医療は先住民に役立つのか?
Does Western medicine contribute to
Indigenous People?
池田光穂
医療は先住民に役立つのか?
この単純な疑問を通して私が提起したいことは以下のことがらである。
植民地ないしは新植民地状況の戦争状態あるいはテロリズムなどが常態的に行使される低水準紛争状態では、医療は対象者を救命維持させるのみらな らず、逆に人びとを抹殺し価値下落させる単なる「技術」になってしまう。だがこの事実が言わんとしているのは、医療が本義から逸脱したのではなく、医療が 徹頭徹尾、社会に埋め込まれており、その影響から逃れられないことにある。
アルジェリア内戦を通してフランツ・ファノンは、当時の精神医学の現状が呪わ れた黒人のアイデンティティを暴露する心象風景を写す鏡になると同 時に、革命的熱情を増幅する触媒になりうることを指摘した。また人種的に矯正された精神医学とは、被植民者への抑圧装置となるばかりではなく、人種的身体 そのものを作りあげることを示した。そこで明らかにされたのは、〈裸にされた医療〉つまり直裁的に人間身体に介入する技術であり、しばしば見られる医療者 の使命・倫理・道徳というものは、実際には襤褸であれ豪奢なものであれ医療の飾りに過ぎず、医療の本質的な部分を構成しないことを、であ る。
では我々にとってこの種の偶像破壊の行使から得られる教訓は何であろう。医療を単なる技術として再認識し、それを社会的管理の下に置くこと か。あるいは人びとに「役立つ」制度的改造を謀ることなのか。私には双方とも、我々が技術を管理することができるという安直な考え方に未だ固執しているよ うに思える。
医療がそして人類学が研究対象をその観想下に置くとき、もっとも強力に作用するのは人間集団の範疇的規格化という表象能力である。役に立つ/ 立たないという二分法的思考は、実際のところ薬や治療が効く/効かないという判別思考の延長上にある。文化現象が理解できる/理解できないという判別も同 様であろう。このような思考法をその学問の実践者に強いるのは、つねに医療も人類学も、功利的な効果を引き出す社会実践として誰かに期待されており、その 誰かは医療や人類学にその「技術」が発揮されることを望んでいるからである。発表では、以上のことを植民地状況にみられる医療と人類学の2,3の具体例を 提出して検討してゆく。
クレジット:周縁化される他者の身体:帝国医療の諸相「医療は先住民に役立つのか?」