がはらむ社会性を問いかけてきます。発表では、それらのいくつかの具体例を通して、近代医療の帝国医療的側面について考えてみたいと思います。
Copyright Mitzu Ikeda, 1996-2004