準PBL方式で学ぶ医療人類学
第4回目 2007年6月30日(パート2)
PBL医療人類学【16】
【産道をふさぐ胎児】
今日の日本では産科学の技術的発展により、以下に想定される事例はまれになったが、世界の開発途上地域では現在でも十分に起こりえる事態である。あなたは将来、国際看護学の研修を積んだあとに「現地」に派遣され、医療スタッフの一員として下記のような状況に直面したと想像してください。
[状況と設問]
何らかの理由により、胎児の頭が産道につかえて、このまま放置すると妊婦も胎児も共に死亡する危険性がある場合に、産道につかえた胎児の頭を砕いて娩出(=べんしゅつ:産道から引き出すこと)させることは許されるだろうか。許される理由、許されない理由も併せて議論して下さい。グループでの討論は必ずしもひとつの判断や意見にまとめる必要はありません。その場合は、複数の意見をあげてください。ただし、ある判断を採用する場合にはそれを正当化する理由が必要になるので、判断と理由はセットで考えてください。
PBL医療人類学【17】
[医学的説明]
穿頭術[セントウジュツ]【英】perforation
産道の大きさに比し児頭が大きく,しかも胎児がすでに死亡しているか,生存の望みがないときに行われる胎児縮小術destructive operation of the fetus.通常,頭皮鉗子にて児頭を下方へ牽引してNaegele穿頭器にて泉門または骨縫合に十字型創孔を作り,これより脳実質や髄液を排出した後,縮小した児頭をBraun砕頭器にて把持して牽引し娩出させる.顔位の場合には眼窩または口蓋を穿頭器にて穿孔する.自然分娩が不能でほかに適法がないか,母体の生命に危険が迫り,胎児を犠牲にして急速遂娩を必要とする場合に行う.『[南山堂医学大辞典第18版』より。
[倫理学的説明]
我々が常識化している「殺してはいけない」という規則は、倫理学の分野では、「道徳的絶対主義による義務原則」と言います。他方、ある行為の結果を重視する考え方を、このケースでは「功利主義的原則」と言います(神崎 2006:908)。
1950年代のタンガニーカ(現在のタンザニア共和国)の母と子供(ジレック=アール『往診はサファリの風にのって(Call Mama Doctor)』p.134より)※ただし、この写真はこのワークの内容とは一切、関係ありません。
PBL医療人類学【18】
【妊娠中絶の基準の論理的な根拠は?】
日本では妊娠22週未満の妊娠中絶(=人工流産induced abortion)は、「母体に影響の大きい」場合に限り可能である。しかし、妊娠21週と22週の胎児には決定的な違いはない。もし、22週の胎児が中絶不可能であるならば、21週とダメだと言えないか。21週がダメなら、20週もダメ、19、18……となり、受胎した瞬間から妊娠中絶はダメということにならないだろうか。他方、21週が可能で、21週と22週では胎児に決定的な違いがないのなら、22週でも中絶してよいことになる。22週がよいなら23週も、24、25……となり、出産まで中絶は可能になる(神崎 2006:910)。
【死刑囚からの臓器提供】
ここに別々の臓器の致命的な疾患により瀕死の患者が5名いる。5人の臓器に適合する臓器があれば、それらの患者は生き延びることができる。たまたまある死刑囚が処刑されることになり、この死刑囚の臓器は、5人の患者の臓器ときわめてよく適合することがわかった。社会的な利害という観点から、処刑直後の臓器を摘出して利用すればよいと思われるが、この考え方はどういう点で容認されえないのか?――社会的な利害という観点から好ましいのにかかわらず、なぜそのことが推進されないのか?(神崎 2006:908-909をもとに改作)
【文献】神崎繁、2006「ディレンマ集」『現代倫理学事典』大庭健 編、Pp.902-914、東京:弘文堂
● 授業蛙