パターナリズム
What is Paternalism ?
解説:池田光穂
パターナリズム(paternalism)とは、 親が子どものことを慮[おもんぱか]るように他者に対してとる保護主義的立場のことである(→オリジナルサイト)。
ペイテル(pater)は、ギリシャ・ローマ語に おける父親(パテル)という意味に由来する。従って辞書には「父親的温情主義[干渉]」(リーダーズ英和辞典)あるいは「温情主義」という訳語が与えられ ている。
パターナリズム立場が一般的におこっている際に は、
(i)他者が自分自身で自己の処遇の判断がで きない、つまり自己決定ができないこと
(ii)〈善行する意図〉に基づいて他者の処 遇に介入する
という2つの前提がみられることが多い。
パターナリズムが正当化されるのは、他者(=子ど も)代理(=親)としての行為決定が代理への〈信頼〉を担保として保証されている時である。
今日においてパターリズムが好ましくないものとし て批判される事例には(i)の当事者の自己決定権の侵害が問題にされていることが多く、(ii)は問題化されにくい。しかしながら、〈善行する意図〉がな くても、パターナリズムを名目として他者の処遇に介入することも可能であり、またその判断を誰がどのように決定するのかということも論じるべき課題になる ので、(ii)がまったく問題がないとは言えない。
パターリズムは、力のあるものが、力のないものに よって、〈善行する意図〉による介入なので、しばしば力(=権力や暴力)を持つものの正当化の論 理ではないかと議論されてきた。
たとえば国際紛争における侵害・介入のパターン は、しばしばパターナリズムという形で表現され、その構図がしばしば反植民地主義という観点から批判されてきた。たとえば、ベルギーのアフリカ植民地政策 では、統治されるアフリカの人たちは〈子供〉として取り扱われ、ベルギーの植民地省当局は彼らに対する温情的干渉を正当化した(→植民地主義)。そのためアフリカの人々に は政治的統治能力がまったく無きがごとく取り扱われ、その代わりに彼らに福利厚生を与えるという態度をとる。
このような統治のロジックそのものは、ある歴史の 文脈の中で一見正当化されるように思われる。しかし実際には、庇護されるはずの主体の代表権や自己決定権は認めないので、例えば鉱山利権を現地の首長など に帰して、それを便宜的かつ形式的に譲り受ける形をとり、鉱山開発に伴う土地収容や徴税、労働調達などをベルギー植民地当局は容易におこなうことができ た。これらは、実際にはパターナリズム状況下において、虚構の代表権を設定し、現地の人々の自己決定権を所与のものとして取り扱わなかったからである。保 護対象になる個人や主体の自己決定権を考慮したり、第三者のアドボケート(権利擁護者、法的代弁者)の意見をもとに方針を変化させない方針の採用は「構造 的パターナリズム(structural paternalism)」として理解すべき必要があるかもしれない。
他方で、パターナリズムを否定的にとらえる見方がある が、 それはこの考え方の誤用(misuse)あるいは濫用(abuse)の側面であり、パターナリズムは、我々の人間生活ではごくふつうにみられる一般的現象 であることを忘れてはならない。
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行動経済学では、コリン・カメレール(2003)に 「非対称的パターリズム」という用語が考案されている。これは、「社会で最も洗練されていない人々を助けながら、最も洗練された人々に最小限度のコストを 課す政策をデザインすべきだ」という考え方である(セイラーとサンスティーン 2009:364)。セイラーとサンスティーンの提唱する「リバータリアン・パターナリズム」も、この非対称的パターリズムの一種だという。
"Libertarian paternalism
is the idea that it is both possible and legitimate for private and
public institutions to affect behavior while also respecting freedom of
choice, as well as the implementation of that idea. The term was coined
by behavioral economist Richard Thaler and legal scholar Cass Sunstein
in a 2003 article in the American Economic Review" - Thaler, Richard
and Sunstein, Cass. 2003. "Libertarian Paternalism". The American Economic Review 93:
175–79.
文献