医療現場でのコミュニケーション(2)
Human Care in Clinical Practice (2)
西村ユミ
2007年5月15日(火) 医療現場のコミュニケーション(2)
◆ 講義内容および目標
1 医療現場におけるコミュニケーションの一例として、遷延性植物状態患者の援助をしている看護場面を取りあげ、ここでいかなるコミュニケーションが行われているのか(行われている可能性があるのか)を検討する。
2 遷延性植物状態を患う患者の“存在”から、どのような問いかけを読み取ることができるのかを考える。
◆ 問い
・コミュニケーションは、一方が他方に、言語的・非言語的に[問いかけそれに応じる]というスタイルでだけ行われているか?
・コミュニケーションは、[うまくできる/できない]という次元のみで行われているのか?
・経験の次元において、[自己/他者]は明確に分離されているか?
1. 遷延性植物状態患者と看護師とのコミュニケーションについて考える(2)
1)VTR『あせらないけどあきらめない』の視聴(約10分)
2)グループワーク(約30分)@6人前後/G(前回と同じですが,司会者は交代して下さい)
[課題/宿題]
・遷延性植物状態患者の援助をしている看護場面において、いかなるコミュニケーションが行われているのか(行われている可能性があるのか)?
・VTRを見て、あるいは看護師の患者へのかかわりを見て、考えたこと(議論になったこと).
3)発表(5分以内/各グループ)
4)まとめ
2.身体を介した交流
1)経験を主題とする(観察ではなくて)
・「われわれがほんとうに世界を知覚しているかどうかは問題にすべきことではなくて、むしろ逆に、世界とはわれわれの知覚している当のものである。」(メルロ=ポンティ,1967)
・「・・・物とか事態といったものをそれ自体で存在するものではなく、それを思ったり感じたりするわたしたちの志向(現われ)との関係のなかで現象するものとしてとらえる。」(鷲田,1997)
2)経験者が語る交流の特徴(西村, 2001)
「…目と目が合ってもなんか、私は目を合わすんです。覗き込むんだけれども、なぜかピッと合ってくるものがない気がした。すごい抽象的だけれども……。こうある動きの中でも瞬時で、なんかこう、やっぱり『視線がピッと絡む』みたいなところはあるような気がする。…そういう視線が絡むような瞬間が、瞬間として捉えられる。プライマリーだから捉えられるのかもしれない。」=【感覚の未分化な経験がかかわりの根拠となっている】
「瞬目(声かけに対して返されるまばたき)が。あと、手を握ってくるというのがあったので、こうピッてして(Uさんの手の中に自分の手を入れる真似をする)、「手力入れて」って言ったらキュイ、「離して」キュイ、「合ってるかな」って感じ。? 不随意でたまたま言葉かけに合っていたのかなとか、私がその不随意な動きに無意識に言葉だけ合わせてた可能性ってあると思うんですよ。」=【問いかけのなかに応答がはさみこまれる】 「Sさんの眼を見て話しているうちに、自然にSさんの理解力に合わせた表現や速さで、できるだけ分かりやすく理解しやすい言葉で話すことができるようになったんですよ。」(がんの告知や手術の説明等に際して)
=【他者の状態に促されて私の行為が決まる】
■資料
遷延性植物状態の定義
○ジャネットとプラムによる定義
一見、意識が清明であるように開眼するが、外的刺激に対する反応あるいは認識などの精神活動が認められず、外界とのコミュニケーションをはかることができない。(Jennett, B & Plum, F., Persistent Vegetative State after Brain Damage; A syndrome in search of a name. The Lancet, April 1, 1972)
○日本脳神経外科学会植物状態患者研究協議会の定義(1972年)
useful life を送っていた人が脳損傷を受けた後で以下に述べる六項目を満たすような状態に陥り、ほとんど改善がみられないまま満三カ月以上経過したもの。
(1) 自力移動不可能。
(2) 自力摂食不可能。
(3) 尿失禁状態にある。
(4) たとえ声は出しても意味のある発語は不可能。
(5) 「眼を開け」「手を握れ」、などの簡単な命令にはかろうじて応ずることもあるが、それ以上の意思の 疎通が不可能。
(6) 眼球はかろうじて物を追っても認識はできない。
(中山 研一・石原 明編『資料に見る尊厳死問題』、日本評論社,1993)
○脳死との違い
脳死の定義:脳幹を含む脳全体の機能の不可逆的停止
生命維持装置によって人工的に心臓や肺は動いている(=体は生きている)が,脳機能が停止した状態をいう。 臓器移植法 第六条「脳死した者の身体」とは,脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されるものの身体をいう。
大脳死と全脳死
・脳幹(中脳+橋+延髄)=生命維持の機能
・大脳が死に脳幹が生きている状態―大脳死(=植物状態)≠脳死
・その逆が脳幹死(イギリスでは,脳幹死=脳死と定義する)
・大脳と脳幹の両方(=全脳)が機能を停止した状態―全脳死(多くの国での脳死の定義)
(倫理の公民館〔http://www.ne.jp/asahi/village/good/ethics.html〕より一部抜粋)
関連ホームページ
・脳死について:http://www6.plala.or.jp/brainx/index.htm
・遷延性植物状態患者の回復例について:http://www6.plala.or.jp/brainx/recovery2000.htm
【参考文献】
Jennett, B & Plum, F., Persistent Vegetative State after Brain Damage; A syndrome in search of a name. The Lancet, April 1, 1997, 734-737.
M・メルロ=ポンティ『知覚の現象学1,2』みすず書房、1967年; 1974年
鷲田清一『メルロ=ポンティ』講談社、1997年
西村ユミ『語りかける身体』ゆみる出版、2001年
================ 第5グループのレポート内容================
レポーター:Mさん(医学系研究科) 前回の講義でのまとめ
1.コミュニケーションは成立しているか?
→成立している
2.いかなるコミュニケーションがなされているか
→目を見ること、体に触れるというボディタッチがあること、名前を呼びかけるということ、 患者とNsの長い付き合いからうまれるコミュニケーション、施設の環境そのものがコミ ュニケーション(例えばカーテンをオープンにし患者対患者のコミュニケーションが行 われている。その空間がコミュニケーションを生んでいる)
3.名前を呼んだり、体をさすったりする行為にはどのような意味があるか?
→名前を呼ぶことで、一個人として尊重している。
名前を呼ぶことで刺激になる。集団の場でも自分の名前を呼ばれるだけで も反応してしまうのと同じで、患者にとっても名前を呼ぶことは刺激になる。
4.体をさすったりする行為にはどのような意味があるか?
→体をさすることは、皮膚からの刺激を与えることができる。その刺激により、コミュニケーションのツールを引き出している。例えば手を動かす、まばたき する等の反応がかえってくる。
体に触ることで、人に愛情を伝える、安心感を与えるという作用がある。ボディ タッチで愛情を相手の心にひびかせて、生きる意志を与える。また、心と心のコ ミュニケーションが行われる。 今回の講義でのまとめ
1.コミュニケーションは成立しているか?
→成立している
2.いかなるコミュニケーションがなされているか
→前回と今回の講義で違うところは、患者が反応しているか、していないかであると考える。 患者が反応することがコミュニケーションに関係するのか?という視点でディスカッションした。 患者が反応していなくてもコミュニケーションはある。看護師が患者には目には見えないかもしれないが 反応が心の中ではあるのだと思ったり、コミュニケーションをとろうと思ったり、意思を発信しようと思ったり、する等の看護師が心を動かされることがあれば、コミュニケーションはあるのでは?と考えます。
================ Aグループのレポート内容================
Aグループレポータ兼司会者のHが5月15日の討論内容について報告を行います。 メンバーはAさん、Nさん、Sさん、Cさん、Iさん、Kさんというメンバーでした。
まずその前の週に行ったコミュニケーション方法について列挙します。
1. 患者さんの手をもっていっしょに音楽を聴く。
2. 患者さん本人の名前を呼ぶ。
3. 患者さんの気持ちいいと思われるメッセージを送る。
4. 患者さんの感想を聞いてあげる。
5. 患者さんに意見を求め、YESならば指を2回、NOならば指を1回動かしてもらうようにした。
代表的なものとして以上のようなものが上げられました。
この週では主に「コミュニケーションの定義」に焦点をしぼり、以前の討論では意見を言えた人といえなかった人とわかれてしまったので、今回は一人ずつ意見を述べていくという形をとりました。(それが裏目にでてまとめる時間がなくなりましたが。)
コミュニケーションは片方がとろうとしてそれと同等の返しがあればとれているという意見、(Cさん、Kさん)
片方がとろうとしてかすかでも返しがあればとれているという意見、(Aさん)
相手から返ってこなければそれはコミュニケーションではないという意見、(Iさん)
返しがなくても相手にこっちの意思が届いていればそれはコミュニケーションなのではないのかという意見、(H)
気持ちが伝わっていればコミュニケーション(Nさん)
など様様な意見がでました。
中でもSさんの建物の中に人がいるだけでも、その建てた人とのコミュニケーションが成立しているというSさんのノンバーバルコミュニケーションという意見が注目を集めました。
議論の途中このような介護の病院はこの世に必要であるのかなど、違う議題を出してしまったためまとめる時間がなくなってしまいましたが、コミュニケーションはお互いの意思疎通ができて成立するということでまとめました。
今度司会をやるときはもっと時間に気をつかってやっていきたいと思います。
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