グローバル化する近代医療と民族医学の再検討
――研究史における私的メモワール――
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10.結論――未完のコスモポリタニズム――
日本の帝国医療システムは、「人種」を超えた帝国の臣民全員にあまねく福利を授けるというコスモポリタンが理想とするプログラムを持っていな かった。そのようにみると、日本人による日本人のための日本人の医療を、はたして帝国医療システムと呼べるのかという疑問も沸いてくるだろう。我が国の高 度経済成長期以降、本格化する、ODAによる医療援助協力のプログラムを見てみよう。私の見解ではそれは帝国医療システムがモラトリアムされた像を結ぶ が、しかし他方で、現地の文化制度を尊重する、まさに新・帝国医療システムの真骨頂を発揮するようなものは、どれ一つとして見あたらないのは、不思議なく らいだ。戦後の我が国の医療は、技術はコスモポリタン、適用の範囲はナショナルなドメイン――すなわち〈国民医療〉――に留まりつづけるという独特の態勢 を維持し続けた。
そのような歴史的反省も経ることなく、現在では、グローバル化するネオリベラルな経済の医療制度改革が進行しつつある。その時になって初め て、医療は人間の健康の質を高めるために無制限に適応させるべきであるというコスモポリタン医療の理念は、簡単に忘却、放棄されてしまった。現在では、医 療は社会資本のコスト投入に見合った効果を引き出すアウトカムとして評価されるという見方が代わって登場し、医療は経済という、統治技法の目的以外により 制御されるべき技術体系として、初めて試練に曝されることになったのではないだろうか。
帝国医療を通したコスモポリタン医療の理想の実現は失敗に終わった。それは、16世紀に起源をもち19世紀に華開いた西洋の統治術の隆盛と失 敗のモデルを短期的に再演したものだった(フーコー 2000[1978])。システムではない生き方の実践としてのコスモポリタン医学は我々のもっとも 遠いところにあり、その実像はネオリベラル経済原理の前で、ますます薄れゆく影のような存在になっている(池田 2002)。経済のナショナルな境界を警 邏し、微かな差益をグローバルにこまめに回収する今日のネオリベラルな医療産業の仕組みが、どこまでこの現象を推し進めるか、我々には未だ見通しは立って はいないのである。
このエッセーを通して私が問題にしたかった問いは次のようなものである。まず最初の問いでは、グローバル化する社会的文脈のなかで、医療人類 学者がその社会的役割概念を変化させている事態がおこっているのか。次の問い、研究者の視座の変化が研究対象の社会的性格づけ(=本質としての文化的標 識)に変化をもたらすことはないだろうか。そして最後の問い、研究対象からすでに排除されてしまった人々や事物が、我々の考察の圏外においてさらなる変化 を起こし、最終的に研究対象に再編入されるようになった事態の意味はどのように考えることができるのだろうか、と。
私の用意した回答は次のとおりである。人類学者がその社会的役割概念を変化させている事態はまさに起こっている。なぜなら医療人類学は民族医 療を文化主義に基づいて解釈することから研究をはじめ、次に西洋近代医療を同じ手法において研究する方向に転じ、そして最後にそれまでの文化主義をより政 治経済的な批判概念に鋳込み治すようになってきた(cf. 池田 2001)。研究対象の変化は、対象を取り扱う問題系に向かおうとする時に、研究者に変化を引き起こしたのだ。今日の人類学では、解釈的転回(ギ アーツ 1991:38)から実践的転回がおこりつつあると言ってよい(cf. 田邊 2003; 太田 2003)。このような主張は保守的主流派からは反発を喰らうことになるが、バックラッシュにおいてすら、批判派の論理に対抗するために主流派もま た人類学の実践的関与の問題系を取り込んだコメントを行うようになっている。つまり異質な批判的意見に耳が傾けられることが、その必要不可欠な条件の証で ある。人類学者の社会的性格付けは変化しつつあるのだ。かつて人類学者によって考慮されることのなかった歴史的過去の痕跡――ここでは人類学がいまだかつ て考量の対象として想定もしなかった帝国医療――が、現在においてまさに検討に値する問題系として浮上することがあり得ることを、私たちは身をもって体験 していると言えば、大げさになるだろうか。私は決してそのことが大げさであるとは思っていない。
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