想像力観光の人類学
You don't know what anthropplogical Tourism is, but...
写真は北村虻曳(きたむら・あぶのぶ)氏
(2018年)
……旅は想像力
を働かせる。これ以外のものはすべて失望と疲労を与えるだけだ。僕の旅
は完全に想像のものだ。それが強みだ。――ルイ=フェルディナン・セリーヌ(1932)
2つのメディア観光(→「虚構観光(Fictional tourism)」)
TBSテレビ系の番組『兼高かおる世界の旅』が終了してまるX年が経った。海外レポートものの草分けであり、世界の風物を、まだ見ぬこと のできない茶の間に送り続けて三十年十カ月、総回数は一千五百八十六回に及んだ。この終焉に際して朝日新聞は次のように報じた。「クイズ番組にも海外取材 ものが、全盛の時代。オーソドックスな海外紹介番組は、視聴率的にもやや下降気味で、兼高の健康問題もあって今回の決断に」と。
一週間も経たない同紙のテレビ番組欄ではテレビ朝日系『地球キャッチミー』が紹介されていた。我々にとって些か興味深い件の番組の解説は こうである。(→現在では「うるるん」がそれにあたるだろう)
「中野良子率いる綱引き隊が、インドネシア・ボルネオ島の奥地に、首狩り族の末えいのイバン族を訪ねる。一行は、村全体が一緒に暮らしてい るイバン族独特の「ロングハウス」を見物、しゅう長の家に飾られているたくさんの頭がい骨に仰天する。歓迎パーティーでは中野がイバン族のナジャダンスを 見よう見まねで踊り、イバン族を大喜びさせる。」
いま私は『世界の旅』に見られる教養啓蒙主義から『キャッチミー』における参加アクションタイプへの「推移」について眼を凝らしているの ではない。それらから触発された二つの種類の異文化に対する構想力を《対比》してみたいのである。
<他者>を思い描くこと
『世界の旅』では、高度経済成長時代のマルコ・ポーロたる兼高氏とルスチケロ――『東方見聞録』の祖本作家で獄中でポーロの話の最初の聞 き手――たる芥川隆行氏の語りを通して、視聴者は異境のイメージをそのまま受け取った。街角の風景や人込み、市場や人びとの食事内容に至るまで、異境は百 科全書的風景の中に見事に整頓されていた。我々は、居ながらにして異境の生活を知ることができたのだ。登場する異境は「外国」という国家単位にまとめられ たが、判別可能な先進諸国を除けば、第三世界の人びとの暮らしは中南米やアフリカという大きなカテゴリーでくくられた。それらの国々は、当時海外旅行の対 象にはならず、我々の想像が投射されるがままの未知の地であった。
他方『キャッチミー』は、まさに海外旅行がどこにでも行けると我々が信じるようになった時代の産物である。人間は国家単位ではなく「民 族」や「地方」の単位で登場する。他者としての彼らは、語り部を通して叙述される観察対象ではない。テレビ番組はもはや教科書ではなくなったのだ。歴史や 風土を紹介する体裁をとりながら、テレビ制作者の興味の赴くまままに個々の《エピソード》が我々の眼前に提示されてゆく。映像の中では「首狩り族」「しゅ う長」という過去の《未開性》を伴示するイメージが時に演出されるが、これは我々との共通点を拒絶する。他方、綱引きやダンスを通して彼らと共感する画面 では、我々は彼らと共通した普遍的な存在となるのだ。彼らと我々の間には異種性と同種性の奇妙な同居がある。
しかし、リアリティーをまき散らす『キャッチミー』の演出過剰の映像のなかには、もはや我々が妄想を逞しくする余地はほとんどない。他者 の生活は、まるでフレームの中で提示されるクイズの〝解答〟のようにバラバラに分解されている。決して、彼らの全体像は現れない。あるいは「生活の全体を 描くことなど幻想なのだ」という制作者の深遠なメタ・メッセージを、我々はそこに見いだすべきなのだろうか?
この単純な対比から言えることはこうだ。世界のどこにでも行けるという確信が強まるとともに、我々の他者に対する想像力は今や減退する一 方である。ただし、それは他者に対する妄想やファンタジーが、確固とした情報や現実に置き替わったという意味ではない。いまや他者を幻想のなかに閉じこめ ておくという非合理はなくなったが、だからと言ってリアルな他者が我々のそばに引き留められているわけでもない。我々自身の想像力は、いつたいどこへいっ たのだ?
冒険は本当に死んだか?
現代社会における観光はおしなべて《疑似イベント》だ、と主張するダニエル・ブーアスティンは、今日の冒険者のイメージの偶像破壊者(イ コノクラスト)である。現代の観光をインスタント旅行と言ってはばからない彼は、それまでの旅が備えていたスリルをわざわざ演出しなければならない悲喜劇 を憂える。彼によれば、現代の冒険家は《危険》を故意に作り出しているともいう。今では危険の創出にかかる費用は、かつての冒険家が危険を避けるために捻 出した費用を上まわる。危険の創造のためには「独創性・想像力・計画性」が不可欠だ。それゆえ、金時間もない、我々に残された冒険とは「人工的・虚構 的・非現実的」にならざるを得ない、とみるのである(『幻影の時代』)。
ブーアスティンの擬似イベント(pseudo-event)論
(Boorstin 1962:39-40) |
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(1) Pseudo-events are more
dramatic. A television debate
between candidates can be planned to be more
suspenseful (for example, by reserving questions
which are then popped suddenly) than a casual
encounter or consecutive formal speeches planned
by each separately. |
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(2) Pseudo-events, being planned
for dissemination, are
easier to disseminate and to make vivid. Participants
are selected for their newsworthy and dramatic
interest. |
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(3) Pseudo-events can be
repeated at will, and thus their
impression can be re-enforced. |
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(4) Pseudo-events cost money to
create; hence somebody
has an interest in disseminating, magnifying, advertising,
and extolling them as events worth watching or
worth believing. They are therefore advertised in advance,
and rerun in order to get money's worth. |
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(5) Pseudo-events, being planned
for intelligibility, are
more intelligible and hence more reassuring. Even if
we cannot discuss intelligently the qualifications of
the candidates or the complicated issues, we can at least judge the
effectiveness of a television performance.
How comforting to have some political
matter we can grasp! |
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(6) Pseudo-events are more
sociable, more conversable,
and more convenient to witness. Their occurrence is
planned for our convenience. The Sunday newspaper
appears when we have a lazy morning for it.
Television programs appear when we are ready with
our glass of beer. In the office the next morning,
Jack Paar's ( or any other star performer's) regular
late-night show at the usual hour will overshadow
in conversation a casual event that suddenly came
up and had to find its way into the news. |
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7) Knowledge of
pseudo-events--of what has been reported,
or what has been staged, and how-becomes
the test of being "informed." News magazines provide
us regularly with quiz questions concerning not
what has happened but concerning "names in the
news"-what has been reported in the news magazines.
Pseudo-events begin to provide that "common
discourse" which some of my old-fashioned friends
have hoped to find in the Great Books. |
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(8) Finally, pseudo-events spawn
other pseudo-events
in geometric progression. They dominate our consciousness
simply because there are more of them,
and ever more. |
だがこれは少し性急な結論だ。ブーアスティンは、《冒険=危険との対峙》という短絡的な理解をしたために、現代の冒険者は《真の冒険》か ら疎外されていると思い込んだ。彼の見解を敷衍すると、冒険は、危険が克服された現在では、金も時間も浪費する無駄な挑戦であり、かつ現代の疑似イベント 以外のなにものでもない。だがそうだろうか?
今日の冒険者は、マスコミに幻影を抱かせ、スポンサーに広告の費用効果を説き、自らユニークな危険を創出し、そこに飛び込んでゆく。実 は、それらの一連の行動そのものが今日における《リアルな冒険》であることを彼は気づいていない。冒険における死は、今では無駄死にはならない。ときにそ れは商品にも姿を変える。死せる挑戦者は、来るべき成功者の祝福のための前座であり、冒険の神話を聖別するための供犠である。そうでなくては、現代におけ る絶え間のない―些かうんざりする―冒険の再生産を理解することはできない。冒険はブーアスティンが理解した以上に、人間の想像力が占める部分が 大きな営為であったのだ。
冒険は再生産されるだけではない。冒険はさまざまな人びとに開放されるようになった。このことは、旅行そのものが安易になったこともさる ことながら、人びとが感じる《冒険の概念》がより一層拡張した結果であろう。プロの登山家がおこなったことをアマが、男性のヨットマンが行なったことを女 性のヨットウーマンが、自転車で行ったことを車椅子で行なえば、それらはみな《新しい冒険》として報道される。それはなぜか? ギネスブックに象徴される ように、行為は記録を通して《新たな冒険》として登録されることが可能になるからである。そして記録は我々を刺激し挑発する。冒険という行為が記録という 尺度の体系のなかに配列されることによって、冒険は誰もがチャレンジできる等身大のものになった。
その証拠に、不倫、情事、同性愛、フェティシズム、マスターベーション、ポルノ鑑賞、あるいは出歯亀など、性的な領域においても立派に 《冒険》が成立する。ライマンとスコットが言うように「人に新しいアイデンティティを身につけ、異なるスタイルを選び、はじめての主題を奏で、そして一般 に、人の秘められた精神力を証明する」とき、それは現代人にとって冒険となりうるのだ(『ドラマとしての社会』)。冒険は、《危険を取り去る》ことによっ て骨抜きにされたのではなく、《危険が再生産されたり》あるいは《飼い慣らされる》ことによって、より洗練され我々の生活の一部として定着するに至ったの だ。
ディーン・マッカネル先生は、疑似イベントは観光の社会関係が生んだものであり、むしろ観光客自身はオーセンティシティ (authenticity)つまり真正でリアルな 「本物」を求めているのだと主張する(MacCannell 1976:103-4)。マッカネルの本物に関する議論は、社会学者ゴフマンの役割理論における<おもて>と<うら>という2つの領域の区分を導入する。 日常生活を演劇論的な観点から分析するなかでアーヴィング・ゴフマンは言う。演技者は、舞台の<おもて>と舞台の<うら>の両方を行き来できるが、観客が 見聞きできるの は<おもて>の部分だけである。<うら>の領域は隠されているが観客はそれを覗きたがるものである。なぜなら<うら>には本物があると思われているから だ。社会的リアリティを確固とするためには、ある種の神秘化が必要なのだ、とマッカネルは言う(MacCannell 1976:93)。だからマッカネルの関心は観光客の本物の探究のプロセスにあるのではなく、近代社会において本物が隠される神秘化とその暴露の弁証法的 プロセスにある。とざっとそのように主張する(→「演出された本物性」)
冒険の本質とは与えられていた難題を解くことではなく、難問を創造―捏造?―し、それに答を与えることである。
フィクショナル・ツーリズムの発見
人びとの想像のなかで肥大しさまざまな意味が伴示された結果、もともと担われていた意味が陳腐になった例は「冒険」だけではない。「観 光」もまたしかりである。
そのような観光概念の変容を、荒俣宏氏の『図像観光』に象徴的に見て取ることができる。博物学の時代に描かれたさまざまな事物の世界= ファンタジーワールドに旅立つのに、読者は荒俣ガイドの導きに従って、幻想の世界を垣間み、それに触発されて読者自身のイメージを拡張してゆくことができ る。
興行師アラマタが編み出した手法は、観光というメタファーを図像の解釈にあてはめたという代物ではない。それが革新的なのは、図像― 書物のなかのイメージであると同時に読者の頭のなかでムクムクと浮かび上がったイメージ―もまた観光の対象となることを示したことにある。観光は新た な対象を見いだしたと同時に、その新たな対象そのものによって、それ自身の定義を色あせたものに変性させた。
なぜなら、旅行者=ツーリストに関するヴァーレン・スミスの定義―「変化を体験するために、家庭から離れた場所を自発的に訪れる、一 時的に余暇の状態にある人間」への疑問、すなわち旅行の要件とされている《空間の移動》が不要なものに思われてくるからである。まったく観光において移動 の時間というものは必要悪である。徒歩・バス・飛行機・汽車で何日、何時間、というように、距離が時間の尺度に一元的に還元され表示されるようになって以 来、時間の経過は《旅行意識の変容》を演出するための小道具になり下がった。観光において、移動に使われる時間は呪われた存在となったのだ。我々は、小説 か、ゲームか、飲んだくれるか、はたまた機内で上映される(大抵はくだらない)映画のなかに逃げ込むしかないのである。
むろん、忌むべき時間に身をゆだねざるを得ない世俗的な観光を否定する前衛主義(アバンギャルティズム)が今までなかったわけではない。 生涯のほとんどを居住している村から離れることなく、観念の世界のなかで大冒険を敢行=観光したフランスの作家ジャン・ジオノも、現実のリリカルなブラジ ル旅行記である『赤道地帯』の作者ジル・ラプージュに言わせれば立派な旅行者である。《居ながらにして観光する》ことなど、現代の我々にとって何の苦労も なくおこなえる―ラプージュの言を借りれば「私は自分の部屋で旅をするのだ」。
現代人はもたついた末、想像の旅にようやくたどり着いたが、伝統社会では超自然との関わりのなかでより洗練された旅の身体技法が使われて いた。シベリアの伝統的なシャーマンは、病者とその家族が見守るなか冥界などの他界を遍歴し、そこで出会った霊―失われた病者の霊、死霊、動物霊など ―との邂逅を経験する。そこでは、シャーマンが旅の経験を語る=再現することを通して病いを癒すのである。シャーマンの身体は、そこにあったが魂は長 い旅に出かけていたのだ。あるいは新大陸における幻覚作用のある植物の利用において、その使用者は動物や植物の守護霊と一体となって、大空を飛翔したり、 想像を絶する距離の移動を体験する。いずれの場合も、意識の別の次元へ《旅行する》。そこでは《呪われた移動時間の拘束》というものが見られない。
シャーマニズム、宗教による神秘体験、ドラッグによる意識の変容、疑似体験メディア、あるいは洗脳体験‥‥。《空間の移動》と《意識の変 容》という旅にまつわる二つの側面のうち、前者の《空間の移動》を極限にまで切り詰め、後者の《意識の変容》を極大にするような、観光ではない一連の観光 的現象が見られる。それを総称して、私はフィクショナル・ツーリズムと呼ぶ。観光における《意識の変容》が肝要であると私が主張しながらも「観光=ツーリ ズム」に冠して「虚構の=フィクショナル」と名辞することは一見矛盾するように思える。しかし、多元的に並立するフィクションを成立させる条件こそが、現 代の観光における想像力の源泉であると私は信じる。さらにもう一歩踏み込んで《観光の空間》を我々の眼に映る即物的な空間の謂いではなく、意識内のトポス =場所であると拡張して考えれば、観光=ツーリズムがもつ類推的想像力の可能性はさらに広がる。
<こころ>という《いまだ知られざる大陸》(テラ・インコグニダ)(→「サイ バーパンク」)
フィクショナル・ツーリズムというモデルから類推されるものにはじつに多様な現象がある。別の典型例として、西洋社会におけるドラッグす なわち精神に作用を及ぼす薬物の利用について考えよう。ドラッグによって意識が変容する状態は英俗語でトリップと言われる。そのことから、薬物を利用する 人間は実際に、心や魂あるいは意識が旅をするのだと考えているのだと短絡的に決めつけるわけにはいかない。しかし、探求してみる価値はありそうだ。
さて、精神変革のためのドラッグというと、我々は六十年代後半に登場した対抗文化の若者たちにおけるブームのことを想起しがちである。し かし、西洋におけるこの種の薬物の利用は前世紀より見られた。十九世紀はアヘンが大流行した時代だった。ド・クイン『阿片常用者の告白』やボードレール 『人工の楽園』など薬物を礼賛する主張も数多く登場する。エドガー・アラン・ポーはアヘンチンキの、フロイトはコカインの常用者であった。作家や知的エ リートに見られる薬物への思い入れの共通点とは、薬物は知的な想像力を刺激し、人間の意識を拡大させるというものであった。それは、まるでメディアを人間 の感覚器官の拡張と見なすマクルーハンの百年後の主張の元型をそこに見るかのごとくである。
薬物利用の正当化の主張を待つまでもなく、前世紀から現在にいたるまで西洋文明の大きな関心の焦点は、内的な意識の探求と、そこにおいて 発見されるべき「ほんものの自我」にあった。もっともライオネル・トリリングをはじめ大方の文学の史的研究の成果によると、それを支える<個人>の誕生 は、それよりもはるかに古く十六世紀の終わり頃から十七世紀の初頭に遡れるという。ともかくも世俗社会ないしは象牙の塔において「自我とは何か」という執 拗な探求は綿々と続いていたのである。
このような視野から見ると、六十年代末期において<自我>の解放や意識の変革のためという言辞がドラッグの利用のための口実として使われ たことは驚くべきことではない。しかしながら、そのような思い込みは思わぬ副産物を産むようである。伝統社会における向精神作用をもつ薬物の利用法がその 文化的な脈絡から解釈し直されたことも、そのひとつだ。ワイルとローセンによると(ドラッグを含めた)薬物の利用の目的や機能は、およそ次のごとくまとめ られる。宗教的な行事の補助や自己探検のため、気分を変化させるため、病気を治すため、人間間のつき合いの促進と補助、知覚体験や歓びの増大、芸術的創造 力やパフォーマンスを刺激するため、肉体的動作を向上するため、反抗の証として、アイデンティティの確立、等である(『チョコレートからヘロインま で』)。
このような薬物利用の機能や目的とは、実は現代人が観光や旅行に求めている事柄と完全に合致することがお分かりであろう。つまり、ドラッ グの利用とは、トリップ=旅という語呂あわせ以上に、フィクショナル・ツーリズムそのものであったのだ。またSF小説を契機として今世紀後半以降、大きな トレンドになったサイバーパンク思想にも《旅というメタファー》の構想力を認めることができる。ギリシャ語で水先案内人という言葉《サイバー》を冠するこ の思想は、ハイテクを[大企業の営利から解放し]個人の意識・感覚の拡大のために開発しどしどし利用していこうというものだ。昨今流行のバーチャル・リア リティ(仮構現実感)開発もこの流れと深い関係にある―ただし大企業の営利に寄与するという点を除いて。
だがドラッグというものは、伝統社会における儀礼といった文化的拘束を越えて、近代社会の中で商品として流通し出すとたちまち《濫用》と いう弊害をもたらす。ドラッグはポルノグラフィーやマスターベーションあるいは非合法的な賭博などと同様、禁止が厳しくなればなるほど、その禁止を破る蟲 惑の度合が増し、自己破壊的な利用者を生むようである。もはや自我の探求という題目が忘れられて、薬そのものに狂騒するようになる。
ドラッグの濫用が世界的な規模で進む一方で、ドラッグに頼らない<自我>の探求はどこですすんでいるのだろう。言うまでもない、大学にお ける心理学や精神医学から、民間の無手勝流の精神療法まで、およそ<こころ>の科学を標榜している領域は多かれ少なかれ、この大きな近代の知的潮流の形成 に関与しているのである。《心は人類に残された最後の未発見の大陸である》という表現は、フィクショナル・ツーリズムの探求においても、たんなる比喩以上 の含みがある。心は現代人にとって新たな観光対象となったのだ。
新しい旅の始まり
我々にとっての世界旅行は、世界中どこにでも到達可能であるという意識の形成と、日常生活のなかに飛び込んできた世界の人びとに関する 《断片的情報の氾濫》という奇妙な混淆の中に始まった。情報の氾濫による知識の充足は、情報不足からくる想像を常に凌駕するとは限らない。我々の世界の他 者は、未だ遠いところにあるのだ。
それゆえにこそパック旅行に代表されるマス・ツーリズムが批判され、人びとのあいだでオルタナティブ・ツアーが希求されるのである。この 《もうひとつの旅》を定義するのは容易ではないが、旅先で個人宅に投宿する、山村をトレッキングし村人と交流する、NGOのプロジェクトに参加して井戸掘 りやボランティアー活動に従事するなど、マス・ツーリズムで失われた旅の経験を取り戻そうという新しい動向をこう呼ぶことができるだろう。オルタナティ ブ・ツーリストはガイドブックこそ捨てないが、自分が体験した/体験することを観光の基本理念におくことで、観光に想像力を再び吹き込もうとしている。
むろんオルタナティブ・ツーリズムの発生が、我々にとっての<他者>理解への希求だけに帰されるとは言いきれない。フィクショナル・ツー リズムの流行に見られるような、<自我>探検や<自我>感覚の拡張というトレンドのなかで、《自分とは何か?》について刺激してくれる《適当な他者》が求 められた帰結であるかもしれない。にもかかわらず、これらの一連の新しい観光現象が招来する大きな意義は、必然的に<他者>との生身の接触をいよいよ増大 する契機をはらんでいることである。本誌『新・観光学宣言!』に登場してきた種々のキーワード:「ネオ・ノマド」―高田公理氏、「『他者の問題』とし ての観光」―山下晋司氏、「世間と接する旅」―神崎宣武氏、「ウミンチュ体験コース」―太田好信氏などは、異口同音に旅における<他者>の理 解の意義を強調している。
※カントは『純粋理性批判』(1781)の冒頭の序文のなかで、ノマドと懐疑主義を怖がる。社会的絆というものが根を張らないと不安に なる《どん百姓根性》をカントは内面化したことは疑うべくもない。その二世紀後(199年後)に、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは『千のプラ トー』 (1980)で、独自の遊牧論の観点から、係留点をもたない思想の可能性を探究した。
結論はこうである―。
メディアにおける<他者>のイメージ、冒険的行為の創造、フィクショナル・ツーリズムの実態などを通して、《旅》や《観光》と言うもの は、われわれが信じている以上に《想像的な営為》であることが明かにされた。《観光の現在》とは、旅の経験における<リアル>対<フィクション>という対 比が見かけよりも複雑なのだということにほかならない。
その想像力が投射されるのは他ならぬ<他者>なのだ。われわれの身体の外部で展開される旅の経験は、身体をもつ<他者>との関わりという 点で、きわめて《倫理的な実践》であったのだ。
<他者>を知ろうとする動機と、他者の現実―それは決して我々の前に容易にはその全貌を見せることはない―との擦り合わせが、現 代の観光に新しい局面を切り開くのである。
■クレジット:池田光穂、想像力観光への招待―フィクショナル・ツーリズムと<他者>理解,中央公論,1992 年10 月号,pp.314-320 ,1992 年10 月
D.マッカネル先生へのコメント
・米国が文化的な差異の討議場(meeting ground)であることを認めた上で、文化が交錯する点を意味するハイフン(-)[eg.Asian-American]を強調する(ハイフンはまた同 時にマイナスのサインでもある)。
・ニューツーリストと称することのできる傾向は、さまざまな局面で垣間みえる。たぶんより特化したセックスツアー、(Club Med をモデルとするものを超え得るような)パッケージツアーの新展開、極地ツアーや食人族探検のようなエッジ・ツーリズムはそれらに含まれる。つまり、既存の ツーリストイメージから遠心的に逃れる傾向をもつツーリストをさしている。(→しかし、これだけでは既存のツーリストが共有する同じような社会的状況を抱 えているだけで、“新しさ”の特色にはならない。)
・ツーリストが文字どおり<ほんもの>をもとめて地球の果てまで到達した(そして束の間の他者の生活を垣間みた一瞬を除いて<ほんもの>は 失われ、取り戻されることはない)時から、その新しさは始まる。
・New Tourist の別の端的な例は<もの>の地球的レベルでの移動だ。人間の移動に比して(異文化由来の)<もの>の移動は、我々にとっての他者性が統御されたものである ことを意味している。
・マッカネルは別のところで生まれアイデンティティ(?)を付与された<もの>の移動について必要に解説を加える。(マツダのロードス ター、アリゾナに移築されるロンドン橋、マウント・ラシュモアの大統領のモニュメント像の日本での複製の噂、など)
・文化的遺物<もの>の移動はポストモダン状況以前の帝国主義・植民地状況においてもあった(パリにあるエジプトの方尖塔や大英博物館にあ るギリシャの大理石像)。しかしながら、ポストモダン状況において、レベルは多様化し、規模は拡大し、複製や売買などによってそれらの活動はほぼ極大化し ている(マッカネルはこの状態を「ハイパーカイネティックな封建制」と命名してそれを考察する)。
・このような状況(=ポストモダン)にあって新・旅行者はただの消費者にすぎなくなる。その結果(その論理的な帰結?には思われない が??)、あらゆる“象徴形式”の移動=置き換えが地球レベルで起こっている。それは、カリフォルニアの銀行の日本式の屋根に、化粧品によるアジア的メー キャップの顔の上において実際に起こっているのだ。そして、(文化のエンジンとしての)観光の究極の夢はもう既にアリゾナのロンドン橋や日本のマウント・ ラシュモアにおいて成就されている。
・従ってポストモダンと観光はお互いに相殺するような存在である。ポストモダン状況においては、観光の起点になる<home=住処>そのも のを、旅行先の情景と同じくしてしまうからである。「どんな場所も次のようなものに似てくる。すなわち、“過去のスタイルにおける機会的な喰人的行為”、 (でありそれは)飼い慣らされた“文化的他者性”の徴とそれを思い出させる事物の継ぎ接ぎだらけの模倣作品=パスティシュだ」(P.5)
・ポストモダン状況において(観光における出発点であり、また最終的な目的地であった)<住処>は任意なものになってしまう。(このホーム の概念の解体は、旅行者と極端な対比をなしていた“難民”を非常に近いものにさせる)。旅行者は“世界化”するのだ(He can be "worldly",p.6)。
・新・旅行者の類型を五つ提示する。ルーツ希求観光者(自分達の出自を求める旅);ダイアスポラに好奇心をもつ観光者(日本人が米国の日本 人町を訪れる);エッジ観光者(承前);新天地希求観光者(ジュラシック・パークや仮想現実を求める);ポスト・ツーリズム観光者(観光する人間を観察す る観光、調査者)である。
・ポストモダン・ツーリズムを従来のツーリズムから峻別する枢要な点は、人間の大量移動ではなく、観光に関連する事物の移動にある。ニュー ツリストは人間ではなく<もの>なのだ(という彼は、前の段落の類型と明らかに矛盾しているが‥‥)。だが、それは旅そのものを、家あるいはそれに隣接す る場所のとどめておく(ばかり)のではない。ロンドン橋のように、元あった場所と移築されたところの両方を(ちょうどハイフンのように)繋げるのだ。結び 付けるもの(マッカネルはそれを promiscuity=[性的な含意のある]乱交という言葉で表現する)それは良い意味においても、悪い意味においてもである。
・(Asian-Americans, African-Americans のように)ハイフンで結ばれたものすべてが旅行者ではない。米国における移住者たち、それは追い出された者も、去らざるを得なかった者も、自発的にやって きた者も、ポストモダニティを支える中心的主役なのである(という楽観的?肯定的評価をくだしているようである)。
■マッカネル論文へのコメントから派生する観光研究の可能性
マッカネルはこの論文でニューツーリズムあるいはニューツーリストを、ポストモダン状況のもとで定義したわけだが、議論はその妥当性如何 について集中した。
しかしながら、私は、観光を起こさせる(観光的)想像力が現実の観光を凌駕するという現象について、フィクショナル・ツーリズムという概 念をもとにして議論したことがあるので、彼の枠組みの創造性をより積極的に評価すべきであると思う。
すなわちポストモダン状況における観光の問題を、モダン状況において生起していた観光のネガティブな側面がさらに強化されたという見解 (例えば、マルクス主義的な物象化/フェティシズム、消費としての観光批判など)はあまりにも、悲観的な観測である。また観光者という主体からみた観光研 究の可能性を閉ざすものであると考える。
マッカネルの論で、最も興味深いところは、ポストモダン・ツーリズムの主役が<ひと>ではなく<もの>であるという新鮮な刺激だ(→この 指摘は、観光を人間の移動としてしか理解できない“石頭の人類学者”にはたいへん不評のようだが‥‥)。観光にともなう物質に関しては従来ツーリストアー トという側面でしか論じられてこなかった(これにかんしてはA・ホーナーのような手堅い報告もあるが、彼女の議論はそのサブテーマの中で完結しており、参 加者の広範な議論が喚起できなったことが、そのことを傍証している)。
マッカネル示唆するところは、観光研究におけるサブジャンルの設定にはなく、<もの>の移動という観点から、新しい観光研究の視野が生ま れてくることをさしている。例えば博物館と人類学の関係についての研究、ツーリストアートと<ほんもの>性の問題、事物が喚起する想像の問題(ジュリエッ ト・マッカネルは、フロイトの収集癖と彼自身の精神分析のアイディアの源泉の関係について論じている)などである。より我々に即したことで言えば、我々に とって、民博に再現された家屋(あるいはその什器)と、リトルワールドの体験家屋と、ハウステンボスの宿泊施設の位相関係についてより深い示唆が得られる ヒントを与えてくれたように思われる。
ただコーエンなどが指摘したようにイマジネーションと至高の現実において起こることの区分をめぐる議論は、将来重要な論点になるだろう。 コーエンは至高の現実は、夢やイメージのこととは根本的に異なるのだと指摘しているのだが、至高の現実たる観光体験を動機づける夢やイメージの役割の大き さを過小評価するわけには、いかない。
(→このことを考えると、一見退屈に思えたジュディス・アドラーの「トラベラーとトラベルの魅力としての<聖者>」論文にも、空間を超えて 移動することを意味とモラルの発生など学ぶべきテーマを数多く見つけることができる。ちなみに、コーエンは彼女の発表に対して、近代のツーリストは中世初 期の放浪聖者と根本的に違うのだと批判したが、これはコーエンが現実の観光現象に即して事象を解釈(たとえ構造分析という使い古された概念枠組みを用いて さえも!)しようという彼の方法論的立場のあらわれであると考えると、よく状況が理解できる)。
さて、マッカネル論文で触れられていないこと(あるいはそれを意図的に回避したのだろうか?)は、観光ひいてはポストモダン状況における 文化の“乱交(promiscuity)”をめぐって生起する現実のパワー・ポリティクスではないだろうか?
例えば、●●●●はハイフンという表現に関して、統合を想起させるような対等なハイフネーションなどは有り得ず、それは権力性の問題を抜 きにしては論じられないと指摘した。
この権力性は、当然のことながら<もの>の移動にもつきまとう。▼▼がコメントしたように、<ほんもの>は常に現地から西洋に、そして<に せもの>あるいは<コピー>が現地に置かれるという事実を抜きにして<もの>の移動を論じるわけにはいかない。これは、D・エバンズ=プリチャード論文に おける考古学の遺物の<流通>の問題にも通じる。冒険家による考古学的遺物の収集(かりに遺跡のあった土地が合法的に購入された後の採集であったとして も‥‥)から埋蔵物の学問的な収集、さらにはウアケーロ(コスタリカ)とよばれる闇の盗掘屋による遺物採集にいたるまで、考古学的遺物の流通はすべからく 現地から西欧(=米国)なのである。
そして、それら流通を規定しているのは、エキゾチズムな事物の収集という近代ヨーロッパに起源をもつエートス(?)であり、考古学上の価
値という学問が生み出す権力とそれに支えられた事物収集であり、闇の市場においてどうどうと通用する(それらの<ガラクタ>?の)商品価値なのである。そ
こには、前世紀中ごろから発達した進化主義、自然史学として変貌をとげた博物学(→その前史としてのアドラー論文にある聖遺物収集とその崇拝)、余剰生産
の蓄積や中産階級の成立、アンティークの商品流通の成立、そして近代考古学の成立(1820年代:ナポレオン遠征によって獲得されたロゼッタストーンの
シャンポリオンによる分析や、トムセンによるコペンハーゲン国立博物館におけるヨーロッパ先史時代区分の設定とそれによる陳列など)などの西欧における知
識の序列とその可視化という巨大なルーツを下敷きにしているのである。(→このように想像しただけでも観光研究の沃野は広いし、歴史学などの研究分野と連
携してゆく必要性が痛感されます)
◎ ノスタルジーやイメージ力を駆使して「時間を遡求する旅」も相続力観光(fictional tourism)である
"Nostalgia is a sentimentality for the past, typically for a period or place with happy personal associations.[2] The word nostalgia is learned formation of a Greek compound, consisting of νόστος (nóstos), meaning "homecoming", a Homeric word, and ἄλγος (álgos), meaning "pain" or "ache", and was coined by a 17th-century medical student to describe the anxieties displayed by Swiss mercenaries fighting away from home.[3] Described as a medical condition—a form of melancholy—in the Early Modern period,[4] it became an important trope in Romanticism.[2] Nostalgia is associated with a yearning for the past, its personalities, possibilities, and events, especially the "good ol' days" or a "warm childhood".[5] The scientific literature on nostalgia usually refers to nostalgia regarding the personal life and has mainly studied the effects of nostalgia induced during the studies. Smell and touch are strong evokers of nostalgia due to the processing of these stimuli first passing through the amygdala, the emotional seat of the brain. These recollections of one's past are usually important events, people one cares about, and places where one has spent time. Music,[6] entertainment (movies,[7] video games,[8] etc.), and weather[9] can also be strong triggers of nostalgia." - Nostalgia.
Nostalgia or Homesickness as illness
"The term was
coined in 1688 by Johannes Hofer (1669–1752) in his Basel dissertation.
Hofer introduced nostalgia or mal du pays "homesickness" for the
condition also known as mal du Suisse "Swiss illness" or
Schweizerheimweh "Swiss homesickness", because of its frequent
occurrence in Swiss mercenaries who in the plains of lowlands France or
Italy were pining for their native mountain landscapes. Symptoms were
also thought to include fainting, high fever, indigestion, stomach
pain, and death. Military physicians hypothesized that the malady was
due to damage to the victims' brain cells and eardrums by the constant
clanging of cowbells in the pastures of Switzerland.[22]
English homesickness is a loan translation of nostalgia. Sir Joseph
Banks used the word in his journal during the first voyage of Captain
Cook. On 3 September 1770 he stated that the sailors "were now pretty
far gone with the longing for home which the Physicians have gone so
far as to esteem a disease under the name of Nostalgia", but his
journal was not published in his lifetime (see Beaglehole, J. C. (ed.).
The Endeavour Journal of Joseph Banks 1768–1771, Public Library of New
South Wales/Angus and Robertson, Sydney, 1962, vol. ii, p. 145). Cases
resulting in death were known and soldiers were sometimes successfully
treated by being discharged and sent home. Receiving a diagnosis was,
however, generally regarded as an insult.
In the eighteenth century, scientists were looking for a locus of
nostalgia, a nostalgic bone. By the 1850s nostalgia was losing its
status as a particular disease and coming to be seen rather as a
symptom or stage of a pathological process. It was considered as a form
of melancholia and a predisposing condition among suicides. Nostalgia
was, however, still diagnosed among soldiers as late as the American
Civil War.[26] By the 1870s interest in nostalgia as a medical category
had almost completely vanished. Nostalgia was still being recognized in
both the First and Second World Wars, especially by the American armed
forces. Great lengths were taken to study and understand the condition
to stem the tide of troops leaving the front in droves (see the BBC
documentary Century of the Self).
Nostalgia is triggered by something reminding an individual of an event
or item from their past. The resulting emotion can vary from happiness
to sorrow. The term "feeling nostalgic" is more commonly used to
describe pleasurable emotions associated with and/or a longing to go
back to a particular period of time, although the former may also be
true." - Homesickness as illness.
熊
本大学文学部・法学部の前身は、旧制第五高である。熊本大学の「五高記念館のHP」には、そのよう
なノスタルジーによる旅の仕掛けがたくさんある。
リ ンク
文 献
そ
の他の情報
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