規範概念としての健康
ジョルジュ・カンギレム『正
常と病理』ノオト:Health as norm and sanction
作成者 池田光穂
●疾病論上の二項対立
「医学者たちの考えは、病気についてのこうした二つの表象(病原体のような〈存在論〉と調和 の攪乱のような〈全体論〉のこと——引用者註)の一方から他方へ、二つのかたちの楽観論の一方から他方へ揺れ動き続けた。そして揺れ動くたびごとに、必ず どちらかの側にとっての何かしらもっともな理由を、新しく明らかにされた病因の中に、見つけたのだった。欠乏症の病気およびいっさいの伝染病や寄生病は、 存在論的理由に軍配を挙げ、内分泌障害および不十分、困難、異常、障害などを示す接頭辞dysのついたあらゆる病気は、ダイナミズムの理論つまり機能的理 論に軍配を挙げる。にもかかわらず、これら二つの考え方には一つの共通点がある。すなわち、いずれも病気の中に——病/気であるという経験の中にといった 方がいい——戦いの場をみている。一方は有機体と外部のものとの戦いであり、もう一方は内部のせめぎ合う力同士の戦いである。一方は一定の本源的要素の存 在や欠如によって、もう一方は有機体全体の配置替えによって、病気は健康状態から区別される。一つの性質が他の性質とは異なるように、病理的なものは正常 なものと異なるのである」(カンギレム 1987:15-16)。
●規範の哲学/規範の不在
「完全なものはあらゆる完全さをもっているものだから、自己を存在させることの完全さももっ ているだろうと考えて、その完全さの性質から出発して、完全なるものの存在を証明できるかどうかを、人は長い間追求してきた。完全な健康が事実上存在する かという問題もこれと同様である。まるで完全な健康が、批判的な概念ないし理想型ではないかのようではないか? 厳密にいえば規範は存在しない。規範は、 存在するものを低く評価して修正可能とならしめる役割を果たしている、完全な健康が存在しないということは、単に、健康の概念が存在概念ではなくて、規範 概念だということだ。規範の役割と価値は、存在するものにかかわり合って、これを変更させることにある。このことは、健康が空虚な概念だということを意味 しない」(カンギレム 1987:55)。
●衛生の規範
「衛生の規範の定義は、政治的見地からすると、統計的に見た住民の健康や、生活条件の衛生 や、医学に焦点を合わせた予防と治療の処置の均等な拡張などに向けられた関心を前提とする。オーストラリアでは、マリア・テレジアとヨゼフ二世とか、帝国 健康委員会(Sanita‾ts-Hofdeputation. 1753)を創設して「主要衛生規則」(Haupt Medizinal Ordnung)を公布することによって、公衆衛生の制度に法律的規定を与えている。主要衛生規則は、一七七〇年、「衛生規範」(Sanita‾ts- normativ)に置き代えられた。それは、医学や獣医技術や薬局や外科医養成や人口統計や医学統計などに関連する四十の規定から成る。ここで/は規範 と規格化に関して、実体とともに言葉をもつわけである」(カンギレム 1987:228-229)。
●規範・規格化
「……正常という用語そのものは、教育制度と衛生制度という二つの制度特有の語彙から出発し て、通俗語の中を通って、そこへ移植されたのである。そして、これらの制度の改革も少なくともフランスに関する限り、フランス革命という同じ原因の影響の もとで、同時におこった。正常というものは十九世紀に、学校の模範や身体器官の健康状態をさし示す用語だった。理論としての医学の改革それ自体が、実地と しての医学の改革にもとづいている。すなわち、理論としての医学の改革は、フランスでも、オーストラリアでも、病院の改革と密接に結びついている。病院の 改革と教育改革とは、合理化の要請を表している。合理化の要請は、出現し始めた工業機械化の影響のもとに、経済にも政治にも現れている。そして結局は、そ れ以後、規格化(normalisation)と呼ばれたものに帰着することになる」(カンギレム 1987:219)。
●規範概念が、病理概念を相対化する
「もし病気がやはり一種の生物学的規範だということが認められるなら、病理的状態はけっして 異常といわれることはできず、一定の場面との関係の中で異常だといえることになる。逆に病理的なものは一種の正常なものなのだから、健康であることと正常 であることとはまったく同じではない。健康であることは、一定の場面で正常であるということだけでなく、その場面でも、また偶然出会う別の場面でも、規範 的であるということでもある。健康を特徴づけるものは、一時的に正常と定義されている規範をはみ出る可能性であり、通常の規範に対する侵害を許容する可能 性、または新しい場面で新しい規範/を設ける可能性である」(カンギレム 1987:175-176)。
●クロード・ベルナール(Claude Bernard, 1813-1878)の平均・嫌悪
「クロード・ベルナールは、平均で表された生物学的分析や生物学的実験のすべての結果に対し て、嫌悪感を示していた」(カンギレム 1987:130)。
●健康の2つの意味
「正常なものと異常なものとを、相対的な統計的頻度で定義して、病理的なものを正常とみなす やり方は、おそらく存在する。ある意味で、完全な健康が続くことは異常なことといわれている。しかし、それは健康という言葉には2つの意味があるというこ とである。絶対的な意味での健康は、有機体の構造と行動の理想型を示す規範概念である。この意味では、よい健康を語ることはひとつの冗語法 (redundancy?:引用者)である。なぜなら、健康とは器官がよいことだからだ、資格ありとされる健康は、可能な病気に対する個々の有機体のある 種の傾向と反応を示す記述概念である」(カンギレム 1987:116)。
●ベルナールとコント
「クロード・ベルナールは『実験医学研究序説』(仏語省略)を著すにあたって、効果的作用が 科学と同じだということを主張しようとしただけでなく、同時にこれと並行して、科学は現象の法則の発見と同じだということも主張しようとした。この点で、 コントと完全に一致している。コントが彼の生物哲学において生存条件の学説と呼んでいるものを、クロード・ベルナールは決定論とよんでいる。彼はこの用語 をフランスの科学的言説の中に、最初にもち込んだと自負している」(カンギレム 1987:86)。
●ジョン・ライル(John A. Ryle)論文「正常の意味」
The meaning of normal. 1947 「オックスフォード大学の社会医学の教授であるこの著者は、何よりもまず、生理的規範とくらべて個人にある種の偏りがみられたとしても、それだけでは病理 的指標ではありえないことを証明しようと努めている。生理的変異性が存在することは正常である。それは順応にとって、したがって生存にとって、必要なので ある」(カンギレム 1987:252)
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