宿題に答える講義担当者
設問「臨床コミュニケーションとはなにか?!」
池田光穂
2007年7月10日(火)
これは、私自身が臨床コミュニケーション 1(2007年第1学期)の授業で出した宿題に、出題者自身がお答えするものです。ただし、この問題には、現時点では正答というものはなく、以下に述べる内容も、出題者によるひとつの考え方を示したものです。正しい答えというものは、それぞれの回答者の中にそれぞれ部分的に存在します。
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1.あなたが理解した臨床コミュニケーションを定義してください。 |
【臨床コミュニケーションの定義】[当初の定義]……(1)
-治療者(ないしは看護者)と患者のあいだの対話的なコミュニケーションをプロトタイプとした、比較的規模が小さくて具体的な人間間のやりとりのことをさす。(最初の出発点になる定義)
-このような人間的やりとりの事例に注目すると、上のような単純なプロトタイプモデルでは片づかない事例が出てくる。その事例とは、心理学のエンカウンターグループ、法廷内でのディベート、身体を媒介にした非言語的コミュニケーション、あるいは行為に伴う倫理的問題などである。それゆえ、冒頭の定義ではまとめきれない現象の豊かさが見えてきた(どうしましょうか?)
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2.あなたが想定した臨床コミュニケーションが起こりうる典型的な場と空間について、具体的な例をあげつつ解説しなさい。 |
【臨床コミュニケーションの具体例】
-PBLなどの対話型授業における「現場」=教室でおこるコミュニケーション
そこでは、授業は教授から学生・院生に授けられる場ではなくなり、複数の人格をもつ発話者の主張が相互に矛盾することも生じる。
私は、みんなが集まって話す「おしゃべりの場」を「議論の現場」に変えてしまう力を〈対話力〉と呼んでみたい。……(2)
(→様々なプレーヤーの存在、環境=文脈決定性)
このような場を保証するためには、現在のような教室空間は不適切である。丸いテーブルで、メモやパソコンなどがとれるファシリティが必要であり、床や壁などもリラックスして授業の中で議論できる明るさや色調なども考慮すべきだ。
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3.上記2であげた、臨床コミュニケーションの具体的な時空間において、生起しうるさまざまな「問題・トラブル・危険性」について、その1例を挙げて[創作してもよい]説明し、それを「解決・抑止・回避」するためにどのようなことが必要か、記載してください。 |
【臨床コミュニケーション上の問題と解決法】
-対話型のこの授業は楽しかった。でもその内容をどのように評価し、どのように他の学生や教師に継承してゆくのかに関しては、いささか疑問が残る点もある。
-教室での学生と教師の間の授業評価に対する意識の違い(齟齬=そご)
〈学生〉
(a)教育の効果の多様な側面に対する評価ができずに、限られたことを一般化する傾向がある。よく言う人気のある授業にはかならず、不満分子がいる。そういう意見には傾聴に値するものがある。
(b)授業に対する古典的評価に馴染んでしまう。対話がもつ「破壊力」を過小評価してしまう。(→これも様々なプレーヤーの存在を示唆)
〈教師〉
(a)多様な評価傾向をまとめきれずに、自分たちにとって都合のよいデータで満足したり、限られた少数意見にショックを受ける傾向があるのでは?
(b)授業に対する古典的評価に馴染んでしまう。対話がもつ「破壊力」を過小評価してしまう。(→これも様々なプレーヤーの存在を示唆)
この2つの対立=齟齬から生み出される結論は?
「対話力」という概念についての合意(コンセンサス)が生まれにくくなる。したがって対話力がなぜ生じるのかについての意識が希薄になる。……(3)
【改善のための意識改革】
臨床コミュニケーションは、ある社会的場における「現象」というよりも、その現象に介入し、状況を創ってゆく「技法」そのものである。(新たな定義の登場)
従って、「技法」に焦点をあてて、授業の中でその内容を鍛えてゆくだけなく、授業が終了しても、その人の「対話力」が枯渇しないように、日常生活の場で十分に利用可能なように学び直される必要があるのではないか。それが私にとっての解決法である。
もちろんそのような解決法の選択は、観察者と観察対象の〈癒合〉を示唆するものであり、臨床コミュニケーションのダイナミズム(ある人はそれを「生もの」と表現した)や偶発性で示唆したものである。それゆえ、容易なマニュアル化や普遍化を、コミュニケーションの存在様式そのものが拒否していると言えるのではないだろうか。
クレジット:2007年7月10日(火) 臨床コミュニケーション I(補助資料)担当:池田光穂
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