ゴッフマン(ゴフマン)のリージョン(region)とはなにか?
What is the meaning of Goffman's concept, "region" ?
ヴァーチャル・ゴフマン[ポータ ル]
模範解答ではなく、学生と同じ水準で考え答えるためのゴッフマン(ないしはゴフマン)読解に 関するご不満あるいが疑問があるかたは、こちらに書いている電子メールアドレスにお問い合 わせください。最近迷惑メールが多いので、返事がこない場合は同じ質問文を含んだ督促メールをお送りください。
質問:
ゴッフマンのいう局域(第3章)の考え方がちんぷんかんぷんでわかりせん。何かヒントになる ようなことでも結構ですので教えてください[茨城県の大学生より]
おこたえ:
局域なんて、変な訳をつけるからわからなくなるのですわ。
regionつまり局所的な場 所。舞台とか客席とか家庭の台所とか居間とか寝室とか、ある固有の意味と価値観が 通用するところと思えばよろしい。パフォーマー(演技する人)の舞台ですね。
した がって、局域が変わったりすると常識が非常識となる。あるいは一時的に局域をつく りだすことで、人を煙にまく(楽屋オチの洒落みたいなものですね。局域を知らない と部外者にはなんのことかわらない)。
したがって、パフォーマーは、局域について の情報に熟知しているというのがふつうで、もし知らないと、初心者や田舎っぺ(= 無知で不適切な奴)と馬鹿にされます。おとろしや〜!!
eco-tur-CR.htm (下記論文)にある、frontとbackですね。
Eco-Tourism, Exploitation and the Cultural Production of the Natural Environment in Costa Rica by Mitzub'ixi Quq Chi'j
質問:
作法の要請(pp.125-)について、つぎのような2つの区別があり、私なりにまとめてみ ました。けれど、いったいどのようなことか、よくわかりません。教えてください。[某私立大学生より]
●道徳的要請・・・オーディエンスに対する不干渉ならびに非−妨害に関する約束、穏当性に関 する約束、聖域尊重に関する約束、などに関わるもの。
◎道具的要請・・・雇用者が被雇用者に要求する義務に関わるもの。 (品物を大切にすること、労働水準の維持など)
おこたえ
上の「穏当性に関する約束」?とは誤訳で、「性的な慎み深さに関する約束」ですね。
ここいらあたりは、ちょっと難しいようですが、よく考えると、それほどではありません。ま ず、作法の要請などという迷訳がいかん。要するに「礼儀作法が求められる」ぐらいの意味です。上の2つの「求められていること」の種類のことをさしていま す。
道徳的というのは、それ自体で(行為者にとって)自明なことです。神社や教会で立ち小便と か唾を吐くとか、親密ではない異性の腰に手を回すとか、このようなことは、言わずもがなのルールですね。ただし、これは「〜してはいけない」ではなくて、 「ここ(=局域)では〜しない」というようなルールですね。
道具的というのは、機械的に要求されるようなルール。生徒手帳のルールみたいに、「やら ねぇと教師が五月蠅せ〜から、言うこと聴かないだめじゃん」みたいな、ものですね。それを守ることに倫理や道徳などが表に出てこない、あるいは参与者に意 識化されるものではない。
ただし、ただしですね。このあとの文章でゴフマンが言っているように、作法というものは、 ふつうは道徳的な要請からくるものが、もっとも偉いように思われる、つまり、教会で静粛にする(=道徳的要請)のは教室で静粛にする(=道具的要請)より も高貴で神聖なように思われるけど、パフォーマーの観点からみたら、ある場所(=「局域」いつものことながら悪い訳だ!)でルールを守る点で同じであると 言っています。つまり、その動機はどのようなものであれ、それぞれの場所や舞台において守るという行為をおこなうことが重要だと言っているのです。
しつもん
p.133の3行目 舞台裏の統制は、パフォーマーが、自己をとりまく規 制的要請と自己自身の間の緩衝装置にしようとしている 仕事の統制の過程において重要な役割を演ずるものである。 というところで行き詰ってしまいました。その後の例 題を見れば 何となく理解ができるのですが 簡潔に言 えと言われたらいまいち分かりません。
おこたえ
なるほど、翻訳は引用するのも憚れるほど恐ろしく堅い。
"[C]ontrol of backstage plays a significant role in the process of "work control" whereby individuals attempt to buffer themselves from the deterministic demands that surround them"(p.114).
そこでこの文章を柔らかく訳すると、次のようになる。
「舞台裏のコントロールは「仕事のコントロール」の過程 においてひとつの重要な役割を果たします、(なぜなら) それによって、個々人は身の回りにある決定的な諸要求 (=その人に求められていること)から自分自身をクッシ ョンのように守ってくれるようにするからです」
つまり、舞台裏(=トイレにおける化粧)でリラックスし 自分に対して自己反省的になれるから、緊張した表舞台 (=初めての相手とのデート)において相手の仕草や振る 舞いに集中して観察することができる、てな意味なんですよ。