大阪大学コミュニケーションデザイン・センター概
要
● 問題の背景
今日、加速度的に進展してきた科学技術のもつ社会的な影響力が破格的に大きくなっていることはあらためて言うまでもない。環
境汚染や資源の枯渇といったマクロな問題から遺伝子治療や再生医療といったミクロな生命技術の問題まで、科学技術の先端的な問題はことごとくわたしたちの
生命と安全に深くかかわる。
しかしそれらはその理解に高度な専門的知識を要するものであるから、市民はみずからの生命と安全に深くかかわる問題でありながらもそれらの問題が発生す
る仕組みや解決の方法を自分たちではうまく理解したり、構想したりすることができない。
そこで、たとえば医療現場では、医師と患者のあいだでのインフォームド・コンセントが義務づけられるようになってはいる。しかし、患者は医師の専門的な
言葉が理解できないでつい医師に判断をまかせてしまうし、医師のほうは専門の研究に没頭してきて対話の訓練を十分に受けていないので、たとえば不安がる患
者にどのように接していいか分からず、うまくコミュニケーションをとれないで落ち込んだり、不用意な言葉で患者を傷つけてしまったりする。つまり、医師と
患者にはそれぞれの文化というものがあって、その二つの文化のあいだで十分なコミュニケーションがきちんと成り立っていないという状況があるわけである。
コミュニケーション・ギャップもしくはディスコミュニケーションともいうべき同じような状況は、発電所やゴミ処理場の設置の問題をめぐっても行政関係者
と住民のあいだに、あるいは食品の安全管理や遺伝子作物の安全性の問題にしても企業関係者もしくは専門科学者と消費者とのあいだに、あきらかに生じてい
る。
要するに、科学技術政策というマクロな意思決定の場面から、医療・福祉・教育など個々の臨床的な現場での意思決定の場面まで、利害や立場の異なる当事者
のあいだ、とりわけ異なる専門家のあいだ、専門家と非専門家のあいだに、双方が十分に理解しあえるための適切なインターフェイスのしくみが欠落していると
いう状況が、現在の日本社会には深刻なかたちで存在すると言わざるをえない。
このような、問題ごとの適切なインターフェイスのしくみの欠落、つまりはコミュニケーション・ギャップをなんとか埋めようと、たとえば生命技術をめぐっ
て専門科学者と市民のパネルがじっくり議論し、市民がそのなかである意思決定にいたる会議(「コンセンサス会議」)をはじめとする集会が科学哲学者をつな
ぎ役として開かれるようになり、ヨーロッパなどでは一国の政策決定に大きな影響力をもつようになりつつある。訓練された模擬患者を立てて医師の面接の練習
やチェックをするNPOの活動や、患者のQOL(生命・生活の質)をめぐる病院内の議論に同席する倫理学者の活動もみられる。さらには、追いつめられた患
者さんたちの訴えを聴くカウンセラーや「いのちの電話」などの努力もある。異なるコミュニケーション文化のあいだをつなぐそのような仕事は、現在、さまざ
まなかたちで模索されている。
一般国民が科学技術に関連した政策決定や政策立案過程に参加しうる参加型の公共的な討議空間の形成(一般国民参加型テクノロジー・アセスメント)から、
医療紛争、廃棄物処理問題、食品の安全性、家庭・学校・地域のさまざまなトラブルなどをめぐる裁判官を交点とした調停=和解(裁判外紛争処理)の技法開
発、都市環境をめぐる住民の合意形成のプロセス、さらにはホスピスや介護、看護やカウンセリングにおけるケアとしてのコミュニケーションまで、いまこの社
会に求められているのは、専門化と一般市民をつなぐ双方向的なコミュニケーションの広い領域である。
おりしも平成15年度「科学技術白書」は、旧科学技術庁時代の提議書「21世紀における科学と社会」に盛られた内容をいよいよ本格的に展開するというか
たちで、「科学と社会」というテーマを最前面に打ち出している。そのなかでも、科学技術をめぐる専門科学者と市民とのより密接なコミュニケーションの必要
性や科学コミュニケーターの緊急の養成の必要性を謳っている。また、文部科学省科学技術振興調整費も平成14年度より「科学技術政策提言」の部門に力を入
れ、「臨床コミュニケーションの開発と実践」(大阪大学)や「科学技術倫理教育システムの調査研究」(北海道大学)を採択して、その提言を昨年度の「科学
技術白書」に大幅に盛り込んでいる。ここで肝要なことは、先端医療、食糧開発、メディアテクノロジー、エネルギー開発といった現代の先端科学技術は、文明
の新しい可能性を開くとともに、市民生活上の大きなリスクを孕むものでもあり、その意味で、これからの科学研究はみずからの社会的影響まで視野に入れた確
かな社会的判断力をともなう研究でなければならないということである。
● 大阪大学の教育目標
大阪大学は法人化にともない、その教育目標として、「教養」・「デザイン力」・「国際性」の育成を掲げている。
以下ではまず、「役員室だより」における「これからの大阪大学の教育目標」とそのために「特に力を入れる教育プログラム」について、再録しておく。
1.これからの大阪大学の教育目標
大学が、「研究」とならんで果たすべきもっとも大きな目標は、「教育」、つまりは優れた人材の養成です。
では、大阪大学が養成しようとしている「優れた人材」とはなにか?
それを教育・情報室では、「教養」と「デザイン力」と「国際性」を備えた人材というふうに考えています。高度な教育をおこなう以上、教育のベースになるの
は、確かな基礎学力と高度な専門知識の形成であることは言うまでもありません。しかし、それ以上に、やがて社会人として、あるいは研究者として、社会で活
躍すべき学生諸君には、なによりもまず「教養」と「デザイン力」と「国際性」を十分に身につけてもらいたいと思っています。これら三つの資質は、次の時代
を担う市民・研究者にもっとも強く求められるものであるとともに、現在の阪大生にかなり欠けていると思われるものだからです。
はじめに、教養です。
先端医療からメディア環境、住環境、食の安全性まで、現代の先端科学技術は、文明の新しい可能性を開くとともに、市民の日常生活ととくにその安全に深くか
かわっています。そういった社会的影響まで深く視野に入れて高度な科学研究と技術開発にかかわるという研究態度が、これからの大学には求められます。
そのために大阪大学の教育課程では、専攻の専門的研究のみならず、社会的な判断力や責任意識を高めるため、大学院でも学部でも、教養教育を重視します。大
阪大学憲章の6には「実学の重視」が謳われていますが、ここでいう「実学」は、のちに誤解されたように「役に立つ」応用的な学問というよりは、「真の教養
に裏づけられた学問」、つまり「机上の学問」「ペーパーだけの学問」にならず、同時代の社会や文明が抱え込むさまざまの現実的問題に取り組んでいくという
本来の意味で捉えなければなりません。
教養教育のなかでもう一つ、力を入れなければならないのは、「科学的な思考」の訓練です。現在、理系の学生の社会的・文化的な教養の乏しさとともに危惧さ
れるのは、文系学生の自然科学への関心の薄さです。
現代社会が抱え込んでいる問題は、さまざまな研究領域の複合的な取り組みを要求しています。さらに、生命科学・情報科学から将来的な社会制度や都市生活の
設計まで、科学の先端的研究もまた、脱領域的な知性--総長の表現では「柔らかな専門家」--を求めています。その基盤になるのが、文理の区別を超えた、
人間とその社会についての豊かな教養です。
そうした豊かな教養を備えた「市民に信頼される研究者・技術者」の育成を、大阪大学の教育のコアに位置づけます。
二番目は、デザイン力です。
ここで「デザイン力」とは、まずは「構想力」の意味です。異なる分野、異なる知識を編集し、新たな知的領域や社会構想を創出するイマジネーションのこと
です。
「デザイン力」を言い換えれば、「グッド・センス」ということです。「グッド・センス」は、感性的なものであるとともに社会的なものでもあります。つま
りそれは、一方で鋭敏で繊細な美的な感受性を意味するとともに、他方で、コモンセンスという言葉にもうかがえるように、広い視野に立つ確かな社会的識見を
も意味します。そういう二重の意味で「グッド・センス」を身につけた学生を育てることを、教育の第二の目標とします。
三番目は、国際性です。
「国際性」についてはいまさら言うまでもありませんが、ひとつ留意しておかなければならないのは、「国際性」が発揮されるのは、外国の文化との広い交流・
交渉や相互理解に限られないということです。異文化は一つの社会のなかにも存在します。多文化化する社会、多言語化する社会のなかで、文化は多次元化して
います。異なる文化圏のあいだのみならず、一つの社会のなかのさまざまな社会集団・文化集団のあいだにも、さまざまな軋轢やコミュニケーション不全が起
こっています。そういう状況を克服するためには、自分の考えを相手の言葉で、あるいは共通の第三の言語で表現する能力、つまり外国語による表現の能力を手
に入れることが必要ですが、さらにそれ以上に、異なる文化的背景をもった人びとときちんとコミュニケートできる資質、つまりは対話能力とコミュニケーショ
ン技法を身につけることが必要となります。これを教育の第三の目標とします。
2.特に力を入れる教育プログラム
以上、三つの目標を実現するために、特に力を入れる教育プログラムとして、教育・情報室では現在、次のような取り組みを開始しています。
「教養」については、まず、確かな基礎学力、幅広い知識を身につけるために、ことし4月に設置された大学教育実践センターを中心に、カリキュラムの充実
や授業の評価・改善のためのいろいろな方法の開発に取り組んでいます。また、大阪大学は総合大学院大学として広範な研究領域をカバーしており、それぞれの
領域で高度な専門知識を身につけるにも、それぞれの研究領域にふさわしい教育方法が求められます。そしてこれらの教育方法の工夫や開発には、全学教員の参
加とその厚い協力がどうしても必要です。これをまずはじめにお願いしておきます。
「教養」の二番目の課題、「市民に信頼される研究者・技術者」の育成と併せて、「デザイン力」の育成のために企画しているのは、全学共同利用機関として
のコミュニケーションデザイン・センターの設置です。ここでは、大学と市民が話し合い、協力しあいながら、地域社会の抱え込むさまざまな問題を解決する、
そういう「社学連携」の姿勢を涵養するために、コミュニケーション能力と(先にあげた二重の意味での)「グッド・センス」に磨きをかける、そのような教育
事業に取り組みます。具体的には、臨床コミュニケーションデザイン、安全コミュニケーションデザイン、アート&フィールド・コミュニケーションデ
ザインという三つの部門で事業を開始し、その次に、プロダクツ・デザイン、メディア・デザインなどの領域へと活動を広げていきたいと考えています。
(「国際性」については省略)
コミュニケーション技術の育成については、現在、大阪大学大学教育実践センターと連携して、「対話力育成プログラム」を計画中です。現在、全学共通教育や
各学部のカリキュラムのなかには、対話能力、プレゼンテーション能力、外国語による表現能力などの育成をめざした授業が、いろいろ設定されています。それ
らを体系的に整備するなかで、この秋より、全学に開かれた一連のプログラムとして設定しなおします。近年の新規採用で企業が学生に期待する第一のものは
「コミュニケーション能力」であり、就職支援という視点からしても、このプログラムのもつ意義はけっして小さくありません。
● 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター設置の目的
すでに問題の背景のところでも指摘したように、加速度的に進展してきた科学技術のもつ社会的な影響力が破格的に大きくなってい
る。環境汚染や資源の枯渇といったマクロな問題から遺伝子治療や再生医療といったミクロな生命技術の問題まで、科学技術の先端的な問題はことごとくわたし
たちの生命と安全に深くかかわるものであるが、しかしそれらはその理解に高度な専門的知識が必要となるので、市民がそれらの問題が発生する仕組みや解決の
方法を自分たちではうまく理解したり、構想したりすることができず、加害/被害といった対立的側面ばかりが前面に出ざるをえない。科学技術政策というマク
ロな意思決定の場面から、医療・福祉・教育など個々の臨床的な現場での意思決定の場面まで、利害や立場の異なる当事者のあいだ、とりわけ異なる専門家のあ
いだ、専門家と非専門家のあいだに、双方が十分に理解しあえるための適切なインターフェイスのしくみが欠落しているという状況が、現在日本社会には深刻な
かたちで存在する。
本センターでは、市民の生命の安全、そして生活の安寧に深くかかわる問題をめぐって、産学官の専門家と一般市民とが、インターラクティヴに話し合い、問題
解決に向けて議論する双方向型のコミュニケーションの諸方式--一般国民が科学技術に関連した政策決定や政策立案過程に参加しうる参加型の公共的な討議空
間の形成(一般国民参加型テクノロジー・アセスメント)から、医療紛争、廃棄物処理問題、食品の安全性、家庭・学校・地域のさまざまなトラブルなどをめぐ
る調停=和解(リスク・コミュニケーション、裁判外紛争処理等)の技法開発、都市環境のアメニティ・安全をめぐる住民の合意形成のプロセス、ユニバーサ
ル・デザインへの市民の参画、さらにはホスピスや介護、看護やカウンセリングにおけるケアとしてのコミュニケーション(臨床現場のコミュニケーション)ま
で--をネットワーク化することで「社学連携」(市民サポート)の窓口とするとともに、そのような専門家と一般市民とのあいだの臨床コミュニケーションを
媒介するメディエイターの養成を早急に図る。そうして、国民が「このような環境のなかで生活したい」「このような社会のなかで老いていきたい」と思えるよ
うな社会像を構想するうえで、当事者である国民がみずからを参加できるような社会的意思決定の方式を設計し、そのプロセスを支援する。
同時に、教育目標の二番目に掲げた「デザイン力」育成のために、長期的な視点から、メディア・リテラシーに次ぐもう一つの重要なアート・リテラシーの育成
と、研究現場でのコミュニケーション能力(特にフィールド・リサーチ)の育成にも、独自の教育プログラムを作って、力を入れる。
さらに、本センターにはコミュニケーションデザインをめぐって理系・文系の専任・兼任教員や若手研究者が集合することから、本センターを大阪大学における
文理融合の研究プロジェクトの創発の拠点の一つとして位置づける。
●大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの業務
(Center for the Study of Communication-Design)
(定義)
コミュニケーションデザインとは、「専門家と一般市民、利害関心の異なる人々をつなぐコミュニケーション・ネットワークの構想・設計」のことである。
(目標)
大阪大学コミュニケーションデザイン・センターでは、全学の大学院生を主たる対象としたコミュニケーション教育と高度教養教育をおこなうとともに、「社学
連携」(市民サポート)の窓口として、科学技術・行政・司法・企業の専門家と一般市民とが、インターラクティヴに話し合い、問題解決に向けて議論する双方
向型のコミュニケーションを担いうる人材を養成していく。
より具体的には、
(1) 広い視野と確かな社会的判断力をもって、非専門家である市民と十分なコミュニケーションをとりながら研究が進められるような資質の育成を、主とし
て大学院生・若手研究者を対象に行う。
(2) 科学技術コミュニケーションや紛争解決のさまざまなプロセスでのメディエーションをおこなう専門家(たとえば「科学技術コミュニケーター」)を養
成する。
(3) 市民・NPOとの「科学研究」を媒介としたコミュニケーション・ネットワークを構築し、公共的な合意形成のためのさまざまなコミュニケーション手
法を開発する。
(4) コミュニケーションデザインにかかわる文理融合型の研究プログラムを創出する。
(業務)
1. 全学大学院生を対象とした「コミュニケーション・デザイン講座:科学と社会」の実施
内容:科学の倫理、生命学・環境学基礎論、臨床行動論、合意形成論、地域コミュニティ支援論、災害支援ネットワーク論、社会リソース保全論、科学技術コ
ミュニケーション論、リスクコミュニケーション論、安全コミュニケーション論、紛争解決・調停ワークショップ、対面コミュニケーション論、対話ワーク
ショップ(本「講座」の受講を大阪大学における課程博士号取得の条件とすることによって、「市民に信頼される科学・技術者の養成」を図る。
2. 科学技術コミュニケーター養成講座の実施
3. サイエンスショップ事業の実施——大学院生の社会現場への派遣
4. イメージ・リテラシー教育、アートコミュニケーション・ワークショップ、フィールドワーク・センスアップ教育の実施
5. 大阪大学大学教育実践センターとの連携による学部学生を対象とした「対話力育成プログラム」の実施
6. 市民・非営利活動をおこなう団体等との、科学技術を媒介としたコミュニケーション・ネットワークの構築
7. 公共的な合意形成のためのコミュニケーション技法の開発
8. コミュニケーションにかかわる文理融合型の研究プログラムの創出
9. 前各号に掲げるもののほか、上記の目的を達成する必要な業務
●大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの部門構成
A.臨床コミュニケーションデザイン部門
・ 臨床コミュニケーション・デザイン(ケア・マネージメント、臨床行動デザイン、医療現場のコミュニケーション)
・ ウェルネス・デザイン(福祉デザイン)
・ 高齢者・障害者支援ネットワーク・デザイン
・ メディエーション・デザイン(裁判外紛争解決・調停技法、社会的合意形成)
・ 翻訳・通訳デザイン(医療通訳・司法通訳・特許通訳)
・ ボランティアコミュニケーション・デザイン
B.安全コミュニケーションデザイン部門
・ 科学技術コミュニケーション・デザイン
・ セキュリティ・デザイン(リスク・マネージメント)
・ マンーマシン・インターフェイス・デザイン
・ 消費者コミュニケーション・デザイン
・ 災害支援ネットワーク・デザイン
・ ロボティックス・デザイン
・ メディアネットワーク・デザイン
C.アート&フィールド・コミュニケーションデザイン部門
・ コミュニケーション環境デザイン
・ イメージ・リテラシー教育
・ アートマネジメント教育
・ マルチリンガル・デザイン教育
・ フィールドリサーチ・デザイン
・ マーケットコミュニケーション・デザイン
・ 移動生活デザイン
・ 地域コミュニティ・デザイン
・ 都市環境デザイン
・ ランドスケープ美学
・ 社会リソース保全デザイン
●大阪大学内の研究プロジェクトとの連携
● 組織
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター運営協議会
|
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授会
|
CSCD臨床コミュニケーションデザイン部門
CSCD安全コミュニケーションデザイン部門
CSCDアート&フィールド・コミュニケーションデザイン部門
|